Nonfiction

読み物

読むダイエット 高橋源一郎

第14回 ひとりで食べる、誰かと食べる

更新日:2022/07/20

 ちらっ……(柱の陰に隠れて、そっと読者のみなさんの様子を窺っている感じ、と思ってください)。
 前回書いたのは去年の暮れ、なんと今年も半分以上終わってしまった。自分でもびっくりだ。いくつものプロジェクトが重なってしまったとはいえ、言い訳はしません。あとは、『ガラスの仮面』のように、著者さえ完成を諦めてしまう(たぶん)事態にならないようにしたいと思います……。リ・スタートである。

 おかげさまで、体重は変わらず、62~63㎏をキープしている。現在のところ、健康になんの問題もない。並足と早足を交互に行うウォーキングを1日平均7千歩。以前は1万歩を超えていたが、それだと膝が痛くなる。老化とはまことにやっかいだ。ところが、『ひざ痛 変形性膝関節症 自力でよくなる! ひざの名医が教える最新1分体操大全』(文響社)を読んで、1分体操をしたら、劇的に痛みがとれたのである。秘訣は「膝蓋下脂肪体をほぐす即効ケア『お皿ゆらし』」。この点については、また機会があれば詳説したい。もしかしたら、ウォーキングも1万歩に戻せるかもしれない。さて、それからスクワットはバズーカ岡田先生のアドヴァイスを参考に、ダンベル20㎏(10+10)を持ったスクワット72(年齢+1)回から、毎日ブルガリアンスクワット(片足スクワット)25×2(左足、右足合わせて)×3セットに変更。さらに、筋トレは毎日行うより、48時間か72時間空けた方がいいので(1回断裂した筋肉が修復するのにそれくらいかかるため)、隔日で25×2×6セットに変更。いまは、2日に1度、片足150回ずつのスクワットをやっている計算である。

『ひざ痛 変形性膝関節症 自力でよくなる! ひざの名医が教える最新1分体操大全』
文響社

 わたしが部屋でスクワットをしていると、妻や子どもたちが入れ代わり立ち代わりやって来ては、感心したり、スマホで写真や動画を撮影しているようだ。どんな意味があるのだろうか。「すごいねえ……パパ」の声が聞こえるときもある。そうなの?
 スクワットしているとき困ることが一つある。いま何セット目なのかわからなくなるときがあるのだ。回数そのものは自動的に数えられるので問題はない。ところが、その途中で、つい考え事をすると(たとえば「締切り明日だっけ?」とか)、何セット目をやっているのか失念してしまうのである。
「3セット目……だっけ、あれ? 4セット目?」
 もしかしたら、苦しみのあまり、数を誤魔化しているのではないのか。そんな疑心暗鬼に囚われることもある。いや、しょっちゅうだ。そんなことは、どんなスクワットの本にも書いていない。だが、老化に対抗するべくスクワットをしているすべての衆生は、その苦しみを隠しているはずである。でも、目下のところ、悩みはそれぐらいだ。
 もう一つあった。
 1週間ほど前、もう10年以上通っていた、御徒町にある整体の先生が急逝されたのだ。五十肩(60歳だったが)になって、腕がまったく上がらなくなったのを治していただいた、阪神タイガースのトレーナーもされていた先生で、「ゴッドハンド」の異名がある名人だった。以来、身体のメンテナンスをお願いしていたのである。おそらく、まだ50歳そこそこだったと思う。風邪になったら通っていた近所の内科医の先生も、少し前に亡くなられた。同世代が亡くなることも多くなったが、わたしよりも若い知人が亡くなると、なんともいえない気持ちになる。彼らの分も(勝手に)健康でいようと思う、今日この頃だ。
 とにかく、いまは黙って、健康であることを、さらに突き詰めていきたいと思う。しかし、同時に、健康のことばかり考えるのも、(精神的には)健康ではないだろう。大切なのは、心身共に健康であることではあるまいか。そのためにも、余裕を持って進んでゆく所存である。

 ところで、今日の1回目の食事(朝昼兼用なので)では、キャンベルの缶スープ(オニオン)を使った。この缶スープに、最近、凝っているのだ。そのことを妻にいうと、「キャンベルの缶スープの素晴らしさに気づくとは、なかなか」と誉められた。キャンベルのホームページに行くと、様々な利用法を知ることができる。たいへん便利だ。ほんとうに世界は広い。
 キャンベルの缶スープは、アンディ・ウォーホルのシルクスクリーンでしか知らなかった(ふつうと逆かも。しかし、その場合の「ふつう」とはなんだろう)。初めて、本来の食用の物体として対面したのである。ちなみに、この5月、ウォーホルの『マリリン』(5色のうち1色)が、20世紀の美術品としては最高額の約2億ドルで落札されたそうだ。「キャンベルの缶スープ」のオリジナルは、確か絵のはずだ。だとするなら、もしオークションに出たら、最高額を更新するかもしれない。とにかく、キャンベルの缶スープはすごい。あらゆる芸術家は食べてみるべきだろう。
 さて、その調理法である(今日の分)。缶スープを同量の水で薄め、無印良品の冷凍「すぐ使える 4色の彩り野菜」(ブロッコリーはエクアドル産、カリフラワーはメキシコ産、ニンジンは中国産、赤たまねぎはイタリア産、日本の食品は世界から輸入されているのだなと実感する。ロシア産が混じっていたらどうなっていたのだろうか)、大豆ミート(ミンチタイプ)、ヘンプシード(麻の実)を入れて温める。ヘンプシードは高栄養だからというより、スープに入れると「魚の匂い」がしてくる、というので(ネットの噂である)、これも最近よく使う。なんともいえない、美味しいそうな匂いになる。後は、プロテイン・ブレッド。実は、これも最近のお気に入りだ。プロテイン多めということで食べ始めたが、とにかく、ちょっとないぐらい美味しいパンなのである。栄養なんかなくても、いいくらい。
 食事のあと、「ミツカン」の「いろいろ使えるカンタン酢」(これは、お義母さまが愛用しているとの妻情報から)で、ピクルスを作ってみた。材料は、ニンジン、セロリ、赤パプリカである。あと、唐辛子も。まだ漬けたばかりなので、明日、食べてみることにしたい。
 いまは、「輸入・オーストラリア産」の皮ごと食べられる「種なしブドウ」をつまみながら、この原稿を書いている。これも、妻に教えてもらったものだ。一度、これにはまると、もうふつうのブドウが食べられなくなる。ちょっと心配だ。いや、生きているということは、こうやって食べることができる、ということなのかもしれない。ちなみに、いま、あちこちのスーパーには、「生産者名入り」の、この皮ごと食べられる「種なしブドウ」も登場している。ついに、輸入品にも「生産者」の名前が入る時代になったということか。

いままで食べたなかで一番おいしかったもの

 ずっと以前から、藤原辰史さんの本を愛読している。もともと、興味があって読みはじめたのだ。藤原さんは、専門が農業史、食の思想史。『カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』(人文書院)、『戦争と農業』(インターナショナル新書)、『給食の歴史』(岩波新書)、『[決定版]ナチスのキッチン』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『分解の哲学』(青土社)等々。タイトルを読んだだけでも、「おいしそう」な本ばかりでしょう?
 藤原さんには、わたしがパーソナリティをやっているラジオ番組にも出演していただいたことがある。まことにチャーミングな方であった。本の印象そのままである。
 藤原さんは、「食」について、ずっと考えてこられた。わたしが、藤原さんの本を読むようになったのは、ダイエット以前のことだ。しかし、ダイエットを開始し、自分で料理をつくるようになって、藤原さんの本はいっそう「味わい深く」感じられるようになった。たとえば、『食べるとはどういうことか』(農文協……出版社が「農文協」というところもイケている。この出版社の本は、どれも有機農法の野菜のように、味が濃いのである。お勧めだ)は、サブタイトルが「世界の見方が変わる三つの質問」となっている。「世界の見方が変わる三つの質問」ですよ。そんな質問、なかなか考えられませんね。
 さて、その三つの質問はなにか、というと、

(1)いままで食べたなかで一番おいしかったものは?
(2)「食べる」とはどこまで「食べる」なのか?
(3)「食べること」はこれからどうなるのか?
 以上の三つ。

(1)は簡単な質問で、残りの二つは、答えるのが難しい本質的な質問……かというと、そういうわけでもない。
(1)のように、一見、なんということもない問いにこそ、「噛めば噛むほど」深まる味わいがあるのだ。

 藤原さんは、この三つの質問を、全国の学生たちにしてきたそうだ。中でも、この(1)の質問は、次のような結果になった。

藤原辰史『食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』
農山漁村文化協会(農文協)

 まず「第一に、『お母さん」が登場する回数が多いこと」である。その「変形ヴァージョンとして『おばあちゃん』が登場することも少なく」ない。
 さらに、「第二に、特定の『店』です。とくに、ラーメン屋が多い」ことだ。
 そして、「第三に、状況依存型であることです。たとえば、登山して頂上で食べたおにぎりとか、友達とキャンプに行って、そこで食べたバーベキューとか、陸上競技の厳しい練習のあとに飲んだ水とか、そんなことを答えてくれる学生もいました。学生ではなく、先生でしたが、『出産したあとの一杯の氷水』という方もいました」。
 最後に、これらの結果をもとに、藤原さんは、「『食』を思考することの深遠さ」について考えるのである。
 わたしたちは、ただ「食べる」のではない。つまり、そこでなにかを食べているとするなら、その瞬間だけが「食べる」ことではない。その瞬間に繋がっている、さまざまな時間や、それにかかわったたくさんの人たちがいるのである。それを「おいしい」と感じたなら、そう感じるに至った、その人の長い歴史があるのだ。

 この本の中に、「食」に関するディスカッションが採録されているが、そこに登場した「一五歳」の「そらさん」は「食べたなかで一番おいしかったのは」、自分で種を採って育てたトマトだとして、こういうのである。
「トマトって、最近はいろいろな品種がでまわっていますけど、そこから種を採っていくと、だんだんその土地に適応して植物が変化してくわけで、いっぱいトマトをつくったとして、たまたまおいしいと思ったヤツの種を採ってまたそれをまいていくと、だんだん自分の好きな味になっていくじゃないですか。年を重ねるにつれ、だんだんおいしくなっていくという……」「何年くらい続けたんですか?」(藤原)「七年くらい」「七年も続けたの!」
 生涯で食べたなかでいちばんおいしかったのが、自分で作って、というか、品種改良したトマトとは。なかなかいえるものではない。この「そらさん」は、食の探求者といっても過言ではあるまい。
 しかし、このディスカッションに参加した他の面々も、一筋縄ではいかない。
「一七歳」の「ケイさん」は「ここ最近だと、お父さんがつくってくれた、マグロの漬け丼」だし、「年齢は一八歳で、つい最近、高校を卒業したばかり」の「達兄」は、あるとき母親がつくってくれた味噌汁で、「一二歳」で「もうすぐ中学生」になる「コーセイさん」は「お母さんがつくった新じゃがのフライドポテト」なのである。これから先、何人も十代の若者たちが登場してくるが、彼らの「食べたなかで一番おいしかった」ものは、他に、「妹の友だち」の「お好み焼き屋さん」がつくってくれた「お好み焼き」、「東日本大震災のあとの夏休みに岩手の民宿に泊まった」ときに出された「前沢牛のステーキ」、「お寿司の中トロ」ということになる。
 どれも、おいしそうだ。彼ら若者の回答に対して、藤原さんが「いままで食べたなかで一番おいっしかったもの」は、だいぶ異なっているのだ。

「では、まずわたしからお話しますけれども、わたしはいま、四一歳です。中高生のときには島根県の米作農家で育ちました。いままで食べたものでおいしかったものは本当にたくさんあります。各所でそういうインタビューを受けて、それぞれ違う答えを言っているのですが、今日は、朝、パッと思いついたお話をすると、おじいちゃんがよく孫を『パッカー』という乗りものに乗せて、田んぼや畑に連れていってくれたんです。パッカーというのは、どういう乗りものか知ってる? おじいちゃんおばあちゃんが農家という人はいないかな。そうか、みんな都会っ子だね。
 前方の運転席に人が乗っていて、後ろの荷台にワラなどの荷物を積んで走る三輪トラックです。前輪が一輪車で後輪が二輪車になっていて、これに乗っていろんなところに連れていくのですが、荷台が空のときに、ここに乗るのがわたしの楽しみだったんです。ここに乗るとテンションが高くなって声を上げることもあります。で、ここに孫が乗って、おじいちゃんも楽しんでる。
 このときに、『せっかく乗るんだから』ということで、おじいちゃんがそこの畑でとれたトウモロコシをポキッともいで、醤油を塗ってコンロであぶって、それをガリガリ歯で削って食べながらパッカーの荷台に乗って、畑や田んぼに行ったりしていたんです。パッカーというのは何を載せるかというと、堆肥、つまり牛のウンチを載せる場所です。そういうにおいを嗅ぎながら、トウモロコシをガリガリかじるという思い出が、わたしにとっては結構印象に残っている。草やワラのにおいと、田んぼのいろいろなにおいとともに、こんな夏の思い出がよみがえります」

 他の若者たちの回答は、ずっと短い。藤原さんは、この回答を、ディスカッションの冒頭で言っている。長い回答を前もって聞き、知っているにもかかわらず、である。
 他の若者たちの回答が短いのは、というか、藤原さんの回答が長いのは、なぜだろうか。それは、彼らがまだ若いからではあるまいか。「食べたなかで一番おいしいもの」を探し出すためには、記憶を探らねばならない。別のいい方をするなら、自分の過去の中から見つけ出さなければならない。若者たちの過去は、藤原さんの過去よりずっと「狭く、近い」のである。だから、すぐに探し物は見つかるはずである。そして、その探し物は、たいていは「お母さん」の近辺にあるのだ。
 それに対して、藤原さんの「食べたなかで一番おいしいもの」は、若者たちよりもっとずっと「広く、遠い」空間の中にある。それに関わった人も、事件も、ずっと多い。だから、手間がかかる。いや、候補がたくさん出現するはずである。藤原さんがいうように、インタビューを受けるたびに、「それぞれ違う答えを言っている」。それは、藤原さんが不誠実だったり、いい加減だからではない。ほんとうのところ、それはわからないからなのだ。というか、ここでは、「食べたなかで一番おいしいもの」とは何かというのは、それを探すことにこそ意味があるのである。

著者情報

高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)

1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年、『さようなら、ギャングたち』で作家デビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。
主な著書に『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』、『恋する原発』、『銀河鉄道の彼方に』、『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』などの小説のほか、『ぼくらの文章教室』、『ぼくらの民主主義なんだぜ』、『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』、『お釈迦さま以外はみんなバカ』、『答えより問いを探して』、『一億三千万人のための『論語』教室』、『たのしい知識──ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』、『「ことば」に殺される前に』、『これは、アレだな』、『失われたTOKIOを求めて』、『居場所がないのがつらいです』『だいたい夫が先に死ぬ これも、アレだな』など、多数ある。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

特設ページ

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.