<刊行記念インタビュー>

『日本美術・この一点への旅』

山下 裕二さん

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山下 裕二さん

感動できるなら、作品は「一点」だけでもいい。
目からウロコの、「美術+α」の旅行術

日々、ギャラリーや美術館に足を運び、メディアへの寄稿、講演、展覧会監修と、多方面で活躍する美術史家・山下裕二さん。そんな山下さんが、「この一点を見るためなら旅をしてもいい!」という日本美術の名品を47都道府県にわたって紹介した書籍が、『日本美術・この一点への旅』。その強気の提案の深い理由と旅の楽しみ方を伺いました。かつて取材に同行した担当編集者も同席します。

撮影/三島ゆかり 構成/井川さくら

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「この一点への旅」をすすめる理由とは

――今回の本は、一点の名作を見るために旅に出よう、というのがテーマになっていますね。美術は好きなほうですが、かなり大胆な提案に驚きました。

山下
皆さん、どこかへ旅行をして、あちこち観光したついでに美術館にお寄りになるということはありますよね。そうすると、それなりの入館料を払う以上は展示を全部見なくちゃと思われるかもしれませんが、ある程度の規模の美術館なら、まず疲れますよ(笑)。「この一点への旅」は、それとは逆の発想になっています。美術作品は一点に絞っておいて、そこに景色や美味しいものなんかを足していってください、という提案です。
編集
もちろん、展示スケジュールを調べてうまく合う場合は、複数県の「この一点」のハシゴをされてもいいと思います。その可能性も考慮して、都道府県コード順ではなく交通の便を意識した掲載順にしており、縄文時代の土器・土偶を取り上げた県を固めたりもしています。

山口県で取り上げたのは、毛利博物館(防府市)が所蔵する雪舟の『四季山水図(山水長巻)』。縦が約40cm、全長は約16mあり、その画面には迫力がある

――見る作品さえ決めたら、あとは自分なりに+αを盛り込めばいいということなんですね。先生の「この一点への旅」は、いつから始まったのでしょうか?

山下
思い返せば、学生時代に見た雪舟の『四季山水図(山水長巻)』から始まっているのかもしれませんね。これは国宝の画巻なのですが、毎年11月頃に山口県の毛利博物館を訪ねれば、16mに及ぶそのすべてをじっくり見ることができるんです。大規模な『雪舟展』でも開かれない限り、東京や大阪で見ることは叶いません。
編集
出品されたらされたで、「立ち止まらずにご鑑賞くださ~い」という状況だったりして......。
山下
まあ、大混雑でしょうね。けれども、毛利博物館の秋の展示に行けば、ゆっくり堪能できる。初めて見たときには、夏の場面の水面の青の美しさに感嘆した記憶があります。そもそも当時は画巻の全容をカラーで載せる本が超豪華本しかなく、モノクロの図版でしか見ていなかったんですね。現地へ行って、これは実物を見なくちゃダメだなということを思い知らされました。

――そういう経験をあちこちで積み重ねられてきたんですね。47都道府県すべてを網羅するというのも、ユニークです。

山下
実際、私自身が47都道府県すべてに足を運んでいるということと、子供の頃から地理が得意だったことも影響している気がしますね。小学校1、2年の頃には、都道府県名と県庁所在地、世界の国名と首都は全部覚えていましたから。
編集
日本人って、各地の名産品、郷土料理、ご当地ものなんかが好きですよね。日本美術も、作家の出身地や作品ゆかりの地がある以上、「〇〇県と言えば......」というのが成立します。今回の本のベースになったのは、2007年に創刊した女性誌『エクラ』の連載です。雑誌発売時に開催されている「常設展」(所蔵作品展)から名作をおすすめするのが主眼でした。都市部だけで展開するよりも作品の幅が出ることもあって、全国展開にしたんですよね。書籍化にあたっていくつか作品を変更し、さらに追加もしてグレードアップしました。
山下
国宝指定の超メジャーな「この一点」もあれば、知る人ぞ知る「この一点」もある。日本美術にハマりかけている人にとっては、さまざまな作品を楽しむためのいい指南書になると思いますよ。

(左)平等院ミュージアム鳳翔館の「雲中トランプ」。52体が並ぶと壮観 (右上) 奈良・大和文華館の、尾形乾山『武蔵野隅田川図乱箱』から図柄をとった扇子  (右下)中尊寺金色堂で購入した御朱印帳。表紙には『金銅華鬘』をあしらう

(左)福岡市美術館の博多人形「福かぶり猫 虎図」。仙厓の禅画『虎図』を模した絵付けに愛嬌あり (右)長沢芦雪『狗児図』をプリントした山形・本間美術館のトートバッグと、『埴輪 見返りの鹿』をモチーフとした島根県立八雲立つ風土記の丘の「鹿くん」ぬいぐるみ

編集
本ではあまり載せられませんでしたが、ミュージアムショップでの買い物もぜひ。私はつい実用品と、クスッと笑えるものばかり買ってしまいますが。紹介した美術館などのグッズを持ってきました。
山下
このトートバッグと埴輪のぬいぐるみ、かわいいよね。
編集
いい記念になります。岩手県の中尊寺金色堂では、堂内で御朱印帳を購入すると特別に見開きの御朱印がいただけます。
山下
「雲中トランプ」は、北1~26号、南1~26号と番号が振られた52体の『雲中供養菩薩像』が52枚のトランプになっているんだね。JOKERが屋根の上の『鳳凰』一対なのか。
編集
北と南の同じ号数の菩薩を合わせる、オール国宝仏の神経衰弱がおすすめです。
山下
それ、むずかしそうだねえ(笑)。
現地で見ると、日本美術の真価を体感できる

兵庫県香美町の大乗寺に伝わる長沢芦雪の『群猿図』。すばしっこい猿の動きを、ラフな筆さばきが強調する(※10/16より2024年4/10までは特別展に貸し出しのため、観覧不可)

――現地までわざわざ足を運ぶメリットについて、詳しく教えてください。

山下
たとえば、お寺などの障壁画は、実際の建築空間で見ないとその真価がわかりません。今回の本の「はじめに」で触れている兵庫県香美町の大乗寺には、18世紀末に円山応挙とその門弟・長沢芦雪らが描いた165面の障壁画が伝わっています。応挙の作品は再製画に入れ替わっているものの、200年以上前とほとんど変わらない状態で維持されている、日本一の障壁画空間ですよ。そして、天井からの照明がなかった時代に、襖絵がどう見えたのかを体感することもできるんです。和歌山県にある無量寺・串本応挙芦雪館の長沢芦雪の『虎図』『龍図』も必見です。こちらは収蔵庫に入っていますが、かなり近い距離から鑑賞可能です。
編集
芦雪は南紀まで旅をして描いているので、見る側も串本まで行くことで、その開放的な気分を追体験できます。
山下
もうひとつ、高知の絵金の作品も、現地へ行って鑑賞する価値のある代表的なものですね。7月の「土佐赤岡絵金祭り」では、幕末から明治初期に描かれた屏風を商店街の軒先に展示して、夕方から蝋燭の灯りで見せてもらえるんですよ。絵金のおどろおどろしい作風とお祭りのムードがマッチしていて、とてもいい。
編集
障壁画も絵金祭りもガラスケース越しではない、「露出展示」なんですよね。有名人と同じエレベーターに乗ってしまったような、ナマで見る感動、同じ空間を共有する喜びって、美術作品との間にもあると思います。

『エクラ』2007年10月号に掲載された「この一点への旅」の第1回。『海の幸』は現在、東京のアーティゾン美術館が収蔵する

山下
現物を見る大切さって本当にあるんですよ。色もそうだけど、一番重要なのはサイズ感。これは写真では伝わらない。『エクラ』の連載第1回では青木繁の『海の幸』を取り上げましたが、それは頭の中のイメージとリアルサイズのギャップを知ってほしかったからです。絵に力があるから、つい巨大な作品だと思い込んでしまうんですよね。多くの人にとって、実物は思いのほか小さいはずです。有名どころでは、高松塚古墳の壁画なども「石室に描かれているから1m以上あるだろうな」と思いがちですが、実際はフィギュアサイズ。

――そんなに小さいんですか! 知りませんでした。ところで、現地取材をされて特に印象に残っている「この一点」はどれですか?

宮崎県西都市の木喰五智館にて。小ぶりな作が多い木喰仏にあって、『五智如来坐像』は異色の存在。かなり大づかみな寄木造であるところもユニーク

山下
初訪問だったということもありますが、宮崎県西都市にある木喰作の『五智如来坐像』ですね。寄木造の丈六仏が5体、住宅地の中のお堂に並んでいます。70代後半でこんな大作を彫り上げるなんて、木喰上人はスーパー爺さんですよ。その力に圧倒されます。一度、九州国立博物館に1体だけ展示されたことはあったけれど、都市部の展覧会ですべてを見ることはできません。しかし、現地に足を運びさえすれば、まず間違いなくそこにある。「この一点への旅」にふさわしい作品だと思います。
編集
そのときは、奄美大島の田中一村記念美術館とハシゴしましたね。奄美で食べた鶏飯は忘れられない美味しさでした。
山下
皇太子時代の上皇さまがお代わりをされたという店だよね(笑)。「この一点」を求めて旅をしていると、土地の美味しいものも必ず見つけられるはずです。かつて赤瀬川原平さんと毛利博物館に行ったときは、出始めのふぐを楽しみました。島根県立八雲立つ風土記の丘へ『埴輪 見返りの鹿』を見に行くときは、出雲空港に昼前くらいに着く便で行って、空港から車で10分くらいかな、有名な出雲そば屋さんに寄るのが私の定番です。
編集
「この一点」に絞るのはじっくり作品と向き合うためなので、それに向けて余裕のある旅程が組めれば申し分ないですね。
山下
そして、一緒に「この一点」を楽しんでくれるパートナーに恵まれたら最高です。私の場合は赤瀬川さんを筆頭に、画家の山口晃さん、漫画家の井上雄彦さん、タレントの壇蜜さんと、鋭い分析や思いもよらない反応をしてくれる人たちと素晴らしい作品を見てきました。皆さんも、ご自身なりの「この一点への旅」をアレンジして、ぜひ楽しんください。


長沢芦雪『群猿図』(大乗寺蔵)のカバーをはずすと、これまた芦雪による『狗児図』(本間美術館蔵)が登場

著者プロフィール

山下裕二(やました・ゆうじ)

1958年、広島県生まれ。美術史家、明治学院大学教授。東京大学大学院修了、専門は室町時代の水墨画。1996年に赤瀬川原平と結成した「日本美術応援団」の団長として縄文から現代美術まで幅広く論じ、講演、展覧会監修などを通じて日本美術の魅力の発信に努める。明治の細密工芸と現代作家の作品をリンクさせた『超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA』展が、2025年1月まで全国を巡回。著書に『日本美術の底力』『商業美術家の逆襲』(ともにNHK出版新書)、『未来の国宝・MY国宝』(小学館)、『日本美術応援団』『京都、オトナの修学旅行』(赤瀬川原平との共著、ちくま文庫)、『驚くべき日本美術』(橋本麻里との共著、集英社インターナショナル)ほか多数。

『日本美術・この一点への旅』

山下 裕二さん

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