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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

カッシュチと腰痛

更新日:2021/04/28

 秋の海象(セイウチ)狩りのシーズンが終わり本格的な冬がはじまると、極北の村は極夜の闇につつまれ、ボートや犬橇で遠出をしての猟はむずかしくなる。暗黒の季節における定番の猟は村の近くにしかける網猟だ。
 網はカッシュチといい、おもにイッカッドとよばれるポイントにしかける。イッカッドとは、岸沿いにみられる隆起した海氷のことだ。イッカッドが隆起しているのは、その下に岩が隠されており、干潮時に沈降したときに氷が下の岩にぶつかるからだ。岩にぶつかるので氷の表面が割れていたり、隆起部の下が空洞になっていたりしているので海豹(アザラシ)が呼吸のために立ち寄るわけである。
 イッカッドの近くにトウという先端のとがった鉄の棒で直径七十センチほどの穴をあける。そして、この穴の左右の三メートルほど離れたところにも穴をあける。そして左右のどちらかの穴から氷の下に専用の木の棒を突っ込んだら、その棒を中心の穴にむけて投げる。木の棒には細引きがついており、棒がうまいこと中心の穴に顔を出せば、氷の下でこの細引きが穴と穴の間をとおることになる。左右の穴の両方から細引きをとおしたら、端っこに網をゆわえて細引きを引っ張ることで氷の下に網をはることができる。
 と文章で説明しても、図で説明しなければちょっとわからないと思う。まあとにかくカッシュチは氷に穴をあけて海のなかに木の棒をなげ、氷の下にロープをとおさないといけないので、氷が厚くなると大変な重労働となる。なので村の人は氷がはりはじめて人間が上を歩いても大丈夫になった頃合でカッシュチをしかけてゆく。
 一月に入ってから私はイラングアという村で唯一の若手猟師のカッシュチ張りを手伝っている(勉強のために無理やりついていっている感があり、邪魔なだけかもしれないが……)。今年は気温が暖かく、初冬の時期に雪が多かったため氷が全然厚くならない。とはいえ、一月にはいると四十センチ以上にはなるため、穴開けやロープの通し作業はなかなかしんどいものがある。張り終えた後も穴の表面には氷が張るので、それを毎回トウでゴツゴツと突きくずしてゆかなければならず、おかげで十二月に悪化した腰痛が全然よくならない。
 すごい勢いで氷を突きまくる二十五歳のイラングアを見ながら、私は自分の二十五歳の頃を思い出した。思えば私もあの頃は学校のグランド作りを専門とする西荻窪の土木会社でアルバイトとして働き、毎日すごい勢いでスコップを振るっていたものだ。どんなに土を掘りかえしても疲れを見せない私を見て、四十前後の腰痛に苦しむ社員の方々から若さを称賛されたが、今や自分が若さを称賛する側にまわっている。思わぬかたちで年を感じるカッシュチ張りとなった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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