観る将注目! 棋士と着物の深~い関係
人気棋士が着物について語る2日連続トークショーが白瀧呉服店で開催【後編】
前編に続き、人気棋士たちが着物との関係について語る「【棋士と和服】プレミアムトークショー」((株)ねこまど・白瀧呉服店共催)の模様をお伝えする。2023年7月16、17日に白瀧呉服店(東京・練馬区)で行われたトークショー2日目に登壇したのは、伊藤匠六段(当時。現在は七段)と斎藤明日斗五段。20歳の伊藤六段、たまたまこの日が25歳の誕生日だった斎藤五段は、宮田利男八段一門で切磋琢磨してきた兄弟弟子だ。イベント当時、勝率トップ10以内と好調をキープ、観る将にも注目されている新進気鋭の若手ホープは、「初めての着物」に何を思ったのだろうか。
※伊藤匠、斎藤明日斗両棋士の段位と年齢はイベント当時のものとしました。
【前編はこちら】
着物姿で登場した伊藤六段と斎藤五段。
初めての着物は「意外と快適」
「【棋士と和服】プレミアムトークショー」2日目は趣向を変え、テーマは「はじめての和服」。伊藤六段と斎藤五段が着物姿で登場すると、現地観覧席から歓声があがった。ふたりが着ている着物は、白瀧呉服店の若手男性スタッフによってコーディネートされた。
伊藤六段は、霰柄を散らした爽やかな水色の長着に水色の縦のラインがランダムに入った濃紺の羽織、無双の羽織紐、斎藤五段は光沢のある白系の濃淡の長着と羽織に丸組(紐が丸く組まれている)の羽織紐、仙台平の袴と薄い紫の半衿はお揃いだ。ゲストの室谷由紀女流三段が華やかな紅色の地に柄を上品に散りばめた着物、抹茶色の袴姿で、緊張した面持ちのふたりに「初めて着物を着た感想はいかがですか?」と声をかけた。
やや緊張した面持ちの伊藤六段と斎藤五段。室谷女流三段は、はきはきとトークをリードし、会場を盛り上げた。
- 斎藤五段
- 七五三も成人式もスーツだったので、今日は生まれて初めて着物を着ました。タイトル戦の記録係をしたとき、「着物で対局、かっこいいな」と思っていたんです。お話をいただいたときはすごく嬉しかったですし、今日のイベントをとても楽しみにしていました。着物は、個人的には体験してみたいことのひとつでした。着付けなど、いつかタイトル戦に出るときのために見ておきたいという部分もありましたし。
- 伊藤六段
- 僕は七五三のとき着物でしたけど、着物は着ておきたいと思っていました。
- 斎藤五段
- 会場に入る前に鏡を見ましたけど、なんだか照れ臭い感じですね。着物は暑いかなというイメージがあったんですが、思ったより涼しいです。お腹のあたりに締め付けられる感覚が若干ありますが、個人的には心地いいですね。
- 伊藤六段
- 思ったより涼しいです。お腹の締め付けは少し気になりますが、これから慣れていくのかなと思います。
- 斎藤五段
- 今日は着付けていただいたので、さくっと終わりましたが、着る順番を覚えるまで自分でやるのは相当大変そうですね。(もしタイトル戦に出るようになったら)毎回着付けに来てもらうかもしれません(笑)。
- 伊藤六段
- ひとりで着るのは相当大変だなと思いました。
- 斎藤五段
- 実際に着てみて、「着物で指したらどういう将棋になるのかな」「将棋でも違った力が湧いてくるんじゃないかな」とか、いろんな妄想が生まれてきますね。今回のイベントのお話をいただいて、どんな着物を皆さん着てらっしゃるのかなと思ってちょっと調べたんですけど、天彦先生の赤い羽織、かっこいいですよね。すごく印象的で、自分も着てみたいなと思いました。
- 伊藤六段
- 着物はあんまり注目してなかったですけど、着るとテンションが上がります。
- 斎藤五段
- え、テンション上がってるの?
日頃のイメージ通り、口数が少ない伊藤六段と、場を盛り上げようとさまざまな話題を盛り込む斎藤五段。最初は慣れない着物姿のせいかどこか硬い表情だったふたりも、室谷女流三段の巧みなリードで次第に口調もなめらかになってきた。
- 伊藤六段
- しゃべるのが得意でないので、ご依頼をいただいたときは最初、困ったなと思いました。でも、斎藤さんと一緒なら大丈夫かなと。
- 斎藤五段
- 俺ができるならできるってこと?
- 伊藤六段
- ……そうじゃないです(苦笑)。
こんなふたりの掛け合いからも、兄弟弟子ならではの気心の知れた関係が感じられる。しばしばボケとツッコミのようなやりとりが展開され、その都度、場内は若いふたりを見守るかのような温かい笑いに包まれた。このふたりだけではなく、宮田一門は皆、仲がよく、師匠の趣味であるウォーキングに付き合って、三軒茶屋の道場に集まる前に一門で近くの駒沢公園を一緒に歩くこともあるという。
- 伊藤六段
- 将棋界は上の方に教わる機会があまりないので、一門に兄弟子がいてくれて、いい環境だなと思いますし、こういう存在がいるからこそ成長できると感じています。
- 斎藤五段
- 本当に? 嬉しいですね。でも、本音かどうかちょっとわからないから、嘘発見器で調べたいです(笑)。
宮田一門の「兄弟子」といえば、本田奎六段。2020年の第45期棋王戦にプロ1期目で挑戦権獲得という快挙を成し遂げ、着物でタイトル戦を戦う晴れ舞台をひと足先に経験している。仲がいい一門というからには、弟弟子としてエールを送ったかと思いきや、そこはやはり勝負の世界の住人だ。それまで明るくトークを盛り上げていた斎藤五段は、率直に悔しさを吐露した。
- 斎藤五段
- 複雑な気持ちだったですね。本田さんは奨励会では先輩でしたが、プロ入りは自分の方が1年早かったのにと思うと、「俺、プロになって何やってたんだろう」と悔しくて、情けなくて……。だから、渡辺先生と本田さんの番勝負はけっこう辛くて、応援はしなかったです。「本田さんがタイトルとったらどうしよう」と思ってました。でも、ああいうことがあると心が揺さぶられるというか、「自分も頑張らないと」と、いい刺激を受けますね。有り難かったです。
イベント当日が25歳の誕生日だった斎藤五段に会場からバースデーソングの合唱が贈られた。
当時の気持ちを噛み締めるかのようにして語る斎藤五段の姿に、会場はしんとなった。このイベントの時点で順位戦17連勝中と快進撃を続けていた斎藤五段、悔しさをバネに変え、実際に結果を出しているからこそ、ストレートに口にできた想いだったのかもしれない。
一方の伊藤六段は、同学年の藤井聡太八冠を意識する気持ちが強かったという。伊藤六段は、小学3年生のとき、小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会の準決勝で藤井八冠と対戦し勝利、負けた藤井少年が号泣したことから、その後、伊藤六段には「藤井聡太を泣かせた男」というフレーズがついて回るようになった。プロとしては大きく水を向けられている現状も含め、同学年の第一人者を意識する気持ちは当然、あるだろう。
- 伊藤六段
- 本田さんもですが、最初の方は、藤井さんに対してそういう気持ちがありました。悔しいですが、将棋は実力の世界、今の自分とは差があると感じています。藤井さんと早くタイトル戦を戦えるようになりたいです。
- 斎藤五段
- 伊藤くんは普段クールだから、自分からあまりこういうことはしゃべらないけど、もっと今みたいな部分も見たいですね。
「トークは苦手」と言いつつ、くつろいだやりとりに次第に笑顔が増えていった伊藤六段。
伊藤六段がいつもならあまり表に出さない悔しさや闘志をのぞかせたのは、もしかしたらイベントが行われたタイミングも関係していたかもしれない。このイベントの時点で、伊藤六段は第36期竜王戦予選6組準決勝で斎藤五段を制した後、竜王戦決勝トーナメントベスト4まで勝ち進み、「着物での対局」まであと3勝に迫っていた。
その後、伊藤六段は準決勝で稲葉陽八段に勝利、挑戦者決定3番勝負では永瀬拓也王座(当時)に2連勝し、「藤井さんと早くタイトル戦を戦いたい」という言葉を見事、現実のものとした。白瀧呉服店で着付けの特訓を受けた伊藤六段は、第1局では雪輪のデザインがさりげなくあしらわれた濃紺の羽織と着物姿で登場、これは伊藤六段のお母様によるセレクトだという。
第36期竜王戦7番勝負第一局(2023年10月)。
タイトル初挑戦とは思えない落ち着いた所作や着物姿にも注目が集まった。
竜王戦では残念ながらタイトル奪取はならなかったが、第49期棋王戦では、挑戦者決定トーナメントに敗れつつ、敗者復活戦を勝ち上がり、挑戦者決定二番勝負で広瀬章人九段に二連勝。2024年2月4日に開幕する棋王戦五番勝負の挑戦者となった。またタイトル戦で伊藤六段(現七段)の着物姿を観ることができる。
一方、「本田さんと伊藤くんには絶対に負けたくない」と言う斎藤五段は、弟弟子の活躍をまた新たな力にして、精進を続けていくのだろう。質問コーナーで、「藤井さんのタイトル戦連勝を止めるのは誰か」という問いに、斎藤五段は少し言い淀みながら答えた。
- 斎藤五段
- この中にいるといいですね。僕自身について言えば、実際に戦ってみないと(藤井八冠とどれくらい差があるのか)ちょっとわからない部分がまだあると思います。
そんな斎藤五段の言葉を聞きながら、伊藤六段はじっと考えるかのように無言だったのが印象に残った。
模擬対局で「着物で指す」体験
イベントの後半には、伊藤六段と斎藤五段の着物姿での模擬対局が行われた。
実は、伊藤六段は着物で将棋を指したことがある。2011年JT将棋日本シリーズ(JT・テーブルマーク協賛 現・将棋日本シリーズテーブルマークこども大会)の子ども大会低学年の部で、東京地区の決勝に進んだ伊藤六段(当時小学校3年生)は、大人同様、羽織袴姿で対局し、準優勝の成績を手にしているのだ。同シリーズは和服での対局が決められており、各地区ブロックで行われる子ども大会の決勝も、プロと同じように棋譜読み上げや記録係、大盤解説があり、男子は紋付袴、女子は振袖着物が貸し出される。ちびっこ棋士にとっては、プロの雰囲気を体験できるまたとない機会だ。
- 伊藤六段
- 確か襷掛けで指したんですけど……正直、あまり覚えてないです。
- 斎藤五段
- 将棋を指す子どもにとって、JTシリーズで着物を着るのは夢の舞台ですよね。羨ましい。
それまでの和やかな雰囲気とは打って変わって、勝負師の顔になったふたり。
模擬対局が始まり、駒を並べる音が響きだすと、会場内の雰囲気ががらりと変わった。先手は伊藤六段。「お願いします」と互いに一礼した後、指していくふたりの着物姿は、なかなか堂に入っている。たとえ模擬対局であってもやはり棋士、盤の前に座れば、「初めての着物」の緊張など、どこかに飛んでいってしまうのかもしれない。室谷女流三段の棋譜読み上げも入って本格的な雰囲気の中、伊藤六段はぴんと伸びた姿勢も美しく盤上をみつめ、斎藤五段はふと扇子で仰ぐ仕草をしてみせるなどサービス精神を発揮してくれた。時間の関係で約10分で指し分けとなった模擬対局の後、両棋士は着物で指した感想をこう語った。
- 斎藤五段
- 袖の感じとか、思ったより指しやすかったですね。スーツとはまた違って、なんというか、指すときに気持ちがより入る感じがします。着物で将棋っていいものだなと思いました。今日、こうやって着る機会をいただいてイメージも湧いてきましたし、ひとつの不安が取り除かれた気がします。
- 伊藤六段
- 最初はどうなるかと思いましたけど、イメージが湧いてきました。
ちなみに、両棋士の公式戦対戦結果は、このイベントの時点で斎藤五段が2勝1敗と勝ち越していた。この後、10月のC級1組順位戦でぶつかることが決まっていたふたり、対局前の成績は伊藤六段が3勝2敗、斎藤五段が4勝全勝、伊藤六段にとっては負ければ今期昇級は絶望的となる大事な一番である。
- 斎藤五段
- 伊藤くんは強いですから、当たりたくなかったですね。順位戦という大きな一番で当たるというのも運命かもしれませんが。
- 伊藤六段
- 斎藤さんは(居飛車党なのに)私と指すと振り飛車になるから……。
- 斎藤五段
-
えー、作戦ですよ(笑)。長い持ち時間の将棋でも研究勝負だと力を出せないまま終わってしまうことがあって、それを避けてるというのが真相です。
伊藤君におびえてるんですよ(笑)。
一門同士でも、対戦が決まると一ヶ月くらいは連絡を取らないですね。10月10日は伊藤くんの誕生日ですけど、ちょっとお祝いしたくないな。
冗談めかしながらも負けん気を隠さない斎藤五段の言葉を、淡々とした表情で聞く伊藤六段。気になる順位戦の結果は、居飛車でも振り飛車でもなく角換わり等の戦型で伊藤六段が勝ちを収めた。一方、9月12日に行われた第17回朝日杯将棋オープン戦・1次予選の同門対局では斎藤五段が勝利している
- 伊藤六段
- (相手の将棋に対する印象を聞かれて)斎藤さんの将棋は独特な感じがします。
- 斎藤五段
- 自分では普通だと思ってますけどね。伊藤くんも僕も受け将棋ですが、タイプは違います。伊藤くんは研究会とかで対戦すると精密な感じで、AI的、現代的な将棋だなと思います。自分はけっこう派手なことが好きというか、局面において一番積極的な手を指すことを一番意識していて、観ている方に面白いと思ってもらえる将棋を指したいです。
- 伊藤六段
- 観ている方に注目してほしい自分の将棋は、玉が薄くて、際どい展開のところです。ハラハラしながら観てほしいと思います。
これからも続いていくふたりの同門対決でも、きっと好勝負が繰り広げられることだろう。この後、白瀧呉服店で同日に行われた第17回白瀧あゆみ杯決勝の立会人兼解説の佐藤天彦九段がサプライズ登場するなど、イベントは大いに盛り上がり、締めの挨拶で、ふたりは着物での対局についての想いをそれぞれ語った。
- 斎藤五段
- 本日はどうもありがとうございました。伊藤くんと一緒に楽しく話させていただいて、普段聞けないような伊藤くんの思考の裏側も見えたのは、個人的に興味深かったです。着物で対局が今後、実現できるよう、これからも応援していただけるよう、引き続き精進を続けていきたいと思います。
- 伊藤六段
- 室谷さんと斎藤さんに支えていただきました。初めて着物を着させていただいて、タイトル戦で戦いたいという気持ちが強くなりました。
初々しい着物姿の両棋士が抱く「着物での対局」への憧れ、そしてその場に必ずたどりつくという熱い闘志を感じられる言葉に、棋士にとっての着物の重みが改めて伝わってくる気がした。タイトル戦でふたりのような若手棋士の着物姿を目にする機会も、これから増えていくことだろう。
格調高い仙台平の袴にさわやかな長着と羽織の組み合わせが清新なイメージの
伊藤六段と斎藤五段。室谷女流三段の着物と袴は白瀧呉服店若女将のあゆみさんと
室谷女流三段が相談してセレクト。色合わせがシックでお似合い。
- プロフィール
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伊藤匠六段(イベント当時、現七段)
(いとう・たくみ)2002年生まれ。東京都世田谷区出身。宮田利男八段門下。奨励会入会は2013年、プロ入りは2020年(17歳)。第36期竜王戦では5組優勝から決勝トーナメント(本戦)を勝ち上がり挑戦者に。2023年8月14日に七段に昇段。2023年年末には第49期棋王戦への挑戦を決めた。一般棋戦優勝1回(第52期新人王戦)。
斎藤明日斗五段
(さいとう・あすと)1998年生まれ。神奈川県川崎市出身。宮田利男八段門下。奨励会入会は2010年、プロ入りは2017年(19歳)。2022年1月五段に昇段。22年度は8割超えの高勝率(全棋士2位)、特に81期順位戦は10勝全勝でC級1組へ昇級。趣味はフットサル(以前はサッカーをやっていた)、気分転換は旅行に行くこと。
室谷由紀女流三段
(むろや・ゆき)1993年生まれ、大阪府大阪狭山市出身。森信雄七段門下。プロ入りは2010年(17歳)。タイトル戦登場は5回。NHK Eテレ「将棋フォーカス」の聞き手を2017年4月~2019年3月務める。振り飛車党。X @muroyan_y インスタグラム @muroya_yuki
(株)ねこまど
2010年、北尾まどか女流二段が、将棋の普及活動のために設立。将棋教室の主宰、将棋大会・イベント開催など。女流棋士による公開対局「知と美」は今年で第12回を迎えた。こども・初心者から大人まで大人気の「どうぶつしょうぎ」のイベントやライセンス事業を行っている。将棋フリーペーパー「駒doc.(こまどく)」を年4回発行。
ホームページ https://nekomado.com/
X(ねこまど将棋教室) https://twitter.com/shogischool白瀧呉服店(しらたきごふくてん)
黒船が来航した、嘉永6(1853)年創業。店舗は練馬区にあり、「東京最大級の呉服店」と謳われ、振袖・七五三・訪問着などの礼装から紬・小紋など和服全般の販売やレンタル衣装を取扱っている。広大な敷地内には茶室や日本庭園も有する。先代(4代目)・五良氏の代より将棋界との縁が生まれ、2006年から女流棋戦「白瀧あゆみ杯争奪 新人登竜門戦(非公式戦、日本将棋連盟主催)」を後援。将棋以外にも、競技かるた大会「白瀧杯 女流かるた選手権大会」を主催。その他 茶道・能楽など和文化の継承発展に寄与。現当主・白瀧佐太郎氏は五代目。ホームページ http://www.kimono-shirataki.com/
【取材・文】
加藤裕子(かとう・ひろこ)生活文化ジャーナリスト、ライター。早稲田大学政治経済学部卒業。女性誌編集者を経て、1999年フリーに。同年渡米し、ヴィーガンの情報を発信するThe Vegetarian Resource Group(米国メリーランド州)に籍をおき、アメリカの食文化、健康志向などをテーマに取材・執筆。現在は日本在住。日本の伝統文化探究もライフワークのひとつ(将棋は観る将)。著書に『寿司、プリーズ!~アメリカ人寿司を喰う』(集英社新書)、『食べるアメリカ人』(大修館書店)、『「和の道具」できちんと暮らす すこし前の日本人に学ぶ生活術』(ポプラ社)等がある。