観る将注目! 棋士と着物の深~い関係

白瀧呉服店にて開催、人気棋士が着物を語る2日連続トークショー【前編】

今、観る将(対局や棋士の姿を見て楽しむ将棋ファン)からも注目を集めている「棋士の着物」。藤井聡太八冠誕生で注目された第71期王座戦では、着物姿もすっかり板についた藤井竜王・名人の着こなしと共に、タイトル戦でも着慣れたスーツで臨み続けていた永瀬拓矢王座(当時。九段)が3年ぶりに着物で出場し、話題を呼んだ。また、それに先立つ第94期棋聖戦・第64期王位戦で挑戦者となった佐々木大地七段をめぐっては、初めてのタイトル戦に挑む愛弟子に師匠の深浦康市九段が呉服店に付き添って複数の羽織と袴を発注し、新調の袴と自身が王位を獲得した際の着物(長着)をプレゼント、さらに親交の深い高見泰地七段と三枚堂達也七段が羽織の代金を支払ったという心あたたまるエピソードが、ファンの胸を熱くした。

(取材・文/加藤裕子)

【後編はこちら】

  • Twitter
  • Facebook
  • Line

 そんな棋士と着物の関係をより深く楽しめる貴重なイベントのひとつが、多くの棋士たちの着物のコーディネートを手がける白瀧呉服店(東京・練馬区)でのトークショー。昨年、渡辺明名人(当時。九段)と佐藤天彦九段を招いて行われた【棋士と和服】プレミアムトークショーが好評につき、今年は第20回白瀧文化祭内のイベントとして2日間に拡大しての開催((株)ねこまど・白瀧呉服店共催)となった。

 1日目は人気棋士の木村一基九段と中村太地八段が登壇、2日目は伊藤匠六段(当時。現在は七段)、斎藤明日斗五段、室谷由紀女流三段をゲストに「はじめての和服」をテーマに、棋士の着物の注目ポイントや着物で臨むタイトル戦への想いなど、それぞれここでしか聞けないトークが繰り広げられた。

タイトル戦で着用した着物に込められた想い

 昨年同様、今年の【棋士と和服】プレミアムトークショーも現地観覧とオンラインのハイブリッドで行われた。2023年7月16日に開催された1日目の「【棋士と和服】木村一基九段&中村太地八段 プレミアムトークショー」の会場には、装いを凝らした着物姿の女性ファンも。場内に展示された、木村九段と中村八段の羽織と着物の、普段中継の画面越しではなかなか伝わらない微妙な色合いや生地の質感、模様などに、感嘆の声が上がっていた。司会は、将棋イベントでもお馴染みの福山知沙アナウンサー、あでやかな山百合の柄の白い着物姿でステージに華やかな彩りを添えた。


ステージに登場した木村九段と中村八段。着物姿もさすがこなれている。


司会の福山知沙アナウンサー。お身内の方から譲られたという絽の訪問着。

 続けて木村九段と中村八段が登壇、着物姿のふたりに一斉にスマホが向けられる。この日、木村九段が着用していたのは、真夏に涼やかさを感じる絽の羽織と袴、単(ひとえ)の長着。この紺の羽織に深い緑がかったグレーの袴という、大人の落ち着きを感じさせるコーディネートには、見覚えのある将棋ファンも多いだろう。これは第60期王位戦第7局、豊島将之九段から王位を奪取し、46歳で悲願の初タイトルを獲得したときの装いだ。福山アナウンサーから「タイトルを獲られたときのお気持ちが蘇ったりしますか?」と聞かれ、木村九段は「そうですね、袴の色、指した手の感触とかはっきり覚えてますね」と、当時の感慨を噛み締めるように答えた。


2019年9月25日、第60期王位戦第7局。悲願のタイトルを奪取。

 王位戦と言えば、第1局が6月末~7月上旬頃に始まり、第7局までもつれこめば9月後半まで対局が続く。着物の季節的には、盛夏に着る紗や絽などの夏着物(薄物)から単衣へと移り変わるスケジュールだが、だからといって両方誂えればいいという話でもないらしい。

木村九段
タイトル戦に臨むときは、自分が4回連続で勝って、タイトルを獲るつもりでやっているわけですね。最終局までやるということを想定していないので、(王位戦最終局が行われる)9月後半頃に着る着物があまりないんですよ。白瀧さんからは「秋用の着物も作りませんか?」と言われていたんですけど、出来上がるまで一ヶ月くらいかかるわけですね。「その前に俺が一番勝てばいいじゃないか」と思う間に……負けちゃうんですね(笑)。それで、羽織を白瀧佐太郎さん(白瀧呉服店店主)にお借りしたこともあるんですよ。

 サービス精神あふれるいつもの木村九段らしい語り口ではあるものの、勝負に賭ける棋士のプライドがうかがえるエピソードだ。

 一方の中村八段は、グレーの羽織、白っぽい長着に明るいブルーの襟を合わせ、袴はグリーンと、中村八段のキャラクターにぴったりの爽やかな着物姿。これは第65期王座戦第4局で、タイトル挑戦三度目にして王座を奪取したときに着用していた組み合わせだ。この対局が行われたのは10月で裏地がある袷を着用する時期、「今日着るにはちょっと暑いです(笑)」と言いながらも、「もう6年経ちますが、着てみるとやっぱりそのときのことを思い出しますね。自分のものですが身が引き締まるという感じがあります」と中村八段。

 この羽織と着物について説明したパネル展示によれば、抹茶色の羽裏(はうら。羽織の裏)には龍と紋(家紋)が染め抜かれ、龍が掴む玉のところに太地と書いてあるという。


2017年10月11日、第65期王座戦第4局。初のタイトルを獲得。

中村八段
反物から凝る佐藤天彦さん(九段)と違って、僕は特に着物にこだわりがあるわけじゃないんですが、白瀧さんから「着物は裏でおしゃれするものだ」と教わりまして、この羽織を作ったとき、自分が辰年なので龍がいいんじゃないかという話になりました。将棋も龍がいますしね。コーディネートは白瀧さんに全部お任せしているので、たぶん勝負将棋とみてこの羽織を選んでくださったのではないかと思います。

 羽織の裏と言えば、会場には友禅作家の筆によるという華やかな孔雀の絵が施された中村八段の羽織、そして、だるまの墨絵があしらわれた木村九段の羽織も展示されていた。だるまは七転び八起きの象徴、まさに「百折不撓」(何度失敗しても信念を曲げないこと)を座右の銘とする木村九段を励ます羽裏である。ちなみに、この羽織は木村九段がタイトル初挑戦に挑んだ第18期竜王戦の第一局で着用されたものだ。


渋い墨色の柄の表地とは対照的に薄い黄色の羽裏に描かれた孔雀の絵が華やかな中村八段の羽織はまさに「羽裏のおしゃれ」。第65期王座戦第3局で着用。


羽裏にだるまをあしらった栗色の植物紋様の羽織。
「私はスーツが地味なので着物もそうしようかと思ったんですが、ひとつ柄物があるといいとおすすめいただいて作った羽織です。やっぱり気が晴れやかになるというか、気分転換になったりしますね」(木村九段)

木村九段
これを作ったときは、単におすすめにしたがったという感じだったんですけど、あとでだるまには七転び八起きという意味があるということを知りまして、「ああ、そうなんだ」と。いいものをご提案いただいたなと思ってます。
ただ、そうした想いはありながらも、対局中継では羽裏をご覧いただく機会があまりないんですよね。棋士がおもむろに脱ぎ出して羽裏が見えるようにひらひらさせたりしたら、将棋はやる気あるのかとなりますから(笑)。

 とはいえ、対局中継に羽裏を見るチャンスがないわけではない。まだ着物での対局に慣れていない頃、「羽織を脱いではいけない」と思い込んでいたという中村八段は、「羽織はスーツのジャケットと同じだから、脱いでも失礼に当たらないと教わって以来、暑いときは脱ぐようにしています」と語った。

中村八段
そのとき、裏返してたたむと、羽裏が見えておしゃれだと教えていただきました。

 というわけで、もしかしたら棋士が羽織を脱ぐタイミングで、意匠を凝らした羽裏がちらりと見えるかもしれない。盤面と共に、観る将の要チェックポイントだ。

棋士が悩む「着物問題」とは

 男性が着物を着る機会となると、最初はやはり七五三だろうか。中村八段も生まれて初めて着物を着たのは5歳の七五三のときだったという。

中村八段
ちょうど将棋を始めたばかりで、初めて大会で優勝した頃ですね。そんなに高価なものではなかったですが、足付きの将棋盤を買ってもらって、羽織袴姿で祖父と父と将棋を指している写真が実家に残っています。
木村九段
私はたぶん、七五三もスーツだったような気がします。ですので、記憶にある中で初めて着物を着たのは、(タイトル初挑戦の)第18期竜王戦になりますね。竜王戦で着る着物を何着か作らないといけないというので、第1局の一ヶ月か一ヶ月半前に白瀧呉服店さんに伺いました。あのときは32歳ですか、もうそんなに経っちゃったんだという感じですね。
中村八段
僕も白瀧さんのところに初めて伺ったのは、2012年に第83期棋聖戦でタイトル初挑戦したときでした。それまで呉服屋さんとのつながりなんてないし、どこで着物を作ればいいかなんて、まったくわからないじゃないですか。その頃、渡辺先生(渡辺明九段)が白瀧さんで着物を作っていらして、そのご縁で両親と一緒にまさにこの部屋(トークショー会場の広間)に伺いました。着物のことは何もわからないので、季節によって選ぶ着物が違うとか、一から全部教えてもらいました。

 今では着物も自然に着こなしているふたりだが、慣れない頃は色々不安もあったという。そのひとつはトイレをどうするか。確かに、袴ではファスナーをおろして……というわけにはいかない。

木村九段
最初は、お手洗いどうしたらいいのかなというのがわかんなくて。
中村八段
(笑)それ誰でも思いますよね。
木村九段
わからなくても自分でなんとかするしかありませんので自分なりに努力して、まあ大事件が起こったとかそういうことはありませんので(笑)、無事に1日が過ぎたという感じだったですね。
中村八段
袴の代表的な種類としては、スカート状になっている行灯袴(あんどんばかま)というものと、中が二股になっている馬乗り袴の二種類があるんですけど、棋士は行灯袴を穿くことが多いです。お手洗いは、馬乗り袴だと一度脱いでまた穿かないといけないので、相当大変だと聞いています。

 慣れない袴への戸惑いはあったものの、それでも着物での対局にはスーツで指すときにはない利点もあったと、木村九段は続けた。

木村九段
(第18期竜王戦第1局では)タイトル戦の対局そのものが最初ということに加え、着物を着て指すのも着物で1日を過ごすのも初めてだったので、それなりに緊張感はありました。それでも終わってみれば、思ったより快適だったなという印象でしたね。和室での長時間の対局ですから、正座やあぐらになる時間も多くなるわけですが、スーツのスラックスに比べると、袴は下半身が締めつけられる感覚がないので楽なんです。足を崩すのも、袴だと気楽にできますしね。


木村九段の和服の所作はゆったりとして美しい。

 ただし足を崩しやすい分、気をつけなければならないポイントもあるという。

木村九段
正座からあぐらになって、また正座して立ち上がろうとするとき、袴の裾が足に引っかかってしまって、つまずきやすくなるんです。だから、ゆっくり立ち上がらないといけないし、歩くときも袴の裾を踏んでしまいそうになるので、ゆっくり歩くようにしています。そういうこともあるので、「着物を着ているときの動作は何事もゆっくりがいいですよ」と、白瀧呉服店先代の白瀧五良(ごろう)さんに教えていただきました。慌てますと、立ち上がったときに転びそうになってしまうんですけど、実際に対局で転んだ人は見たことないですね。
中村八段
ひとりぐらいいてもおかしくないですけどね。でも、立ったときに、袴の後ろがぺろんとめくれたまま歩いたりしてしまうのは、けっこうあるあるです。だから、一回袴を広げてから座るといいんですよね。
立ち居振る舞いもそうですが、着付けでもやっぱり袴が一番難しい気がします。色々なやり方があるらしいんですけど、将棋界では袴の紐は十文字に結ぶ人が多いです。パタパタと紐を折って長さを揃えて、きれいに十文字にするのがけっこう難しいんですよ。まるで自分がやったみたいに自慢気に言ってますけど、今日は白瀧さんに着付けていただきましたのできれいに十文字になってます(笑)。

 トイレの他にも、対局中の棋士が着物で悩むことがもうひとつ。

木村九段
休憩中に一度着物を脱ぐかどうかは迷いますね。脱ぐと一瞬、楽なんですよ。先輩たちからも、その方がいいと言われましたけど、また着るとなるとそれで時間が10分、15分かかるわけですね。その分、横になる時間を増やすのと、どっちがいいのかな、と。
中村八段
どっちをとるか問題は悩ましいですね。脱がない場合は、食事のときは着物が汚れないように前掛けをしたりしますが、和服のまま横になると、袴の腰板が当たってけっこう痛いし、あんまり休まらないんです。


中村八段の羽織紐は「無双」というタイプ。シンプルでモダン。

 着物はいわば、タイトル戦という棋士の晴れ舞台の衣装。休憩中に着物を脱ぐか脱がないか問題は、ささいなように見えて、それを身に纏える「強者」だからこそ向き合える悩みと言えるかもしれない。

「ふ」で始まる棋士と「は」で始まる棋士との着物エピソード

 着物への憧れはあっても、ハードルが高いと感じてしまうのが着物の着付け。木村九段、中村八段も含め、タイトル戦を何度も戦ってきた棋士たちは、自分で着物を着られるそうだが、何か着付けのポイントはあるのだろうか。

中村八段
最初の頃は、おなかのところにあまり味わったことがない締めつけを感じて、ちょっと苦しかったんです。それで白瀧さんにご相談したら「対局のときはゆるめに着付けることが多い」と聞いて、それからはきつく締めすぎないよう、気をつけています。
木村九段
やはり座っているときつさを感じることがあるので、ほどけちゃったらいけませんけれども、少し帯をゆるめに、楽に座れるようにしています。
中村八段
あと、僕が白瀧さんからいただいた実用的なアドバイスでいつも心掛けているのは、直し方ですね。対局中はどうしても前のめりになるので、襟元がはだけてくるんです。なので、気づいたときに、引っ張って直すようにしています。見る人が見ると、ちゃんとしていないというのは一発でわかるらしいので。

「失礼があっちゃいけないと思い過ぎて、気にし過ぎた部分もあるんですけど」と言葉を続けた中村八段だが、見苦しくないよう、さりげなく整える細やかな気遣いに、折り目正しい性格がうかがえる。一方、「対局のときは戦法のことばかり考えているので、見た目についてはあまり意識していない」と話すのは木村九段。勝負に集中している中での乱れた着姿もまた、棋士ならではのかっこよさと言える。

 そんな木村九段だが、着付けをなかなか覚えられない時期もあったらしい。一念発起のきっかけはダブルタイトル挑戦とある棋士の存在だった。

木村九段
白瀧さんがいつも着付けに来てくださっていたので、何年も着付けを覚えずにすんでいたんですけど、今年の佐々木大地さんみたいに棋聖戦と王位戦の両方に挑戦することになったとき(2009年の第80期棋聖戦、第50期王位戦)、やっぱり自分で着られるようになっておいた方がいいということで、白瀧さんのお店で3時間くらいかけて特訓していただきました。おかげで、上手ではないけれども一応、形だけは着られるようになりました。
当時、着る機会は何度もあるのになかなか着付けを覚えられなかった棋士は、私の他にもうひとり、「く」で始まる、今では女流棋士のお父さんになった関西の人がいました。「将棋は負けるけど、そこは負けまい」と必死で覚えました(笑)。

「く」で始まる人、とは久保利明九段、お嬢さんは2022年に女流棋士になった久保翔子女流2級だ。といっても、久保九段が着付けを覚えられなかったのは昔の話で、「今では全然苦労されてないみたいですね」(木村九段)とのこと。

 トークショーでは今話題の「ふ」で始まる人、藤井聡太八冠にまつわるエピソードも飛び出した。藤井八冠の2つ目のタイトル挑戦、第61期王位戦の相手は木村九段である。

木村九段
「ふ」で始まる人はすぐに自分で着られるようになったと聞いてますけど、最初は初めて着物での対局ということで白瀧さんが着付けにいらっしゃいました。そのとき、「公平に」と気を遣ってくださったと思うんですけど、「木村さんもいかがですか」とお声がけいただいて。自分で着られるといっても、やっぱり着付けていただく方が楽ですから、有り難くお受けしました。「万が一、帯がうまく結べなかったらどうしよう」とかそんなことを対局前に考えたり、時間を気にしたりしなくてすみますし、必ずきれいに着付けていただけますしね。

 やはり対局では勝負以外のことには可能な限り気を取られたくないということだろう。戦法で頭がいっぱいだったのか、木村九段は襟合わせの右左がわからなくなってしまったこともあるという(着物は向かい側から見て右の襟が前に来る「右前」で着る。「左前」は死装束と同じになり縁起が悪いとされる)。

木村九段
一度だけですが、左右どっちを合わせるのか、わかんなくなっちゃったことがありまして、鏡を見てもよけい混乱して焦りました。でも時間は止まりませんから、「とりあえずこれのはずだ!」と思って、対局の場に行きました。普段はあまり相手の着物姿は気にしないんですけど、盤の前に座ったとき相手の襟元を見て「あ、大丈夫だ」と。相当気合いの入った目でじーっと見ましたから、相手の人は気持ち悪かったと思いますね。

 まさか着物の襟の合わせ方を確認しているとは、相手も想像しなかったのでは。中村八段も、対局相手の着物姿からヒントをもらったことがあるという。

中村八段
タイトル戦で、僕は「は」で始まる先生との対局が多かったんですけど、下に股引きを穿かれていたことがあって、「ああ、なるほど。こうするといいんだな」と勝手に取り入れさせてもらいました。着ていて快適ということもありますが、和服はやっぱりデリケートなので、素肌に直接触れたり、汗がつかないようにした方が長持ちしますよね。

「は」で始まる先生、とは、もちろん羽生善治九段。羽生九段については、木村九段からこんなエピソードも語られた。

木村九段
米長邦雄先生(永世棋聖)や谷川浩司先生(十七世名人)ぐらいから着物の色もカラフルになってきましたけど、昔、将棋指しは黒紋付で対局することが多くて、黒紋付には茄子紺色の足袋を合わせることがほとんどだったんです。私が最初着物で対局したとき、白い足袋を履いていたら、ある人から「棋士なら足袋は茄子紺じゃないの? 士(さむらい)がつく人は茄子紺だよ」と言われました。でも、「は」で始まって「る」で終わる将棋が強い人も足袋は白なんですよ(場内爆笑)。
その後、いろんな方に聞いてみたら、亡くなられた丸田祐三先生(九段)は「茄子紺かな」とおっしゃったり、中原誠名人は「茄子紺だと思うけど、私は生地がそっちが好きだから茄子紺を履いてるだけだね」とおっしゃったり、人それぞれでした。五良さんにも相談したところ、「そんなに気にしなくていい」ということでしたし、今は皆、色々な色の足袋を履いてますから、足袋もひとつのファッションという感じになったのかなと思います。

 この日の木村九段の足袋は白、中村八段はグレーだった。「この装いならこう」という決まりごとがはっきりとあった時代から、個性を表現するファッションのひとつとして着物を楽しむ時代に、棋士の着物も移り変わってきたということだろう。

棋士の着物で観る将に注目してほしいポイントは?

 トークショーの質問コーナーでは、将棋にまつわることから好きな食べ物の話まで様々な質問が上がった。「対局に必ず持っていくものは?」という質問に対する答えからは、着物姿ならではの装いや両棋士の個性も感じられて興味深い。

木村九段
懐中時計です。着物に腕時計はあまり合わないので、とある方からいただいた鉄道時計を大事に使っています。最初はタイトル戦のときだけつけていってたんですけど、最近は普段の対局のときも持っていきますね。
中村八段
僕はいろんなものを対局に持って行くので、信玄袋がぱんぱんです。汗拭きシート、目薬、チョコレート、扇子、リップクリーム……使わないんですけど、ないと不安になっちゃうんですね。荷物多い系です。


トークの巧さに定評のあるおふたり。イニシャルトークならぬ、「五十音トーク」も。

 最後に、観る将に注目してほしい棋士の着物のポイントについて、両棋士にまとめていただいた。

木村九段
やっぱり身のこなしに違いというか差が出てくると思いますので、そちらをご覧いただくのがいいかなと思います。それから同じ人でも落ち着いているとき、慌てているときというのが動作に出てくるので、そんなところから精神的に動揺しているかどうか、うかがい知れるかもしれません。あとは、和服の選び方を見ると、スーツと同じでファッションに興味がある人なのかというのはわかるでしょうね。ちなみに私は、着物のコーディネートは白瀧さんに全部お任せしています。
中村八段
着物と将棋、両方をわかってくださっているのは、本当にありがたいですよね。
観る将ということでは、ここ数年、藤井さんの登場やネット中継が身近になったことなどで観る将の方がすごく増えたと思います。対局中にお菓子を食べるとか、昔から何気なく続いてきたものに注目していただいて、逆に将棋界の中にいる人間が将棋の楽しみ方を教えてもらっているところがありますね。今日のテーマである着物もあたりまえのように着るものだという感覚だったので、それでイベントができるなんて、僕がプロになったときには夢にも思っていませんでした。今日も着物がテーマのイベントにこんなにたくさんの方に来ていただいて、とても嬉しいですし、他の棋士の着物の話も今まで聞いたことがなかったので、僕自身も楽しい時間になりました。
木村九段
着物に特化したイベントに参加するのは初めてでしたが、あっという間でした。第3弾、第4弾もあると思いますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

 対局時の裏話から着物にまつわる失敗談まで、ユーモアをふんだんにちりばめながらも、棋士の厳しい世界と勝負師の矜持を端々で感じさせてくれた木村九段と中村八段。タイトル戦も含め、これからも様々な機会でふたりの着物姿を目にしていきたい。


紺の縞の羽織と白鼠のちりめんの長着の組み合わせは、木村九段らしい落ち着いた雰囲気。王位戦とダブル挑戦となった第80期棋聖戦第2局など、棋聖戦、王位戦、王座戦と初夏から秋口にかけてのタイトル戦でしばしば着用されている。


光沢のある萌葱色の地模様の羽織に白茶の長着という、若々しさを感じさせる中村八段のコーディネート。長着は師匠の米長邦雄永世棋聖の着物を仕立て直したもの。第61期王座戦第1局などで着用。


白瀧呉服店の広い日本庭園で記念撮影。
実はこの日は猛暑日だったが、それを感じさせない清涼感あふれるショット。

デザイン協力/小松昇(ライズ・デザインルーム)

※【棋士と和服】プレミアムトークショー2日目の様子は、後編でお伝えします。

プロフィール

木村一基九段
(きむら・かずき)

1973年生まれ。千葉県四街道市出身。佐瀬勇次名誉九段門下。プロ入りは1997年(23歳)。第60期王位(46歳3か月での初タイトルは史上最年長)。竜王戦1組通算15期。順位戦A級通算5期。一般棋戦優勝2回。ニックネームは「千駄ヶ谷の受け師」「将棋の強いおじさん」など。解説の分かりやすさ、トークの面白さは群を抜いており老若男女問わずファンが多い。ジョギングが日課。座右の銘は「百折不撓」。

中村太地八段
(なかむら・たいち)

1988年生まれ。東京都府中市出身。米長邦雄永世棋聖門下。プロ入りは2006年(17歳)。第65期王座。現在順位戦A級。普及活動にも熱心で、NHK Eテレ「将棋フォーカス」司会(2015~2019年)などテレビ出演も多く、2020年にはYouTubeチャンネル「棋士中村太地将棋はじめch  https://www.youtube.com/channel/UCC0Q1NBgGJRzFFPe1IPYtwg」も開設。東京都立大学非常勤講師。
https://twitter.com/banibanilla

福山知沙
(ふくやま・ちさ)

東京都出身、神奈川県育ち。フリーアナウンサー。2011~2012年NHK Eテレ「囲碁・将棋フォーカス」の司会を務める。歌手としても舞台に立ち、また著作(絵)に『しょうぎの くにの だいぼうけん』(2017年、講談社刊、原作/中倉彰子)があるなど、幅広い活動をしている。
https://twitter.com/chisa_fukuyama

(株)ねこまど

2010年、北尾まどか女流二段が、将棋の普及活動のために設立。将棋教室の主宰、将棋大会・イベント開催など。女流棋士による公開対局「知と美」は今年で第12回を迎えた。こども・初心者から大人まで大人気の「どうぶつしょうぎ」のイベントやライセンス事業を行っている。将棋フリーペーパー「駒doc.(こまどく)」を年4回発行。
ホームページ https://nekomado.com/
X(ねこまど将棋教室) https://twitter.com/shogischool

白瀧呉服店(しらたきごふくてん)

黒船が来航した、嘉永6(1853)年創業。店舗は練馬区にあり、「東京最大級の呉服店」と謳われ、振袖・七五三・訪問着などの礼装から紬・小紋など和服全般の販売やレンタル衣装を取扱っている。広大な敷地内には茶室や日本庭園も有する。先代(4代目)・五良氏の代より将棋界との縁が生まれ、2006年から女流棋戦「白瀧あゆみ杯争奪 新人登竜門戦(非公式戦、日本将棋連盟主催)」を後援。将棋以外にも、競技かるた大会「白瀧杯 女流かるた選手権大会」を主催。その他 茶道・能楽など和文化の継承発展に寄与。現当主・白瀧佐太郎氏は5代目。ホームページ http://www.kimono-shirataki.com/

【取材・文】
加藤裕子(かとう・ひろこ)

生活文化ジャーナリスト、ライター。早稲田大学政治経済学部卒業。女性誌編集者を経て、1999年フリーに。同年渡米し、ヴィーガンの情報を発信するThe Vegetarian Resource Group(米国メリーランド州)に籍をおき、アメリカの食文化、健康志向などをテーマに取材・執筆。現在は日本在住。日本の伝統文化探究もライフワークのひとつ(将棋は観る将)。著書に『寿司、プリーズ!~アメリカ人寿司を喰う』(集英社新書)、『食べるアメリカ人』(大修館書店)、『「和の道具」できちんと暮らす すこし前の日本人に学ぶ生活術』(ポプラ社)等がある。

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.