〈 スペシャル・インタビュー 〉
ゴルバチョフに会いに行く
亀山郁夫
亀山郁夫さん
ウクライナ戦争はゴルバチョフの“第二の死”だ
去る8月30日、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が91歳で亡くなった。
ロシア文学者で名古屋外国語大学学長でもある亀山郁夫さんは、2014年12月、モスクワにいるゴルバチョフ氏に直に会ってインタビューするチャンスを得、その様子を『ゴルバチョフに会いに行く』(亀山郁夫著)にまとめた。逝去から1か月余り、ゴルバチョフ氏に会うことになったきっかけやインタビュー当日のことを改めて詳しく訊いた。
――どうしてゴルバチョフさんに会いに行くことになったのですか?
ゴルバチョフさんには特別な思いがあり、以前からずっとお目にかかりたいと願っていました。でも、ぱっと会える人ではありませんし、可能性があると編集部から言われたときも半信半疑でした。体調も悪く療養しているという情報もあり、なかなか話が前に進みませんでした。それでゴルバチョフ財団・日本事務所代表の服部年伸さんのアドバイスに従って、2014年6月、自己紹介を兼ねて、会ってどんなことを訊きたいか、ゴルバチョフさん宛に手紙を書いたのです。
その後9月に入って突然先方から、12月19日の午後、「モスクワのゴルバチョフ財団でなら」と連絡がありました。それから逆に僕自身が恐怖を感じ、ノイローゼ気味になりましたね。
世界を揺るがしたあれだけの政治家です、誇り高いだろうし、僕のような日本の一介の文学者と会って、いったい何を話してくれるのか、不安でいっぱいでした。でも覚悟を決め、大きな高揚感をもってモスクワに発ちました。
――訊きたいこととはどんなことだったのでしょう。
2つありました。それはあとで述べます。 僕自身、ソビエト時代の1984年夏、ある詩人の足跡を追ってボルガ中流域の町ウリアノスクという町の橋のたもとで写真を撮っていたところを拘束され、スパイ容疑で6時間あまりに及ぶ尋問を受けたことがあります。その場で射殺されても文句は言えなかったと脅され、トラウマになりました。ブラックリストに載ってしまっただろうから、もうソ連の土地は踏めない、いや踏みたくないとさえ思いました。ところが直後にゴルバチョフがペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)を掲げ登場した。非常に期待が膨らみました。
――一気に空気が変わり、みんな自由にものを言えるようになったように見えました。
ですが、彼が政治改革を進めたことで、皮肉にもソ連社会に大きな亀裂が入りはじめました。
1989年11月ベルリンの壁が崩壊し、1990年の2月には、ボリス・パステルナークのノーベル文学賞授与式を兼ねた生誕百年の盛大な記念式典がモスクワのボリショイ劇場で行われました。何と、ブラックリストに載っているはずのぼくが、その席に招かれたのです。パステルナークは生前、ノーベル賞を受け取ることができませんでしたから、これはグラスノスチの象徴的な出来事でした。思えば、そのあたりがゴルバチョフの栄光の頂点だったかもしれません。その後彼の地位は急速に不安定になります。改革は、逆に各共和国の力を強め、いわば、ソ連大統領である彼自身、梯子を外されてしまう事態を招いたのです。まさに二重権力の状態です。
で、1つめの質問の話になるわけですが、1991年8月のクーデター(プッチ)(註1)の際にどうしてもっと果敢な行動をとらなかったのか。命がけでクリミアを脱出して、モスクワに向かおうとしなかったのか。そのとき、彼はすでにソビエト社会主義の理想そのものを捨てていたのではないか。いや、一瞬の判断の迷いから、国家そのものを見捨てた瞬間があったのではないか、ということです。
しかし、それは問えませんでした。とても訊ける雰囲気ではなかったのです。
2つめはウクライナ問題です。ちょうど2014年の2月にウクライナのキーウでマイダン革命(註2)が起き、7月にマレーシア航空機撃墜事件、9月にはミンスク合意が結ばれた。そういった状況下、ウクライナ問題はこれからどうなるのかについて、ゴルバチョフ氏の考えをじかに訊きたいと思っていました。
そして、この2つめの質問にはかなり明確に答えてくれました。
クリミアはロシアのものだから、ウクライナはロシアへ返還するべきだ、それ以外のウクライナの運命に関しては、ウクライナの国民次第だと。だからもしEUに入るなら加盟したらいい、ウクライナとロシアは戦争になることはないけれど、かりにもし戦争になったら核の使用は避けられないだろう、と言っていました。
当時、その言葉はリアルには迫ってきませんでしたが、ゴルバチョフがソ連の崩壊を恐れていた理由はまさにここにあったのだな、と今、痛切に思います。ゴルバチョフはウクライナの戦争を予見していたのかもしれないとも思いました。
――インタビュー時の印象についてうかがわせてください。
あれだけのドラマティックな状況を潜り抜けた人ですから、僕の想像もつかない苦しみ、怒り、栄光、そういった諸々の経験があったはずです。本の中で僕はゴルバチョフさんをプロメテウスに例えています。鷲に心臓をついばまれても再生していく人。ソ連のトップになると同時に、チェルノブイリを始めとして沢山の災厄が彼を襲います。それを耐え抜いてきたから相当シビアな面もあるだろうと。アレクサンドル・ヤコブレフという彼の盟友が、「ゴルバチョフの魂を突き止めることは不可能だ」という言葉を残していることも不安材料の一つでした。
それが、約束の時間より30分も早く、まさに、ふらっという足取りで部屋に入ってきたんです。度肝を抜かれましたね。ラベンダー色のポロシャツといったラフな姿で。テーブルセッティングなどの準備中だったスタッフはかなり慌てていた。先ほどの服部さんから、ゴルバチョフさんは柿がお好きだという情報があったので、編集部は、柿のお菓子や干菓子、そしてお薄を立てる準備をしました。
会ってすぐにがっしりと手を握ってくれました。財団の応接室の壁にかかる富士山の絵を嬉しそうに紹介してくれ、用意した和菓子は相当に気に入ったらしく、隣に座っていた補佐官の分にまで手を伸ばしていましたね。「きみが食べないならもらうよ」と言って。そのくったくのない様子に、ゴルバチョフさんの人柄のすべてが現れているような気がしたものです。
――手ごたえのようなものはありましたか?
1時間半と言っても、実際に話していた時間は、45分から50分くらい、正直に言うと核心をつくことはできませんでした、私にその勇気がなかった。完全に萎縮していたのです。財団を後にしたときも、「大失敗」という思いを拭えず、正直、苦しかったです。
ところが、改めて文字に起こしたものを読み返してみると、実は非常に良いことを言ってくれていることに気づきました。緊張もあって、僕自身がゴルバチョフの言葉をしっかりと聞き取れていなかったのかもしれませんね。逆にこれ以上のことは言えなかったということもわかって、その意味では、直後の印象とは違って、非常に貴重な考えをうかがえたと感じています。
――インタビューなさったなかで、今、重要だと思うことは?
ウクライナのことはますます重要になってきていますね。ウクライナ問題について考えることは、ソ連崩壊について考えることと同じです。そしてロシアの精神性そのものを考えることにも繋がります。じつは、ウクライナ問題は、ソ連崩壊という悲劇的なドラマの最終幕なのですね。第一幕の主役はゴルバチョフ、第二幕は、エリツィン、そして第三幕の主役がプーチン、そして最終幕でそこにゼレンスキーが加わるわけです。ゴルバチョフはいわば、隠れた当事者です。今回のウクライナ問題は、ゴルバチョフとしても相当に憂慮していたと思います。いや、憂慮という以上に、はげしい屈辱と怒りのなかでこの世を去ったのではないかとさえ思います。
――『ゴルバチョフに会いに行く』というご著書全体についてもお話をうかがいたいと思います。
この本ではインタビュー以外のところにも力を入れました。特に僕はソ連崩壊期に生きた政治家たちの運命がとても気になっていたので、そのあたりのことを詳しく書きました。ロシアの政治家たち、いやロシア人の精神性そのものには、成り行き任せの部分があって、政治家は責任をとることを回避しようとします。国民も長いものに巻かれろ式に、そうした政治風土を受け入れる。しかし、ソ連崩壊という一大事の際に、きちんとけじめをつけようとした政治家たちもいました。そうした人たちのことを歴史の中に、少なくとも日本人読者にも残しておきたいと願い、ソ連崩壊と文字通り心中した人々の最期も公平に綴ることが大切だと思いました。
――責任をとらないということでいうと、日本の政治家にもその傾向がありますね。
おっしゃる通りです。政治の世界から完全にモラルが失われてしまった。
しかしこれは、グローバル化とも関係があると感じています。一般市民の間では、あまねく運命論的な世界観が強まっている。つまり、カネ、情報の圧倒的な力の前で、人は身動きがとれなくなる。そして人間の個々の営み、所業に対する責任というのは、自分ではなくて神、あるいは運命がとるべきものだと思うようになる。どうせ我々は運命に振り回されている駒にすぎないという考え方です。それが、責任回避の風潮を生む一つの原因だと思います。
――どうしてゴルバチョフはグラスノスチなどの改革ができたのでしょう?
ソビエト社会主義がそれだけ精神的に成熟していたということです。恐怖政治のスターリン時代の終焉と雪解け、その後、凍てつきの時代など、若干の揺り戻しがあったにせよ、政治家と為政者と国民との間の一種の信頼関係が生まれつつあった。「悪の帝国」呼ばわりされたブレジネフ時代は、私の印象では、ソ連の一般市民にとっては、逆に一種の黄金時代だったと思います。その延長上に生まれたオプティミズム、それとゴルバチョフの人間性ですね。彼は人を信じることの中からしか次の時代は生れないという信念を持っていて、それが時代の気分に合致したということでしょう。
――この本の執筆を通してはっきりとしたこととは?
ゴルバチョフの「革命」、というふうに呼んでいいと思うのですが、千年のロシアの歴史の中で唯一ただひとり彼だけが、開かれた知性と人類の普遍的な価値観を政治の原点に置いて人類の未来を考えようとした政治家です。逆にその意味で彼は、ロシアの長い歴史の中で実はものすごく異色な政治家といえるのです。彼がソ連のトップとして君臨した期間は、ほとんど奇蹟に近い一瞬だったと思います。つまりいかに飛び抜けた政治家だったかということが見えてきました。
――そのような人が突然現れたのはなぜなのでしょう。
彼は自分自身のことを「ソビエト連邦の申し子」だと言っているんですね。社会主義の最もよい部分を吸収し、滋養分として吸収した知性。思えば、彼のソ連トップとしての在任期間、ロシアが変わることのできた最大のチャンスでした。ゴルバチョフが唱えた「ヨーロッパ共通の家」は、ある意味では人類がこれから歩むべきひとつの大きな理想であり選択肢でした。しかし、そうした理想主義を支えるメンタルが育っていなかった。あまりにも長期間、不幸になじみ過ぎたロシア人のメンタルは、目の前の幸福の果実に気づかず、それを取りそこねて破滅の淵に堕ちるというイメージでしょうか。巨視的に、ロシア革命、ソ連崩壊と続く歴史の流れを見ると、ロシア人というのは非常に能動的に見えますが、それはまったくの誤解で、とにかく非常に受動的な国民なんですね。苦痛や忍耐をマゾヒスティックに受け入れてしまうところがある。ソ連の独裁者はまさにそのマゾヒズムの共有を介して生きのびてきたのです。しかしゴルバチョフにはそれがなかった。
ゴルバチョフは順調に人生を歩み、幸せな結婚をし、絵にかいたような理想的な人生を生きてきたように見えます。だからこそ希望も持てたし、幸福の何たるかも見えた。ところがその後のエリツィンは結局、自分自身の政治的な利害に固執し、ミニ独裁者になる。プーチンは、猜疑心の塊で、強烈なナルシシズムにとらわれていきます。いずれも不幸の遺伝子を引きついだ為政者です。死の床にあってゴルバチョフは、どんなに無念の思いを抱きながらウクライナ戦争を眺めていたことでしょう。思えば「ウクライナ戦争」というのはゴルバチョフの「第二の死」とも言えるのではないでしょうか。
――今この状況で聞くとさらに悲しいですね。
さる9月20日にも、ムラトフ氏はじめジャーナリストたちや当時の官僚など50人ほどが集まってゴルバチョフさんを偲んだと、先ほど話題にも出た服部氏から聞きました。
この『ゴルバチョフに会いに行く』という本は亀山さんにとってどのような意味を持っていますか。
文学というのは個々の一人一人の人間の内面の中に入り言語化し、それを対象として何かを語る営みです。政治のようなマクロ的な状況について文学的な想像力で何かを語るというのは、ある意味で非常に危険ですし、ひょっとするとタブーとすべき行為なのかなという思いもありました。でも哲学者のベルジャーエフがロシア人を「終わりの民」と呼んだように、非常に特異なメンタリティをもつ人々の国の政治を理解するには、文学的な想像力によるアプローチは不可欠だと考えました。人間の内面を見つめる力がないと、政治の内側も見つめられないはずです。僕自身は、大学時代は完全にドストエフスキーかぶれの時期を過ごし、その後ロシア・アバンギャルドの研究、スターリン時代の文化研究へと移り、それから再びドストエフスキーの研究に戻ってきました。そして、スターリン時代の研究と同時並行して、ゴルバチョフを主人公とするソ連崩壊の物語をずっと考えてきました。
語弊を恐れずに言えば、この戦争は、ある意味で非常に演劇的な側面を持っているということです。衆人環視のもとで、まるで仕組まれたように惨たらしい死が現実化する。恐ろしいことです。
ゼレンスキーは役者でしたから、自分の喜怒哀楽の表現をじつにみごとに表現できる。つまり、ダイアローグ的です。演技が出来ると言うことは、他者が分かっているということですから、その意味では、モノローグ的人間の典型であるプーチンにはない強さを持っていると感じます。そういった政治家一人一人の心理というのは、文学の、たとえばシェイクスピアやドストエフスキーの小説の登場人物を参考にすれば、かなり奥の部分まで読める。文学をモデルにしながら政治を考えるっていうことが逆にいかに大切か。政治だけ研究している人には絶対に見えないところまで辿り着けるという自信があります。
この本には、嬉しい思い出があります。
刊行当時、立花隆氏が「週刊文春」の連載で「ハイレベルのジャーナリストがこの数倍の時間を与えられても、これだけのものはとても書けないだろう」「この本を読む前と読んだ後とでは、世界の見え方が一変するはず」と誉めてくれたことです。立花さんは、この本が持っているテーマの普遍性に気づいてくれた数少ない読者の一人です。
――今こそこの本を手に取ってほしい理由とは。
ウクライナで戦争が起きている、今まさに、この悲劇の根っこをもう一度しっかりと見つめ直す必要があります。ソ連は悪である、ロシアは悪である、と一方的に決めつけるような視点からでは何も見えてこない。なぜプーチンがソ連にこだわっているのか、どうしてロシアの人々がプーチンを支持するのか。理由は、いろいろあるだろうけれど、ひとつには、雪解け以降のソ連には、精神的な一体感と「トランスナショナル」なアイデンティティを誇りとして生きることのできた幸福な時代の記憶があるからです。貧しいけれど平等、みんな権利を持っている、心が豊かな黄金の日々の記憶。ゴルバチョフの理想はいわばそれを基盤として生まれました。しかし、どうしてあれほどにも脆く崩壊してしまったのか。その答えが、じつはウクライナ戦争を解く鍵でもあるのです。
今このグローバリズムと弱肉強食の時代、平等などどこにもなくなりその観念さえ消滅したかに感じられる時代、運命主義の時代に、もう一度、ゴルバチョフにあった、人間の意志と理想のもつ意味をしっかりと見つめるべきだと思います。
亀山郁夫
栃木県生まれ。名古屋外国語大学学長。専門はロシア文学。
主な著書に『甦るフレーブニコフ』『終末と革命のロシア・ルネサンス』『破滅のマヤコフスキー』(木村彰一賞)『磔のロシア』(大佛次郎賞)『ドストエフスキー 父殺しの文学』『大審問官スターリン』『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』『「罪と罰」ノート』『ドストエフスキーとの59の旅』『謎解き「悪霊」』(読売文学賞)『新カラマーゾフの兄弟』『ドストエフスキー 黒い言葉』、主な訳書にドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(毎日出版文化賞、プーシキン・メダル)『罪と罰』『悪霊』『新訳 地下室の記録』『白痴』『賭博者』『未成年』など。2019年日本藝術院会員。2021年「ドストエフスキーの星」勲章受章。
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