辻惟雄先生に訊く! 応挙門下の「鬼っ子」絵師 長沢芦雪 辻惟雄

第3回

稀代のエンターテイナー、画戯笑覧②

更新日:2023/10/25

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円山応挙門下の鬼才、長沢芦雪。その作品の魅力を紐解く3回目は、辻先生ゆかりの作品も登場します。読了後は、ぜひ、大阪中之島美術館と京都・嵐山の福田美術館の展覧会で、現物をご覧ください!

長沢芦雪『人物鳥獣画巻』(部分)◆ 江戸時代・18世紀 紙本着色 31.1×1610.1cm
京都国立博物館蔵 ※展示は11/19まで 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/
中景には、巨大な鯛を釣り上げたばかりと思しきえびす様の姿が。それを見遣るように、手前の岩の上に亀が1匹。『鯛図』のモチーフは若い頃の作品にも登場している。

――大阪中之島美術館での『特別展 生誕270年 長沢芦雪―奇想の旅、天才絵師の全貌-』には、辻先生ご旧蔵の『鯛図』が展示されるそうですね。入手の経緯を教えてください。
それがですね……、自分で購入したという覚えはまったくないんですよ。軸物の棚を整理しているときに、「おや、見知らぬ箱がある」と見つけたんですが、どうも記憶にない。作品調査のためにコレクターさんの御宅へ伺うことはありますから、何かそういうご縁でいただいたんだろうかと思います。

長沢芦雪『鯛図』◆ 寛政九(1797)年 紙本墨画淡彩 117.4×31.4cm 京都 福田美術館蔵 ※前期展示
吊るされているのは「懸鯛」といい、正月や祝い事、えびす講などで飾られたもの。「えびす講」はえびす様を祀る年中行事で、商人は商売繁盛を祈念して宴を開いたという。添えられた記録によると、本作が描かれたのは1797年の旧暦10月20日、「えびす講」の日であった。

――「『奇想の系譜』、読ませていただきました。よろしければ、こちらお持ちください」、などと。
おそらく『奇想の系譜』の後だとは思うんですよ。ただ、その後10年くらいは東北大学勤務で仙台にいましたから、東京に戻ってからのような気もするんだな。しかし、それならもう少し覚えていてもよさそうだけど……。
――それだけ芦雪にご関心がなかった?
う~ん、そういうことになってしまいますか(笑)。しかし、この絵がおもしろいのは、最初の所有者の書付が残っていることなんですよ。前回お話しした、人を楽しませるという絵師の役割がよくわかるものでね。
――座興にのってその場で描く絵のことを「席画」と言いますが、これも席画ですね。
そうなんです。書付によると、持ち主が仲のいい4、5人の客を呼んで宴会をしていたところに、芦雪とこの賛書きの鶴洲という人物が乗り込んできて、皆が見ている前で人数分の席画を描いたらしい。その中で、自分は一番おもしろいと思うものを選び、残りを銘々の客人に持って帰ってもらったと。制作時の事情がわかる絵という点で、貴重だと思うんです。絵を見ても、鯛なんかその場で描いたにしてはやっぱり上手いし、亀もなかなかでしょう。
――えびす様の象徴としての鯛と長寿の亀で、吉祥画なんですね。
えびす講の宴席だったようで、それがいつのことだったかも書付にちゃんと書かれています。芦雪が亡くなる2年前の制作ということで、その頃にもこんなことをして食い扶持を稼いでいたということがわかる点で、おもしろいものですよ。いただき物ですから、縁のある美術館に寄付をさせていただきました。
――もうひとつ、吉祥画ということでは、京都の福田美術館の展覧会には『大黒天図』が出品されます。『奇想の系譜』の読者にはおなじみの作品で、公開は52年ぶりとのこと。
私は、『奇想の系譜』を書いていたときには現物を見ていなかったんですよね。その後、展覧会に出たときに初めて対面して、大きい絵だなと驚きました。絵の大きさというのは記憶があるもので。

長沢芦雪『大黒天図』★ 江戸時代・18世紀 紙本墨画 164×98cm 京都 福田美術館蔵
望遠レンズの圧縮効果を思わせるような構図が特徴的な大作。大黒天は強い曲線で縁取られ、本来なら持物として別に描かれる袋を髣髴させるよう。左脚下の黒いぐるぐるは沓のつもりだろうか。周到さと大胆さが混在した描写が芦雪らしい。

――モノクロ図版ですと妙にフラットというか、かなりのっぺりした印象でしたが、カラーで見ると、迫力のある描きぶりですね。
確かに、図版だとまったく遠近感がなくて何かおかしいんじゃないかと思うような絵なんだけれど、実物を見るとそうでもないんですよ。背中の線と左脚の曲線が呼応していて、なかなかおもしろい。
――こちらも南紀時代の作品なんですね。
そうだと思います。しかし不思議な絵だよねえ。真正面から画面いっぱいに大黒様という構図で、まるで立体感がない描き方でしょう? 例の片目の視覚によってこうなってしまうのかわからないけれども、あえて真正面向きに描くのは、自分のハンディを逆手に取っていると言えるかもしれません。両目とも視覚に問題がなければこうは描かないだろうと、私は思うんですよね。立体の描写としては「何だこれ?」となるんだけど、実際に見るとそれほど不自然な感じはしないんですよ。
――その点は、無量寺の『虎図襖』と共通しますね。部分は平面的にもかかわらず、その集まった全体では不思議と独特の存在感を発揮するという……。
それこそ、芦雪からしたら、「どんなもんだい!」ってことなのかもしれないね(笑)。「石に三面を見る」と言って律儀に立体感を描いていた応挙とは、そこが違います。
――二次元と三次元のあわいを自覚的に攻めていたとしたら、大したものです。
そして、主役の大黒天の下のほうにはネズミがちょろちょろしていて、これだけでも見飽きません。白いネズミは、薄墨地を抜いて描いていて、かなり手が込んでいます。こういうお楽しみも、師匠の応挙にはない感覚です。世代の違いということもあるだろうけれど、芦雪にはより強い自意識のようなものを感じますね。応挙はもっと普遍的な、典型みたいなものを作りたいと思っているから、こういうことには手を出さなかった。
――その芦雪の自意識の極が、晩年の『山姥図』(重要文化財、嚴島神社)やメトロポリタン美術館の『山水唐人物図屛風』のようなグロテスクな作風につながったようですね。幽霊図も、応挙の場合は美人画の延長なのに対し、晩年の芦雪のものはやはり不気味ですし。

長沢芦雪『山水唐人物図屛風』 江戸時代・18世紀 六曲一双 紙本金地墨画 各171.1×372.7cm メトロポリタン美術館蔵
The Harry G. C. Packard Collection of Asian Art, Gift of Harry G. C. Packard, and Purchase, Fletcher, Rogers, Harris Brisbane Dick, and Louis V. Bell Funds, Joseph Pulitzer Bequest, and The Annenberg Fund Inc. Gift, 1975
左隻に見られる、南紀時代の記憶が根底にあるであろう奇岩の描写のインパクトが強烈。晩年の作品には屈曲する小さな樹木の繰り返しが多く、右隻のような平穏な風景の中にもどこか奇矯な雰囲気が漂う。

その一方で、芦雪は朧月のような詩情豊かな光の世界も描いているんですよね。とはいえ、それに関しては、以前のインタビューで応挙の作品を挙げたように、“応挙のそっくりさん”とも考えられます。もちろん、師匠から弟子へという通常の影響関係とは反対に、応挙のほうが芦雪の描いたものをおもしろいと思って取り入れることもあったかもしれないけれど、ちょっとそこまでのことはわからないですね。

長沢芦雪『月夜山水図』◆ 重要美術品 江戸時代・18世紀 絹本墨画 98.5×35.5cm 兵庫県立美術館蔵(穎川コレクション) ※後期展示
芦雪には、幻想的な月明かりの効果を捉えた絹本画が多い。本作も実景の再現というよりは月夜の心象というべきもの。にじみとぼかしの表現を突き詰めた抽象画のような作例もある。

――あくまでも有名な絵からの推測ですが、その手のにじみやぼかしを活かした構成の作品は、応挙の場合は紙本が中心で、芦雪は絹本を選ぶ傾向が強いようです。芦雪は、絹地の透ける効果を理解した上で描いていたのでは?
なるほど、芦雪はマチエール(=絵肌、材質感)も考慮して、一段進めているんだと。確かに芦雪のこの手の絵には数があるし、いろんなものを月に添えて描いていますね。応挙はそこまではやらなかった。中でも、この『月夜山水図』は昔から名高いものです。しかし、実際こんなふうに松が見えるでしょうか。シルエットにしては淡いし、現実にはあり得ないと思うんだけれど。
――「透けた松」という絵空事があってこその風情、とも思えます。
おっしゃるように、確かに成功しているんですよね。後の歌川広重を思わせます。考えてみると、芦雪はその短い生涯において、相当幅広い仕事を残しました。プライスさんが言ったように、「もし長生きをしていたら……」という想像もありうるんだけど、この人はものすごいエネルギーでもって、与えられた人生の中でやり切ったという感じがします。その全貌を知る上で、この秋の展覧会はいい機会になるのではないでしょうか。
――全部見るには前期・後期とも行かなくては、ですね。今回もお話しいただきましてありがとうございました。
◆をつけた作品は、こちらの展覧会で鑑賞できます。
『特別展 生誕270年 長沢芦雪 ―奇想の旅、天才絵師の全貌―』
大阪中之島美術館 4F展示室
2023年10/7~12/3 (前期:10/7~11/5 後期:11/7~12/3)
開館時間/10:00~17:00
休館日/月曜
観覧料/当日一般1800円ほか
大阪府大阪市北区中之島4の3の1
https://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/
※2024年2/6~3/31には、九州国立博物館に巡回予定。
★をつけた作品は、こちらの展覧会で鑑賞できます。
『ゼロからわかる江戸絵画 ―あ!若冲、お!北斎、わぁ!芦雪―』
福田美術館(京都・嵐山)
2023年10/18~2024年1/8 (前期:10/18~12/4 後期:12/6~1/8)
開館時間/10:00~17:00
休館日/12/5、12/30~1/1
観覧料/当日一般・大学生1500円ほか
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3の16
https://fukuda-art-museum.jp/

 

著者プロフィール

辻惟雄(つじ・のぶお)

美術史家。東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授。1932年、愛知県生まれ。1961年、東京大学大学院博士課程中退。東京国立文化財研究所美術部技官、東北大学文学部教授、東京大学文学部教授、国立国際日本文化研究センター教授、千葉市美術館館長、多摩美術大学学長、MIHO MUSEUM館長を歴任。2016年、朝日賞受賞、文化功労者に選出される。2018年、瑞宝重光章受章。1970年刊行の『奇想の系譜』(美術出版社)により、歴史に埋もれつつあった近世の絵師たちに光を当て、今日の若冲をはじめとする江戸絵画ブームの先鞭をつけた。「かざり」「あそび」「アニミズム」をキーワードに、日本美術を幅広く論じている。その他の著書に、『若冲』(講談社学術文庫)、『奇想の図譜』『あそぶ神仏:江戸の宗教美術とアニミズム』(ともにちくま学芸文庫)、『日本美術の歴史』(東京大学出版会)、『辻惟雄集』全6巻(岩波書店)、『奇想の発見:ある美術史家の回想』(新潮社)がある。

撮影/荒井拓雄(辻先生) 取材・文/編集部

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