オバマ大統領とフロストの詩
京都府立大学教授 出口菜摘
1961年1月20日、連邦議事堂で行われたジョン・F・ケネディ大統領の就任式で詩を朗唱するロバート・フロスト。
 オバマ大統領回顧録『約束の地』は、大空への飛翔を謳う2つの題辞から始まる。黒人霊歌からの一節と、アメリカの国民的詩人ロバート・フロスト(1874-1963)の「キティホーク」からの引用である。素朴な自然風景に人生の洞察を描きこむフロストの作品は、美智子上皇后が愛読されていることで、日本でも知られている。
 フロストの詩は、この回顧録を豊かに彩る。「キティホーク」とは、ノースカロライナ州北東部の村で、1903年にライト兄弟が初飛行に成功した地である。フロストは飛行50周年の際にこの地を再訪し、翌年に同詩を執筆した。いくつかのヴァージョンが存在するが、題辞は第9詩集『森の開拓地で』(1962)からのものと考えられる。この詩は、ライト兄弟の飛行を主旋律として、詩人の少年の頃の記憶や詩作への想い、さらにアメリカを駆動するフロンティア・スピリットのテーマが響きあう。この詩が書かれた50年代後半から60年代初頭は、米ソ冷戦を背景に、フロンティアの意識が宇宙空間へと広がった時期であり、無限の可能性への憧憬が詩人のまなざしに宿っている。
 さらに、フロストの詩が蘇らせるのは、オバマ氏が生まれた1961年に、史上最年少で第35代大統領に就任したジョン・F・ケネディ大統領である。今年1月、バイデン大統領就任式で、22歳の青年桂冠詩人アマンダ・ゴーマンが「わたしたちの登る丘」を朗唱したことが話題となったが、就任式での朗読はケネディ大統領時代のフロストを嚆矢とする。彼は新しい時代の幕開けを、自作の詩「惜しみない贈物」で言祝いだ。オバマ氏は選挙戦において、自身とケネディを重ね合わせるイメージ戦略で、政治経験が乏しいという批判を、若々しさへと読みかえたことが思い出されるが、フロストを介することで、両者の結びつきがいっそう強くなる。
 またフロストはケネディの要請で、1962年に親善使節としてソ連へ赴き、フルシチョフ首相と会談している。フロストは首相に「偉大な国は、素晴らしい詩を生み出す」と語り、東西ドイツの統一や両陣営の相互理解を訴えた。オバマ氏は2011年の国民芸術勲章授与式のスピーチでこのエピソードを紹介し、合衆国の礎に言葉があること、国家における詩人の大切さについて語っている。フロストの至言が、オバマ氏によって体現されていることは言うまでもない。彼は、数々の名スピーチを行っただけではなく、オキシデンタル・カレッジ時代に「ポップ」や「地下」という詩を学内の文芸誌に寄せている。オバマ氏自身が、アメリカが生み出した詩人なのである。フロストの至言は「素晴らしい詩は、偉大な国をつくる」と続く。深い情感と知性あふれる『約束の地』を繰ると、フロストの発言が、確かにここに実現されていると実感する。
  • 出口菜摘(でぐち・なつみ)
    京都府立大学文学部教授。専門は英米詩。『約束の地』"Kitty Hawk"監訳。
    訳書にマーガレット・アトウッド 『サークル・ゲーム』、共著に『反知性の帝国ーアメリカ・文学・精神史』『モダンにしてアンチモダンーT. S. エリオットの肖像』等。