『シリアの家族』小松由佳
11月26日発売・単行本
定価2,420円(税込)
人間は多面的。白でも黒でもない部分をあえて見出したい
─2024年12月、54年間独裁政治を続けてきたアサド政権が突如として崩壊します。
その8日後に、小松さんは夫と息子さんを連れてシリアに入国しました。
市民の喜びと混乱を見るとともに、「サイドナヤ刑務所」にも向かいます。
収容者の75%が生きて帰れなかったといわれる刑務所です。
夫の兄サーメルも囚われ命を落とした場所なので、その場に立って、本当に迫ってくるものがありました。
そして思ったのは、なぜ国際社会が止められなかったのかということです。
サイドナヤ刑務所だけではなく、シリア各地の刑務所や収容所で、囚人に対して酷い拷問や処刑がおこなわれていたことを国際社会は知っていた。
にもかかわらず止められなかった過去を検証しなければいけないと思っています。
─サイドナヤ刑務所を生き延びた人へのインタビューは、人間が極限状態でどう生き延びるかを知る貴重な証言です。
アウシュビッツの体験を描いたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読んでいたので、希望を失わなかった人や意志の強い人、精神的によりどころのある人が生き残ったのだろうと思って、「どのように生の希望をもっていたのか」と質問したんです。
そうしたら想像を絶する答えが返ってきて……言葉を失いました。
サイドナヤ刑務所の凄惨な実態が伝わってきましたし、もしかしたら、宗教や民族、文化によって、どのように人間が生き延びるかは違うのかもしれないとも感じました。
─この本を読んでいると、シリアの市井の人から、体制側の人間までが近しく感じられます。
それは、選考委員の森達也さんが評されているように、〈秘密警察も移民となったシリア人も政府軍兵士もイラン軍兵士も、すべて等身大の人間として描かれている〉からだと思いました。
このように人間を見つめる視線や姿勢を、どのように培われましたか。
一つには写真家の視点かなと思います。
一人の人間にも光と影があり、撮る角度や方向によって表情は変わります。
人間が多面的であることを意識するようにしていて、白でも黒でもない部分をあえて見出したいという思いがあります。
もう一つは、シリアに出会ったことですね。
独裁政権下や紛争下というのは本当に複雑で、シリアは長い間、本音を言えない社会だったんですが、そうした状況でも、人々が真実を垣間見せてくれる瞬間があるんですね。
たとえばアサド政権下のシリアに取材に行ったとき、国営銀行で換金しようとした私に、ものすごく悪いレートが提示されました。
諦めて銀行を後にすると、銀行の列に並んでいた男性がわざわざ追いかけてきて、正しいレートを教えてくれたんです。
公には言えなくても、安全が保障されれば真実を教えてくれる。
体制に迎合しなければ生き延びられない人々の苦しみと同時に、人間の良心を知ることができたエピソードでした。
─登山家として大きな記録を打ち立てた小松さんですが、ラドワンさんと結婚後の人生も激動です。
お二人の今後も気になりますし……シリアとご自身の取材は続きますか?
結婚後の生活はヒマラヤ登山よりサバイバルです(笑)。
ちょっと疲れてきましたが、やはり理解できないところがあるからこそ、彼らと生きるかけがえのなさを感じますし、わくわくするんでしょうね。
夫は故郷のパルミラに帰る予定なので、そのとき私と子どもたちはどうするか……そこでまた一波乱ありそうな予感がします。
それを次に書けたら面白いなと思っています。
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- プロフィール
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小松由佳(こまつ・ゆか)
ドキュメンタリー写真家。1982年、秋田県生まれ。2006年、世界第2位の高峰K2(8611m/パキスタン)に日本人女性として初めて登頂し、植村直己冒険賞を受賞。風土に根ざした人間の営みに惹かれ、草原や沙漠を旅しながら写真家を志す。12年からシリア内戦・難民を取材。著書に『人間の土地へ』(20年/集英社インターナショナル)など。25年『シリアの家族』(集英社)で第23回開高健ノンフィクション賞を受賞。日本写真家協会会員。








