渡辺明名人と佐藤天彦九段が白瀧呉服店でトークショー
~「棋士にとっての着物」とは?~ 【後編】
※前編から続きます。
【前編】に引き続き、2022年7月23日に開催された「渡辺明名人&佐藤天彦九段『棋士と和服』プレミアムトークショー」(於:白瀧呉服店、主催:㈱ねこまど、聞き手:七月隆文)の模様をお届けする。
「観る将」も注目する両棋士の着物がどのように作られてきたか、また対局相手の着物のどこが気になるかなど、貴重なエピソードが満載だ。
対局相手の着物、どこを見ている?
対談前半で渡辺名人と佐藤九段が着ていたのは、ふたりが初めてタイトル戦で相対した第41期棋王戦第2局(2016年2月)のもの。渡辺名人はごく細い縞の紺色の紬(つむぎ)の着物に亜麻色の真綿紬の羽織、佐藤九段は唐草菱(からくさびし)の地模様、薄紅藤の濃淡ぼかしの着物に蘇芳(すおう)色の大島紬の羽織と、ふたりのそれぞれの個性を引き立てるコーディネートだ。
写真は第41期棋王戦第2局(2016年2月)。
今回のトークショー前半では、渡辺名人、佐藤九段とも、この時のコーディネイトで登場。ふたりの羽織の色は、当時の季節柄もあり、紅梅・白梅を思わせる。
対局時の記録係は、プロ入り1年目の梶浦宏孝七段(当時四段、写真左端)。
ちなみに、対局中、棋士は盤面に集中していると思いきや、対局相手の着物姿はやはり自然に目に入るらしい。実はさりげなく着こなしなども見ているというふたりの話からは、棋士の並外れた観察力もうかがえる。
- 渡辺名人:
- これはスーツでの対局のときにも言えることですが、対局中はずっと盤上を見ているので、どうしても相手のこのへん、そう、ネクタイのあたりが目に入るんです。別にチェックしているつもりはないんですけど、1日対局している間、ずっとそこが視界に入っているので、なんとなく相手の着付けの仕方とかは見てしまいますね。
- 佐藤九段:
- 確かに。たとえば袴の紐がきっちり結べているかどうかとか。
- 渡辺名人:
- ちゃんと十字にできてるかコイツは、みたいな(笑)。
- 佐藤九段:
- きれいに結ぶのは、けっこうコツがいりますからね。
- 渡辺名人:
- 袴の紐ってここ(おへそのあたり)で結ぶんです。僕は今日、白瀧さんに着付けてもらったのできれいになってますけど、自分でやるとなると、慣れるまでなかなか難しいんですよ。
トークショー後半に「お色直し」をし、改めて登壇したときのふたり。袴の紐はきれいな十文字に結ばれている。
- 渡辺名人:
- あとは、羽織紐にも目がいきますね。今日の天彦さんの羽織紐はふさふさした房がついているもので(編集部注:トークショー前半に着た羽織の紐)、これが王道なんだと思いますけど、今僕が着ているものは房がないもので、羽織紐ひとつとっても、いろんなタイプがあるんですよ。
こちらはトークショー前半のおふたり。羽織紐は大きく分けて3つのタイプがあり、佐藤九段の羽織紐は立体感のある紐を結んだ「丸組」、渡辺名人の羽織紐は「無双」と呼ばれるものだが、さらに平織の羽織紐を結んだ「平組」というタイプもある。なお、羽織紐の両先端には金具がついており、羽織に縫い付けられたループにフックをひっかけて着装できる。羽織、羽織紐を複数持っていれば、違う組み合わせも楽しむことができる。
- 渡辺名人:
- この前の王位戦(第63期王位戦)第2局で豊島君(豊島将之九段)がオレンジの羽織紐で、「珍しいな」と思いました。
- 佐藤九段:
- それは目を引きますね。普段の対局のスーツ姿でも、やっぱりネクタイや着こなしに個性が出るなと思って見てますけど、着物もそれと同じようなところがありますね。
渡辺名人の目にとまった豊島将之九段の羽織紐は、房のついた平組のタイプ。さわやかなグリーン系の羽織に橙色の羽織紐が鮮やかに映えていた。
こだわりが光る、佐藤九段の着物
着物というと何かと堅苦しいルールがあるとのイメージを持つ人も多いが、見ていると、棋士の着物はもっと自由なもののように感じられる。
多くの棋士の着物を手掛ける白瀧呉服店5代目店主・白瀧佐太郎氏が、
「茶道など相手やその道の流儀がある場合はその規則に従った衣装選びをするべきだと思いますし、ご流儀でどういったものを着ればいいのかと、お客さまが迷われたときに、『正解』を教えて差し上げるのが呉服店の務めです。ただ、それ以外に個人で楽しむ分には着物(着る物)なので、ご自身が楽しめる衣装で良いと思っています」
と言うように、棋士の着物の見どころは、やはりそれぞれの個性に合った装いだ。
そして、個性が光る着物と言えば、佐藤九段の右に出る棋士はいないだろう。今回展示された紫のグラデーションの羽織やレインボーカラーの着物は、佐藤九段ならではの着物のおしゃれの代表格だが、こんな華やかな着物を着こなせる男性はいったいどれだけいるだろうかと、思わず唸ってしまう。
佐藤九段自ら「限界まで攻めた」というレインボーの長着に、紫のグラデーションに染めたペイズリーの地模様の羽織。華やかな色と柄に見入ってしまう。
- 渡辺名人:
- 今日展示されている天彦さんの和服、やっぱりすごいですね。レインボーの着物は、女性用かと思うくらいです。
- 佐藤九段:
- ちょっと攻めすぎたというか(笑)、限界まで攻めましたね。これを作ったのは20代のときで、こういうのがあってもいいかなと当時は思ったんですけど、インパクトが強すぎて、結局1、2回しか着ていないと思います。
- 渡辺名人:
- 確かに、対局相手がこれを着てきたらびっくりするな。隣に展示してある紫のグラデーションの羽織もすごく目を引きますけど、一緒に着たこともありましたよね。
- 佐藤九段:
- 名人戦で1回、合わせました(編集部注:第76期名人戦第6局、2018年6月)。あの羽織は、いわゆる白生地という、色が入っていない反物から作っているので、仕立ての工程を一つ増やしてもらっているんです。
- 渡辺名人:
- 反物って、筒みたいにぐるぐるっと巻いてあるもので、着物を作るときは反物を体に巻きつけるように着てみて、似合うものを探していくんです。普通は最初から色や模様が入っている反物で選んでいきますが、天彦さんは色をつけるところからやったわけですね。
- 佐藤九段:
- そこまでやったのは、この羽織だけですね。僕が着物を作るときは、白瀧さんと一緒に問屋さんの催事に行って、何百と並んでいる反物から選んでいくことも多いんですけど、たまたまペイズリー柄を織り込んだ白生地の反物をみつけたんです。「これ、きれいだな」と思って、この模様を活かす色や仕立て上がったときの見え方を白瀧さんや着物を仕立てる和裁士さんといろいろ相談しながら、紫のグラデーションに染めてもらいました。
膨大なバリエーションがある織りや地紋(生地に織り込まれた模様)から気に入った白生地を選び、さらに色を選んで着物や羽織、帯などを仕立てることを「お誂(あつら)え染め」と呼ぶ。自分に似合うものをしっかりとわかっていないと、無限にもある組み合わせに迷ってしまうが、そこは佐藤九段、ペイズリー柄というエキゾチックな地紋といい、一般的には色無地といって一色に染め上げるところをグラデーションにするあたりは、佐藤九段らしいハイセンスな「選択眼」を感じさせる。
また、反物を染めるときは袖、前身頃、後ろ身頃の部分を裁って縫い合わせることを想定するため、グラデーションに染める作業はかなり繊細な職人仕事となるが、そこもぴたりと決まっているこの羽織は、つくづく見どころが多い。
そしてもうひとつ、有名な佐藤九段の着物と言えば、アザラシ柄の黒紋付き羽織は欠かせない。アザラシのかわいい表情もさることながら、真剣勝負のタイトル戦で着ても場違いにならないほどの良さが絶妙な一着だ。
佐藤九段がこのアザラシ柄の羽織で登場すると、ネットで視聴中の将棋ファンも大興奮、羽織についてのコメントが相次ぐ。
- 渡辺名人:
- 今日は、ファンの間で有名なアザラシ柄の羽織もありますね。
- 佐藤九段:
-
あれは元々、アザラシ柄が絞り(編集部注:布の一部を糸や紐などでくくり、その部分が柄となって残るように染める技法)で入っている小紋の反物があったんです。渡辺さんはぬいぐるみ好きで有名ですが、うちにも僕が可愛がっているアザラシのぬいぐるみがいまして、その子と顔がすごく似ていたんですよね。「運命だ!」と、即決しました。
この羽織は地の色もきれいですし(編集部注:烏羽色と呼ばれる漆黒)、アザラシ柄が置いてある位置もよくて、とても気に入っています。名人戦でも何度か着ていますが、最初に着た電王戦の思い出が強いですね(編集部注:第2期第1局、2017年4月)。TPOというか、電王戦という舞台に合っているんじゃないかと思って、最初に着てみようということになりました。
佐藤九段が一目惚れするのも納得!のかわいいアザラシの表情に注目。格式ある正倉院文様(唐草や鳳凰など正倉院の宝物にちなんだ格式の高い柄)の長着との取り合わせが決まるのも、おしゃれな佐藤九段ならでは。
単なるおしゃれの追求ではない、場の雰囲気も含めた着物のマナーという「定跡」をきちんと押さえているからこそ、佐藤九段の着物は自由奔放に見えても品格ある装いとなるのだろう。ちなみに、多くの棋士の着物をコーディネートしている白瀧呉服店でも、対局で何を着るか、事前に相談するのは佐藤九段ただひとりという。
- 佐藤九段:
- 対局で着る着物を選ぶときは、さっき言ったTPO的なことや対局する場所に合わせています。あとはやっぱり、そのときの気分ですね。「あの対局のときのコーディネートで」とお願いすることもありますし、「せっかく作ったのにあんまり着ていないから、ここで使っておこうかな」ということで選ぶこともあります。忙しいときは白瀧さんにお任せしますが、僕みたいに「これを着たい」「こういうコーディネートで」と細かく指定する棋士はいないでしょうね(笑)。
- 渡辺名人:
- 僕は完全お任せです。白瀧さんから対局場所に着物を送っていただくんですけど、当日の朝に包みを開いて、「ああ、これか」みたいな感じですね。「これは久しぶりだな」というときもあるし、「あれ、こんなの持ってたかな?」ということもあったりして、対局が終わってから「これ俺のでしたっけ?」と、白瀧さんに聞いたり。
- 佐藤九段:
- 渡辺さんは、それこそたくさんお持ちだから。
- 渡辺名人:
- 1年とか2年とか間が空いてしまうと、見覚えがなくなってしまうんですよ。
これは、若いときから数々のタイトル戦に登場してきた渡辺名人のような棋士でなければ、なかなか言えないセリフだろう。着物は長い年月着ることができ、羽織との組み合わせを変えて何度も着用する機会はあるとは言え、自分が持っている着物を忘れるほど「衣装持ち」なのは、それだけタイトル戦を戦ってきた「強者」の証でもあるのだ。
渡辺名人は渋好み
渡辺名人は「全部お任せ」と言いつつ、実ははっきりした好みも持っていることが今回のトークショーで判明した。以下は、「渡辺名人の着物を佐藤九段がコーディネートするとしたら、どういうものを選ぶか」という質問に対するやりとりだが、「お任せ」しているはずなのに、「これは名人戦のときの着物とのことですが……」とふられて「え、いつの? 今年? あ、でも、これ作ったのは去年……いや、一昨年じゃなかったかな?(白瀧さんに確認して)ですよね」など、ボタンを押せばパッと答えが出るマシンのごとく自分の着物のデータが出てくる、渡辺名人の記憶力にも驚かされた。
途中休憩をはさんで、再登場の際、観覧者の撮影タイムが設けられた。
渡辺名人は、古今和歌集にちなんだ桜鼠色の着物に青磁色の羽織。これは第80期名人戦第2局(2022年4月19日・20日)での組み合わせ。
佐藤九段は、対談で話題になったアザラシ柄の羽織と華やかな正倉院文様の着物とでコーディネート。イベントの前半と後半で着物を替える趣向に、ファンも大喜び。
- 佐藤九段:
- 渡辺さんと僕では着物の傾向が全然違うし、かなり両極端だと思うんです。僕が着ているようなものは、たぶん渡辺さんは着ないし、しっくりこないんじゃないでしょうか。
- 渡辺名人:
- 僕の着物は天彦さんも着られると思うけど、逆はなかなか。あの紫のグラデーションの羽織を着ろと言われても着こなせないよね(笑)。
- 佐藤九段:
- 僕が「これはこれと合わせて」みたいにがっちり組み立ててコーディネートしていくのに対して、渡辺さんはさらっと着られるというか、爽やかで自然体でいられる雰囲気があるんですよね。中でも僕が印象に残っているのは、わりと初期の頃から着ていらっしゃる豹柄みたいな羽織です。
- 渡辺名人:
- そんなの持ってたかな……(会場後方の白瀧さんに確認)、ああ、あの扇子柄のですね、そう、初めの頃に買ったものです(編集部注:初着用は渡辺名人が最初に竜王戦に挑んだ第17期竜王戦、2004年12月)。
- 佐藤九段:
- あれは扇子柄なんですか! 遠くからだとちょっと豹柄みたいに見えるんですけど、落ち着いた色合いとの取り合わせが、とても素敵ですよね。色味で言うと、パキッとした色合いより、ちょっと味わい深い、空気感のようなものを感じられる色がお似合いなんじゃないかなと思います。
- 渡辺名人:
- 確かに、僕の着物はだいぶ渋めですね。だいたい白瀧さんの助言通りに買っているんですけど、新しく着物を仕立てるときにいろいろ反物を見せてもらっても、明らかに柄物だなってわかるようなものは、「ちょっとこれは派手だから」と大体外していくし、色も派手なものは弾いてしまいますね。だから、今日展示されている黄緑っぽい色(羽裏に渡し舟に乗った武将の絵柄があるもの)の羽織とか、すごくきれいだと思いますけど、ああいう色はあまり持ってないんです。
遠目からには豹柄にも見える? 扇子柄の羽織。落ち着いた栗茶が渡辺名人の個性にぴったりだ。着用回数も多い。写真は第21期竜王戦第7局(2008年12月)。
羽裏のおしゃれにも注目!
渡辺名人の名前にちなんだ絵があしらわれた羽織、そして横に展示された着物の柄は共に御召十(おめしじゅう)という江戸小紋。徳川将軍が天皇に拝謁するときの着物に用いられた非常に格式の高い柄で、「当店の棋士のお客さまの中で渡辺名人のお着物にだけ使っています」(白瀧さん)とのこと。
この羽織は第63期王将戦第5局(2014年)を皮切りに、名人戦(第79期)、竜王戦(第28期、第29期、第30期)、棋王戦(第40期、第41期、第43期、第45期)など数々の対局で着用されているが、羽裏には、明るい月に照らされて海に漕ぎ出す渡し船に乗った武将の絵が描かれている。これは、「渡辺」という名字に「渡し船の守り人」という意味があると聞いた白瀧さんが、渡辺名人の「明」にちなんだ「明るい月」と共にあしらった。
普段、羽裏を目にする機会は少ないが、渡辺名人が着用する羽織には、竜王位防衛に臨む対局にと用意された昇り竜の絵が描かれた羽裏など、想いのこもった意匠がほどこされているものが多い。
「普段は背中にあるから、自分ではあまり見ない」という渡辺名人だが、対局中に羽織を脱ぐときには羽裏が見えるようにたたんでいるそうだ。
渡辺名人の羽織。羽裏の躍動感あふれる龍の絵に目を奪われる。
- 渡辺名人:
- 対局中は羽織を着たままだと暑いから、みんな脱いじゃってますけど、僕が若いとき、先代の白瀧さんから「裏地を見せるように置くのがおしゃれ」って習ったことがあるんです。でも、そうするとちょっと雑な感じもするんですよね。タイトル戦の中継を見ていると、しまうときのたたみ方できちんとたたんでる人が多いです。
- 佐藤九段:
- え、対局中にですか?
- 渡辺名人:
- 藤井くん(藤井聡太五冠)とか、よくやってますよ。あと、豊島くんもそうかな。
- 佐藤九段:
- へぇー。でも、脱いだり着たりすることもあるじゃないですか。その度に、そうやって丁寧にたたむということですか。
- 渡辺名人:
- さすがに1回脱いだら、封じ手とか終局とかまでは脱いだままでしょう。天彦さんは、そういうところはあんまり見てないですか?
- 佐藤九段:
- 見てないですね、僕は(渡辺さんと同じく)裏地を上にしてポンって置くタイプなので。僕のイメージでは、和服でもスーツでも表地を守るために裏地を上向きに置くのが自然なんです。表地の方が大事だし、普通に脱いでバサッと置いたら、表地に畳のささくれとかがついたりして痛むじゃないですか。
- 渡辺名人:
- 天彦さんは、スーツも裏地が見えるようにして、ポンって置いてるもんね。
普段はなかなか目にすることができない羽裏だが、渡辺名人や佐藤九段が置く羽織から、思わぬ目の保養ができるかも!? 羽織を脱ぐ棋士の振る舞いにも要注目だ。
猛々しい虎の絵が描かれた渡辺名人の羽織の羽裏。勝負に臨む棋士を背中で見守っているようだ。
棋士も着物を日常着に
数々のタイトル戦を着物を着て戦ってきた渡辺名人と佐藤九段は自分で着付けができるのはもちろん、着物姿の立ち居振る舞いも自然で、板についている。そんなふたりは、タイトル戦という「ハレ」の舞台だけではなく、日常で着物を着る機会はあるのだろうか。
- 渡辺名人:
- 僕、今年の正月に着物を着て、ひとりで外出したんですよ。
- 佐藤九段:
- 初詣ですか?
- 渡辺名人:
- いやいや、ただの指し初め(編集部注:指し初め式。毎年1月5日頃に行われる将棋界の恒例行事)です。将棋会館がある千駄ヶ谷まで、自宅から普通に電車に乗って行きました。普通の日だったら注目されたかもしれないけど、正月だから電車の中にも着物姿の人がちらほらいて、そんなに見られてる感じもなかったですね。千駄ヶ谷の駅に着いたら、もうこっちの勝ちというか、誰がどう見たって「ああ、将棋の人だ」ってなりますし。
- 佐藤九段:
- ぶらっと着物で。いいですね。渡辺さんは、そういうの似合いそう。
- 渡辺名人:
- 初めて、日常で着物を着るということをやってみようと思って。僕ももう35歳を過ぎたし、トップ棋士としてのキャリアってそんなに長くないから、やっぱりいずれは着物を着る機会も今より減っていくことになるのかなと。20代の頃はそうは思わなかったんですけど、着られるうちにというか、せっかく作ったし、もっと着ようかなあ、みたいな感じです。
- 佐藤九段:
-
やっぱり着物を持っているわけですから、もっと着てみたいという気持ちはありますよね。僕はまだ普段の生活で着物を着たことはないんですけど、なんだかんだ言っても日本人なので、着慣れてしまえば、そんなに苦しくないというのもわかりましたし、袴をつけないで、ちょっとラフな感じで羽織着て出かけるのもありかな、と思ったことはあります。浴衣で花火大会とかもいいですね(笑)。
それはともかく、たぶん将棋をやっていなければ着物って出合ってなかった分野かもしれないですよね。僕は元々洋服が好きですけど、さっき話に出た紫のグラデーションみたいに、洋服とはまた違った表現ができるところとか、すごく豊かな世界だなと思っています。
渡辺名人はあくまでさらりと語っていたが、「トップ棋士のキャリアはそんなに長くない」という言葉に、勝負の世界に身を置く棋士の人生の厳しさを感じて、思わずドキリとさせられた。確かに、棋士がそのキャリアの中で最も活躍するのは20~30代頃と言われることも多い。
だが、近年でも46歳で初タイトルを獲得した木村一基九段のような存在もいる。また、2023年年明け早々に開幕する第72期王将戦で、藤井聡太王将への挑戦者となったのは、52歳の羽生善治九段だ。
渡辺名人や佐藤九段はもちろん、年齢を重ねた棋士たちの着物姿を長く見続けたいと思うのは、私だけではないだろう。
棋士は、将棋と着物というふたつの日本文化の奥深い魅力を伝える、唯一無二の存在なのだから。
トークショーの話題にもしばしば登場した白瀧呉服店店主・白瀧佐太郎氏も交えてのスリーショット。
※【前編】はこちら
デザイン(着物イラスト)/小松昇(ライズ・デザインルーム)
- プロフィール
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渡辺明名人(棋王)
(わたなべ・あきら)1984年生まれ。東京都葛飾区出身。所司和晴七段門下。プロ入りは2000年15歳、史上4人目の中学生棋士。タイトル獲得合計31期(歴代4位)。棋戦優勝計11回。永世竜王、永世棋王(就位は原則引退後)。第78~80期名人。現在竜王戦1組。ぬいぐるみ好きでヤクルトスワローズのファン。ほかに趣味は競馬、サッカー(フットサル)、ランニング、カーリング、旅行、囲碁など多数。
◆ブログhttps://blog.goo.ne.jp/kishi-akira ◆ツイッター https://twitter.com/watanabe_1984佐藤天彦九段
(さとう・あまひこ)1988年生まれ。福岡県福岡市出身。中田功八段門下。プロ入りは2006年18歳。第74~76期名人。棋戦優勝計4回。現在、竜王戦1組、順位戦A級。趣味はファッション、クラシック音楽などで、「貴族」という愛称を持つ。好きなファッションブランドはアン・ドゥムルメステールなど。ファッションにまつわる賞の受賞歴もある(第34回毎日ファッション大賞話題賞など)。宇宙戦艦ヤマトシリーズも大好き。◆ツイッター https://twitter.com/AMAHIKOSATOh
七月隆文(ななつき・たかふみ)
作家。160万部超のヒット作『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(宝島社)で第3回 京都本大賞を受賞。ほかにも 『ケーキ王子の名推理』(新潮社) 『天使は奇跡を希う』 (文藝春秋)など著書多数。現在、将棋をモチーフとした作品を鋭意執筆中。◆ツイッター https://twitter.com/nanatsuki_t
(株)ねこまど
2010年、北尾まどか女流二段が、将棋の普及活動のために設立。将棋教室の主宰、将棋大会・イベント開催など。女流棋士による公開対局「知と美」は今年で第11回を迎えた。こども・初心者から大人まで大人気の「どうぶつしょうぎ」のイベントやライセンス事業を行っている。将棋フリーペーパー「駒doc.(こまどく)」を年4回発行。
ホームページ https://nekomado.com/
ツイッター(ねこまど将棋教室) https://twitter.com/shogischool白瀧呉服店(しらたきごふくてん)
黒船が来航した、嘉永6(1853)年創業。店舗は練馬区にあり、「東京最大級の呉服店」と謳われ、振袖・七五三・訪問着などの礼装から紬・小紋など和服全般の販売やレンタル衣装を取扱っている。広大な敷地内には茶室や日本庭園も有する。先代(4代目)・五良氏の代より将棋界との縁が生まれ、2006年から女流棋戦「白瀧あゆみ杯争奪 新人登竜門戦(非公式戦、日本将棋連盟主催)」を後援。将棋以外にも、競技かるた大会「白瀧杯 女流かるた選手権大会」を主催。その他 茶道・能楽など和文化の継承発展に寄与。現当主・白瀧佐太郎氏は五代目。ホームページ http://www.kimono-shirataki.com/
【取材・文】
加藤裕子(かとう・ひろこ)
生活文化ジャーナリスト、ライター。早稲田大学政治経済学部卒業。女性誌編集者を経て、1999年フリーに。同年渡米し、ヴィーガンの情報を発信するThe Vegetarian Resource Group(米国メリーランド州)に籍をおき、アメリカの食文化、健康志向などをテーマに取材・執筆。現在は日本在住。日本の伝統文化探究もライフワークのひとつ(将棋は観る将)。著書に『寿司、プリーズ!~アメリカ人寿司を喰う』(集英社新書)、『食べるアメリカ人』(大修館書店)、『「和の道具」できちんと暮らす すこし前の日本人に学ぶ生活術』(ポプラ社)等がある。
参考文献:
将棋フリーペーパー『駒doc.』vol.44(㈱ねこまど)
『将棋の渡辺くん⑤』(伊奈めぐみ 講談社)
『kotoba』2021年春号〈特集:将棋の現在地〉(集英社)
『ビジュアル版 男のきもの大全』早坂伊織(草思社)