王朝文学研究者出身の作家・奥山景布子さんインタビュー

紫式部と「源氏物語」、
そして現代の私たち

『伝記シリーズ
千年前から人気作家!
清少納言と紫式部』

奥山景布子・著
森川泉・絵
(集英社みらい文庫/2012年刊)

現在「集英社学芸の森」で「フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~」を連載中の奥山景布子さん。大学・大学院では国文学を専攻、平安文学を研究し文学博士号を取得後、研究者、高校講師、大学教員を経て、2007年にオール讀物新人賞を受賞し作家デビューしました。
歴史・時代小説を精力的に発表する一方で、10年ほど前から集英社みらい文庫(児童文庫レーベル)では、子ども向けの古典案内や歴史人物伝も刊行しています。
ご自身も子ども時代に「源氏物語」と出合い、平安文学の面白さに目覚めたという奥山さんに、「紫式部と「源氏物語」」をテーマにお話を伺いました。

(インタビュー・文 中里和代)

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――大学では平安文学を研究されたそうですが、なぜその時代を選ばれたのでしょうか。

 自分の幼少期に子ども向けに書かれた「源氏物語」などの読み物を読んだのがきっかけです。古い時代にもかかわらず、女性がこんなにすごい作品を書いているんだと知り、女性作家に興味を持ちはじめました。
 大学では国文学を学ぼうと決めていたのですが、どの時代の作品を研究テーマにするかにあたっては、平安時代には女性作家が書いた作品が数多くあり、しかもいまだに多くの人に読みつがれている――女性作家のバリエーションが多いという点が大きかったです。

――平安時代の女性作家や作品の、どのようなところに魅力を感じていますか。

 当時、文学に関わりを持った女性たちの中でも、いろいろな生き方があると示してくれるのが平安文学の魅力だと思います。
 例えば、「源氏物語」の作者・紫式部は宮仕えをしていた人ですが、「蜻蛉日記」の作者・藤原道綱母は外へ働きに出たことがない、現代でいえば専業主婦のような女性です。
 さらには、宮仕えをしていた女性たちといってもタイプは様々でした。紫式部や清少納言は知的なイメージで捉えられているように思いますが、一方で和泉式部のような感性にあふれた恋愛の達人みたいな人もいる。女性像が多様だと思いませんか?
 そのような人たちが書いた作品や和歌を通じて、いろいろな角度から当時の女性を知ることができる、そこが一番面白いと感じますね。

――奥山さんの『伝記シリーズ 千年前から人気作家! 清少納言と紫式部』(集英社みらい文庫)についてお伺いします。普段、一般向けの歴史・時代小説を書かれている奥山さんが、子ども向けの作品を書かれたきっかけは何だったのでしょうか。

 文芸で担当だった編集者が児童書編集部に異動になり、声をかけてもらったのがきっかけです。最初に書いたのは『日本の神さまたちの物語 はじめての「古事記」』(集英社みらい文庫/2012年刊)で、「古事記」成立から1300年というタイミングでした。
 その後、清少納言と紫式部の伝記を、二人の個性の違いを見せながら一冊の中で書くのはどうかという話になりました。みらい文庫というレーベルは児童書という分野の中では後発ということもあったので、これまでにないテイストの作品にしようと。
 一冊で紫式部と清少納言の二人の人生が読めて、それぞれが現代の子どもたちに話しかけているような文体だったら興味を持ってもらえるのでは、と。そうして刊行されたのが『伝記シリーズ 千年前から人気作家! 清少納言と紫式部』です。

――実際に書かれてみていかがでしたか。

 私自身、子ども向けに古典を抄訳したような本をたくさん読んで、徐々に大人向けの本に移っていった経験があるので、初めて読む子どもになにが響くかというところを想像しながら書くのは楽しかったですね。
 また清少納言と紫式部、二人の名前は知っていても同時代の人だとは知らなかったり、二人の関わり方を知らなかったりする子どもたちもいるので、その点をわかりやすく書くことを意識しました。
 清少納言と紫式部、それぞれの人の口を借りて私が書く一人称のスタイルにしたんですが、そこは書いていても面白かったですね。一人称という構成は児童書の伝記では珍しいスタイルだと思います。


紫式部が現代の子どもたちに語りかけるかたちで自分の人生を辿る趣向。
清少納言編とは口調が異なり、それぞれの作品から読み取れる二人の性格を反映している。
「二世代、三世代で楽しんでほしい」と奥山さん。
https://miraibunko.jp/book/978-4-08-321193-5

――紫式部は、私人として公人として、小説家として歌人として、と、いろいろな面を持っていますが、奥山さんはそれらをどのように捉えていますか。まず、私人、公人という点についていかがでしょうか。

 紫式部が書いた「紫式部日記」という作品には、後半に式部の子ども時代の話や宮仕えの話が出てきます。それらを読むと、式部は意外と本音を言ってるなと思える部分があるんですよ。
 例えば、幼少のころ父親・藤原為時から「お前が男だったらよかった」と言われるくらい漢詩ができたとか、父親から「(藤原)道長さまからの命令だから」と言われて、気が乗らなかったけども宮仕えを始めたとか。
 当時は宮仕えに出ることの価値は低かったのです。「紫式部日記」にはさらに続けて、宮仕えに馴染めなくて逃げ帰ってきてしまったことも書かれています。なんだか式部の内緒話を聞くみたいでしょう?
 それでも、だんだんと女房としてやっていけるようになると、自分の女主人・彰子にこっそり漢詩を教えたりもして。父親には「女が持っていても役に立たない」と言われた漢詩の才能が、実際にはとても役に立ったという経験をするんです。
 そのほかにも、宮仕えは仕方なく始めたけれど、行ってみたら労(ねぎら)いがあったとか。『清少納言と紫式部』の中でも取り上げたエピソードですが、同僚の伊勢大輔(いせのたいふ)に、もともとは自分が指名されていた、興福寺の桜の枝を彰子に献上し歌を披露するお役目を譲(ゆず)って、それがうまくいったとか。
「紫式部日記」って小さい作品なんですけど、紫式部の「私」と「公」の部分、その変化がたくさん読みとれて興味深いですね。

――小説家として、歌人として、という点ではいかがでしょう。

 まず歌人の部分でいうと、宮仕えの同僚に、先ほども名前が出ましたが和泉式部という圧倒的才能を持つ歌人がいたんです。和泉式部の歌のセンスは天性のものと言ってもいいくらい。紫式部の歌とはかなり違います。
 現在では紫式部は小説家として圧倒的に評価が高いけれど、平安時代は小説家より歌人の方が格上だった。だからもしかすると、歌については紫式部は彼女にコンプレックスがあったかもしれません。それでも「源氏物語」のネームバリューが上がっていくにつれ、和泉式部に対して「私だって!」と張り合う気持ちも生まれたかもしれませんね。
「源氏物語」は紫式部が経験した宮仕えの経験が物語のベースになっています。もともとは気の進まなかった宮仕えでしたが、そんな状況にあっても、紫式部はなかなかの観察眼を発揮して周囲を見ていたように思います。
 漢詩の才能はあの人の方が自分より上とか、先ほどお話しした伊勢大輔のエピソードもそうですが、あの人はこういうものが得意なんじゃないかとか、人のことをよく見ていたし、他者を引き立てることもできた。
 そういった他者の個性を観察する視点が「源氏物語」という作品に色濃く投影されているように感じますね。

――父親との関係や勤め先での人間関係など、現代とリンクしてくる部分がありますね。

 本意ではない場所で働くこと、それでも置かれた場所で自分の能力でもって状況を変えていくこと。現代でも、あらゆる女性たちに共感できる部分はあると思います。
 私が紫式部を身近に感じるのもそういった部分ですし、そういう変化が読み取れるところも、平安朝の女性たちが書いた作品の醍醐味だと思います。

――「源氏物語」について伺います。作品が書かれてから一千年の間に、その評価はどのように変わってきたのでしょうか。また令和の今はいかがでしょうか。

 作品の読まれ方には時代が反映されます。
 例えば、仏教が思想を支配していた中世(平安末期~室町ごろ)では、架空の物語を書いて女性たちの気持ちを惹きつけるのは罪深いことだ、とすら言われていました。
 また、今に伝わる江戸時代の「源氏~」の注釈書を見ると、当時の価値観を色濃く反映した注釈になっています。
 明治時代では「源氏物語」は文学史の教科書に作品名と作者名があるだけで、内容を授業で読むことは一切ないという扱い。「与謝野晶子訳」が出るまでは一般的に読まれる作品ではなかったようです(編集部注:与謝野晶子は生涯に三度、源氏物語の現代語訳を手掛けているが、一回目は最初の巻が明治45年に刊行)。
 ですが、本来「源氏物語」は女性たちが楽しむために書かれたものなんです。今、その原点に立ち返ってみてもいいのではないでしょうか。「勉強」「研究」の対象としてだけではなく、読者として純粋に「源氏物語」を楽しむ。
 そのためにも、国文学の先生方には大いに発信をお願いしたいですね。研究ももちろん大事ですけど、一般の方にも興味を持ってもらうような、裾野を広げる活動も大事なことだと思います。

――現在、「フェミニスト紫式部の生活と意見」を連載されていますが、その中に、奥山さんは研究者時代から、古典を読むにあたってもフェミニズム的視点を持っていたと書かれています。ですが、当時(1980年代後半~2000年代前半ごろ)はそのような読み方は否定されたこともあったとか。国文学研究において変化を感じる点などはありますか。

 今の学会の空気感はわからないですけど、フェミニズム的な視点を持った研究者は増えてきているようです。私が学位をいただいたころは「なにがジェンダーだ」と言っていた先生もいらっしゃいましたが、そのころから比べると、変化はあるような気はしています。

――どのような変化を感じますか。

 大学・大学院の教員の変化と、学内におけるさまざまな対応の変化、アップデイトですかね。
 教員の変化というのは、古典研究の世界に女性の教員が増えてきたこと。私が大学院生だったときには、母校の国語・国文研究室に女性の教員は一人もいなかったのですが、今では複数、女性の教員がいらっしゃる。他の大学でも女性の教員は増えていますから、この点は大きく変わりましたね。これは古典研究の分野だけでなく、どの学部でもみられる変化だと思います。
 学校の変化は、私が大学の教員になったころにようやくその兆しを感じました。2000年代に入ったころです。
 たとえば、学内でのセクハラに対して、これは学校側が対応しなくてはいけない事案だという問題意識がようやく出てきたのです。それまではセクハラを受けた学生が相談できる窓口すらないところが多かった。現在では相談窓口がないという学校は、おそらくない。あってもきちんと運営されていないところはあるかもしれませんが、少なくとも、もしそうだったら学校に抗議して良いという空気は醸成されつつある。そういう環境で学ぶことが学生に影響を与えて、さらに変化を生んでいくと思います。

――女性の研究者、教員が増えることで、文学作品への新たな視点や感性での解釈につながる可能性もありますね。

 そう思います。それこそ上野千鶴子先生が『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社/2000年刊)という本を出されましたよね。上野先生が文学を社会学的視点で読み解き、分析する、まさにジャンルを横断するような内容です。
 これに対して「社会学者に文学を語られてるようじゃダメじゃん!」っていう感想を持った人はいると思うんです。「国文学の先生たちなにしてるの!」って。
 上野先生の著書では近代や現代の作品が多く取り上げられていましたが、国文学の先生たちの意識も、古典だってこういうことをやっていかないと、自分たちが古典をやらないとどうするっていう方向に、少しずつ変わってきているんじゃないかという気はしますね。


『上野千鶴子が文学を社会学する』上野千鶴子・著
(朝日新聞社/2000年刊)


『上野千鶴子がもっと文学を社会学する』上野千鶴子・著
(朝日新聞出版/2023年刊)

――そんななか、古文や漢文を学校で教える課程から外せなどの意見も聞かれますが、奥山さんはどのように考えていますか。若者が古典を知ることの良さを教えてください。

 日本にはこれほどたくさんの古典文学作品があるのに、それを読解できないのはもったいないですし、「古文や漢文は日常生活で使わないから授業から外そう」という論調はおかしいと思います。
 古文漢文にとどまらず、高校の教科書が変わって、近代の小説すら学校の授業でなかなか扱われなくなっているとも聞きます。多様な表現を学んでいないと、多様な表現はできません。日本語を母語としているのに、日本語で多様な表現ができない人は、外国語でも多様な表現はできないと思う。古文漢文にどんどん挑戦してほしいです。

――歴史、文化を学ぶきっかけとしても、古文や漢文は有効ですね。

 古文や漢文が読めなくなると伝統芸能が衰退していきます。もう、衰退がはじまっているかもという危機感もあります。能や歌舞伎を見に行って、役者さんのセリフを全部自分で聞き取れて理解できたら、楽しいじゃないですか。自国の伝統芸能をありのままに鑑賞する。そのためにも古文漢文ができないのはほんとうに勿体ないです。古文力があれば、絶対に伝統芸能がもっと楽しくなります!

――若い人たちが古文や漢文に興味を持てるきっかけがあるといいのですが。

 今、月に1回、NHKカルチャー名古屋教室で「源氏物語」の講座をやっています。受講生は圧倒的に年配の女性が多くて、みなさん本当に熱心なんですよ。
 例えばこういった講座を、おじいちゃんおばあちゃんとお孫さんが一緒に参加できるような形で企画してみたら、きっと楽しいんじゃないかなと思います。私の知人にも、歌舞伎を観たはじめは、おばあちゃんに連れられてだったという人が案外いるんですよ。
 そんなふうにして古文漢文に興味を持ちはじめてくれて、若いころに抄訳版や現代語訳、漫画で読んだ古典を、年をとってからは原典で読んでみようかな、なんて人が出てくると、古文漢文の命はまだ繋がるかなと思っていますし、そこに期待しています。


NHKカルチャー名古屋教室で「源氏物語」講座を持つ奥山さん。
現在は第2水曜日の午前に開講。オンライン配信もある。

――みらい文庫で刊行された作品がそのきっかけになるかもしれませんね。

 そうですね。『伝記シリーズ 千年前から人気作家! 清少納言と紫式部』は子ども向けの本ですけど、おじいちゃんおばあちゃんが買ってまず自分が読んで、読み終わったらお孫さんに渡して説明してあげる、そういうかたちで使っていただけるとうれしいですね。

――連載「フェミニスト紫式部の生活と意見」は残すところあと3回。連載も終盤に入ってきました。最終回に向けて奥山さんの想いを聞かせてください。

「源氏物語」では、物語に登場する女性たちが最後に逃げこめるところとして、出家が描かれていますが、しかしながら、そもそも当時の仏教のあり方に女性差別が内包されている。そのことに紫式部はある程度気づいていたと思います。逃げ込めただけでは全てを解決できないのは現代も一緒かなと感じます。
 連載第7回ではシスターフッドをテーマにしました。おひとり様と言われる女性にとってシスターフッドはもちろん大事なことなんですけど、それはあくまで緊急避難的なもの。
 女性同士で助け合うだけでは全ては解決できないんです。男性の側にも当事者意識を持ってもらうところから始めないと、基本的な社会の構造は変わりません。その声をこれからも上げ続けていかなくてはいけないですね。

学芸の森連載「フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~」が刊行されます

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デザイン協力・小松昇(ライズ・デザインルーム)

著者プロフィール

奥山景布子(おくやま きょうこ)

1966年生まれ。小説家(主なジャンルは歴史・時代小説)。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。主な研究対象は平安文学。高校講師、大学教員などを経て、2007年「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞し作家デビュー。受賞作を含む『源平六花撰』(文藝春秋)を2009年に刊行。2018年、『葵の残葉』(文藝春秋)で第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞をW受賞。近刊は『やわ肌くらべ』(中央公論新社)『葵のしずく』(文藝春秋)など。2023年1月には『元の黙阿弥』(エイチアンドアイ)を刊行。文庫オリジナルの『寄席品川清州亭』シリーズ(集英社文庫)や、児童向けの古典案内・人物伝記も精力的に執筆。古典芸能にも詳しく、落語や能楽をテーマにした小説のほか、朗読劇や歴史ミュージカルの台本なども手掛ける。「紫式部」を素材にした書籍としては、紫式部と清少納言が現代の子どもに向かって話しかけるスタイルの児童向け伝記『千年前から人気作家!清少納言と紫式部<伝記シリーズ>』(集英社みらい文庫)がある。
公式ブログ http://okehuko.blog.fc2.com/

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