関美和さん
『BAD BLOOD』共訳者
『BAD BLOOD』共訳者
須田桃子さん
科学ジャーナリスト・
NewsPicks編集部副編集長
科学ジャーナリスト・
NewsPicks編集部副編集長
刊行記念
対談
「たった1滴の血液であらゆる病気を検査できる」という触れ込みで、若干19歳の女性、エリザベス・ホームズが立ち上げたアメリカのスタートアップ「セラノス」。同社は一時、評価額90億ドル(日本円で約1兆円)と言われる超大型ユニコーンに成長するも、実態は実現にほど遠く、多くの虚偽が発覚。この未曾有の詐欺事件を追った『BAD BLOOD』は発刊と同時に大きな話題を呼びました。その翻訳書の刊行にあたり、共訳者のひとりである関美和さんと、『捏造の科学者 STAP細胞事件』の著者で科学ジャーナリストの須田桃子さんをお招きしました。お二人がこの事件に何を感じたのか、本書の魅力とともに語っていただきました。
STAP細胞事件との数々の共通点
須田 あまりに面白くて一気に読んでしまいました。実話ですがストーリーとして面白く、映画を見ているようでした。でもそれは、訳がこなれていて文章が読みやすかったことも大きいと思います。
関 ありがとうございます。ドキュメンタリーとして非常に面白いですよね。主人公が若い女性である点も興味深いし、ジョージ・シュルツ元国務長官、ジェームズ・マティスアメリカ軍中央軍司令官、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官など、英語で「larger-than-life」と表現されるような錚々たる面々を、次々と彼女が手玉に取っていく様もすごい。この事件から想起するのはやはり、少し前の事件ですがSTAP細胞事件です。
須田 本当に共通点が多いですね。まず、エリザベスも小保方さんも非常に努力家とされていた。大学時代の恩師や指導教官にとても気に入られ、褒め称えられた。プレゼン上手で、周囲の人を即座に魅了するカリスマ性があった。また周辺状況として、組織が極端な秘密主義であったことや、「シンプルさ」も挙げられますね。
関 セラノスの「1滴の血液で」というコンセプトはたしかにシンプルですね。そのしくみは社員の誰も知らなかったわけですが。
須田 STAP細胞も実際の理由は別として、つくる方法が簡単で知られたらすぐまねされてしまうからと、周囲に隠されてきました。いずれも、その簡単なもので多くの人の命を救えるかもしれない、という点が人々の心を捉えたわけですよね。
関 そうですね。加えてアメリカの場合は、医療費が高額でそれを払えないことが個人破産の一番の要因なので、そうした背景から、安価で簡単に検査ができるというセラノスの技術も大きな魅力だったのだと思います。あと、どちらの事件でも人が亡くなっていますよね。本書では、セラノス社員の一人が鬱状態に陥り、亡くなってしまう。
須田 STAP細胞事件でも、小保方さんを研究の最終段階で指導していた笹井芳樹先生が亡くなっています。いずれも事態が大きく動き、真実が明らかになりそうな局面で、という点が共通していて印象的でした。それにしても、権威と実績をもつ、ある年齢以上の男性がこぞって彼女たちを信じていくのが本当にすごい。
関 ジョージ・シュルツやヘンリー・キッシンジャーなんて、冷戦を終わらせた人物ですよ。魑魅魍魎の世界を渡り歩いてきた人たちなのに。
須田 エリザベスには本当にゾッとさせられます。敵対する人は容赦なく潰しますしね。軍事官僚の男性がセラノスを批判しようとしたときも、先回りして軍トップのマティスに訴えている。
関 エリザベスについていた弁護士、デイヴィッド・ボイーズもまた相当なやり手ですからね。彼は、2000年の米大統領選「ブッシュ対ゴア事件」でゴア側について闘ったり、同性婚について最高裁で争い、その合憲性をアメリカで初めて勝ち取ったりした、全米一有名と言っても過言ではない弁護士です。本書では、ジョージ・シュルツの孫でセラノス社員だったタイラー・シュルツが、内部告発して闘うところも注目ポイントですが、その弁護士費用は40万ドル(日本円で約5千万円)ですからね。周囲が彼女の暴走をなかなか止められなかった理由は、こういうところにもあると思います。
エリザベスには
本当にゾッとさせられます。
彼女たちが成功した背景
須田 シリコンバレーでは前宣伝だけ華々しくて何年経っても実現しないビジネスも多いものの、大風呂敷を広げるのはお家芸とも書かれていました。実は、科学の世界にも「大風呂敷」とは違いますが、少し似たところが。
関 科学の世界にもあるんですか?
須田 元々、生命科学の世界では細胞や実験動物など生きものを扱うので、物理や工学のように毎回同じ結果が出るとは言いきれない。医学生物学論文の70%以上が再現できないという報告もあるほどです。それが不正が起こりやすい土壌になっているとの指摘がある一方で、「真に独創的な成果なら、最初のうちは再現できなくても仕方ない」という空気があったのも事実です。いずれの事件にも、こうした特有の背景が関与しているのかなと。
関 そうですね。あと、彼女たちが注目された理由として、シリコンバレーも、科学界もそうかもしれませんが、社会が若い女性のスターを求めていたというのもありますよね。だからこそ、これだけ世の中が熱狂した。エリザベスは「女性版スティーブ・ジョブズ」と絶賛されていました。
須田 シリコンバレーでも女性のスタートアップ創業者は殆どいない、という話も出てきますね。日本の科学界も女性が元々少ないうえ、上のポジションにいくにつれてさらに減るのが実情です。エリザベスや小保方さんのような存在が、珍しいからもてはやされた面はあるでしょうね。
社会が若い女性のスターを
求めていた。
事件を暴く記者の並々ならぬ執念
関 私は、エリザベスが華々しくメディアに取り上げられた頃から記事は読んでいました。そのときはやはり、すごくかっこいい女性が出てきたなという印象を受けました。みるみるセレブになっていき、オバマ政権時代に安倍首相が訪米した際の政府の公式夕食会にも呼ばれていました。最初は私も偶像視していたので、数年後にウォール・ストリート・ジャーナルの記事で全部嘘だったと知ったときは衝撃を受けました。
須田 本書の著者である、同紙のジョン・キャリールー記者の思いや執念にも心打たれますよね。本書は伝聞調でなく、その場にいたかのような視点で書かれている場面が多い。相当な裏づけ取材がないとできない書き方です。著者は150人以上の関係者に数百件の取材をし、記事化の段階で様々な嫌がらせを受けるわけですが、一切それに屈せず、迷わない。まさにプロのジャーナリストの姿ですし、それだけ取材内容に自信もあったのだと感じました。
関 嫌がらせのレベルもすごいですよね。ボイーズ弁護士は、相手側に私立探偵をつける際、イスラエル諜報機関の元モサドのプロを使うこともあると、他の本に書かれていました。本書の中ではそこまで出てきませんが、おそらくエリザベスのときも同様のことをしていたのではないかと。
須田 壮絶な世界ですね。少し驚いたのが、記事を出す前に取材対象者に知らせ、反論の猶予期間を与えるという点です。この辺りは日本とかなり違いますが、ある意味フェアだなと。ただ、例えば政治家を相手にし、思いも寄らない強い圧力がかかったりしたら、一民間企業では押しきれないこともあるのでは、と思いましたが。
関 そうですね。でも、本書のケースでは、ウォール・ストリート・ジャーナルは断固として記者と報道を守っています。この著者個人ももちろんすばらしいですが、会社として弁護士も立てるし、報道を守るしくみができているんだなと感じました。
須田 著者の最初の記事が出たのが2015年10月ですよね。そして今、裁判が。
関 エリザベスは刑事裁判の最中ですね。そういう意味では、まだまだ現在進行形の事件です。今まさに進行しているスタートアップ界の課題や調査報道のあり方という問題も含んだ作品なので、そんな点も意識しながら読んでいただくと面白い一冊になるのではないかと思います。
文・構成/小元佳津江 写真/冨永智子
まだまだ
現在進行形の事件です。
シリコンバレー最大の詐欺事件
2021年2月26日発売予定
訳 関美和 櫻井祐子
「指先からとる1滴の血液であらゆる病気を調べられる」画期的な血液検査の技術を発明したとして、アメリカの政治家や著名な投資家たちから「スティーブ・ジョブスの再来」ともてはやされ、時代と寵児となったエリザベス・ホームズ。だが、彼女が率いたベンチャー企業「セラノス」の内幕は、虚飾とパワハラに満ちていた。なぜ大物たちはたやすく騙されてしまったのか。現代社会の様々な側面が凝縮した事件の全容を、ウォールストリートの調査報道記者(当時)が暴く。
著者:John Carreyrou ジョン・キャリールー
1999年から2019年まで、ウオール・ストリート・ジャーナル紙記者としてパリ、ブリュッセル、ニューヨークを拠点に活動を続けてきた。ピュリッツアー賞を2度受賞。
ジェニファー・ローレンス主演、
アダム・マッケイ(「マネー・ショート」)監督、
ヴァネッサ・テイラー(「シェイプ・オブ・ウォーター」)脚本、
ユニバーサル配給で映画化予定。