辻惟雄先生に訊く! やまと絵――四季ある日本の心象 辻 惟雄

第1回

「最古」が「最高」? 平安時代、12世紀の絵巻

更新日:2023/11/08

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東京国立博物館で2023年12月3日まで開催されている特別展『やまと絵 -受け継がれる王朝の美-』。「日本史で習ったような気もするけれど……」という方のために、2回にわたってやまと絵の概要を解説します。第1回は、11月中旬に鑑賞可能な『信貴山(しぎさん)縁起絵巻』と『源氏物語絵巻』をクローズアップ。

『鳥獣戯画断簡』◆ 重要文化財 平安時代・12世紀 紙本墨画 30.8×83.3cm 東京国立博物館蔵
※展示は10/24~12/3 出典:https://colbase.nich.go.jp/
擬人化された動物たちの姿がユーモラスな『鳥獣戯画』(甲巻)の断簡。画面左の点々は風に散る萩の花。蛙が田楽を舞う第15紙と、見物客のウサギ、キツネ、イタチらが登場する第16紙の間に存在していたと思われる。

「やまと絵」の始まりは和歌文学とともに

――「やまと絵」というキーワードをタイトルに掲げた、大規模な特別展が東京国立博物館で開催されています。「やまと絵」というと繊細優美な日本の絵というイメージですが、いつごろ誕生したのでしょう?
平安時代、9世紀の後半には漢詩にかわって和歌文学がさかんになります。すると、それまでの中国風の絵に漢詩文を添えた屛風に倣って、「屛風歌」が流行しました。日本の四季の風景、風物などを描いた屛風絵に合わせて和歌を詠むという遊びで、その歌を色紙に書いて屛風に貼り付けることもありました。こうして日本の景物も絵に描かれるようになったことで、個別の絵の画題が中国的か日本的かを区別するために、「唐絵(からえ)」「やまと絵」という言葉が使われるようになったのです。
――様式や描き方ではなく、単に絵のテーマの違いということなのでしょうか?
そういうことですね。それ以前は、宗教画にせよ世俗画にせよ、大陸由来の技法でもって異国の風景、風物を描くことが中心でした。大雑把に言えば、奈良時代までの絵は大陸から伝来したものか、日本で中国風に描いたものかのいずれかで、ほとんどが唐絵だったのです。そのため、わざわざ分類する必要もなかったということですね。

『絵因果経』(部分) 重要文化財 奈良時代・8世紀 紙本着色 26.4×115.9cm 奈良国立博物館蔵
出典:https://colbase.nich.go.jp/
本紙を上下に二分割して、下段には唐風の楷書体で経文を綴り、上段にその絵解きを表した経巻。いくぶん稚拙さが感じられるが、初唐の中国画を下敷きにした表現が見られる。

――案外、緩やかなグルーピングなんですね。
平安時代の古い屛風の形式を伝える遺品に、『山水(せんずい)屛風』というものがあります。現存最古の唐絵屛風である「京博本」(平安時代・11世紀)と、現存最古のやまと絵屛風である「神護寺本」(鎌倉時代・13世紀)は、小さな図版で見る限りは同じような絵に見えるでしょう。一番の違いは、描かれている建物や人物が中国的か日本的かどうかなんですよ。

『山水屛風』 国宝 平安時代・11世紀 六曲一隻 絹本着色 各扇146.4×42.7cm 京都国立博物館蔵 ※展示終了
出典:https://colbase.nich.go.jp/

『山水屛風』 国宝 鎌倉時代・13世紀 六曲一隻 絹本着色 各扇112.1×41.8cm 京都・神護寺蔵 ※展示終了
いずれの作品も、絵は全体として連続しつつも一扇ごとに縁取りがあるという、古い屛風の形式をとどめている。京博本に登場するのは中国の人物で、風景もいくらか遠近感があり、唐時代の「青緑山水」の作風を伝える。神護寺本は日本の秋の風景が描かれ、手前から奥への遠近感はさほど強くない。

――これらが最古級ということは、やまと絵勃興期の屛風は残っていないんですね。
障子や屛風は実用の調度品でもあったので、傷めば廃棄されてしまいます。しかし、文献をたどると、ずいぶん色々な絵が描かれていたようです。名所や四季の風景といった画題ばかりでなく、頬杖をついて物思う女性だとか、男女のけしからぬ事だとか(笑)、なんだか喜多川歌麿の浮世絵美人や春画を思わせるようなものも記録には出てきます。
――現世的、世俗的な題材を扱うのが、やまと絵ということになるのでしょうか?
あまり定義にこだわると、かえってややこしくなるかもしれません。仏画にやまと絵的な表現が出てくることもありますよ。11世紀半ばに平等院鳳凰堂の扉や壁に描かれた来迎図は、全体として四季の移ろいを追う構成をとっていますし、日本の貴族の邸宅も登場します。
――なるほど、「日本に生きるこの私自身」を阿弥陀様に救ってほしいわけですから、異国風に描くわけにはいきませんね。
まさにそういうことです。自分たちの姿が出てくる以上は、唐絵ではなくやまと絵。唐絵とやまと絵では服装が違いますから、人物画が一番はっきりしていますね。

連続画面と独自の構図が素晴らしい、院政期の絵巻

――さて、日本の風景、物語を描いたやまと絵の代表格として必ず挙げられるのが12世紀の絵巻群です。
絵巻に関しては、現存する作品のうちで一番古いものが一番すごいと言っても過言ではありません。『伴大納言絵巻』上巻の応天門炎上と、『信貴山縁起絵巻』の「延喜加持巻(えんぎかじのまき)」の飛行シーンは、日本絵画史上の二大表現ではないでしょうか。
――「延喜加持巻」は、信貴山の高僧・命蓮(みょうれん)が醍醐天皇の病平癒のために遣わした護法童子が天を翔ける、爽快な場面が印象深いですね。

『信貴山縁起絵巻』(延喜加持巻、部分)◆ 国宝 平安時代・12世紀 紙本着色 31.8×1285.4cm 奈良・朝護孫子寺蔵 ※展示は11/7~11/19 (写真は原寸大複製)
上は護法童子が内裏に到着するところ、下はそれに続く飛来の場面。「この童子がどうやって来たかというと……」と種明かしするような提示順をとる。詞書(ことばがき)には、童子の移動方法についての説明は皆無。飛行中は輪宝が回転し、内裏到着の際には童子がその上に乗ってホバリングするなどの細かい設定は、絵師のアイデアなのだろう。山々の紅葉も美しい。

遠くからビューーッと飛んで来るこの描写がすごいですよね。先日、マラソンのテレビ中継を見ていたときに、ふと信貴山から内裏までの距離が気になって計ってみたんですが、直線距離でおよそ45km。マラソンの全行程と同じくらいなんです。今、男子マラソンの世界記録が2時間ちょっとですか? この描き方からすると、護法童子はあっという間に到着したでしょうね(笑)。
――その航跡がずーっと引かれて、現代のストーリー漫画でいう「見開き一枚絵」のようです。迫力とワイド感から言えば、二見開きぶち抜き相当かもしれません。
航跡の線は定規で引いていますね。そのさらに奥には雁の群れが飛んでいて、遠くまで点々と続いていて、これがまたおもしろい。最後の方は、本当にちょんちょんちょんという点になっているんですよ(笑)。

『信貴山縁起絵巻』(延喜加持巻、部分)◆ 国宝 平安時代・12世紀 紙本着色 31.8×1285.4cm 奈良・朝護孫子寺蔵 ※展示は11/7~11/19 (写真は原寸大複製)

――飛行する童子からここまでの1シーンの横幅は、125cmくらいあります。
日本の絵巻というのは、通常ですと60cmくらいずつ繰り広げて見るものです。見終わったら巻いて、また次の場面を繰り広げる。巻くことによって時間が経過していき、次に現れるのは物語の先の場面である、ということになります。
――護法童子の場面では、先に内裏への到着を描いていて、あえてその時間の流れを破った構成ですね。そして、普通の鑑賞ペースで進んできたら、「お?」「おお?」「おおおお~~!」と、どんどん広げたくなります(笑)。
手元で繰り広げる通常の幅では、全体を見ることはできませんからね。ものすごい空間表現だと思います。それともうひとつ、この超速でくるくる回る輪宝がいいんですよ。

『信貴山縁起絵巻』(延喜加持巻、部分)◆ 国宝 平安時代・12世紀 紙本着色 31.8×1285.4cm 奈良・朝護孫子寺蔵 ※展示は11/7~11/19 (写真は原寸大複製)

――回転を示す効果線が入っていますね。
この輪宝があることで、すごくスピード感が出ているでしょう? その部分を隠してご覧になると、ずいぶん印象が違うはずですよ。
――確かに! 航跡の長さだけではここまでの感動にならないんですね。そして、地上には菜摘をする人がいますが、上空の童子には気づいていないという演出です。しかし、右の女性が負ぶっている赤ちゃんだけは……、空を見ているふうではありませんか?
赤ちゃんが見上げている? ああ~、そうかもしれない。おもしろいですねえ(笑)。相当な想像力がないと、こんなふうには描けませんね。絵巻の中では最も古い部類の作品がこれほどの表現に達しているというのは、本当に驚くべきことですよ。
――特別展『やまと絵』の会場で、改めて現物に見入りたいと思います。ところで、中国に絵巻のお手本のような作品はなかったんでしょうか?
まったくなかったわけではないと思いますが、あちらの遺品は日本よりさらに少ないですから。中国絵画の専門家の古原宏伸さんが日本の絵巻との比較から論じられるところでは、中国の画巻は概して、画面が連続せずに区切られる傾向にあって、登場人物の描写はどこかパレードのようである、ということなんですね。もちろん例外はありますが。
――中国画は合理的な空間、写実性を重視しますから、日本の絵巻のように緩やかに空間を繋げていく、連続的な画面構成は苦手かもしれません。
それはありますね。また、場面ごとに分かれている『源氏物語絵巻』にしても、あんなふうに天井を取り払って描く「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」の構図というのは、中国では出てこないような気もするんです。遺品がないので、「あった」とも「なかった」とも言い切れませんが。
――日本のように後世に継承されていない点は重視してよいかもしれません。もうひとつの「パレードのような人物描写」というのは、日本の絵巻の人物ほどいきいきと表情豊かではない、ということですか?
その通りです。「この先に何が起こっているんだろう?」という群衆の心理描写でもって応天門の炎上まで巧みに誘導する『伴大納言絵巻』であるとか、先ほどの『信貴山縁起絵巻』の童子の飛行の表現に関しては、日本ならではと言ってもいいと思うんですよ。鎌倉時代の『古今著聞集』に絵というものは“閑中の玩”であると書かれていますが、12世紀の絵巻はまさにそういう性質のものです。一方、中国では倫理道徳的な観点から絵を見るようなところがあって、日本の絵巻のように、ある種漫画的な表現というのは、言ってみれば邪道なんですよね。
――国宝級の絵巻の内容が楽しくて、笑って見るなんてことは……。
ちょっと考えにくいでしょうね。中国では、小説や物語の類もどちらかといえば大衆的なものとして扱われました。物語を連続性のある画面に仕立てた絵巻は、日本で独自に発展させたものと見てよいでしょう。『源氏物語絵巻』については、場面ごとの詞書と絵とで構成されているので、中国の画巻に近いとも言えますが。
――各帖の象徴的な場面集のような体裁ですね。
この作品に関しては、連続場面として描く必要がないですからね。かつての私は、『源氏物語絵巻』についてはどうも動きがない絵だなと苦手だったのですが、年を取って、その素晴らしさがわかるようになりました。彩色がかなり剝落しているものの、「宿木(三)」のゴーストのように風に揺れる秋草は元の線描の美しさをとどめていますし、黒ずんだ銀のむらむらも、匂宮の奏でる琵琶の音に呼応するようです。

『源氏物語絵巻』「横笛」◆ 国宝 平安時代・12世紀 紙本着色 22.9×39.1cm(絵のみ) 愛知・徳川美術館蔵 ※特別展『やまと絵』で11/7~11/19に展示
柏木の亡霊が夕霧の夢に現れ、それに怯えて夜泣きをする幼子。その子に乳を含ませる雲居雁(くもいのかり)の様子を、駆け付けた夕霧がうかがう場面。

――学生時代に、「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」とセットで覚えました。
男女差がはっきりしない独特の面貌表現ですね。昔の貴族が皆こんな顔だったわけではないと思うんですが、貴族階級の人物の描き方として定着しました。それと、『源氏物語絵巻』は、絵の中の絵、「画中画」から当時の障屛画のありようを知ることができる点でも貴重です。東京国立博物館の特別展『やまと絵』に出品される「横笛」では、障子がかなり大きく描かれています。これは険しい風景だから、唐絵なんでしょう。
――資料的な見方もできるのですね。話は変わりますが、先生の大学時代の後輩である高畑勲監督の映画『かぐや姫の物語』は、日本の絵巻を徹底的に研究した作風でした。先生はご覧になりましたか?
ええ、見ました。普通のアニメと違って、筆勢を感じさせるような輪郭線で人物を動かしていて、大変なものを作られたなと思いました。高畑さんは、私が館長時代の千葉市美術館に突然ふらっと顔を出されたことがあって、「日本美術とアニメ、漫画の展覧会をやりませんか」とこんこんと説得されたんですよね。そのとき、絵巻についての鋭い考察も伺いました。映画の中にも、実際の絵巻を髣髴させるところがあって、石作皇子がかぐや姫に求婚に来た場面などは、徳川美術館で展示される『源氏物語絵巻』の「東屋(二)」を下敷きにしていると思います。

『源氏物語絵巻』「東屋(二)」★ 国宝 平安時代・12世紀 紙本着色 21.5×48.9cm(絵のみ) 愛知・徳川美術館蔵 ※徳川美術館で11/18~26に展示
浮舟が身を寄せる三条の小家を訪ねてきた薫。弁の尼が会うように浮舟を説得するのを、薫が簀子縁で待つ。外には傘も描かれ、雨が降っていることを示している。

――『伴大納言絵巻』や『信貴山縁起絵巻』の巧みな場面展開は必ずしも後世の絵巻に受け継がれていないようですが、『源氏物語絵巻』については、「源氏絵」というひとつのジャンルを形成しますね。
昔、美術史学会のシンポジウムで、「日本の絵画に古典はあるか?」ということが話題になりまして、そのときは「俵屋宗達はどうか?」というような意見があったんですけれども、この『源氏物語絵巻』こそ、日本の絵画の古典ではないでしょうか。「やまと絵」という言葉からまず想起されるべき作品でもあると思います。

次回は室町時代のやまと絵屛風を中心にお話しいただきます。

◆をつけた作品はこちらの展覧会で鑑賞できます。
特別展『やまと絵 -受け継がれる王朝の美-』
東京国立博物館 平成館
~12/3(会期中に一部作品の展示替え、巻き替えあり)
開館時間/9:30~17:00(金・土曜は~20:00)※最終入場は閉館1時間前まで
休館日/月曜(本展のみ11/27は開館)
観覧料/一般2100円ほか(※土・日曜と祝日は日時指定の事前予約制。当日券販売なし)
東京都台東区上野公園13の9
https://yamatoe2023.jp/
★をつけた作品はこちらの美術館で鑑賞できます。
特別公開『国宝 源氏物語絵巻 竹河(一)・東屋(二)』
徳川美術館
11/18~11/26
『源氏物語絵巻』を所蔵する徳川美術館による秋恒例の特別公開。全15場面から点数を絞って展示する。
開館時間/10:00~17:00(※入館は16:30まで)
休館日/月曜
観覧料/一般1600円ほか
愛知県名古屋市東区徳川町1017
https://www.tokugawa-art-museum.jp/

 

著者プロフィール

辻惟雄(つじ・のぶお)

美術史家。東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授。1932年、愛知県生まれ。1961年、東京大学大学院博士課程中退。東京国立文化財研究所美術部技官、東北大学文学部教授、東京大学文学部教授、国立国際日本文化研究センター教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長、MIHO MUSEUM館長を歴任。2016年、朝日賞受賞、文化功労者に選出される。2018年、瑞宝重光章受章。1970年刊行の『奇想の系譜』(美術出版社)により、歴史に埋もれつつあった近世の絵師たちに光を当て、今日の若冲をはじめとする江戸絵画ブームの先鞭をつけた。「かざり」「あそび」「アニミズム」をキーワードに、日本美術を幅広く論じている。その他の著書に、『若冲』(講談社学術文庫)、『奇想の図譜』『あそぶ神仏:江戸の宗教美術とアニミズム』(ともにちくま学芸文庫)、『日本美術の歴史』(東京大学出版会)、『辻惟雄集』全6巻(岩波書店)、『奇想の発見:ある美術史家の回想』(新潮社)がある。

撮影/荒井拓雄(辻先生) 取材・文/編集部

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