情報・知識&オピニオン imidas

オピニオン

上田岳弘(小説家)
西村紗知(批評家)

いま〝見えない〟ものをあぶり出す~SNS時代の表現をめぐって

上田 なるほど。だから「ニコ動」でこれだけ人気だからYouTubeに行けば稼げるぞと、移ったはいいものの……。

西村 そう簡単には行かない(笑)。私は、再生数のために割りきっている人よりも、自分のやりたいことと再生数稼ぎとの間で、試行錯誤して悩んでいる人の姿に魅力を感じます。でも、当人からすれば専業であればなおのこと、コストを回収しないといけないですし、大変ですよね。

テレビ文化のトップランナーだった松本人志

上田 ここ2、3年でいままで確固としてあった日本のシステムがぐらついていると思うんです。SNSとかITの発展もあり、古いシステムが刷新されるスピードが上がったように感じます。わかりやすいところでいうと、テレビ文化ですよね。それは、23年の「ジャニーズ問題」が顕著だと思います。
 テレビは戦後になって、明治以降の日本の文化を脱構築・更新してきたものだと思うんです。ただ、アメリカのテレビなどでは、多チャンネルなのでコンテンツで勝負しなければいけないんですよね。だけど、日本だとキー局が5社ほどで寡占状態にある。そのため、良くも悪くも大手の芸能事務所に権限が集中することになった。そんな構造のきしみが一気に明るみに出たし、そうしたことからも、テレビというコンテンツ自体が、いま言ったYouTubeのようなネットメディアに影響力という点で迫られ、あるいは追い抜かれた感じがします。

西村 いまは、一方的に誰かを憧れの対象にするのが難しい時代だと思うんです。SNSとかで誰かのファンであることを公言している人は、応援している人が不祥事を起こしたりすると、そのファンも一緒に叩かれる。「お前、〇〇のファンだったじゃないか!」と過去のXでの投稿なんかをさらされたりしますから、大げさに聞こえるかもしれませんが、いま誰かに憧れることは、リスクを伴うんです。YouTubeを楽しむとき、そこにテレビで活躍している人が映っていたとしても、楽しみ方は根本的に違ってきます。結局は親しみやすさが肝だと思います。スターやアイドルがYouTubeから出るにしても、テレビ番組から輩出されるのと同じ方式というわけにはいかないでしょう。

上田 テレビの文化を象徴するのがお笑いだと思うんです。他にも柱はあるんですが、日本のテレビ文化を特に象徴するという意味ではやはりお笑いだなと。芸人さんの人気っていまもすごいでしょう。

西村 そうですね。ある種、お笑いはここ何年かで人気のピークを迎えて、いまは次第に人気の内実が変質していっているのではないかなと。やっぱり、松本人志があんなことになって……。

上田 西村さんは、著書でもお笑いのことに言及されているし、「すばるクリティーク賞」を受賞する前の年に「松本人志論」を書いて受賞の最終候補に残っているんですよね。僕は選考委員になる前だったので読んでいないのですが、どういった内容だったんですか?

西村 応募したときは、2019年で吉本の闇営業問題が注目されていた頃でした。その頃ちょうど、吉本興業の会社としての在り方が問われたり、松本さんの言動も注目されていたんです。私の思考の癖でもあるんですけど、とりあえず、闇営業に関する芸人たちの言動を一旦カッコに括り、彼らがこれまでにお笑いにおいて何を表現してきたかに着目する。
 応募した評論では『VISUALBUM』という彼の映像作品などを細かく分析しています。アドルノが『美の理論』(河出書房新社)で、「芸術には、自律性と社会的事実という二重性格がある」などと言っているところがあるんですが、その辺の概念装置を応用しつつ、お笑い特有の表現に着目したかったんです。

上田 僕は1979年生まれで、いわゆるダウンタウン世代だし、関西出身で、小学校の頃から彼らをよくテレビで観ていました。高校時代は一番親しい友達からは「相方」と呼ばれていたりもしました。そんなこともあって、松本人志氏についてはいろいろと入り乱れた感情を持っています。彼の著作『遺書』なども読んでいましたけど、西村さんは松本人志氏のどこに惹かれていたんですか?

西村 私は坂本龍一さんらと一緒にやっていた音楽ユニット「GEISHA GIRLS」でのダウンタウンの女装の感じとか、松本さんの『VISUALBUM』でのちょっと妖しい雰囲気に惹かれていました。
 いま性加害の問題もあり、SNSを中心に、「松本の芸は有害な男性性を象徴する暴力的なものだから、あれで笑えたことないよね」といった、批判的な文脈の論調が多いですよね。でも、細かく芸を時代ごとに追っていくと、暴力的な笑いだけを表現したわけではないですし、変化もある。なんにせよ、「お前、〇〇のファンだったじゃないか!」という指摘に屈するのは、責任逃れでしょう。
 たかが芸能に関することで、と思われる方がほとんどかもしれませんが、自分より若い世代のためにできることを考える必要があると思います。あれは本当は良くなかった、などと回想して自ら率先して免罪符を獲得するだけでよいのでしょうか。かつての良いものがいかにして悪いものへと変質していったのか、歴史的な経緯として語る必要があると思います。

上田 作家の鈴木涼美さんが指摘されていたんですが(『文藝春秋』2024年3月号「松本人志は裸の王様だったのか」)、ざっくり言うと、松本人志氏より前の世代の芸人さんはいわゆる「ブスいじり」をして笑いを取っていたのが、松本人志氏は美人をいじって笑いを取ると。つまり美醜というオーソドックスな差異を含め、上の世代の芸人の笑いを脱構築したんだと。たしかにその通りで、先ほど触れたテレビの文化が、それまであった良くも悪くも旧弊な日本文化を、語義通り脱構築していった。その歩みと彼の笑いは重なるんです。松本人志氏は間違いなくテレビ文化のトップランナーだった。

ページ
TOPへ

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.