[対談] 山崎ナオコーラ(作家)×奥山景布子(作家)

「源氏物語」と現代を生きる私たち

約1年前に『ミライの源氏物語』(淡交社)を上梓し、その作品で第33回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞された山崎ナオコーラさんと、昨年秋刊行の『フェミニスト紫式部の生活と意見~現代用語で読み解く「源氏物語」~』が好評の奥山景布子さん。
この2作品では「源氏物語」がそれぞれ現代的な視点で読み解かれ、私たち読者に新たな気づきをもたらし、さらには古典への興味を広げてくれるものとなっています。紫式部が主人公のNHK大河ドラマ『光る君へ』の放映もあり、「源氏物語」が注目されている今、ぜひお読みいただきたいエッセイです。
執筆者のお二人に「源氏物語」についてお話しいただいた対談(「青春と読書」2023年10月号掲載)を、「集英社学芸の森」では拡大版でご紹介します。

<構成=中里和代/撮影=石井康義(千代田スタジオ)>


山崎ナオコーラさん(左)と奥山景布子さん(右)


『ミライの源氏物語』山崎ナオコーラ(淡交社)


『フェミニスト紫式部の生活と意見
~現代用語で読み解く「源氏物語」~』
奥山景布子(集英社)

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アカデミアで抱いた強烈な違和感

奥山
山崎さんが最初に「源氏物語」に出合ったのはいつごろでしたか?
山崎
学校の教科書だったと思います。中学校の授業でやって、高校時代に大学の受験勉強でやって。実は私、高校生のころ全然しゃべれなくて友だちがいなかったんです。学校でいつも一人で本を読んで、休み時間は居場所がないから無駄に手を洗って(笑)。部室のドアが叩けなくて文芸部の入部を諦めて。そんなときに「源氏」を読んで、受け身な主人公やヒロインたちに興味を持ちました。同じころ、谷崎潤一郎にもはまりました。当時は、主体性を持って自分で道を切り拓いていくヒロインがもてはやされていたけど、自分はそうじゃない、それに自分の性別にもなじめない。どうしたらいいんだろうと思っていた時期でした。そんな状況から、「源氏」や、しゃべらない主人公が出てくる谷崎の『細雪』に共感したのかもしれません。
奥山
分かります。私は子どものころ、偉人伝や古典を子ども向けにリライトした本で「源氏」と出合いました。中高生のころ夏目漱石、森鷗外、三島由紀夫、志賀直哉とかを読んだんですけど、なかでも近代の男性作家では私も谷崎が好きなんですよ。女性の時代小説作家さんのなかにも「谷崎いいですよね」とおっしゃる人が多くて。これはジェンダーに関係があるのでは? と思った覚えがあります。
山崎
その後、大学の日本文学科で「源氏」を学びましたけど、奥山さんのように本気の研究というほどでは……。卒論で「浮舟(うきふね)」のことを研究したので、作家になったからにはいつか「源氏物語」のことを書きたいという想いは野心として持っていました。
奥山
大学時代、研究者の言葉遣いとか物の見方とかに、疑問を感じることってありました?
山崎
こういう言い方をしていいか分からないですけど……大学の研究者って「おじさん」ばかりじゃないですか。やはり違和感はありました。
奥山
やっぱりありますよね。私も大学で国文学を学びました。卒論で近代の女流作家をやるか、平安時代の女流文学をやるかで迷ったんですけど、平安って「源氏」をはじめ、女流日記もあるし女性の歌人も多いでしょう。当時の女性たちが残した生(なま)の言葉が読める機会が増えると思って「平安の女流文学」をテーマに選びました。でも、いざ論文を書こうとしても指導教員に「きみの捉え方は主観的だ」「その読み方は深読みだ」とか言われちゃって……。
山崎
そういった違和感や疑問を『フェミニスト紫式部の生活と意見』でお書きになってましたよね。すごい分かると思って(笑)。本の中の第二講に「『源氏物語』をはじめとする、『古典』への『注釈』は、こうした権威のある歌人、学者から始まり、やがて近世になると『国学』という領域に置かれ、近代では『国文学』として大学などで担われ、『学会』も組織されてきました」とありますけど、権威ってつまり「男性」ですよね。私が大学で学んでいたのは20年ぐらい前でしたけど、それこそ権威目線の授業という感じで、そこに違和感がありました。
奥山
まさに山崎さんが大学生だったころ、私は教員になったんです。教えながら論文も書いていたんだけど、論文の中に「ジェンダー」という言葉を入れたり、フェミニズムっぽい言葉遣いをすると、査読に通らないんです。古典を論ずるのに現代的な物の見方を入れるなと言われてしまう。論文を掲載してもらえないと研究者の業績とみなされないんだけど、でもそのために男性の学者たちと同じ「客観性を保証する」みたいな言葉遣いをして、同じような物の見方をしないといけないの? ととても悩んだ時期がありました。
山崎
やっぱり大学の中って、世の中とは違う権威みたいなものがありますよね。
奥山
そう。何か違う空間になっているのかなあと、当時感じていました。
山崎
『フェミニスト紫式部の生活と意見』では現代用語で「源氏物語」を読み解いていらっしゃいますが、こういった切り口で書こうと思った理由というのは。
奥山
研究者時代に抱いた強烈な違和感、敵(かたき)を取りたいみたいな気持ちです。あのころは否定されてしまった、今の世の中に見合った新しい物の見方で書いてしまえと。もう研究者じゃないんだし誰にも怒られない、そんな想いからです。
山崎
あ、それは若干感じました。「おじさん」に対する想いみたいなのが、にじみ出ているなと(笑)。

研究と読書をつなげたいという野心があります

奥山
私の父は昭和10年代の生まれで、昔気質(むかしかたぎ)だったこともあって、私は子どものころ、かなり理不尽な思いをしていたんです。あれやっちゃ駄目これやっちゃ駄目と言われて。この不自由から逃れるためにも、働ける人になりたいとずっと思っていました。先ほどの山崎さんの言葉を借りるなら、主体性側に行きたかった。その気持ちが、平安朝の、特に女房勤めをしている女性たちに惹かれる理由かもしれません。
山崎
働いているって、お金を持っているよりもパワーがありますよね。
奥山
生きる場所があるみたいな。
山崎
奥山さんは「源氏」で一番好きなヒロインは朧月夜(おぼろづきよ)でしたっけ。
奥山
朧月夜は光源氏と春宮(とうぐう。のちの天皇)を二股にかけて大批判を浴びるけど、結局尚侍(ないしのかみ)として働いていたんですよね。自分のやりたいことを貫いたというところが面白くて。
山崎
異色のヒロインですよね。私は『ミライの源氏物語』(淡交社)を書いたとき、朧月夜には触れないままでした。
奥山
そうでしたよね。作品の最終章は桐壺更衣(きりつぼのこうい)と浮舟でしたね。
山崎
「あっ、私、朧月夜に触れなかった」とは思ったんです。やっぱり自分は、主体性のあるヒロインより、そうじゃないヒロインに惹かれるたちなのかもしれません。
奥山
読者の方からの反応はどうでしたか?
山崎
御年配の読者にも面白いと言ってもらえたのはうれしかったですね。御年配の方は、既成のジェンダーになじんでいる方が多いのかなと勝手に思っていたんですけど、意外とモヤモヤを抱えていらっしゃるのかもと感じました。
奥山
私は、今カルチャーセンターの講座で「源氏」を教えてるんですけど、やっぱり生徒さんは御年配の方が多いですね。山崎さんもエッセイに書いてらしたけど、「源氏」には現代だったら明らかに犯罪だよねというシーンがあるじゃないですか。あるとき講座で、夕顔(ゆうがお)の巻を読みながら恐る恐る言ってみたんです。「これは死体遺棄です」って。
山崎
確かに(笑)。確かに死体遺棄。

(※注 光源氏は夕顔を「なにがしの院」に連れだすが、夕顔は物の怪に取り憑かれ絶命。源氏はそのまま自邸の二条院へ帰ってしまう)

奥山
そうしたら、皆さん「うんうん」って同意してくれて。今は御年配の方もそういう感じです。若紫(わかむらさき)の巻では、幼い紫の上を自邸に連れ出す光源氏を「これは誘拐です」と言うと、またもや皆さん「うんうん」と同意してくださる。
山崎
やっぱりみんなそう思っていたんですね。言っちゃいけないような空気があるから言えなかったけど、先生が言うなら言っていいんだ、と。
奥山
研究者時代には絶対に言えなかったことを、講座で思いきって言ってみました。「源氏」が書かれた当時の律令に照らしてみても、おそらく法に触れてしまうとは思うんですけど、作中では光源氏の身分でもって犯罪を隠蔽してしまっている。でも、どう考えてもあれは死体遺棄だし誘拐だから。そういった視点も『フェミニスト紫式部の生活と意見』に盛りこんでいます。
山崎
私も『ミライの源氏物語』にそういったことを書いてますけど、なにも「源氏」を否定したいわけじゃないんですよね。全肯定もしませんが。古典をそのような視点でも読めるんじゃないかという提案で、それが文学というか。
奥山
そうですよね。犯罪や差別が書かれていたとしても、それを考察すること、鑑賞することの面白さこそが文学だから。
山崎
私はがっつり研究をやったわけじゃありませんが、古典の研究というと、作品の舞台となる時代の文化について勉強して、その枠組みの中で読まなくてはいけないという暗黙のルールがあるような気がしていて。そこに現代的な視点を差しはさみながら読むというのは、してはいけないことだと大学時代に感じていました。研究と読書とは違うんだと。奥山さんは、研究と読書はつながると思いますか?
奥山
もう一回つなげたいと思っています。このままだと確実に日本文学の研究をやろうという人は減るし、実際、全国の大学で国文学の学科が減っていて、その受皿も減っている。そうすると読者も減ってしまうと思うんですよ。そこに風穴を開けたいという野心はありますね。誰かがやらないと国文学という領域が消滅する、そんな危機感を持っています。
山崎
その志、本当にすばらしいと思います。研究と読書がつながるんだったら、それがいいに決まっている。だから、古典をこういうふうにも読める、ああいうふうにも読めるという話を、エッセイで書いていくことには意義があるんじゃないかと思います。
奥山
読書はもっと自由でいいんです。山崎さんが『ミライの源氏物語』を書かれているのを知って、自分のほかにもこういうこと考えたり感じてる人がいるんだと、心強く思いました。独りぼっちじゃないんだ、と。

もしも「源氏物語」の続編を書くならば……

奥山
もし「源氏」の続きを書いてくださいと依頼がきたら、山崎さんはどう書きますか?
山崎
野心としてあるのは、浮舟のその後を書いてみたいなと。
奥山
やっぱり浮舟なんですね。浮舟は尼のままでということですか?
山崎
はい。尼の日常も意外とキラキラしているというお話を書いてみたくて。尼の生活、その中での淡い人間関係とか季節の移ろい、あと、ごはんおいしいねとか。恋愛物語から出たところのお話をいつか書きたいと思っています。
奥山
すごい腑に落ちた。「源氏」のヒロイン・紫の上は、恋愛から逃れたくて光源氏に出家を願いでるけれど、認めてもらえなかった。恋愛から解放された瞬間が彼女の死の場面になってしまいました。でも浮舟には未来があります。浮舟の尼生活、どんな感じなんでしょう。絶対にして還俗(げんぞく。俗世に戻ること)してほしくないな。
山崎
そうですね。以前は浮舟に対して、まだまだ恋愛できる年齢なのに、この若さ(23歳)で出家するのはもったいないと思ってたんです。でも今は、若いからこそ味わえる、恋愛なしの日常というのがあるんじゃないかと思ったりしていて。
奥山
そうなると、そのうち浮舟のところに若い女性が話を聞きにきたり、私もそういう生活をしたいとか、集まってくるようになるかもしれない。
山崎
桃源郷とか、シスターフッド的な。
奥山
そう。男性に依存しなくても、女性同士で意気投合して、悩みを聞き合ったりするような、浮舟を中心とした新しい関係性が生まれる場。そんな感じの尼の日常って面白そうですね。
山崎
いいですね。日常という点では、『フェミニスト紫式部の生活と意見』もそのタイトルどおり、紫式部が女房としてどんな仕事をしながら「源氏」を書いていたのかという、日常が書かれていました。生活者としての紫式部が見えてくると「源氏」への親近感がわく人もいるかもしれません。
奥山
2024年は大河ドラマもあるし。
山崎
「源氏物語」を読む人口がもっと増えるといいですね。

お二人の対談は盛りあがり、お話は、「源氏物語」にとどまらず……。「青春と読書」では文字数の関係で掲載できなかった内容を「こぼれ話」①~⑤としてご紹介します。

【こぼれ話①「源氏物語」とカルチャーセンター】

山崎
奥山さんはカルチャーセンターで講師をされているそうですが、私も7、8年前くらい前、カルチャーセンターに……
奥山
講師をされたんですか。
山崎
いえ、生徒として通っていました(笑)。「源氏物語」を勉強しなおしたいなと思って。週一回のペースで通ってたんですが、生徒さんは御年配の方が多くて。私は今後の仕事に活かそうという野心がありましたけど、皆さんは仕事という目的があるわけじゃなさそうなのに、とても熱心に勉強されていて。すごいなと思いました。
奥山
私の講座もそういう方が多くて。「源氏」に詳しい方もいれば、定年退職を機に「源氏」を読んでみたいという方もいて。「光源氏はどうしてこんなに恋ばかりするんですか?」「どうしてヒロイン全員が不幸になって終わるんですか?」という、答えに困る質問を受けたりもします。

【こぼれ話② 読書遍歴と物語の中の「不適切なこと」について】

山崎
奥山さんがお書きになった『清少納言と紫式部』(集英社みらい文庫)やインタビュー記事を拝読すると、女性の作家に興味を持たれたというお話がでてきます。なにかきっかけがあったのでしょうか。
奥山
中高生のころは日本の近代の男性作家の作品を読んでいたんですけど、その後翻訳版で外国文学を読むようになったんです。イギリス文学の『ジェーン・エア』(シャーロット・ブロンテ)などブロンテ三姉妹の作品、一番好きだったのがアメリカ文学の『風とともに去りぬ』(マーガレット・ミッチェル)。外国の女性作家が書いた作品に夢中になりました。こういった読書経験が少なからず影響しているかもしれません。
山崎
日本文学から離れたのには何か理由が?
奥山
日本の近代文学を読むたびに、なんだか性に合わないなって感じて……。
日本の近代文学で、かろうじて好きな男性作家は先ほども挙げましたが谷崎なんです。葉室麟さんがご存命だったとき、女性の時代小説作家さんたちと酒席をご一緒したことがあるんですけど、葉室さんから「奥山さんたちは三島(由紀夫)なんかはどう読むの?」と訊かれたことがあって。申しあげたように私はいい読者ではなかったから、「あんまりちゃんと読んでません」と答えた挙げ句に、「近代だったら谷崎が好きです」と言った覚えがあります。
山崎さんも谷崎潤一郎がお好きなんですね。
山崎
そうなんです。谷崎作品のなかでも一番好きなのが『細雪』で。高校性のころ、全然しゃべらない主人公の雪子と自分を重ねていました。『細雪』と出合って、しゃべらなくても主人公になれるんだ! と、自分の活路を見出せた気がします。
谷崎作品は、書かれている内容はけっこう差別的ではあるんですよね。
奥山
むしろ、差別的な内容はいっぱいあると言ってもいいくらい。
山崎
ひどいんだけど、読めるというか。
奥山
そうです。差別的なことを書いたり読んだりすることって、作者にとっても読者にとっても意外と面白かったりする。それが文学なんですよね。『ミライの源氏物語』を読ませていただいて、「うっとり」という言葉に惹かれました。作中で何度か書いてらっしゃいますよね。
山崎
末摘花のルッキズム、光源氏のマザコン、夕顔の貧困問題について考察した際に「うっとり」という言葉を使いました。
奥山
その感覚、わかるなあと思って。ひどい場面だなと思いつつも、「うっとり」として読んでしまうという。
山崎
「源氏物語」にはいろいろな差別が書かれていますよね。でもそういう場面ってどこか甘美なんです。いけないことを覗き見しているような。
奥山
そうですね。もちろん社会のなかの差別は肯定しません。だけど物語のなかの差別は否定しない。「うっとり」は物語を盛りあげます。
そういえば大学に勤めていたとき、入試問題を作っていたんですけど、ある小説を入試問題に使おうとしたら学長に呼びだされて。作中にキスシーンがでてくるのは入試問題としてちょっとって。で、ケンカしました(笑)。「これを認めないと言うんだったら、来年から入試問題を作らない」と。そこまで言うならと学長が引きさがって(笑)。
山崎
通ったんですね。
奥山
通しました(笑)。でもおかしいですよね。入試問題には行儀のいいものしか使ってはいけない、なんて。一時、高校の教科書を作る人たちと関わっていたこともありましたけど、ものすごく慎重に選ぶんですよ。これは不適切って。私から言わせると、どこが? という感じでした。教員側の目配りが利いていれば、例えば作中で殺人が扱われていたって、ちゃんと読んでもらえるような授業ができるはずなんだけど。今、学校の先生にそういった余裕がないんでしょうね。
山崎
今、正しいか正しくないかということを、若い人がよく口にする気がします。不倫に対しての反応も昔より厳しく激しくなっている。でも社会で不倫が叩かれる一方で、恋愛小説はそのほとんどが不倫小説というくらい、不倫が書かれています。
奥山
「源氏物語」にだって不倫は書かれています。
山崎
そうです。古今東西の小説に不適切なことは書かれてるんです。

【こぼれ話③ 紫式部は友だち】

山崎
奥山さんは、ご自身が紫式部や清少納言になろう、なりたいとは思わなかったんですか?
奥山
なろうというか、友だちだと思っているところはありますね。特に紫式部は仲間というか大先輩というか、ものすごい親近感があります。山崎さんはどうですか?
山崎
親から「紫式部みたいになりなさい」と言われた記憶はありますね。私が子どものころは、紫式部や清少納言って女性の理想像として語られていたような気がします。昔読んだ偉人伝のような本でも、彼女たちが歴史に名を残した文学者だからというよりも、成功した女性だから、みたいな扱いで。
奥山
それは偏った取りあげ方のような気がしますが。
山崎
女の子なのに頑張りました、みたいな内容だったと思います。『紫式部の生活と意見』では、紫式部が主体的に生きている様子が書かれていますよね。やはり時代は変わったのだと感じます。
平安時代は女性に相続権があった、母系社会だったと聞いても、とはいえ女性はほとんど働いていないんだと思っちゃいます。『ジェーン・エア』もラストで主人公のジェーンが財産を相続して、豊かになってプロポーズをしますが、なんだか腑に落ちなくて。相続で大きなお金を手にしたとしても、持続的に働いていなければ、いつかそれも尽きてしまう。
奥山
そうですよね。一方で『紫式部日記』なんかを読んでいると、女房勤めはつらいという、平安朝で働いていた女房の声も聞こえてきます。
山崎
それでも、やっぱりお姫様より女房のほうがいいかなと。
奥山
同感です。紫式部だって日記にはつらいと書いているけれど、長らく女房勤めをしていました。実は楽しかったんでしょう? と突っ込みを入れたくなる。
山崎
働いていたから「源氏物語」が書けたのかもしれないですね。

【こぼれ話④「とはずがたり」と尼の生活】

奥山
「源氏物語」よりだいぶ後、鎌倉時代後期の作品に「とはずがたり」があります。一応、女流日記にカテゴライズされてるんですけど、これはフィクションなのでは? とも言われてるんです。前半では主人公が宮廷でいろいろな男に翻弄され、後半では出家するんですけど、尼寺にも落ち着けず、結局全国行脚するというお話です。
山崎
すごいバイタリティ!
奥山
京都から鎌倉まで行き、最後は京都に戻るんです。個人的に好きな作品なのですけど知名度が低くて……。実在の上皇たちのスキャンダルが書かれていたせいなのか、流布しないまま長く宮内庁に眠っていたんです。一般に読めるようになったのは昭和25年。
山崎
私は、先ほども少し触れましたが、もし「源氏」の続編を書くとしたら浮舟の尼の生活を、と思っていました。私は『細雪』の雪子同様、主体性のあるヒロインよりも、あまり自分を持っていない、受け身なヒロインに惹かれるたちかなのもしれません。ですのでやはり浮舟。
でも『とはずがたり』の主人公は、私がイメージしていた尼の生活とは全然違いますね。それはそれで気になる。
奥山
宮内庁で発見されて以降、その後急速に研究が進んでいくんですが、私は作家になって間もないころ、どうしても『とはずがたり』を書きたくて『恋衣とはずがたり』(中央公論新社)という小説を書いてしまいました。瀬戸内寂聴さんも『中世炎上』(新潮社、瀬戸内晴美名義)という小説を書かれています。瀬戸内さんは前半、宮中の愛欲生活に重点を置いていて、私はむしろ後半、尼の生活にもかなり紙数を割きました。
山崎
なるほど。それにしても、眠っていた『とはずがたり』をいったい誰が掘りだしたのでしょうね。

【こぼれ話⑤『ミライの源氏物語』について】

奥山
そもそも『ミライの源氏物語』を書かれるきっかけは何だったのでしょうか。
山崎
茶道関連の本をだしている淡交社の編集者さんから、お茶の雑誌に掲載するエッセイを、と依頼されました。最初は「源氏物語」の現代語訳を毎月ひとつ取りあげて、それについて考察してみては、と提案されたんですけど、私が書くからには社会的な切り口にしたいなと、だんだん野心がでてきて。編集者さんからは、読者には100歳のお茶の先生もいらっしゃると聞いていたので、あまりに現代的な言葉だと伝わらないかも、それに怒られるかもと思って、丁寧語で書きました。
奥山
すごいソフトに書いてらっしゃいますよね。山崎さんの小説の文体ともちょっと違うなという印象で。
山崎
そうなんです。これまでのエッセイは「〇〇だ」という断定的な文体で、ちょっと偉そうだったんですけど……本作では気を配りました。
奥山
逆に私の『紫式部の生活と意見』の方がケンカを売ってるような文体かも(笑)。
山崎
軟らかい文体にはしましたが、お茶の雑誌で、よくぞこの内容を掲載許可しくれたなと、そう思っています。

※この対談のあと、山崎さんは『ミライの源氏物語』で第33回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞されました(選考委員は俵万智さん)。おめでとうございます。

山崎ナオコーラ
やまざき・なおこーら●小説家、エッセイスト。
1978年福岡県生まれ。性別非公表。國學院大学文学部日本文学科卒業。2004年、「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を受賞してデビュー。2017年『美しい距離』(文春文庫)で第23回島清恋愛文学賞受賞。『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社文庫)など著書多数。『ミライの源氏物語』(淡交社)で第33回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。

奥山景布子
おくやま・きょうこ●小説家(主なジャンルは歴史・時代小説)。
1966年愛知県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。主な研究対象は平安文学。高校講師、大学教員などを経て、2007年「平家蟹異聞」で第87回オール讀物新人賞を受賞し作家デビュー。2018年『葵の残葉』(文春文庫)で第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞をW受賞。
◆現在、「学芸の森」で「あなをかし、3分でわかる!「源氏物語」と紫式部」を毎週連載→連載はこちら
◆奥山景布子さんのインタビューはこちら

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