作家・安田依央インタビュー
ネオ終活エッセイ「わたしの骨はどこへいく?」を
書かずにはいられなくなった理由
このたび「集英社学芸の森」で連載がスタートした
「わたしの骨はどこへいく?」は、作家・安田依央さんが、
自分自身の「骨の行方」を真剣に考えようとする異色のエッセイだ。
安田さんは、作家活動と並行し、長らく司法書士として、
依頼人たちの終末に係わってきた経験がある。
「終活のプロ」が、一人っ子、独身である自身の最期、
さらにその先に待っている「骨」と
向き合うことになったのは何故なのか――。
「終活のプロ」として活動
――安田さんが作家デビューされたのが2009年。当時は司法書士の仕事をされていたわけですが、安田さんはその頃にはすでに「終活」という言葉を使ってセミナーを開かれたり、人々が棺桶の中で着たいと思う服を着てランウェイを歩くファッションショー(終活ファッションショー)を主催したり、人間の終末に関しての活動をされていました。いわゆる「終活」を一般の方に広めていこうと思われたことにはどのような経緯があったのでしょうか。
- 安田
- 今から20年近く前でしょうか、司法書士の仕事を始めてわりとすぐですね。司法書士の仕事は結構多分野にわたるのですが、相続関連や成年後見人などの、依頼人の終末に係わるものも多いんです。相続のことで残った人たちがもめるのをかなり見てきまして。遺言状が残っていればよかったのだけれども本人が亡くなっている以上手の打ちようがない、といったことが多くて。人間って死ぬ前に、何かしらそのための準備をしておかないといけないんじゃないか、と強く思うようになった……というあたりが発端ですね。私が活動を始めたばかりの頃はまだ「終活」という言葉もなかったですし概念も一般的ではありませんでした。
――2000年代後半になってくると次第に週刊誌でも「終活」が取り上げられるようになってきましたね(編集部注:「終活」が流行語大賞にノミネートされたのが2010年)。それ以前にも法律の世界で相続の問題は扱われてきたはずなのに、どうしてその時期まであまり話題にされなかったのでしょうか。たしかに昔は、わざわざ遺言状を作ったりするのは、会社を経営しているとか土地をたくさん持っているとか、そういう方々のものというイメージであったかもしれません。
- 安田
- やっぱり時代もあるんじゃないでしょうか。20年前ぐらいから家族の在り方がすでに大きく変わり始めていたのではないかと思うんですよね。
この20年で日本人が大きく変化
――安田さんはご自身の経験をモチーフにして『終活ファッションショー』という小説も書かれています(2012年、集英社)。その中に離婚を考えている妻とその夫の話がありました。夫は「俺が食わせてやっている」と言っちゃうような典型的な旧世代タイプの人間で「離婚なんかしたらおまえがみじめになるだけだ」みたいに高をくくってるんだけど、妻が「あなた名義の財産の半分は私にも権利があるんです」と言い返し、夫が絶句する場面があってそれがとても印象的でした。当時、と言っても十数年前のことですが、そういうことすら知らない人が珍しくなかったんですよね。たしかに夫婦や家族の在り方って、大きく変わりましたね。
- 安田
- ほんと激変しましたよね。こんな未来が来るかもよ、という気持ちで言ったり書いたりしていたことがことごとく現実になりつつあるという思いがあります。コロナ禍もあったせいか、この15年ほどで100年分ぐらい変化したような感覚です。
安田依央『終活ファッションショー』(集英社文庫)
司法書士事務所を営む市絵は、義理の弟でデザイナーの基大と二人で古い一軒家に暮らしている。
ある日、以前法律相談にやってきた近所の老婦人が、本意ではない死に方をしたと知り……。
――この15年とか20年で、日本人の生き死ににかかわることで何が大きく変わりましたか。
- 安田
- やっぱり一番大きく目に見えて変わったのは、お葬式が……家族葬とか直葬が圧倒的に増えたことですかね。20年前ぐらいだと、講演会とかで「直葬っていうのが最近増えてきているんですよ」と話しても会場の方々は「ええ~!」って反応だったんですよ。ここ数年はコロナ禍で一気に増えましたし、ほんとに珍しくなくなりましたね。
――たしかに2000年代前半ぐらいまでは、職場の人のご家族が亡くなると葬儀の手伝いに行くって結構当たり前でしたけど、今はかえって珍しいかもしれませんね。今回、安田さんが「自分の骨の行方」について考えようと思われたのは、そういった時代の変化と関係があるのでしょうか。
- 安田
- どうでしょうね。実は私自身は昔から変わってないんですよ、自分に対する考えは。死についても含めて。私って、多分、一人で生きて一人で死ぬよな。頼れる人もいない。じゃあ、最期は自分で幕引きをしないといかん、というのは漠然と考えていた。ただ、年齢が還暦近くなってきて死がよりリアルな話になってきたというのがひとつと、もうひとつ、時代のほうが追いついてきたかな、というのが大きいんですね(笑)。
――ああ、なるほど!
- 安田
- 私はずっと独身で、子どももいない、パートナーもいない。これって、ちょっと前までは何というか……異端というか(笑)、変わった人という枠組みだったんですね。それが今、珍しくなくなってきて。私は希望してそういう立場なんですけど、死別の方も含めて、それを選ばざるを得ない人もいるわけで、いろんな事情で単身者や、頼れる人がいないという存在が世の中に増えていて、何だか一大勢力にまでなってきていて。私は一人で自分の最期をどうにかしないといかんと勝手に走ってたつもりだったんだけど、気づいたら後ろにたくさん人が続いていたというか(笑)。
――だとすると、トップを走る人間として、自分の後ろへ続く方々にも参考になるように、オープンな形で考えてみようと?
- 安田
- トップというか、私の先を走っている先輩方もたくさんいるんですけど(笑)、でもまあ……それもあるけれども、ひとりで生きる人間の終末への備え方って、これまで誰も正解にたどり着いていないことなんですよね。それは葬送儀礼そのものについても思っていて。今回の連載のために高野山に行ってみたり、他にもいろいろ見てみようと思っているんですけど、なぜ日本人は亡くなるときに仏教なんだろうかとか、なぜお墓なんだろうとか、そういうことから考えようかと。生まれたときは神社にお参りして、結婚式はキリスト教でやっても、お葬式は仏教だったりする。今、仏教を熱心に信仰している日本人なんてほとんどいないのに、お葬式になるといまだに仏教が圧倒的だなと。お墓にしても、宗派を問わない樹木葬とか散骨とかも増えては来てますけど、やはりそこで手を合わせる。自分では無宗教だと思っていても、お骨を前にすると日本人は手を合わさずにはいられないんですよね。
お墓の意味
――骨と仏教って、すごく結びついているものなんですか。
- 安田
- そうとも言えないみたいですけどね。江戸時代ぐらいまでは遺体は結構雑に扱われていたんですね。骨への執着が強まったのはわりと近代で、明治以降、火葬が主流になってからのようです。骨が形として残るので、それを大事に感じるようになってきたのかなと。家のお墓を建てて代々の遺骨を納めるようになったのも結構最近のことのようですね。
――何年か前から、「墓じまい」がかなりメディアにも取り上げられるようになりました。この言葉が出始めた頃は、最近は一人っ子と一人っ子の結婚も多いからお墓の管理が大変だ、なんて話だったと記憶しているんですが。それでもまだ「結婚」はするもの、という前提での議論だったわけですね。でもその頃からたいしてたたないうちに結婚しないことも当たり前になってきていて、「自分でこの家のお墓は終わりが決定」というケースも増えてきましたね。
- 安田
- 我が家も私で最後です。家族がいる人の死後って、お墓も含めて、その人自身の物語だったものが“残る家族の物語”に組み込まれていく気がします。でも、家族がいなければ――骨の行方も、記憶の残し方も、自分で考えて準備しておかなければいけない。自らの手で物語を閉じなければいけないわけです。そこでクリアになるのは、社会における自分の立ち位置みたいなもの。ある意味、骨って、社会と自分の最後の接点なのかも知れないなと考えてもいます。そして、これはなかなかの苦難で、正解というか、進む道が見えない。今も何をどうしていいのかわからなくて、迷子になってる人が沢山いるのかもしれません。
作家としての変化
- 安田
- こういう一連の問題って、確かに「骨」とか「死」とか、「終わり」について考えることではあるんですが、でも実はそれだけじゃなくて、最近、日本の出生数が初めて統計開始以来70万人を下回ったとニュースになってましたけど、そういうこととも地続きの話じゃないかとも思うんですよね。時代が大きく動いていて、変わらざるを得ないのに変わろうとしない人たちがたくさんいるからこうなっている、私たちは困ってるんだよ! という意味ではつながっている。話が飛躍するようですけど、地方になぜ女性が留まらないのかとか、全部続いている話ではないでしょうかね。
――自分の生と死を考えるっていうことは、この国の生と死を考えることでもあるんですね……!
- 安田
- 私もしかして国としての日本の終活を考えているんですかね(笑)。
――えっ……! このところあまり元気がなさそうな日本の未来ですけど、安田さんご自身は日本の法律の中で自分らしくできることをやろう、というお気持ちですか。
- 安田
- 日本がどうなろうと別にいいんですけどね~。でもやっぱり、私なりにこの国を愛しているので、せめて何か自分がやれることをしようと思ってるのかも。未来ある子供たちのためにもまだまだ国が終わってしまっては困りますから。衰退する国を終わりに導くのではなく、日本にしか描けない未来を切り開く一助になればいいな、なんて思っています。めちゃくちゃ僭越ですけど(笑)。
――それは作家として、個人として、あるいは司法書士という専門家として、ですか。
- 安田
- やっぱり作家だから、ではないでしょうか……。これは自分の立ち位置がはっきりしたから、というのも大きいです。作家として自分は何を書きたいのかってずっと思い悩んでいたんですけど、そのあたりがとてもクリアになって、いろいろはっきり見えてきた、というタイミングなので。こういうことだったのか……とも思ってます。
――編集部から補足しますと、安田さんは昨年、『深海のスノードーム』(中央公論新社)という小説の出版に際し、ご自身の在り方についても初めて言葉にされました。それはご自身にとって大きな出来事だったのでしょうか?
- 安田
- そうですね。「恋愛」や「性別」に対して、世間と自分との間にずっと違和感を抱いて生きてきたけれど、その正体が何なのか、自分でもよくわからなかったんです。それが作品を書く過程ではっきりして、自分というものがとてもよく理解できた。これはとても大きなことで、私自身めちゃくちゃラクにもなれたし、ある意味、人と違った視点から物事を見られることも今の時代に重要なのかなと思えたり。
今回、自分の「骨」についてのエッセイを書きながら、一方でやはり小説、フィクションのかたちじゃないと伝えられないものもあるなってことが見えてきたように思います。
安田依央『深海のスノードーム』(中央公論新社)
幼い頃から、「女であること」に違和感を抱えながら生きてきた沙保。
日常から逃げ出した沙保はある古びた喫茶店にたどり着き、
奇妙なメンバーたちと共同生活を始めることになる。
――小説も! それもとても楽しみです! 「わたしの骨はどこへいく?」の連載もますます盛り上がっていっているところですし。
- 安田
- 骨になる前、骨になったあと、「骨の道」に立ちはだかるいくつもの壁。そして日本人にとって骨とは何なのか、そんなことについて考えていきます。『誰かがやってくれるだろう』では通用しなくなりつつある中で、自分の死後をどう迎えるか――これは一人っ子、独身、という私のような人間だけではなく、子供がいても配偶者がいても、頼れる人がいてもいなくても、今を生きるすべての人にとって“我が事”だと思います。タイトルは「わたしの骨」ですが、「あなたの骨はどこへいく?」を考えるきっかけにしていただけると嬉しいです。
- プロフィール
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安田 依央(やすだ いお)
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、女優、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、『四号警備新人ボディーガード』シリーズ(いずれも集英社)、『出張料亭おりおり堂』シリーズ、『深海のスノードーム』(いずれも中央公論新社)など多数。
『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』(いずれも集英社)は司法書士として依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。