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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

マスク

更新日:2020/08/12

 コロナ禍が世界を席巻しているあいだ、私は犬橇で北極を二カ月近く放浪しており、シオラパルクにもどってきてはじめて妻への電話でアフターコロナとなった日本社会の現状をきいた。三月から五月の社会が激変した時期の様子をまったく知らず、呑気に人間界を離れていた私は、いわばコロナ以前の世界に属したままの浦島太郎。そんな私の目に映る、というか妻の電話から想像されるアフターコロナにたいする心象風景は、他県ナンバー狩りとか自粛警察といった言葉に象徴される殺伐としたディストピア社会で、裸に革ジャンをきたモヒカンの筋肉隆々の男がマサカリをもって女子供を追いかける、そんなマッドマックスみたいな荒廃した社会を思い浮かべてしまうのだった。
 六月に帰国してから、私は人々のマスク姿に過剰に反応した。でも私だってマスクをしている。外だけではない。妻と子供は私が外国でコロナをもらってきているのではないかと、やっぱり不安みたいで、帰国後の二週間の自主隔離期間中は自宅でもマスクをしていたのである。なぜ風邪でもないのに私はマスクをしているのか。私はマスクが嫌いなのだ。なぜなら自分の口臭がくさくて、呼吸のたびに不快な思いをするから。
 近所のお地蔵さんも今はマスク姿であるが、このマスクのメッセージ性について、今、私は頭を悩ませている。コロナ終息祈願という一番ありそうなもの以外にも、解釈は二つあるのではないかと考えている。一つは社会風刺である。みんなマスク姿となりコロナパニックにおちいった現状を、変だね、笑えるね、と揶揄しようというものだ。であるなら、この地蔵マスクは健全な精神の発露だと安心できるが、そうではなく、みんなマスクをしましょう、お地蔵様だってマスクをしているのですよ、という啓発の意味が込められているのであれば、ちょっと嫌だなと思う。
 ちなみに小学一年の私の娘は、これを前者だと解釈しているようで、「ねえ、面白いでしょ、これ」と自転車で通りかかるときに私に教えてくれたのだった。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第45回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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