読み物
最終回 「ワールド・ノマド・ゲームズ(4)」
【後編】
更新日:2023/05/17
勝負はまだついていなかった
最終決戦はカザフスタンチームの勝利に終わったように見えたが……。©星野博美
最終日は日曜日ということもあり、飲食スペースは立錐の余地もないほど混みあっていた。5人全員が座れる場所を確保するのは至難の業だ。すると田上さんに向かって手招きするグループがいた。コクボル会場にいた、キルギスの男たち5人組だ。そのうちの一人は、レスリング会場で審判を務めていた人だ。私たちに席がないことを知ると、彼らはギュウギュウとお尻を寄せて席を詰め、またたく間に5人分のスペースを空けてくれた。
キルギスの人たちは、長い年月の間に様々な混血が進んでいるため、どういう風貌が典型的だとは一言で言えない。青い目をした人もいれば、日本人とさほど変わらない風貌をした人もいる。モンゴルっぽさが感じられる人もいる。田上さんに真っ先に声をかけてくれた兄さんは、若い頃の朝青龍に似ていた。
「俺たちの中で、誰が一番かっこいい?」「帽子をとったら、俺のほうがかっこいいだろ?」などと田上さんを質問攻めにし、盛り上がっている。みなさん、キルギスが負けたというのに、この余裕は何なのだろう。彼らは食事が済むと次々に席を立ち、コクボル会場へ向かった。どういうこと?
「まだもう1試合あるんだ」
事情がよくわからないまま彼らについて行き、再び会場に入った。今度は私たち全員が、彼らとともにキルギス応援団に混じって座った。ヤング朝青龍はどこかからキルギス国旗を調達してきて、私たちに手渡した。そしてスマホを見せてくれた。
まずはホーム画面にセットされた、黒いダウンジャケットを着た自撮り写真。
「これはユニクロのダウン。日本の会社だろ? 最高だよね!」
続いて馬にまたがった自撮り写真。
「これは俺の愛馬だよ。うちでは30頭飼ってるんだ」
トルコ在住ではなく、この大会のためにキルギスから来たということか?
「キルギスから飛行機に乗って来た。馬で来たんじゃないよ!」
彼が見せてくれた自宅の厩舎は赤レンガを積んだ立派な造りで、一頭一頭が広い個室に入れられていた。キルギス事情には詳しくないが、いい馬を飼って育てる裕福な人物なのかもしれない。
「これは俺がコクボルに出た時の動画だよ」
雪の降りしきる荒野に、何百、いや、下手をすると千単位の馬が集結し、押し合い圧(へ)し合いをしながらウラク──本物の山羊の死体──を奪いあう、壮絶な光景だった。男たちの熱気と馬の鼻息でもうもうと湯気が立ち上り、映像に霞がかかったように見える。
「毎年、新年になるとやるんだ」
これがコクボルの原型か……。これと比べたら、白線が引かれた馬場で行われる試合は本当にかわいいものだ。
たまたま知り合った兄さんが毎年コクボルに参加するくらいなのだから、その精鋭が揃ったナショナル・チームが弱いわけがない。キルギス人のコクボルの閾値(いきち)が異様に高いのも納得がいく。
それはともかく、これから何の試合が始まるのだろう?
「キルギス対カザフスタンだよ!」
さっき勝負がついたのでは?
「これからが本当の勝負だ」
コクボルの対戦カードの決め方は、本当に意味がわからない。だいたい、出場チームが全部で7か国という中途半端な数字だったし、キルギスとカザフスタンは今日まで一度も対戦しなかった。半分冗談で、キルギスが勝つまでやるのではないか、と思いたくなるほどだ。まだ勝負が残っていると言われたら、先ほどの敗北でキルギス応援団が淡々としていたことにも納得がいった。彼らはあと1試合残っていることを予め知っていたのだろう。つまり、午前の試合では主力を温存した可能性があるということだ。
客人に対するキルギス人のホスピタリティ
とても親切な「ヤング朝青龍」ことキルギスの兄さんたち。©星野博美
私たちの前列と前々列は関係者席で、審判と選手の関係者と思われる人たちが席を確保していた。ところが試合開始が迫ると、一人、二人と、見るからに新興富裕層のような大柄な人たちがやって来て、平気で荷物をどけ、有無を言わさず座ってしまう。関係者が抗議しても、しゃあしゃあとした顔で席を移らない。その妻と思われる高価そうな革ジャケットを着た女性もやって来て、関係者を尻でどかし、無理矢理座ってしまう。
「キルギスの新興金持ち、悪そうな顔をしてますね」と松岡さんに言うと、「どこの国でも、悪い奴はみな同じような顔をしている!」と彼女は憤慨した。
続いて、さらに押しの強そうな年配女性がやって来て、ほぼすし詰め状態となった客席を見渡し、どこかにつけいる隙はないかと品定めをしていた。彼女の視線が私たちのところで止まった。どうやら彼女が標的に選んだのは、外国人である我々のようだった。
彼女はヤング朝青龍に向かい、露骨に私たちを指さしながら、なぜこんないい席に外国人が座っているのか、自分に席を譲れ、と訴えているようだった。しかしヤング朝青龍は丁寧な口調でそれを断り、私たちを守り通した。そして周囲の客が2列目の席を自主的に詰め、彼女を座らせた。
その後も彼女はまだ腹の虫が収まらないらしく、私たちが手にしたキルギス国旗を見て、今度はそれを指さし、「なんで外国人が持っている。あれをよこせ」と再び難癖をつけ始めた。見かねた彼の仲間が、どこからか調達してきて一本を彼女に手渡し、事なきを得た。
私はヤング朝青龍に心から感謝した。ただお昼を一緒に食べただけの日本人グループを、自国の年長者に責められてまで守ってくれるなんて、なかなかできることではない。自分のユルト(テント)へ立ち寄った旅人を客人としてもてなす、遊牧民精神のようなものを感じ取った。
午後に行われた「本当の勝負」では、キルギスチームの余裕が感じられた。©星野博美
再び両国の国歌斉唱タイム。キルギス・ドリームチームは相変わらず調子っぱずれな歌唱力──というより、ほとんど雄叫び──を披露し、一方のカザフスタン・チームは、午前よりもさらに輪をかけて一糸乱れずぴたりと整列し、仁王立ちで愛国心を披露。本当にカラーのまったく異なる両国だ。そして再び、戦いの火ぶたが切って落とされた。
午前の試合では、完全に互角のように見えた両チームだったが、午後になったらキルギスが持ち直したというか、試合を優位に進めていることが素人目にも見てとれた。今これができるなら、午前にもそうできたはず、と不思議に思い、悟った。
キルギスは、慣例からもう1試合あることを見越し、人馬ともに体力を温存したのだろう。サッカーや野球でもよくあることだが、強豪チームは選手層が厚いため、試合によって二番手や控えを使う、あるいは主力選手を使うにしても短時間しか使わず、大事な試合にすべてを投入する、という作戦なのかもしれない。かなり選手層が厚くなければできない芸当だ。それに対して一方のカザフスタンは、キルギス相手に戦うには常にベスト・メンバーで臨まなくてはならないのかもしれない。
強豪国にしかできない人馬の使い分けと、あえて捨て試合も作る余裕。相当自信と実力がなければできない戦略である。
そして、キルギスが勝ち、キルギスの観客たちは狂喜乱舞した。
2022年のワールド・ノマド・ゲームズが、もうすぐ終わろうとしていた。
ノマド・ゲームズ後遺症
私たちはキルギスの兄さんたちに別れを告げ、渋滞が始まる前にイズニクを出発し、イスタンブールへ帰った。そして5人のノマド・チームはいったん解散。イスタンブール在住の3人はそれぞれの日常に戻り、松岡さんと私はトラブゾンへ向かい、旅を続けた。
黒海沿いのトラブゾンにいても、どこかにキルギスやカザフスタンやウズベキスタンの人はいないかと目で追ってしまい、いないと知って落胆する。私はこれまでトルコを2回訪れたことがあるが、こんな経験は初めてだった。明らかにノマド・ゲームズの後遺症だった。
しかし彼らは、大きな街の雑踏の中で目立っていないだけで、トルコ国内に存在していないわけではない。
私が初めてトルコを訪れた2016年は、忘れもしない、トルコにテロの嵐が吹き荒れた年だった。6月28日にアタテュルク国際空港で発生した自爆テロの犯行グループ3名は、ロシア、ウズベキスタン、キルギスの国籍だった。
そして年が明けたばかりの2017年1月1日未明、イスタンブールの高級ナイトクラブ「レイナ」で無差別銃撃テロが起きた。犯人のマシャリポフはウズベキスタン国籍で、キルギス人の居宅に潜伏していた。
トルコ国内で彼らの存在がクローズアップされる機会がテロだとしたら、トルコ在住の人たちはきっと、多かれ少なかれ、肩身の狭い思いをしてきたはずだ。
ワールド・ノマド・ゲームズはさまざまな民族、国、地域の人々が集う。©星野博美
トルコは、月並みすぎる言い方だが、複雑である。文明の十字路といった、美しい言葉では到底言い表せない。原始キリスト教が根を下ろした土地であり、正教の一大中心地でもあった。ノマド・ゲームズが開催されたイズニク、旧名ニカイアは、全地公会議が開かれた場所だった。イスラームが浸透したあとは、キリスト教徒の領域は次第に狭められ、それでも共存していたが、ギリシャ独立戦争を機にギリシャ系住民との確執が一気に表面化した。シリアで内戦が始まると、IS(イスラーム国)で訓練を受けた戦士の流入が続き、テロが頻発した。ロシアとは何度も戦争をしたものの、ロシア革命の際には大量の白系ロシア難民を受け入れた。いまでも徴兵を嫌うロシア人の逃亡先となっている。民族的には、中央アジア、そして中国の新疆ウイグルまでつながっている。
そんなトルコの抱える複雑さを、ワールド・ノマド・ゲームズが思い出させてくれた。
最初はあまりにゆるい大会運営に面食らい、戸惑いも感じたものだったが、それも含めておおいに楽しめるようになった。自分の常識を基準にしてはいけないと学ばされた。
ワールド・ノマド・ゲームズは、競うことより、集うことが重要な大会だったのではないか、と私は思っている。
多様性と類似性。世界がどれほど多様なのかを見せつけられるとともに、そこに類似性を見つけて接点を探したり、交流したりする楽しみ。
そして自分が思い描いてきた世界地図を塗り替えられたことが、一番の収穫だったと言える。
私はこれまでトルコを、「かなり東」だと漠然とイメージしてきた。しかしこの大会を通して、「思いのほか西」なのだと実感した。「かなり東」は、ヨーロッパから見た世界観に過ぎない。モンゴルの西、トルコの東に、まだ見知らぬ世界が広がっている。その世界のほんの入り口まで、馬が連れてきてくれたのだと思う。
帰国後の追記
子どもたちに大人気だった大会マスコット。©星野博美
2022年「ワールド・ノマド・ゲームズ」トルコ大会は、102か国から3000人もの選手が参加し、来場した観客はのべ10万人にのぼった。トルコはホスト国としての責任を立派に果たし、面目を保った形となった。メダル獲得の多かった国は、1位がトルコ(23個)、2位がキルギス(11個)、3位がイラン(5個)、そしてカザフスタン(4個)、アゼルバイジャン(4個)などである(トルコの通信サイト、Railly News 2022年10月3日付などより)。
そして私たちが見なかった──というより、もとより見る権利のなかった──閉会式で、2024年の次回大会はカザフスタンで開催されることが公式発表された。トルコも、「10年以内に再び開催したい」とのことだ。
さて、追記しておきたいのは、コクボルの結果である。
私たちはみな、コクボルの優勝国はカザフスタンだと信じていた。最後にキルギス・カザフスタン戦を行ったのは、本大会をこれまで3度も主催し、最大功労国ともいえるキルギスに花を持たせるための親善試合程度に思っていたのだ。相変わらず、公式サイトでも何の記載もなかった。
ところが日本に帰国して2か月あまりたった12月13日に公式サイトをチェックしたところ、突然内容が充実していて、コクボル(Kok Boru)の金メダルはキルギス、銀メダルがカザフスタン、銅メダルがウズベキスタンとなっていた。これにはたまげた。ところがこの原稿を書いている2023年4月の時点で、このページはすでに存在しない。幻でも見たのだろうか、という気持ちだ。ともあれ、試合結果の公式発表が現在は消えているというのも、おもしろい。
コクボルでは一体どこが優勝したのか。ネットで情報を探すうちに、興味深いことがわかってきた。
コーカサス地方の情報に重きを置くサイトcommonspace.euでは、「ワールド・ノマド・ゲームズ2024年大会はカザフスタンで開催」というタイトルの記事(2022年10月5日付)の中でこう記載している(以下、著者抄訳)。
「コクパルのトーナメントにおいて、カザフスタンはキルギスを4対3で破り、優勝した」
次にカザフスタンの通信サイト、el.kzを見てみよう。カザフスタン共和国の文化スポーツ大臣であるダウレン・アバイェフ氏がフェイスブックに上げた文章を転載する形で、以下のように記載(2022年10月3日付)。
「カザフスタン代表はコクパルで、鍛錬された強敵であるキルギスタン代表を4対3で下し、優勝した。優勝するまでには、ウズベキスタンを8対1、モンゴルを12対2で下した。コクパルがワールド・ノマド・ゲームズの公式競技になるのは今回が初めてであり、この優勝は歴史的快挙といえる」
キルギスのサイトを見てみよう。24.kgの記事(2022年10月3日付)。
「コクボル(kok boru)でキルギス代表はカザフスタン代表を5対0で下した。付け加えると、コクパル(kokparu)のトーナメントではカザフスタン代表に1点差の4対3で敗れ、銀メダルを獲得した」
私たちが現場で感じた通り、どうやら、優勝はカザフスタンと見てよさそうである。
ここで、「コクパル(kokparu)」と「コクボル(kok boru)」が使い分けられていることにお気づきだろうか。「コクパル(kokparu)」ではキルギスが銀メダルに終ったが、「コクボル(kok boru)」では勝った、という表現なのだ。つまり、カザフスタンが勝利した試合が「コクパル(kokparu)」で、キルギスが勝利した試合は「コクボル(kok boru)」だと主張しているのだ。
大会初日に会場で、試合のルールを決めるのに審判団が揉めに揉めていたことが思い出される。キルギスが折れて最大公約数的な方式でトーナメントが行われることになり、だから負けたが、キルギス方式で行ったのが最後のキルギス・カザフスタン戦であり、それには勝った、というニュアンスが感じとれる。
ちなみにワールド・ノマド・ゲームズの公式サイトでは、前述のように競技名はKok Boruとなっている。
コクボルの世界は、本当に摩訶不思議である。
ワールド・ノマド・ゲームズは2年に一度の開催なので、意外と忙しい。次の2024年カザフスタン大会にも、チームで出かけるつもりだ。
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この「馬の帝国」は、2020年4月から連載がスタートした。初回原稿を書いているさなか、新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。
まず過去の旅の回想をしながら、2020年9月に行われる予定だったワールド・ノマド・ゲームズのトルコ大会に行き、そこから本格的に「旅」を始める構想だった。ところが実に2年半以上も日本から出られなくなり、連載期間がそこにすっぽり入ってしまった。日本から出られないので、日本にいながらできることをするしかない。連載では、過去に行った旅の回想を掘り下げ、そして日本を代表する馬文化の一つである、相馬野馬追の物語を書いた。苦肉の策ではあったが、野馬追に出場する人々と出会い、浪江町と縁ができたことは大きな喜びだった。
結果として、「始まり」だったものが「終わり」に登場し、自分としては「馬と帝国」を考えるスタート地点に、ようやく到達した感じがする。宿題として残された形だ。旅はまだまだ続く。

星野博美(ほしの・ひろみ)
ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)、『旅ごころはリュートに乗って――歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)などがある。最新刊『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。