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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

村の借家

更新日:2022/05/25

 人口四十人ほどの村シオラパルクには当然、ホテルやB&Bのような宿泊施設はない。カナックや南部の都市に移住した元村民のなかには今も村に住居をキープしている者が何人かいて、そういう家を借りて生活することになる。私が最近借りているのはイラングア・クリスチャンセンという人物の家だ。六十後半になるイラングアは陽気で朗らかな好人物であり、私にもよくしてくれる。かつて犬橇訓練のためこの村に滞在していた植村直己とも深い交流があったらしく、「ナオミは鮫の肉をよく食っていた」とか「駄目な犬を自分で処分することができず、俺がかわりに成仏させてやった」といった昔話を話してくれる。
 家は見たとおりの古くて小さなボロ家で、居室と前室にわかれている。居室には寝台、椅子、ソファー、ガスコンロに石油ストーブがある。前室は居室と外の中間にある空間だ。イラングアの家では物置として使用されているが、なにせボロ家なので外気温とほとんどおなじで極寒である。強風の日は石油ストーブの火が煙突から吹きこむ風でつよまらず、居室にいてもものすごく寒く、息が白くなる。
 備えつけの便所はないので、便所専用のバケツに、これも専用のビニール袋をいれてそこにする。私はバケツ便所を寒い前室に置いているので、畢竟、朝のお勤めは超速となる。このバケツ便所は古い家だけにあるのではなく、カナックも含めたグリーンランド北部の家はすべてこの方式である。下水道どころか上水道も完備されていないので、バケツに用を足すより方法がないのだ。ちなみに便所は現地の言葉で〈アナガッウィ〉。〈アナ〉がウンコで〈ガッウィ〉が入れ物という意味なので、そのまんま〈ウンコ入れ〉という意味である。
 水道がないので当然シャワーなどもない。身体を洗いたいときは公共のシャワー(一回約百円)を借りる(洗濯機もある)が、厳寒期は水道管が凍結し使えないこともある。
 このボロ家の一カ月の家賃は千五百クローネなので、二万八千円ほど(電気、ガスはのぞく)。最近は相場があがってきたので、良心的な価格である。これ以上家賃が上昇したらテントで生活したほうがいいかもしれない。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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