〈刊行記念インタビュー〉

『馬の惑星』

星野博美さん

詳しくはこちら

星野博美さん

馬に乗れば、道なき道を行くこともできる。そこから見えてくる世界の広がりを伝えたい

かつて香港で出会った謎の老人から「君は、馬だ。どこまでも走っていく馬だ」と告げられた、ノンフィクション作家・写真家の星野博美さん。その言葉に導かれるかのように、馬と関わりが深い国々へと旅を重ねた記録が、この度刊行された『馬の惑星』です。モンゴル、スペイン・アンダルシア地方、モロッコ、トルコ……「馬に関心を持つと、行きたい旅先のラインナップがガラリと変わる」という星野さんの「馬紀行」は、テロや感染症、戦争といった時代のうねりと響き合い、今に続く遥かなる歴史へと読む人を誘います。馬を通して見えてくる、多様で奥深い世界の魅力についてうかがいました。

  • Twitter
  • Facebook
  • Line

――星野さんは40歳を過ぎた頃、長崎・五島列島の自動車教習所で運転免許の取得に挑戦し、その教習所に馬がいたことが今回の本にまでつながっていったわけですね。当時の経験については『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)に詳しいですが、東京に帰ってきてからも乗馬は続けたのでしょうか。

 その教習所では好きなだけ馬に乗れるという贅沢な経験をさせてもらい、乗馬の基本型もおおかた教わりました。車の免許を取るのは本当に大変で、癒しを求めて厩舎に通ってばかりいたのが、いつしか馬という動物が愛おしくてたまらなくなっていました。そこで、馬と接する機会を持ち続けたいと、東京に帰ってからまず乗馬クラブに通ってみることにしました。でも、しばらくすると、自分は乗馬の技術を高めたいわけではないということに気づいたんです。日本の乗馬クラブのほとんどはブリティッシュ式の馬術を教えていますが、彼らの馬事文化は優雅な馬術を競い人間上位で馬をコントロールするもの。そういう貴族社会的な価値観も好きになれませんでした。だったら年に何回か、自然の中で馬に乗れる場所に行けば満足かというと、それもなんだか違う気がして……。乗馬勘を忘れないために乗馬クラブに通い続けてはいましたが、馬に乗る場所としてどういうところが自分にしっくりくるのか、10年以上、試行錯誤が続きました。
 そもそも、乗馬クラブにいるのは在来馬ではなくほとんどがサラブレッドであることなど、今の日本では馬をめぐる環境があまりにも不自然です。モータリゼーションの波にさらされる昭和30年代頃までは日本でも、馬に乗って移動したり、馬で荷物を運んだり畑を耕したりする風景があったはずですが、そんなふうに馬と共に生活する文化もすっかり失われてしまっています。一方、海外に目を向ければ、まだ日常に馬がいる風景が残っている国もあります。たとえば、先日訪れたキルギスでは、少し郊外に行くと、シャベルをかついだおじさんが「ちょっとそこまで」と、馬に乗って移動していたりするんです。そんな光景を見ると、「ああ、ここにはまだ馬がいるんだ!」と、強烈に憧れます。『馬の惑星』で巡ったのも、遊牧騎馬民族の大帝国を築いたモンゴル、名馬の産地として名高いスペインのアンダルシア、オスマン帝国時代は騎馬戦に強かったと言われるトルコなど、馬と共に生きてきた歴史を今も感じられるところです。

――そうした国々で旅をしながら、馬を通して星野さんが新たな世界の見え方を発見していく過程も本書の読みどころです。そのひとつが、馬と戦争の関係ですね。星野さんがトルコの東端に近いカルスという街に行かれたとき、「モンゴル軍がここまで来たのか……馬に乗って!」と、馬でどこまでも行けてしまう地続きのすさまじさに衝撃を受ける場面がとても印象的でした。

 陸の国境というのはすごいな、と思います。この本の中で私が旅したのは遊牧騎馬民族の侵入などで何度も国境線が変わってきた地域で、そうした歴史の中で馬は他民族を征服する「武器」でもあったわけです。産業革命によって動力が登場して以降、騎馬隊で勢力範囲を広げてきた国々は力を失いましたが、今でも、山岳地帯の奥地にゲリラ拠点を置くテロ組織やタリバンは、車も通れない悪路を馬で移動しています。今も馬は「現役」として軍事的に活躍しているわけですね。
 侵略したりされたりを繰り返してきたユーラシア大陸では今も民族や宗教の争いが絶えません。私が2017年にトルコを訪れたとき、相次いで起こった自爆テロの実行犯の多くが中央アジア出身の人々でした。元々、中央アジアには穏やかなイスラーム教徒が多かったのですが、最近になって過激思想が影響力を強めていると聞いています。そこにロシア、中国、それからトルコも含めた周辺諸国の駆け引きが絡み合うなど、「馬がいる場所」では複雑な国際政治が今でも繰り広げられ続けているのだと感じます。

――その複雑さを象徴するのが、最終章で描かれる遊牧民のオリンピック「ワールド・ノマド・ゲームズ」ですね。

 ワールド・ノマド・ゲームズの参加国は、キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、トルコ、アゼルバイジャンなど、日本ではあまり馴染みがない国が中心です。私は2022年にトルコで開催された大会に行きましたが、トルコのほかに中央アジアのカザフスタンといった「大国」の存在感を実感し、それまでヨーロッパの東だと思っていたトルコが中央アジアからみれば「かなり西」に位置するのだと、世界地図が塗り替えられるような感覚がありました。
 この大会の花形競技はコクボルと呼ばれる馬上ラグビーで、これは実に激しくワイルドな競技なのですが、戦い方に参加国それぞれのお国柄が見られて、「同じ遊牧民国家といってもこれほど違うとは」と驚きました。一方、そんなふうに多様性が渦巻く中でも「遊牧民」という共通点でつながり、交流を深めるのもこの大会ならではです。
 国境線がしょっちゅう変わるような場所で暮らしてきた人々は、支配者が変わる度に財産や人生を根こそぎ奪われるという過酷な経験を代々、経てきたと言えます。人はもちろん、文化、言語など様々なものがせめぎ合う中、彼らは異なる価値観を持つ相手ともうまく付き合う、したたかな知恵を何百年もかけて蓄積してきたのだと思いますし、そうした知恵は馬という、人間とは別の生き物と共に暮らす中でも培われてきたはずです。海に囲まれた島国で、馬文化も失われた日本にいる私たちに、彼らが持つ共生の技術がはたしてどれだけ備わっているかと、考えてしまいます。

――本書を読むと、馬に乗るとこんなふうに見たことがない景色がひらけていくのかと、思わず自分も馬に乗ってみたくなります。乗馬経験がまったくなくても、星野さんのように外国で馬に乗ることはできるでしょうか。

 まったくの初心者の場合、基本的には馬を扱うスタッフが一緒に乗って馬を引いてくれるので、平坦なところなら乗馬経験がなくても大丈夫です。ただ、お国柄はやはりありますね。たとえば、モンゴルは日本から近くて行きやすいですが、子どもの時から馬に乗れるのが当たり前の国なので、乗れない人や下手な人をフォローするという発想が薄いんです。私がモンゴルで落馬して骨折したときも、同行していたスタッフはまったく手当てをしてくれず、帰国するまで激痛に耐えなければなりませんでした。そういう荒っぽさは、いかにも、ひたすら草原を馬で疾走するモンゴルだなという気がします。
 その点、トルコのカッパドキアやキルギスでは、馬を扱う人たちの気配りがとても行き届いていました。それは、無数に伸びている山道や谷筋から「この人のレベルならここは行ける」「今日の天候ではこの道はやめた方がいい」「この先は他所(よそ)のテリトリーだから入らないようにしよう」などと、きめ細かくルートを判断していく、彼らの考え方とも関係しているかもしれません。そういう複雑な起伏がある地形は、馬に乗っていても景色に変化があって楽しいですよ。

――最後に、これから星野さんが行ってみたい「馬がいる場所」はどこですか?

 今年9月にカザフスタンで開催される第5回ワールド・ノマド・ゲームズは絶対に行くつもりですし、まだ訪れていない旧ソ連の国々でも馬に乗ってみたいと思っています。今は東京で姉たちと分担しながら両親の介護をしているので、好き勝手に海外に行ける立場ではないのですが、そうやって地元に根を張っているからこそ、ピン留めされているゴムがぐーんと伸びていくように遠くまで行ける気がします。そんなふうにローカルと馬がいる世界とを行き来していきたいですね。

取材・文/加藤裕子
写真/フルフォード海

著者プロフィール

星野 博美(ホシノ ヒロミ)
ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』で第32回大宅壮一ノンフィクション賞、『コンニャク屋漂流記』で第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」・第2回いける本大賞、『世界は五反田から始まった』で第49回大佛次郎賞受賞。主な著書に『島へ免許を取りに行く』『戸越銀座でつかまえて』『今日はヒョウ柄を着る日』『愚か者、中国をゆく』『みんな彗星を見ていた──私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』『旅ごころはリュートに乗って──歌がみちびく中世巡礼』などがある。

刊行記念

星野博美さん

詳しくはこちら

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.