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Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

蕁麻疹

更新日:2018/07/25

 去年の夏、上信越国境の魚野川(うおのがわ)に沢登りに行ったとき以来、アレルギー性の皮膚炎を発症するようになった。斜面をのぼって藪を漕いでちょっとした悪場(わるば)を越えたときに、どうやら藪に負けたのか両腕がひどくかぶれて赤く腫れた。下山してからもむず痒さは治まらず、やがて結節性の黒い出来物が盛り上がり、その中心から透明の体液がしみだすようになった。ダニにでも嚙まれたのかと思ってしばらく放っておいたが、どうにも治癒しないので病院に行ったところ、ダニではなく、自然の刺激に身体がアレルギー反応を起こした結果生じた痒疹(ようしん)という悪性の湿疹なのだと知らされた。要するにいわゆるアトピー性皮膚炎の一種らしい。四十歳過ぎてアトピー性皮膚炎に罹るとは思っていなかったが、それ以来、断続的に身体の部位を問わず湿疹が生じて、ひどいときには全身に広がり痒みに苦しむようになった。
 痒疹は皮膚の乾燥が大敵らしく、とくに冬場に悪化する傾向が強いらしい。私は例年、冬から春にかけてグリーンランドで活動しており、今年も二月から五月にかけて長期の徒歩放浪をおこなうことにしていた。極地は乾燥しているうえ、長期間にわたる野外活動では身体を清潔に保つことは不可能だ。出発前は行動中に皮膚炎が全身に広がり探検どころではなくなるのではないかと内心恐れていたが、症状が現れたら面倒くさがらずに早めにステロイド剤を塗りこむという対策が功を奏したのか、結局それほど悪化することもなく無事帰国した。日本にもどってからはすでに梅雨に入り高湿度環境にあるし、自宅で心身ともにリラックスできるので、しばらくは皮膚炎が悪化することはないだろうと安心しきっていた。
 ところが帰国して一週間ほどが経過したある日、突然、手の平に赤みが広がり猛烈に痒くなりだした。半日から一日ほどで赤い丘状の盛り上がりがみるみる広がり、腰回りを中心にひどい状態になっていく。たまらずかかりつけの皮膚科に行くと、先生がおっしゃることには、今度のやつはこれまでのアレルギー性皮膚炎ではなく蕁麻疹(じんましん)だという。
「蕁麻疹? 原因は何ですか?」と尋ねると、
「疲労、ストレス。過度の緊張感から解放されたときにも出やすいです」との答えだった。
 先生の話を聞き、何やら複雑な気持ちになった。緊張感からの解放というのは理解できる。今回のグリーンランド行では延々七十五日間にわたり歩きつづけたが、例年に比べて積雪量が何倍も多かったことから肉体的にひどく消耗し、とりわけ後半は餓死の不安が付きまとうほどの飢餓に苦しんだ。それを思うと、日本に帰国してわが家でのんびりしたことで環境が劇的に変化し、それが要因となって蕁麻疹を引き起こしたということは十分に考えられる。しかし、疲労とストレスというのは何だろう? 疲労とストレスが原因なら、日本に帰国して家族と過ごすことが逆に精神的な負担となっているとでもいうのか。日本のわが家で暮らすより、極地で犬と旅しているほうがストレスを感じない人間になったとでもいうのだろうか。もしかして私は現代人より原始人に近いのか?
 妻に先生の話を伝えると、「何? 私と一緒にいるのがそんなに疲れるわけ?」とチクリと皮肉られた。いや、そういうわけではないはずですが……。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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