観る将注目! 棋士と着物の深~い関係【女流棋士編】

華やかな着物姿で魅せる将棋イベント「女流棋士の知と美」

写真右から解説の山崎隆之八段、糸谷哲郎八段。対局中の渡部愛三段(将棋盤をはさんで右)、山根ことみ二段(同じく左)、写真奥右は記録係の磯谷真帆女流初段、左は芦田実里研修会員

将棋のタイトル戦を戦う棋士=着物姿というイメージが強いが、女流棋士のタイトル戦ではスーツなどの洋服で対局するケースが意外と多い。その理由を考えてみると、ひとつには、女性の着物姿はヘアメイクも含めて普段とはかなり違う装いとなるため、その分、男性以上に非日常の感覚になるからではないかと思う。それは着物を着る楽しさでもあるのだが、女流棋士はそもそも勝負師、仮に着付けやヘアメイクをプロに任せられるとしても、仕上がるまでにはそれなりの時間もかかる。よけいな気を遣わず、着慣れた洋服で将棋に集中したいという気持ちになっても不思議ではない。また、三~七番勝負のタイトル戦では、コーディネートで変化はつけられるとしても、やはり着物を複数揃えなければならず、高価な着物をいくつも購入するのはなかなか大変、ということもあるだろう。
それでも、華やかな柄や色使いの着物姿は女流棋士ならでは、もっと着物での対局を観たいというファンも少なくないのではないだろうか。
そんな願いに応える嬉しいイベントが、その時々の注目の女流棋士が着物姿で登壇してトークショーと対局を行う「将棋対局~女流棋士の知と美~」(以下「知と美」)だ。2013年に始まり、遠方からも将棋ファンが駆けつける人気イベントとして定着している。2023年6月に開催された「知と美」当日の模様と共に、このイベントが生まれた背景や女流棋士たちの着物への想いを聞いた。

(取材・文/加藤裕子)

※渡部愛、山根ことみ両女流棋士の段位はイベント当時のものとしました。

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「女流棋士を魅せるイベントを創りたい」

「知と美」には、このイベントを第一回から企画している「(株)ねこまど」代表・北尾まどかさん(女流二段)の「女流棋士を魅せるイベントを創りたい」という強い想いがある。北尾さんは子どもから大人まで楽しめる「どうぶつしょうぎ」の作者でもあり、長年、国内外で将棋の普及に力を尽くしてきた。活動する中で、「もっと女流棋士のイベントを増やしたい」という願いを持ち続けていたという。


北尾女流二段。

「『知と美』のコンセプトは『演劇を観るように将棋を楽しんでいただく』というもので、女流棋士が劇場の舞台に上がり、観客席からトークショーや対局をゆっくり観覧していただきます。そういう晴れの場的な女流棋士のイベントはなかなかないので、ぜひやってみたいと思っていたところ、紀伊國屋書店の高井昌史会長にご賛同いただき、開催していただけることになりました」

「知と美」に出演する女流棋士は皆、着物姿だ。女流棋士の場合、両者共着物での対局は男性棋士ほど多くはない。ヒューリック杯白玲戦やマイナビ女子オープンでは基本、着物着用ということになっているようだが、タイトル戦でもスーツ姿という女流棋士も珍しくない。その意味でも、「知と美」は女流棋士にとっても、また将棋ファンにとっても、貴重な機会と言える。

「将棋は日本の伝統文化であり、畳に正座して将棋盤に向かい、脇息などをしつらえた和の空間に身をおきますから、やはり着物が合うと思います。また着物の華やかさは、『知と美』の「美」やイベントの特別感を表現するのにぴったりです。なので、着物ならなんでもいいということではなく、舞台に立ったとき、遠目からでも見栄えがするものをセレクトしています」(北尾さん)

 対局用に吉田将棋盤店から貸し出された六寸七分の本榧の脚付盤は200万円以上の高級品と、「舞台装置」も「晴れの舞台」にふさわしいものだ。華やかに演出された「知と美」は、女流棋士の魅力を引き出すための、まさに特別な場なのだ。

コーディネートのテーマとポイント

 今回、対局者として出演するのは渡部愛女流三段と山根ことみ女流二段(当時。2023年11月に女流三段に昇段)。渡部女流三段は第29期女流王位獲得、山根女流二段は女流王位戦挑戦や第5回YAMADA女流チャレンジ杯優勝の経験があり、現在は共に女流順位戦でA級所属のトップで活躍する人気女流棋士だ。

 ふたりの着物コーディネートは、「知と美」ディレクター・カメラマンの直江雨続氏によるコンセプトをもとに、当日の着付けを担当する白瀧呉服店(東京・練馬区)の女将、白瀧あゆみさんとともに複数の候補をピックアップ。最終的には北尾女流二段が決定するというプロセスで進められた。

 今回のテーマは、対局者ふたりの出身地にちなんだもの。渡部女流三段は、出身地北海道のJリーグクラブで自身もサポーターという「北海道コンサドーレ札幌」、愛媛出身の山根女流二段は「みかん」並びに愛媛のJリーグクラブ「愛媛FC」だ。山根女流二段のコーディネートは山吹色の着物とみかんの葉を表現するグリーンの袴ですんなり決まったが、「コンサドーレ」はユニフォームに使われている赤黒を使った着物などいくつかの候補の中から試行錯誤を経て、最終的に着物と袴を赤のグラデーションでまとめたコーディネートになった。「愛先生は白の花柄の着物というイメージがあるので、今回はガラッと違う感じになりますね」(白瀧さん)との言葉通り、今回の着物は渡部女流三段の新たな魅力を演出しそうだ。

 多くの人気棋士を顧客とすることで知られる白瀧呉服店は、「知と美」第1回から着物関連の作業に全面的に協力してきた。

「女流棋士の先生方が着る着物は基本的に袴との組み合わせになりますので、卒業式用レンタルのセットから選ぶことが多いですね。撮影が目的の場合は、着崩れないよう、きれいに着付けることを優先しますが、対局があるときは、将棋に集中していただくため、着ていて苦しくない着付けをしています」(白瀧あゆみさん、以下白瀧さん)

「知と美」の他にも女流棋士の着物コーディネートをする機会が多い白瀧さんは、着用した女流棋士、着用日時や機会(イベントや対局等)などのデータを記録し、約500枚の着物から「これ」というセレクトができるよう活用している。コーディネートの際は、前回や前々回のイベントで着用された着物とかぶらないようにする、着用する女流棋士の個性と合った雰囲気であることに加え、第12回イベントは6月開催ということで椿のような冬の柄の着物は外す等、季節感も大事なポイントになる。今回の記録係を務める磯谷真帆女流初段、芦田実里研修会員が着る着物も含め、全体のバランスも考えなければならないなど、多方面に目配りが必要だ。

女流棋士の着物への想い

 女流棋士にとって、着物と言えばまず「タイトル戦で戦うときの装い」、選ばれた強者が着るものという憧れは、男性の棋士と変わりないだろう。矢内理絵子女流五段は「タイトル戦では必ず着物」という女流棋士の代表格だ。男性の棋士のように師匠の着物を借りたり譲られたりということはできないが、「母の着物」で出場する女流棋士の姿には、ことさら語らずともその対局に賭ける特別な想いが感じられる。引退を前に第16期マイナビ女子オープン五番勝負に挑んだ甲斐智美女流五段が、第1局に「気に入っていた母の着物」を着用したエピソードには胸が迫るものがあった。

 イベント当日、本番前の控室で、渡部女流三段、山根女流二段に、着物に対してどのような想いを抱いているのか話を聞いてみた。

 まずは、「コンサドーレ」の赤の着物をまとった渡部女流三段。ぱっと明るい赤地に桜の花柄の着物は袂の部分がグラデーションで濃くなっており、深い紅色の袴とのコーディネートが、渡部女流三段の女性らしさと凛としたかっこよさを際立たせている。おろしたロングヘアの髪飾りも赤の色を活かしたものだ。


「推し色」の赤系でまとめた渡部愛女流三段のコーディネート。

「赤は攻撃的サッカーのコンサドーレのテーマカラーでもありますし、私も攻め将棋なので、今回、赤の着物を選んでいただいて嬉しいです。ちなみに、普段使っているリュックやiPhoneカバーも赤にしています!」と、笑顔の渡部女流三段。

 渡部女流三段の着物への想いは、子どもの頃に同郷の先輩、中井広恵女流六段の対局での着物姿に憧れた日々からのものだ。西山朋佳女流四冠と対戦した2021年度ヒューリック杯白玲戦(第1回)でも着物姿で対局に臨んでいる。

「対局で着物を着ると、やはり特別な気持ちになります。楽なのはスーツですが、着物を着ると背筋が伸びますし、より気持ちが入りますね。自分でも着物を何着か持っていて、白瀧呉服店さんでレンタルすることもあります。2018年に女流王位のタイトルを獲り、翌年の防衛戦で地元の北海道で対局したときは、『着物で戦おう!』と、自分の着物を持っていきました。地方対局ではあゆみさんに着付けをお願いできないので、自分で着られるよう、白瀧呉服店さんに4、5回通って、あゆみさんに着付けを習いました。簡単にできる方法などをていねいに教えていただいて、とてもわかりやすかったです」(渡部女流三段)

 渡部女流三段は、北海道帯広市で開催された第30期女流王位戦第2局に白地に大柄の梅の花模様の着物で臨み、見事1勝1敗のタイに戻した。「故郷の北海道で勝利を」という強い気持ちに着物が後押しするところもあったのではないだろうか。

 2024年2月には、かねてから指導を仰いでいた同郷かつ同じくコンサドーレサポーターの野月浩貴八段との結婚が報道され、地元・北海道を盛り上げる活動もさらにパワーアップするはずだ。

 一方の山根女流二段は、山吹色にコスモス柄の着物とグリーンの袴、みかんの髪飾りが、愛らしいキャラクターにぴったり。「昔から家族みんな着物が好きで、祖母から母に受け継がれたものもありますし、私も自分の着物を何枚か持っています。去年の夏は浴衣の着付けを覚えて、姉と浴衣でお出かけしました」とのことで、今回のイベントを楽しみにしていたそう。


イエローとグリーンの反対色の組み合わせが鮮やか。山根女流二段。

「着物での対局は久しぶりです。これまで5回、着物で対局したことがありますが、持ち物が普段と違ったり、草履の足捌きなどの所作にまだ慣れていなかったりして、そういうところはまだちょっと不安かもしれません。でも、やっぱり着物だとファンの方にも喜んでいただけますよね。いつもはピンク系やブルー系の着物を着ることが多いので、今回のようなオレンジ系の着物は初めてです。幼稚園のとき、『みかんになる』のが夢だったので、それがかないました(笑)。今回は解説の両先生もスーツではなくお着物で、なんだかタイトル戦みたいです。そういう場で指せることを幸せに感じます」(山根女流二段)

 実は、「知と美」で解説者も含めて出演する棋士全員が着物で登場したのは今回が初めて。「自分で着付けができる」という北尾さんも私物の着物を着用して挨拶に立ち、ステージにずらりと並ぶ着物姿に、やはり着物は将棋の世界に似合うと実感した。「着物は着慣れていないので緊張します」「洋服より身が引き締まる気持ちです」という、記録係の磯谷女流初段、芦田研修会員の着物姿も初々しい。

「闘う者」の凛々しさと美しさ

 今回、解説を担当するのは、山崎隆之八段と糸谷哲郎八段。関西所属で共に森信雄七段門下の山崎八段、糸谷八段が揃って東京のイベントに登壇するのも、なかなか珍しい。山崎八段は茶系の色味、糸谷八段はグレー系のコーディネートで、さすがにこなれた着姿だ。


山崎八段と糸谷八段がリードし、爆笑につぐ爆笑のトークショー。

 司会の戸塚貴久子フリーアナウンサー(将棋5級)が進行役を務めたイベント前半のトークショーでは、2023年4月に本田奎六段と結婚したばかりの山根女流二段の新婚エピソードから始まって、着付けにまつわる話も繰り広げられた。

山崎八段
今日は久しぶりに着物を着ました。着付けは覚えたんですけど、タイトル戦に出てないと忘れます。ちなみに、豊島さん(豊島九段)は初めてのタイトル挑戦から自分で着てましたね。
渡部女流三段
私も着付けを習いましたが、やっていただいた方が安心ですよね。
山根女流二段
浴衣は着られるんですけど、袴は難しいです。
糸谷八段
もしものことがあったら、という心配もありますし。着付けは覚えなきゃと思いつつ、袴の紐がほどけたりすると一生の恥になるので、お願いすることが多いです。

 糸谷八段の発言に場内は笑いに包まれる。トークを終え、第二部の席上対局で解説席に座った山崎八段、糸谷八段の「関西チーム」の爆笑トークはその後も続き、対局中の渡部女流三段、山根女流二段が思わず吹き出す場面も見られた。

 そんなくつろいだ雰囲気の中、女流棋士と着物の関係についての次のやりとりに「その通り!」と膝を打った観客も多いだろう。

山崎八段
おふたりの着物姿、本当に美しいですが、将棋を指すときはガラッと変わります。盤面をみつめるするどい眼差しに注目です。
糸谷八段
そう、将棋盤の前に座ると凛としますよね。


将棋盤の前では勝負師の顔に。

 その言葉通り、澄んだ駒音が響き渡る中、盤に没入する両女流棋士の姿は「闘う者」の美しさにあふれていた。160手を超える大熱戦は逆転につぐ逆転、四間飛車で攻める山根女流二段に対し居飛車穴熊で凌ぐ渾身の将棋で渡部女流三段が勝利を収めた。イベントとはいえ、このような手に汗握る真剣勝負が展開されるのも、「知と美」の魅力のひとつだろう。さらに今回は、出演棋士たちとの記念撮影やサイン会など、コロナ禍では難しかった棋士と直接触れ合う機会も復活した。観る将はもちろん、さまざまな将棋ファンが楽しめる「知と美」、将棋に詳しくないという着物好きにとっても、着物と将棋の魅力に目覚めるきっかけを与えてくれるはずだ。

デザイン協力/小松昇(ライズ・デザインルーム)

プロフィール

渡部愛女流三段
(わたなべ・まな)

1993年生まれ。北海道帯広市出身。日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属。プロ入りは2013年。第29期女流王位。第1期白玲戦七番勝負出場。女流一般棋戦(将棋連盟主催)第1回、第2回女子将棋YAMADAチャレンジ杯(現・YAMADA女流チャレンジ杯)優勝。第46回(2018年度)優秀女流棋士賞、名局賞特別賞、女流名局賞。Jリーグクラブ北海道コンサドーレ札幌サポーター。2024年2月、同郷の野月浩貴八段との結婚を発表。X @nanu_ke

山根ことみ女流三段
(やまね・ことみ)

1998年生まれ。愛媛県松山市出身。野田敬三七段門下。プロ入りは2014年。タイトル戦登場1回。第5回YAMADA女流チャレンジ杯優勝。第48回(2020年度)優秀女流棋士賞。詰め将棋愛好家でもあり、2023年朝日新聞「be」で半年間詰め将棋コーナーを担当。2023年4月、同学年で小学生のときから対戦していた本田奎六段と結婚。ザ・ビートルズと『男はつらいよ』、サウナを愛する。X @kokoko6987

(株)ねこまど

2010年、北尾まどか女流二段が、将棋の普及活動のために設立。将棋教室の主宰、将棋大会・イベント開催など。女流棋士による公開対局「知と美」は今年で第12回を迎えた。こども・初心者から大人まで大人気の「どうぶつしょうぎ」のイベントやライセンス事業を行っている。将棋フリーペーパー「駒doc.(こまどく)」を年4回発行。
ホームページ https://nekomado.com/
X(ねこまど将棋教室) https://twitter.com/shogischool

白瀧呉服店(しらたきごふくてん)

黒船が来航した、嘉永6(1853)年創業。店舗は練馬区にあり、「東京最大級の呉服店」と謳われ、振袖・七五三・訪問着などの礼装から紬・小紋など和服全般の販売やレンタル衣装を取扱っている。広大な敷地内には茶室や日本庭園も有する。先代(4代目)・五良氏の代より将棋界との縁が生まれ、2006年から女流棋戦「白瀧あゆみ杯争奪 新人登竜門戦(非公式戦、日本将棋連盟主催)」を後援。将棋以外にも、競技かるた大会「白瀧杯 女流かるた選手権大会」を主催。その他 茶道・能楽など和文化の継承発展に寄与。現当主・白瀧佐太郎氏は五代目。ホームページ http://www.kimono-shirataki.com/

【取材・文】
加藤裕子(かとう・ひろこ)

生活文化ジャーナリスト、ライター。早稲田大学政治経済学部卒業。女性誌編集者を経て、1999年フリーに。同年渡米し、ヴィーガンの情報を発信するThe Vegetarian Resource Group(米国メリーランド州)に籍をおき、アメリカの食文化、健康志向などをテーマに取材・執筆。現在は日本在住。日本の伝統文化探究もライフワークのひとつ(将棋は観る将)。著書に『寿司、プリーズ!~アメリカ人寿司を喰う』(集英社新書)、『食べるアメリカ人』(大修館書店)、『「和の道具」できちんと暮らす すこし前の日本人に学ぶ生活術』(ポプラ社)等がある。

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