〈刊行記念インタビュー〉
大丈夫、私を生きる。
山川 記代香さん
山川 記代香さん
この病気だったから、この人生と出会えた。
5万人に一人の難病を受け入れて生きていく。
「トリーチャー・コリンズ症候群」という病気をご存知でしょうか。
顔の骨が正しく発育せずに、顔がうまく形成されないという先天性の疾患です。山川記代香さんは、生まれてから今日まで、そんな病とともに生きてきました。本書は山川さんが、この難しい病とどう向き合い、どう受け入れてきたかをまっすぐに綴った成長の記録です。
そこには、人と違うことが許されない社会で、息苦しさを抱えて生きる現代の人が学ぶべき、多くの気づきがありました。
――山川さんは10代の頃から、積極的にメディアに出演されていましたね。本書を出すことになったのもテレビの出演がきっかけだったとか。
そうですね。大学1年生のときに『24時間テレビ』(※東海地方限定の直前スペシャル番組)に出させていただきました。短い時間でしたけれど、「感動した」「トリーチャー・コリンズ症候群のことを始めて知った」という声をたくさんいただいて、その後、NNNドキュメント23で取り上げていただいたときは、全国放送ということもあって、それ以上の大きな反響をいただきました。テレビに出ると、病気のことをたくさんの人に知ってもらえるんだなと感じました。
そんなとき、番組を見た集英社の方から、「本を書きませんか」とお手紙をいただいたんです。 思ってもなかったことなので、すごくうれしかったですね。それも子どもの頃に読んだ漫画で慣れ親しんでいた集英社さんだったので、「すぐにやってみよう」という気持ちになりました。
ただ、書くことは、話すこと以上に苦手で、自分の考えを言葉にするのがすごく難しくて。「あのとき、どうだったかな」「自分はどう思っていたのかな」とひとつひとつ過去を振り返りながら書いていった感じです。そのおかげで「自分は、こういう生き方をしてきたんだな」「いろいろな人に支えられて生きてきたんだな」ということをあらためて知ることができたし、読んだ方に伝わる本になったと思うので、本を出すことができて、本当に良かったです。
――とはいえ、人前に出て発言できるようになるまでには、たいへんな道のりがあったことが、本を読むとよくわかります。一歩、外に出るだけで、「怖い」「へんな顔」と指差され、驚きや好奇心むきだしの「視線の凶器」にさらされる――そんな山川さんの日常を知って、胸が締め付けられました。本当に大きなものを背負って生きて来られたんだなと。でも、人前に出るのが嫌いで、引っ込み思案だった山川さんが、周囲の励ましもあって徐々に変化していきます。
小さい頃は、母親が常に先頭に立って動いてくれていたので、自分で何かを主張しなくてもよかったんですが、学校に入ると、つねに母親と一緒にいられるわけではないので、自分の気持ちは自分で伝えるしかないですよね。
それで最初は、嫌なことがあったら、まずは先生に伝えるというところから始まって、そこから繰り返し、繰り返しの積み重ねがあって、少しずつ少しずつ変わっていった感じです。
転機となったのは、高校3年のときのある出来事です。本にも詳しく書きしまたが、後輩に容姿のことをいろいろ言われて、悲しくて辛くて。それで自分の気持ちを知ってもらいたくて、初めて全校生徒の前でスピーチをしました。
このとき、私の思っていることがストレートにみんなに伝わったと感じたんですね。自分の言葉で、直接伝えることの大切さを学びました。
――学校の先生やピアノの先生など、素晴らしい人たちとの出会いに支えられて、ここまで来たのだなというのもよくわかります。中でもご両親の存在は大きいですね。「絶対に娘を生かす」という強い意志のもと、山川さんを守り抜いた、という感じがします。
母は強くて前向きで、つねに私を叱咤激励して引っ張ってくれました。そのぶん反発することもありましたけれど、何事にも立ち向かう母の姿には勇気をもらいました。
母を太陽に例えるなら、父は月のような存在です。生まれたとき、最初に私を受け入れてくれたのが父で、ふだんは穏やかで優しいけれど、いざというときは、相手にきちんと向き合って病気について説明してくれるなど、とても頼りになる存在です。
とにかく、常に私のことを思ってくれる両親です。私が自信をもてなくてネガティブな考えになっているときも背中を押してくれる。おかげで、いつも安心していられました。本当に感謝しかないです。
両親は、私に対して、「健康に産んであげられなくてごめん」っていう気持ちがあるのかもしれないですが、 ポジティブな2人に育てられたおかげで、病気に対しても前向きに受け止められるようになったと思っています。
――そんな両親の庇護のもとにいた山川さんが、大学では家を出て、ひとり暮らしを始めます。外の世界にひとりで出ていくのは、怖くはなかったですか。
ひとり暮らしをしてみたいという 憧れがあったので。不安より楽しみという気持ちのほうが大きかったですね。それに福祉専門の大学で、入学前の オープンキャンパスに行ったときも偏見を持って見られることがまったくなかったので、「 あ、この大学なら安心して通える」と思いました。
今も親元を離れて、ひとり暮らしをしながら働いています。いつまでも親や兄妹に頼るわけにいかないし、いずれは独り立ちをしなければならないと思っていたので、仕事をして、自分でやりくりすることの必要性は、ずっと感じていました。そんなふうに考えられるようになったのも周囲の人たちのおかげで、子どもの頃から、何でも自分でできるように、自分の意見をちゃんと言えるように、育ててもらったおかげだと思います。
――タイトルに「私を生きる。」とあるように、山川さんが、着実に自分の人生を生きているのが本書からも感じられます。もちろん山川さんの場合、「自分の人生を生きざるを得なかった」ということでもあると思いますが、「自分の人生を生きる」ことが難しいのが今の時代です。誰かの評価によって左右されたり、同調圧力で本当の自分を出せなかったり。でも山川さんは、障害はあるけれど、生命の充実感を感じながら生きているのではないでしょうか。
はい。きれいごとって思われるかもしれないですけれど、自分がこの病気で生まれたことに後悔があるかと聞かれても本当になくて。この人生しか知らないっていうのもありますけれど、振り返ってみると、トリーチャー・コリンズ症候群という障害を持ったからこそ出会えた人がいたり、出会えたことがあったり。嫌なことも含めて、この病気だからこそ感じることがたくさんあったと思います。むしろ大きく考えれば、障害があったことをプラスにも考えられると思います。
――「私は強いわけじゃない」と書いていますが、一歩一歩、階段をあがっていく山川さんの姿には、人間の可能性や強さを感じます。最後に、本書には、「自分の生き方に満足していますか」という読者への問いかけが出てきますが、山川さんは、今、ご自身の人生に満足していますか?
いえ、満足できてはいないです。今「伝える」ことはできていますけれど、「変える」っていうところまでは、まだまだ実現できてないと思うので。
先ほどもお話がありましたが、今は人と違うことをすると、すぐに批判されてしまう世の中ですよね。誰かのことを話題にして、「自分だったらこうする」「こうじゃなきゃおかしい」って言うけれど、どれだけその人のことを知っているのかなって思います。その人の人生はその人自身のもの。誰もがかけがえのない人生を自分らしく生きられるような世の中になってほしい。そして、そのとき、この本が1つの参考として、みなさんの背中を押す力になれたらと願っています。
取材・文/佐藤裕美
写真/フルフォード海
山川記代香
1994 年三重県生まれ。日本福祉大学社会福祉学部卒。日本人では約 5 万人に1人の割合で発症すると言われる先天性疾患「トリーチャー・コリンズ症候群」により、頬骨や下あご、耳などがうまく形成されない状態で生まれ、幼少時から繰り返し手術を受ける。 大学生になる頃から、「24 時間テレビ・愛は地球を救う」『「5万人に1人の私』トリーチャー コリンズ症候群に生まれて」(日本テレビ系列)などのテレビドキュメンタリー番組に出演。現在は公務員として働きながら、障害を持つメンバーも交えた地元の音楽グループ「ミュージックパレット」の演奏会等で、自らの体験や想いを語っている。本書が初の著書。
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