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オピニオン

上田岳弘(小説家)
西村紗知(批評家)

いま〝見えない〟ものをあぶり出す~SNS時代の表現をめぐって

 とあるweb上の音楽メディアが、最初はどんな音楽ジャンルの情報も載せるという売りで勝負したわけですが、でも結局、それで一人の読者が色んなジャンルの音楽を聴くようになったかというと、そんなことはなかったんじゃないかという気がします。いまは、すべてのジャンルの音楽が聴ける配信サービスがありますよね。ただ、それがあっても最低限の音楽の知識がないと、何を聴いていいのかわからない。いくら完璧なプラットフォームを用意しても、教育的なというか、楽しみ方を教える主導的な立場の人がいないと機能しないんですよね。音楽はまだ模索中なのかもしれないけど、お笑い芸人のみなさんはそれがうまくできていますよね。芸を楽しませつつ、ファンの方の目を肥えさせることができている。

上田 お笑いでは、「M-1グランプリ」の役割は大きいですよね。これはいろいろなところで話しているんですが、「M-1グランプリ」と芥川賞の建付けってとても似ているんですよね。「M-1グランプリ」は誰でもエントリー可能で、芥川賞も文芸誌の公募の新人賞への応募をエントリーだとすると、誰でも参加できる。漫才の場合は、パフォーマンスが入ってくるので、素人は決勝まで上がった例があるだけで優勝したことはないですが、どちらの賞も全くの無名だった人が一気に知名度をあげることができる。そのことが熱気を生む。

西村 もう、「M-1」はすごいですよ。ファンのみなさんが決勝に上がる漫才コンビを予想して当てますからね。予選会から会場に駆けつけて。

上田 生で見て判断するんですね。

西村 ええ、自分はこの漫才コンビが好きなんだけど、一旦自分の「好き」はカッコに括って、あのコンビが決勝に上がるんだと予想してきちんと当てている。熱心なファンの方はネタの良し悪しの判断もできている。「M-1グランプリ」はプラットフォームであると同時にファンの人を育てるという2つを兼ね備えた大会になっていますね。お笑いを分析したら、心の底から本当に笑えるのかどうか、疑念を拭いきれないところもありますが。

もはや我々はシステムから出られない?

上田 『女は見えない』のなかで、かつてAKB48に所属していた頃の前田敦子さんを分析している箇所が面白かった。前田さんは、特別かわいいとか、歌がうまいとか、で評価されていなかったんだと。「彼女にシーンを牽引するほどの強い魅力がなかったからこそ、彼女はAKB48で勝ち続けた」と書いてますね。その問いから論を進めていって、次第にAKBというシステムが浮き彫りになってくる。

西村 そうですね。前田さんはAKBのシステムと深く関わる存在だったんじゃないかと思いますね。上田さんの『最愛の』(集英社)という作品でも、代替可能性・不可能性のテーマが描かれていましたけど、そこともつながる話だと思います。
 つまり、AKBを通して代替可能な「システム」と不可能な「この私」というテーマが見えてくる。それはAKBブームの際も話題になっていたんです。本でも触れた、『AKB48白熱論争』(幻冬舎新書)の4人(小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史)が、AKB48にとって「システム」と「実存」いずれの方が大事かと論争するんですが、その二者択一に一旦執心すると、そこから議論を発展的に展開させるのは、なかなか難しいというふうに読んで感じました。

上田 西村さんの見立てだと、前田敦子はAKBのシステムと同化しているみたいなイメージですか?

西村 「システム」か「実存」かという二者択一の議論の前提条件という意味では、同化してしまったんだと思うんです。彼女の意思の問題ではなく、いろんな要因があってそうなったということを書きたかった。論の全体を通して書こうとしたことでもあります。女が〝見えない〟という本のタイトルは、現代では「システム」と同化して「この私」が〝見えない〟という側面も含意しています。

上田 『K+ICO』では大きいシステムに翻弄されている人物を描いてますが、いま実感としてあまりに巨大なシステムが組み上がっていて、誰もがそこから抜け出せない感じがある。特に若い人なんかはその閉塞感を強く感じていると思うんです。

西村 そうなんですよね。最近、私は夜に公園に行ってランニングをしているんです。印象的なのは、公園にいる人が何を目的にやってきているのかがすぐわかることです。ギターの練習をしている人とか。ぼーっと歩いている人でも、おもむろにポケットから煙草を出して吸い出す。ああ、お家で吸えないから公園に来たんだなと(笑)。目的なく来ている人が誰もいないんですよね。無目的に生きることができないんじゃないか……。現代は何らかのシステムから逃れるのは不可能なのかもと、そういう小さいことからも感じたりします。
『K+ICO』でも、ウーバーイーツ配達員のKが自転車をこぐという行為によってシステムの外部に出られたというか、この世界で生きていくギリギリの主体性のようなものを獲得していく場面が印象的でした。でも、それもウーバーイーツの配達のために自転車をこいでいるわけですよね。だから本当に何もしないでシステムの外へ出るのは不可能なのか……。

上田 もはやシステムの外に出られないのは、前提なのかもしれないです。前提だと、一旦は思っているほうが人生は豊かになり得るかもなと。システムに対する、不足感や不快感を訴えるフェーズはもう終わっているんじゃないか。

西村 そうですね。一旦は宿命としてシステムの内にいることを引き受ける必要があるかもしれませんね。『K+ICO』のおそらく根底にあるテーマにも、外部に出られないし、どこかに行きたくても行けないということがある気がしました。

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