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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

イヒガンマー

更新日:2019/03/27

 犬橇は人力橇とちがって、基本的に人間は橇に座って鞭で犬に指示を出して進む。つまり人間様は歩かず、犬に橇を引かせるので歩きの旅ほど肉体を酷使しない。楽して移動できるのでとてもいいことずくめのように思えるが、世の中そううまい話はなく、犬橇には犬橇ならではの苦労と難しさがある。
 というより、犬橇をはじめて実感するのは、犬橇のほうがはるかに苦労が多く難度が高いということだ。犬橇というと、これは犬という動物のキャラクターのせいだろうが、ぬいぐるみみたいな愛らしい動物と一緒に旅する、どこかほんわかとしたイメージをいだきがちだろう。しかし実際の犬橇は糞まみれだし(グリーンランドの橇引き犬は走りながら糞をする)、犬どもは可愛いというより、とにかく言うことをきかず、ただひたすら苛立ちと怒号の対象でしかない。何より犬橇は人力橇より五倍は危険だ。犬橇が危険な乗り物だとは、これまで横で見ていてうすうす知ってはいたが、実際にやってみると、こんな危険がある、あんな危険もあると、見ているだけではわからなかった様々なリスクに気づき、その対応に追われている。地元のイヌイットが決して単独で犬橇旅行をしてこなかった理由を痛感する毎日だ。
 それに犬橇は寒い。なにしろ人力橇とちがって歩かず座っているだけなので、身体が冷えて仕方がないのだ。まず最初に冷えるのが足の指先。温かい海豹(アザラシ)の毛皮靴を履いているが、それでも氷点下三十度以下で三時間以上乗ると爪先が冷えてきて、つらい。しまいには犬と一緒に走って身体を温めながら進むことになる。
 これ以上、冷え込むと凍傷になる危険があるので、先日オーバーシューズを作った。地元の言葉でイヒガンマーという。材料は羊や白熊や馴鹿(トナカイ)など温かい毛皮ならなんでもいいが、今回は村の人に売ってもらった犬の毛皮を使用した。犬の毛皮もなかなか温かく、これがあるとないとでは段違いである。普通は紐で縛るのだが、橇に乗りながら着ぶくれした状態で紐をしばるのは非常に難儀なので、つかわなくなったプラスチックのバックルで簡単にとめられるように工夫した。
 犬橇用具は既製品などないので、必要なものはすべて自分で作らなければならない。それがまた楽しいのではあるが。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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