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							『ヒゲのガハクごはん帖』
							梅村由美さん&山口晃さん
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							アートを軸に、旅や本などにまつわる記事を扱うウェブメディア「MON ONCLE(モノンクル)」の人気連載を単行本化した『ヒゲのガハクごはん帖』がこのほど発売となりました。「ガハク」こと、人気画家の山口晃さんの日常とはどんなものなのか? ともに暮らす「カミさん」こと梅村由美さんが綴った食にまつわる文章と、ガハク自身の挿画によって、その謎に包まれた生活が明らかになります。本インタビューでは、この「夫婦合作」エッセイのはじまりの秘話もご紹介!
						
						
					 
					
						
					 
					
					
						
							――『ヒゲのガハクごはん帖』は「カミさん」が文章を書き、「ガハク」が挿画を加えるというスタイルです。この連載が始まった経緯を教えてください。
							
								
									- 梅村由美(以下、梅村)
- 
										もともと何か書いてみたいという気持ちはあったんです。以前、ガハクが『ヘンな日本美術史』(2012年、祥伝社)という書籍を出したのですが、その続編として西洋絵画編をやらないかというお誘いがありました。結局それは立ち消えになりましたが、ガハクが海外の美術館や作品について書くなら、私が旅のことやその街の食について書いたら、別にまた1冊本ができるかな?なんて大それた望みを持ったりして。でも仕事が忙しくて思いを巡らせるだけで終わっていました。
 2022年3月にそれまで勤めていたギャラリーを退職したのですが、辞める直前にとあるレセプションで、美術展関係の仕事をされている旧知の田中千妃呂さんとお会いしました。そこで、近況の報告とともに、今後も美術には関わるつもりだけれど、何かを書いたりしたいと思っていることをお伝えしたんです。その後、田中さんから、一度お話ししませんかと誘っていただいて。その時に、以前からの本の構想のこともお話ししてみたんです。それからわりとすぐに、編集者・美術ジャーナリストの鈴木芳雄さんがエディトリアル・ディレクターを務めるウェブメディア「MON ONCLE」の立ち上げ予定があり、田中さんもそこに携わるとのことで、「ガハクが挿画を描くという条件で“食”をテーマにしたエッセイを書きませんか」という打診をいただいたんです。それで同じ年の11月から連載をスタートすることになりました。
									- 山口晃(以下、山口)
- 長年勤めた仕事を辞めると聞いたときは、「どうしよう、反動で自堕落な生活を始めてしまったら!」とハラハラしたものですが、30年近くも朝早く起きて会社に行く生活をしていた彼女なので、まあ私なんかよりよっぽど毎日定時に起きて、何やかやと朝支度をやっているわけです。ただ、あまりに忙しすぎて仕事を辞めたのに、空いた時間に美術関連のリリース製作などを手伝おうかななどと言うのを聞いて、それじゃあ(夏目漱石の)『草枕』の冒頭ではないですが、「人の世」を出て「人でなしの国」に行くようなものではないか、と。「せっかく自分のために時間を使えるようになったのに、安請け合いをするんじゃないよ。やりたいことが見つかるまで2年でも3年でもゆっくりしたらいいじゃないか。蓄えならある!」とここぞとばかりにいい旦那アピールも兼ねて言ってやったんです。そんな矢先に、この連載をやることになったので挿画を描いてくれと、突然言われて……。
 
							
								
									
									 
 
									- 梅村
- 突然じゃないですよ、事前に伝えていましたよ。
									- 山口
- まあまあ。それで、カミさんが文章を書くという、私にとっては突然の出来事が起こったわけです。もうすべてが決まっていた様子だったので、じゃあやってみたら、と。思い起こすと、カミさんは常に何かをやる人ではあったんです。謎のキャラクターを作って落書きしたり、漫画にしてみたり、架空の映画のポスターを作ったり。結婚した当初は音楽を聴いたり本も読んでいたし、カミさんセレクトのニッチな映画をふたりで観たり。映像を撮っていることもありました。しかし、仕事が立て込んできてからは、どんどんそういったものが生活から出ていってしまったんですね。だから、またやりたいことが出てきたのはよかったなと。
 
							――ガハクは最初に梅村さんの文章を読んで、どんなことを感じましたか?
							
								
									- 山口
- 
										私は自分で文章を書くときは、読んでいる人が一定の速度で読み進んでゆけて、“回転ムラ”ができないような語句や並びになるよう気をつけるんですね。彼女の文章はわりと言い回しや体言止めの具合が私のそれとは違っていて、ときどき「そうは言わないほうが上等な文章に見えるよ」などと思ったりもするのですが、そこはカミさんの領域ですのでグッと飲み込んで読み進めると、文章がどうのということよりも、この「ガハク」という男が実にひどい奴なんです。自分では決められないくせに、聞かれたら、ああじゃない、こうじゃないと注文をつける。「誰、これ!?」と自分の胸に手をあてて考えてみると、確かにやっているんですよね。ほぼその通り。こちらからすると、もうちょっと人間味のあるやり方だったような気はしているのですが、ああ、この本が世に出たらいい旦那の虚像に隠した私の本性が外にバレてしまう、まずいなあというのが第一印象でした。
									
									
									 
 
 
							――このエッセイを通して、お互いの知られざる部分に気がつくことはありましたか?
							
								
									- 山口
- 
										「名もなきジャガイモ料理」の章を例に挙げると、カミさんの料理にはあまり「再現性」がないんですね。一期一会というか。ジャガイモを揚げるといっても、クリスピーでビールに合わせたいものや、ホクホクと食べられるものとランダムに出来上がるので飽きがこない。毎回、食卓に並ぶものは「今日で最後かもしれない」と思って、ありがたくいただくという気持ちでいます。文章を通して気がついたというか、私が色々と言ってもカミさんには通じていないのだなと思うことは日々あります。しかし、まずは落ち着いて相手の話も聞いてみようと。文句だけを言うと剣呑なことになってしまうので、自分でも行動して例を示してみると、すぐに考えを改めてくれるところは、カミさんのいいところですね。
									
									- 梅村
- そんなふうに思ってたんだ!
									- 山口
- 読んでいる方は、本文と挿画中の一言との乖離に「ああ、また通じてないな」とふたりがすれ違っているように見えるかもしれないのですが、これは思考の枠組みが違うからしょうがない。カミさんが発した言葉だけをとって、「ああ、違う」と思ったときも、なぜその言葉に至ったのか思案の道筋を聞いてみると、なるほどその流れならその言葉の通りだなとなることが多いんですね。そういう流れで考える人に私の言葉は通じにくかろうということをこちらも理解する。そんな感じでやっています。
									- 梅村
- 製作面で言うと、絵と文が一体となってウェブに掲載された時に感じたのは、ガハクは文章の内容で気に入った箇所があると、そこにたくさん挿画を描いてしまうんだなということですね。逆にこのシーンは描かないんだ、と意外に思うことも。本を作る作業になったときに、縦書きの文章の中に改めて絵をどう散らすかというのは、編集さんとデザイナーさんが苦労されたようです。
									- 山口
- そこは自分としては緩急をつけていると思っています。絵に導かれて読んでいって、文章のリズムに慣れていくうちに長い文章でも読んでくれるもの。絵が文章に導いていってくれているイメージなんです。
 
							――そもそも、“食”というコンセプトはどのように生まれたのでしょうか?
							
								
									- 梅村
- 
										連載を始めるにあたって、MON ONCLEの鈴木さんから「“食”をテーマにやってみましょう」と提案していただいたのがきっかけです。何冊か課題図書として参考になる本も教えてもらいました。まず須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』(文藝春秋)を通しで読んでみて、それから東海林さだおさんの『丸かじり』シリーズ(朝日新聞出版)や斉須政雄さんの『十皿の料理』(朝日出版社)を。物を書くにあたって、対象に取り組む姿勢の参考になったと思います。“食”をテーマにと言われたことで、私にとっては書きやすくなりました。画家の日常を書いてほしいという依頼だとすると、どこからどこまで書いていいのか、ちょっと面白く切り取らないといけないのではとか、考えないといけないところも多くなりそうなので。
									
									- 山口
- 私自身どんどんと無趣味になっていってしまったので、結果的に食べることくらいしか楽しいことがなくなってしまったんですよね。
									- 梅村
- ガハクも忙しくなってきて、趣味の時間がなくなっちゃったから。絵を描くことは趣味とは言えないもんね?
									- 山口
- いえいえ、あれが一番の趣味なんですって。
 
							――この本の中で思い入れ深い章はありますか?
							
								
									- 梅村
- 
										和食店での晩ごはんを描いた「たまにはいいかな、こんな贅沢」の章は挿画が美味しそうで気に入っています。そのお店は改装して、今は雰囲気が少し変わってしまったんですよね。その記憶を残せたのもよかったかなと思います。
									
									
									 
 
									- 山口
- 
										もっと家庭的な章を選ぶかと思いましたが、そうきましたか。私は「かき氷、それぞれの思い出」ですかね。カミさんが、「金沢のかき氷が美味しかったから、ガハクにも食べさせたい」なんて珍しく殊勝なことを言っていて。金沢の店を贔屓にするあまり、近所にあるすごい行列のかき氷屋に誘って行ってみたときも、金沢の比ではないと後までずっと言ってましたね。挿画では、金沢のかき氷を思い浮かべて「美味しかった」という表情のカミさんを描いたのですが、水を凍らせただけのものに、ここまでにこにこしちゃってるのが何やら不憫で。この表情は気に入ってます。キラキラがひとつ私の頭にズボッと刺さってますけどね。
									
									
									 
 
 
							――この本の中でご自宅での食事の様子も描かれていますが、おふたりにとって食事の時間にはどのような意味がありますか?
							
								
									- 梅村
- 昔はあれが欲しいとか、綺麗なものを飾りたいとか、形として残るものへの気持ちが強かったと思います。むしろ食べることにお金を使うなんて、なくなっちゃうのに勿体ないと思っていたぐらい。でも結婚してからは、ガハクのおかげで、残らないものにお金を使うほうがいいんじゃないかと思うようになりました。花火みたいな感じですかね。
									- 山口
- ほうほう。私は、贅沢は固め打ち派なんですよね。居職なものですから、普段は質素に家に籠ってばかりで消費社会の落第生です。ですから、たまに美味しいものを食べるなら、本当に美味しいお店に行って、いいお酒を飲んで、帰りはタクシーを奮発しようというタイプ。池波正太郎の本にもありますが、いい調理人の技こそ残せないものの最たるものだから、とにかくお店があるうちに通い、舌で記憶しておきたいんです。
									
									 
 
									- 梅村
- 普段は質素にしていても、使う時はパッと使うよね。そうやってガハクと食に接しているうちにその楽しさに気がつきました。
									- 山口
- カミさんも「美味しいものは、美味しいのね」と言うようになってきたんですね。嫌いとまではいかないけれど、さして好きでもなかったものを、外に行ってちゃんとした職人さんの仕事で食べてみると……例えばお刺身とか天ぷらを楽しんで味わうようになると、興味の対象のひとつとしてそちらのセンサーが働き出すわけです。それと、一緒に暮らしているわけですから、めしの時間は揃えたいというのは結婚当初からありました。朝ごはんは起きる時間が違うし、昼ごはんはお互い働いているので、晩めしだけは一緒に同じ時間に食べましょうかと。放っておくと、彼女は「合理的」なので、別々でとなってしまうので。
									- 梅村
- 働いている時間も違うし、別々でもいいじゃないって思っていたんですけどね。
									- 山口
- 夫婦は治外法権ですから、夫婦ごとの法律があればいい。私たちはお互いの呼吸が違うので、ごはんという軸があることで、バラバラにならないでいられるんでしょうね。
 
						 
					 
					
						
							
							
								- プロフィール
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										梅村由美 うめむら・ゆみ
 1968年生まれ、神奈川県出身。1991年東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。2002年に画家・山口晃と入籍。コンテンポラリーアートを扱う複数のギャラリーにて約30年間勤務の後、山口のマネジメントに専念し、その活動をサポートする。仕事柄、アートフェアや展覧会などで国内外の出張が多かったこともあり、インドア派のわりには旅行好き。好きな食べ物はすしとそば。2022年よりウェブメディア「MON ONCLE」にて連載中の本作が執筆デビュー。
 
 
					 
					
						
							
							
								- プロフィール
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										山口 晃 やまぐち・あきら
 1969年東京都生まれ、群馬県桐生市で育つ。1996年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。伝統的な日本絵画の様式を踏まえ、西洋の画材で描く作風で知られる。都市鳥瞰図などの絵画のほか、立体、インスタレーションなども手がける。2023年の東京・アーティゾン美術館における「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」をはじめとする個展や国内外での作品展示多数。著書に『ヘンな日本美術史』(祥伝社、第12回小林秀雄賞受賞)、エッセイ漫画『すゞしろ日記』(羽鳥書店)、漫画作品『趣都』(講談社)などがある。