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Photo Essay 惑星巡礼 角幡唯介

ツアンポー峡谷の洞穴

更新日:2016/03/09

 この洞穴はツアンポー峡谷無人核心地区のまさにど真ん中というべき場所で撮影したものである。
 ツアンポー峡谷はチベット高原を流れる大河ツアンポー川が、ヒマラヤ山脈の障壁を突きぬけるさいに穿(うが)たれたチベット東部の峡谷地帯で、長年、謎の川として探検家たちの格好の標的とされてきた場所でもある。私は二〇〇二〜〇三年冬に当時まだ空白部が残っていた峡谷の核心部を単独で探検したのだが、その途中、対岸の岩壁に、まるで時空を引き裂くように周辺の地形と不連続にぽっかり口を開けているこの洞穴を目の当たりにして、魂が吸い取られるような衝撃をおぼえた。というのもチベット仏教徒のあいだでは古来、ツアンポー峡谷の最奥にはベユル・ペマコと呼ばれる理想郷が隠されているとの伝説が伝わっており、何世紀にもわたり冒険的なラマ僧が命知らずの探検をこころみてきた経緯があったからである。過去の探検家が誰一人足を踏み入れたことのないこの地で、突如、現れた地形的な異常を目の前に、私は噂だけには聞いていたペマコの理想郷を自然と想起していた。
 拙著『空白の五マイル』の単行本の口絵にも使ったこの写真をここに再録したのは、最近、異国の探検家からこの洞穴にかんして改めて問い合わせがあったからである。
 問い合わせは英語のメールであった。名前のアルファベット表記からたぶん中国人の探検家だと思う。この中国人探検家は〇七年からツアンポー峡谷の探検を開始したとのことで、私がインターネットの地図サービスサイトにこの写真を誇らしげに掲載しているのを見つけて衝撃を受け、昨年秋にもギャラという奥地の村からこの洞穴を目指して探検を試みたという。メールの文面から憶測すると、どうも一部の中国人探検家のあいだでは近年、ツアンポー峡谷の奥地にあるベユル・ペマコの存在が関心を呼んでおり、彼は熱心に峡谷の秘部へと向かう方法を私に訊ねてきた。
 私がツアンポー峡谷の踏破に血道をあげたのは一九九〇年代後半から二〇〇三年のことで、十九世紀後半からつづく探検史の最後の1ピースを埋めるつもりで旅立った。すでに峡谷からは謎がほぼ取りのぞかれているが、しかし現地に行けばまだ地理的探検時代の残り香が漂っているから、それを嗅ぎに行こうという感じだったと思う。その後、〇九年に最後の探検をおこなったが、そのときにはすでに中国の経済発展の波はこの辺境の最果てにも及んでおり、峡谷の周辺で進む観光整備事業と、地元のモンパ族のハンターが数台の携帯電話を操るのを見て、地理的探検の最後の一滴がすでにはじけ飛んでいるのを実感した。
 それだけに、いまだにツアンポー峡谷の謎に魅入られている人たちがいることを知り、正直いって私はわずかながらの衝撃と、なぜか妬み、羨みに近い感情をいだいている。

著者情報

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。12年『雪男は向こうからやって来た』(集英社)で第31回新田次郎文学賞。13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。15年『探検家の日々本本』(幻冬舎)で毎日出版文化賞書評賞。

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