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Nonfiction

読み物

Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

六地蔵

更新日:2016/09/28

 福島県南会津地方。登山道すらほとんど存在しない森と藪と渓(たに)に埋めつくされた日本有数の原始境を十二日間にわたって沢から沢へと漂泊し、台風10号が直撃する寸前で名峰会津駒ヶ岳に登頂、このほど下山した。下りてきたのは檜枝岐村(ひのえまたむら)という平家の落人(おちうど)伝説があるという奥地の集落だ。ウィキペディアによると、日本一人口密度の低い村だとか。
 登山道から林道、林道から国道と道のグレードを徐々にあげていって最後に集落のど真ん中にたどり着いたが、そこにあるのは妙に立派な役場と入り口が閉鎖された小学校、ガソリンスタンドに数軒のそば屋といったところ。何はともあれ、下山してまずやらなければならないのは風呂に入ることである。沢登りというのは不潔なことこの上ない登山活動だ。十二日間にもわたり臭い沢水と戯れ、泥まみれで藪と格闘し、汗みどろで岩魚(いわな)を数十匹屠(ほふ)り、毎晩、毎朝焚き火を起こして煙を全身に浴びてきたのだから、自分ではよくわからないが、私は今、大変な悪臭を放っているにちがいない。少なくとも風呂でしっかり消臭しないと公共交通機関に乗ることは難しい。首尾よく日帰り温泉を発見して脱衣場に駆け込むと、それまで大声でバカ話に興じていたオッサン三人がいきなり無言となった。私の全身の毛穴という毛穴からは三人の話好きのオッサンを即座に黙らせるだけの異臭がにじみだしているらしい。
 さて、都合三回、全身をくまなく洗浄した私は、バスが来るまでの待ち時間、そば屋で昼飯でも食って時間をつぶすことにした。温泉からそば屋までは五百メートルほどあっただろうか。その間の国道沿いをぶらぶら歩いただけだが、何やらこの檜枝岐の集落、平家の落人伝説があるというだけあって、妙に暗い風土の重みを感じさせる土地である。そもそも国道沿いが墓だらけだ。途中で見つけた観光案内板のようなものを読むと、〈明治中頃まで、これより北に住家はなく、この付近は倉や墓石が並ぶ、村外れであった〉との説明がある。さらに歩くと赤ずきんを被った小さな地蔵が六体、もの悲しげにたたずんでおり、隣の石板に六地蔵の由来がつぎのように刻み込まれていた。
〈北の地は昔から冷害に悩まされ、特に凶作の年は餓死年と言い、多くの餓死者を出したことがあった。働ける者のみが生きるため「まびき」という悲惨な行為があったとか。その霊を慰めるために建てられた六体の稚子像である〉
 この冬の十一月から私は北緯七十八度にある北極の村に向かい、太陽が昇らない極夜という数カ月に及ぶ長い夜の探検をおこなう予定だ。イヌイットの世界では数十年前までこの過酷な夜の季節を生き延びることができずに、大量の餓死者や、同じように間引き行為が行われていたと聞く。そうした文化人類学的な資料を読むたびに、私は極夜という自然環境に畏怖の念をいだいてきたのだが、しかし〈北極〉や〈極夜〉という極端な場所に行かなくても、この福島県の山奥の小さな村でも、つい最近まで人々は豪雪に閉じこめられ厳しい自然のなかで塗炭の苦しみを味わって生き抜いてきたのだなぁということを、六地蔵を見て、今更ながら感じ入ったのだった。
 写真をとって、すぐにまた歩きだして、そば屋の暖簾をくぐる。天丼とそばのセットが目の前に出されたときには、六地蔵のことなど頭からきれいさっぱり消え去って、うめぇうめぇと舌鼓をうちながらムシャムシャと一気に胃袋のなかにかき込んだ。食べ終わると、ふーっと一息ついてゲップ。そしてバスにのって雨のなか一時間半先にある駅にむかったのだが、しかし、六地蔵、私の心になにか魚の小骨のような小さな感慨をのこした。
 自分の子供を殺さなければならないときの親の気持ちって、どんなんだろう。
 こういう引っかかりが、案外、十年後に一冊の本にまとまったりするのかもしれない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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