〈刊行記念インタビュー〉
『最後は住みたい町に暮らす 80代両親の家じまいと人生整理』
井 形 慶 子さん
井 形 慶 子さん
80代の親の住み替えは、大変だった以上に、
私自身の楽しみでもありました
父87歳、母85歳のとき、長崎に暮らす井形慶子さんの両親は一大決心をします。最後まで夫婦二人で住みたい町に暮らすために、長年暮らした海の見える家を売り、商店街の近くに建つマンションへと移り住むことにしたのです。
この決断によって始まったマンション購入から資金作り、家財整理、遺言書作り、家の売却、新居への引っ越し、そして人生最後の新しい生活の構築─。離れて暮らす井形さんは東京と長崎を何往復もして、両親をリードし、サポートし、時にぶつかり合います。そんな家族で奔走した怒濤の2年間を、『最後は住みたい町に暮らす80代両親の家じまいと人生整理』に綴りました。
郷里で暮らす〝介護未満〟の親とのかかわり方から、親の「家じまい」と「人生整理」を通じて得た知識と経験まで。歳を重ねても自分らしく暮らすヒントが詰まった本書の刊行にあたり、お話を伺いました。
海の見える絶景御殿が、危険だらけの家に
──井形さんのご両親は引っ越される前、長崎の郊外に建てた3階建ての家に、二人で住んでいらっしゃいました。どの部屋からも海が見渡せる〝絶景御殿〞。そんな、こだわりと思い出の詰まった家を手放して、市内の商店街近くのマンションへと移り住むことになるわけですが、井形さんがご両親の老いに気づいたきっかけは、海外旅行だったんですね。
父の80歳の祝いにと、両親をイギリス旅行に連れていったんです。まだまだ元気で、60代のころとそんなに変わらないと思っていたら、今まで見たこともなかったような姿を目の当たりにして、愕然としました。母は身支度に2時間もかかったり、父は、あんなに好きだったゴルフの聖地(セント・アンドリュース)に連れていっても、さほど関心を示さなくなっていたり。私は東京に住んで忙しくしていたので、離れて暮らす親のことには逃げ腰になっていたんです。心の中に引っかかっているんだけど、まだ大丈夫だろうって。そういうさなかにイギリスに行ったんですね。
──高齢の親と向き合おうという気持ちになられた?
というより、自分はこんなふうになるまで親を放置していたのか、と悲しくなりました。人によって、気づくタイミングがあるのだろうと思います。親の病気だったり相続だったり。私の場合は旅行だったわけです。
──そこから井形さんはご両親とコミュニケーションを密にとり、二人の老後を考えるようになりますが、「住み替える」という発想は、当初、ご両親にはなかったんですよね。
全くなかったですね。葬式をできるような間取りを考えて家を建てていますから、両親にとっては終(つい)の棲家のはずでした。でも私の中には、あの大きな郊外の家で、この先二人で暮らしていけるのだろうか、という疑問はありました。
──広いぶん掃除が大変。階段や風呂でケガをする恐れがあり、眺めは良いが免許返納したら街に出にくい……。ご両親自慢の家が、危険だらけの家に変わっていく様子が書かれていて、年齢に応じた「家」の在り方を考えさせられました。
私は長年、東京とロンドンを行ったり来たりして仕事をし、ロンドンにも住まいを持っていますから、イギリス人の家に対する向き合い方が、自分の中に刷り込まれているんです。彼らは、ライフスタイルに合わせて、家を替えていくんですよ。独身のころ、子育て中、退職したあとと、住み替えていくし、そのための資産形成をしているんです。70代、80代になると、それまで暮らした大きな家を手放して、町中の小さな平屋などに移り住むイギリス人をたくさん見てきた私にしてみたら、体育館のような家で、高齢の二人だけで住み続ける両親の姿を、不自然に感じたのかもしれません。
──とはいえ、現実的に住み替えるとなると、経済的にも肉体的にも精神的にも大変です。高齢になって環境を変えることへの不安。長年住んだ家を売却する難しさ。お母様は、お父様が建てた家を手放す申し訳なさも感じていらっしゃいました。それでも住み替えを決意されるまでのプロセスがこの本に書かれていますが、いちばんのポイントは何だったと思いますか?
親が本当はどうしたいのか。時間がかかりましたが、その本音を聞くことだったと思います。たとえば私の暮らす東京に来るとか、あるいはサービス付き高齢者向け住宅や施設に入るという選択肢もあるわけですが、最後まで長崎で二人で暮らしたい、という意思を、ブレずに持っていました。
それからあるとき母が、自分が一人になったら、大きな家に一人で住むのは寂しいから、よく買い物に出かける商店街近くの町に住みたいと言ったんです。ただ、自分は高齢で部屋を借りられないだろうから、私に借りてほしいと。父を見送ったあとといえば、きっと母は90代になっています。私は70代になっているわけで、その時点で家を借りられるだろうか。引っ越しも大変だろう……だったら、二人がまだぎりぎり元気なうちに思い切って引っ越したらどうか、という発想になっていきました。
親と「お金」の話をする難しさ
──実際に新築マンションのモデルルームを見に行くことで、ご両親が助け合って生活していくには引っ越したほうがいいと井形さんの心は固まっていきます。お母様の心も徐々に動いていく。行動する効果は大きいですね。
私自身が不動産好きなので、親の住み替えを考え始めたころから、ネットでよく長崎の町の不動産を見ていたんです。母も実際にモデルルームを見ることで、マンションでの生活がイメージできたようでした。
──最終的にはとことん話し合った上で、お母様が決断されました。親子といえど、いや、親子だからこその、コミュニケーションの難しさがありますよね。
本当に大変でした(笑)。ストレスで全身にじんましんが出たりもしましたね。両親は私の応援団のような存在で、私が本を出すと読んでくれて、講演会にも駆けつけてくれてと、良い関係ではあったんです。でも、家を買って売って引っ越して、人生の総決算として遺言状も作って、となると、これまでとは話の内容も濃さも変わってきます。お金の話も当然しなくちゃいけないんだけど、うちの親に限らず、資産がどれだけあるか、子供に言おうとしない人が多いようです。歳をとると頑なになりますし……、私の周りにも困っている人が多いですね。
──〈自分でできるという親の現役意識と、手出しされてなるものかという意地〉と書かれていますよね。一方で認知症になったり、物忘れが進んだ後では、たとえば相続にも困難をきたすことになります。親の住み替えにあたって、必要なことを伝えるタイミングを見極めたり、言いたいことを小出しにしたりと、井形さんの工夫は参考になります。
いろんな手段を講じたり、必要に応じて、他人や専門家に入ってもらうことも大事だと思います。たとえばうちの親は、相続については手書きの遺言書を作ってあるから大丈夫、と言い張っていたんです。でも心配なので司法書士の先生のところに両親と行って見てもらったら、法的に通用しないことがわかり、公正証書遺言を作ることになりました。専門家の先生からアドバイスされると、親も納得するんですね。
──リスクの高い高齢者の物件売却にあたっては不動産会社のやり手社長、資金繰りや相続については税理士や司法書士など、井形さんは専門家を上手く頼っています。〈歳を重ねると、専門職の知り合いを持っているか否かが、決断力の源になる〉とありますが、専門家や士業の先生とどのように知りあえばよいでしょうか?
なかなか難しいですよね。私も、長崎にはまったくつてがなかったので、マンションを買った不動産屋さんに紹介してもらいました。今はネットなどで探すこともできますが、特に地方は、紹介がいいのかもしれません。私はまず小さな仕事を依頼してみて、人柄や仕事の良し悪しを判断するようにしています。
── 住み替えを検討している最中に、デイサービスに通うお父様もつれて、介護施設の見学に行ったりもしています。この本には、家の売買のみならず、〈人生後半期最大の山場〉といわれる「相続」と「介護」についても詳しく書かれているので、高齢の親を持つ人は、状況や関心に応じて、どこかしら役に立つ箇所があると思いました。
そうだとうれしいですね。私もマンションへの住み替えが、親亡き後の遺言書作りにまで及ぶと思いませんでした。母と私でマンションを共同購入したので、そうせざるを得なくなり、次から次へとやるべきことが出てきて疲れましたが、親の人生整理を終えて、ほっとした気持ちです。
プロの力を借りて売りまくる
1週間での片付け術
──マンションの購入と家の売却が決まると、次は「家財整理」です。300㎡の大きな家から、60㎡少々の2LDKマンションへ移るには、モノを減らさざるを得ない。引っ越しをしない人にとっても、家財整理は老後の課題だと思います。
でも、やってみたら、思ったより簡単でした。両親の家の片付けにかけた期間は1週間程度なんです。私が長崎と東京を何度も往復したくなかったから、短期決戦でやるしかなかったというのもありますが、プロの力を借りて売りまくったから早く終わったんですね。ソファ、ダイニングテーブルといったマンションに持ち込めない大型家具は、中古品や不用品を買い取ってくれる業者に売りました。今はリサイクル文化が根付き、そうした業者さんが増えていますよね。それから、イギリスの家じまいを参考に、古美術商、古書店、古銭業者、着物の専門店にも来てもらいました。
──ご実家に眠っていた骨董品や貴重な本、着物やコインなどを買い取ってもらっています。イギリス式なんですね。
イギリスには屋根裏部屋のある家があって、そこに価値のあるものからガラクタまで、様々なモノが置いてあるんです。家の主が死ぬと、まずアンティーク屋さんを複数社呼んで、価値のあるものだけを持って行ってもらう。その次にリサイクルショップを呼び、リサイクルできるものを持って行ってもらう。残ったものの中からチャリティショップに寄附をして、できないものは処分する……といったイギリス流の段階的な整理方法が頭にあったので、私もやってみようと思いました。手放すのは仕方ないにしろ、誰かに使ってもらえるなら使ってもらいたいという思いが、両親にもありましたから。
── 服や小物、食器類……小さなモノの取捨選択も、考え出すと時間がかかります。「アイテムごとに1つ選ぶ」など、ルールを決めることが効果的ですか?
そうですね。片付けがスピードアップするのでおすすめです。やっぱりね、モノでも食べ物でも、私たちの親の世代はもったいない精神があるから、自分では捨てられないんですよ。不要なものを「捨てる」のではなく、必要なものを「選ぶ」という発想に切り替えると、前向きになれると思います。そうやってモノは思ったよりラクに片付けられたのですが、書類など紙類の整理。こちらのほうに難儀しましたね。
──家の権利書が見つからなかったり、古い通帳が出てきたり。書類整理は日頃からやっておくべきだと痛感しました。
書斎を整理していると、銀行や年金の書類がこれでもかと出てきたり、昔の通帳が束になって出てくる一方で、重要な書類が見つからなくて家じゅうを探しまわったりしました。紙類は私もため込みがちなので、このときの経験から、いさぎよく捨てるようにしています。ためておいて誰か……おそらく娘に迷惑がかからないように。
これでよかったんだろうか……
迷っても、決断していくことで、人生は開ける
──80代からの新築マンション暮らし。環境変化によるご両親のストレスを軽減するために、使い慣れた家具をこれまで通りに配置するなど、具体的なポイントが参考になります。
たとえ引っ越しても、馴染み深い家具をこれまで通りに配置すると、いつも見ていた風景ができあがるんです。それから新築はそのままだと冷たい雰囲気になるので、グリーン(植物)、絵、間接照明を置きました。この三つと、使い慣れた家具があれば、高齢者に居心地のよい、温かい空間になると思います。
──オートロックの練習と、宅配業者への挨拶。この二つは、高齢者が初めてマンション暮らしを始める際の必須事項だと学びました。
両親がマンションに移るときに一番心配したのがオートロックの操作だったんです。それから重い荷物を宅配ボックスに入れられてしまうと、高齢者には操作が難しいし、取り出すのも持ち運ぶのも危ないですよね。私もよく荷物を送るので、引っ越しのときに宅配業者のドライバーさんに挨拶をして、高齢の両親が二人で暮らしているから、荷物は玄関まで届けてほしいとお願いしました。これだけ高齢社会になったのだから、もっと高齢者にわかりやすいサービスがあればいいのに、と思いますね。
──新しい町でご両親を支援するケアマネさん(ケアマネジャー、介護全般をサポートする専門家)も、離れて暮らす井形さんにとって、心強い存在ではないでしょうか。
本当にそうですね。ケアマネさん、家事のサポートなどをしてくださるヘルパーさん、ご近所の方々らに「高齢者、二人暮らし」と伝えることで、両親は二人の生活ができています。先日父が入院したときも、パニックになっている母のマンションにケアマネさんが行き、スリッパから着替えまで必要なものを父の病院に届けてくださったんです。何かあればケアマネさんとはマメに連絡をとるようにしています。
──そして何よりお母様が望んだ商店街近くでの二人暮らし。ご両親は楽しんでいらっしゃいますか?
まず、生まれて初めて住むマンションの「断熱」性能に感激しています。夏は涼しく冬は暖かいと。長崎も、昨年は猛暑だったり、冬には寒波が来たりしたんですが、大丈夫だったといいます。それからやはり歩くようになりました。商店街から公民館、市役所までが徒歩圏内にあるので、散歩がてら買い物をし、病院に行き、疲れたらカフェで休んでと街歩きを楽しんでいて、多い日は一万歩、歩いているようです。
── 高齢になったご両親の住み替えを、井形さんは娘としてリードし、サポートされました。ご両親と濃密に過ごされた2年間はコロナ禍も重なり、心が挫くじけそうになることもあったと思うのですが、最後まで完遂できた原動力は何だったのでしょうか?
マンションを買った以上、二人をそこに住まわせるまでは、住み替えとそれに付随して必要になる親の身辺整理をやりとげようと思いました。不安やストレスもあり大変でしたが、それ以上に、親の住み替えは、私自身の楽しみでもあったんです。両親の新しい生活ってどうなるんだろう。町での暮らしってどうなんだろうと。私の不動産好きの情熱も影響していますね。自分が住みたいと思うような理想的なマンションでしたから、そこで両親がどう暮らすのか、私も見たいという気持ちが強かった。でも正直、これでよかったんだろうかと思うことは今でもあります。元の家をリフォームして住むという選択肢もあったのではないかと頭をよぎることはあるのですが、今の生活を親が気に入っているので、考えないようにしています。人生っていくつになっても、自分がどう生きるかを決断していくことで、自分らしく生きられるのかもしれませんね。
──あとがきに書かれたお父様の決意の言葉に、夫婦とは何かを深く考えさせられました。この本は高齢社会の家の在り方、暮らし方を問いかける実用的なノンフィクションであると同時に、心揺さぶる井形家の家族の物語でもありますね。
親と苦楽をともにすることで、親との関係も変わりましたし、90歳手前から新生活を始めた二人のパワーを浴びて、将来、じゃあ自分はどうするかと、自分の老後を考えるようにもなりました。振り返ると親のことは、自分事でもあったんです。この本に書いたのはうちのケースではありますが、どこか参考になるところがあればうれしいです。
※本インタビューは「青春と読書」2024年4月号に掲載されました。
井形慶子(いがた・けいこ)
作家。1959年長崎県生まれ。28歳で出版社を立ち上げ、英国情報誌「英国生活ミスター・パートナー」を発刊。100回を超える渡英後、ロンドンにも住まいを持つ。『古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家』『ロンドン生活はじめ! 50歳からの家づくりと仕事』『イギリス流 輝く年の重ね方』『いつか一人になるための家の持ち方 住まい方』『年34日だけの洋品店 大好きな町で私らしく働く』など著書多数。
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