Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第18回  「相馬野馬追(1)」

【後編】

更新日:2021/11/10

 かなりがんばって走り、沿道で祭りを見守る人たちの多いメインストリートまでたどり着いた。それでもやはり進軍速度のほうが速く、またもや最後尾の「後備軍者(こうびぐんじゃ ※1)」。馬上で軍者を務める人はおそらく、「さっきからこの人、なんで必死に走っているの?」といぶかしく思ったに違いない。馬の常歩(なみあし)は、自分が乗っている時は全然速度を感じないのだが、これほど速いのか。これ以上は走れない。全体像は見られないまま、終わってしまうのだろうか。ぜいぜい息を切らせながら汗を拭っていると、「またこの道を引き返してきますよ」と沿道の人が親切に教えてくれた。
「戻ってきますか?」
「今日は『お上がり』も一緒にやってしまうから」
 野馬追初見学の私には、まだこの祭りの構造が理解できていない。が、とにかくここで待っていれば戻ってくるらしい。

和気あいあいとした沿道

陣羽織を身に着けた騎馬武者と和式の馬装をした馬が連なり進んでいく。©星野博美

 呼吸を整えてしばらく沿道で待っていたら、言われた通り、民謡『相馬流れ山』(※2)を流すトラックに続いて、逆方向からお行列が再び姿を現した。
 馬は見慣れているが、連なって歩く姿を路上の至近距離から眺めた経験がないので、その大きさにあらためて驚く。大きなサラブレッドにブルトン種、その上に色とりどりの陣羽織をまとった騎乗者が乗っているので、間近で見るとかなりの威圧感だ。
 相馬野馬追のお行列を観覧する際には、いくつか御法度がある。お行列を横切ってはならない、二階など高いところから見下ろしてはならない、馬の後ろに近づいてはならない、交通は馬優先、などだ。何年か前の相馬野馬追の映像をネットで見たことがある。お行列のとぎれたタイミングで、自転車を押しながら道路を横切ろうとした男性がいた。それを見咎めた騎馬武者が遠くから駈歩(かけあし)で急発進し、「お行列を横切ること、まかりならぬ。戻れ、戻れい!」と叫びながら馬ごと歩道に乗り上げ、男性を押し戻した。武士になりきり、馬上から人を見下ろす形になると、沿道にいる人々が「下々」のように映り、武士の魂が憑依するのかもしれない。「そこまで怒らなくても……」と思わないではなかったが、かつて薩摩藩の行列に出くわした英国人が作法がわからずに斬られた「生麦事件」(1862年)というのもあったし、馬上の武者を見くびってはいけないのだ。あらかじめ御法度が公に発表されており、伝統的な祭事である以上、見る側にもそれなりの覚悟は求められる。
 だから実は、お行列を見学するのも内心、緊張していた。
 ところがこの日の沿道にはそんなピリピリした空気はなく、実に和気あいあいとしたものだった。観光客がほとんどおらず、地元のギャラリーしかいないことが、そんな余白の多い空気を生み出したのだろう。「○○ちゃん!」と騎乗者に声をかけて手を振る人もいれば、「○○さん、どうぞ飲んでってください」と酒をふるまう人もいる。地元の人々は道路を横切るような失態はおかさないし、騎馬武者のほうも、誰かのおばあさんや誰かのお父さん、誰かの子どもを蹴散らしたりはしない。安心して見ていられる平和的な光景だった。騎馬武者と沿道の人々の精神的距離の近さに、見る私の緊張も、いつの間にか解きほぐされていた。
 通常開催の賑わいを知る人からすれば、今回のお行列はずいぶんと寂しいものに映るに違いない。しかし出るのも見るのも地元共同体の人、というのが祭り本来の姿であり、存在意義である。その根本を思い出させられた。これはこれで、例年にはできない稀有な体験だったのかもしれない。

昔と現代の融合

進軍の状況を確認・報告するやりとりも馬上で行われる。©星野博美

 馬が歩くのは舗装されたアスファルトの道路なので、歩きにくそうであり、騎乗者の心中を想像するとヒヤヒヤする。中には荒ぶっている馬もいて、騎乗者の言うことを聞かず、勝手に方向変換しようとして歩道に乗りあげてくる。
 かつては祭りのためだけに馬を飼う人も少なくなかったと聞くが、それに大打撃を与えたのが東日本大震災だった。多くの人や馬が被災したにもかかわらず、今でも祭りに出る約半数の馬は地元で飼われているという。その数は約200頭。
 馬も人も、とにかくどなたもご無事で、と祈らざるをえなかった。
 ゆったり歩く(それでもけっこう速度は速いが)お行列とは別に、駈歩で走り去ったかと思えば、再び「後備軍者」のところへ駈歩で戻ることを繰り返す若者たちがいた。中には女の子もいる。馬術に心得のある人たちのようだ。
 どんな会話をしているのだろうと興味が湧き、耳をすましてみた。
「後備軍者、○○殿に申し上げます。それがし、副軍師付中頭(なかがしら)、○○であります。ただいま副軍師○○殿、本町通りを本陣雲雀ヶ原(ひばりがはら)方面へご通過、ただいまの進捗状況をご報告申し上げます。以上!」
「あいわかった。引き続き報告せよ」
「承知いたしました!」
 しばらくすると、再び駈歩で戻ってくる。そして自らを名乗ったあと、口上を述べる。
「副軍師○○殿、ただいま、あぶくま信金前をご通過とのこと、ご報告申し上げます」
「ご苦労。列に戻れ」
 これはおもしろい……。ただ形だけ行列をしているのではなく、現実に即したストーリーが繰り広げられ、役職に基づいた任務をそれぞれが果たしているのだった。考えてみたら、武士とは兵士であり、騎馬行列とはいわば、往年の軍隊の行進である。軍事教練としての野馬追の側面を垣間見た。
 ここでは過去と現代が融合している。
 その後お行列は、再び浪江駅前のV字部分を通り抜け、出陣式を行った浪江町中央公園に戻った。
 素人目には、騎馬行列が浪江駅界隈をぐるりと往復しただけのように見えるが、ここには二つの行程が含まれている。私が追いきれなかったお行列が「お繰り出し」(出陣)、そして沿道の人に「またこの道を引き返してきますよ」と言われ、息を整えて全体を見渡すことができたお行列が「お上がり」(凱旋)なのだ。通常は「お繰り出し」を一日目に行い、五つの郷が合流して本陣(雲雀ヶ原)で模擬合戦を行い、二日目に「お上がり」をしてそれぞれの郷に帰っていく。が、規模を縮小した今回は、それを連続して行った。つまり物語としては、出陣したものの、ただちに帰還した、という筋書きになる。

疫病の猛威

 騎馬武者たちが全員中央公園に戻ると、最後は騎馬の帰還をたたえる「お上がり式」で締めくくられる。
 高位の武者たち(年配の人が多い)は、下馬して陣幕の前に整列した。一方、下位の武者たち(ほとんどが若者)は騎乗したまま、公園の中央部分で待機していた。
 「馬丁(ばてい)」(馬のお世話をする人。専門職の人だったり家族だったりする)がいる人は、馬丁がぴったりと馬に寄り添い、下でしっかりと引き綱を握っている。そういう人たちはたいてい、端のほうで待機していた。一方、馬丁のいない人は、公園の中央部分で騎乗したまま集合しているため、気が気ではなかった。これだけの狭い範囲で元競走馬が鼻と鼻を突き合わせたら、興奮する馬が出るかもしれない。
 一斉に法螺貝が吹かれ、「お上がり式」が始まった。その式辞がまた興味深いものだった。要約するとこのような内容だった。
 標葉(しねは)郷の騎馬武者が出陣したものの、途上で疫病の猛威に出くわし、それ以上進軍することかなわず、やむなく引き返すこととあいなった。総大将、そして宇多郷の軍勢と合流することなく退陣するのは誠に無念である。が、来年こそ全郷が出陣できるよう、そして全世界の人々がこの難局を克服できるよう、一日も早い疫病の終息を願うものである……。
 実に興味深い。出陣と帰還を同日に行った今回の異例な措置を、きちんと物語仕立てにして説明しているのだ。
 新型コロナウイルスは「疫病」。宇多郷と標葉郷が合流できずに立ち去る理由は、「疫病の猛威」。確かに、南相馬の三つの郷で疫病が猛威をふるっているのであれば、それ以上の犠牲者を出さないため、無理に合流せず、「帰還」するという判断は、戦術上も理にかなっている。
 新型コロナウイルスって、そういえば「疫病」なのだよな。自分たちはそれに出会うのが初めてだから、慌て、うろたえ、恐れ、不安にかられてしまう。が、歴史を少し上から俯瞰すれば、疫病とは百年に一度くらいのスパンで来るものであり、野馬追の「一千有余年」の歴史でも何度も起きたはずだ。いまは困難が続いているが、いつかは必ず終息する。そう自然に思えてくるから不思議だった。
 いつの間にか、野馬追の悠久の歴史の中に放りこまれ、自分もその物語にまんまと取りこまれていた。
 物語が見えてきたら、俄然おもしろくなった野馬追。しかし今年の祭りは、もうじき終わろうとしていた。

 荒ぶって緊張から逃れたくなった一頭の馬が、馬上の武者を振り落とし、猛ダッシュで逃げていった。何人かの馬丁が追いかけ、道路に出たところでくいとめる。落ちた若者は相当痛かったと思うが、すぐに立ち上がったので安心した。馬にもケガがなくてよかった。
 そんな中、馬たちの集団を避け、端のほうで静かに立っている一頭の馬がいた。馬上にいるのは女の子だ。肩証(※3)に書かれた地位によると、高校生らしい。下で引き綱をしっかり握り、馬の興奮を抑えている馬丁は、お父さんなのかもしれない。
 私は先刻から彼女の存在が気になっていた。馬の一団から離れたところで安全を確保し、祭りの喧騒と興奮とはそっと距離を置く、その感じ。声高に自己主張はしないものの、しっかりと自分の意志を通す芯の強さのようなものを、彼女の凛としたたたずまいから感じた。
 誰かに声をかけるなら、彼女にしようと、その時から心に決めていた。

※1 参謀役を補佐する役。上司の命を受け、実務を担当する

※2 奥州中村藩の国唄として野馬追とともに歌い継がれてきた。元享3年(1323年)、お家騒動により陸奥国行方郡に入った相馬重胤が、かつての領地である下総国流山への望郷の念を歌ったことに由来するといわれている

※3 肩に結び付けられた布。役職や氏名が毛筆で記されている

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)、『旅ごころはリュートに乗って――歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)などがある。最新刊『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

特設ページ

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
  • マイ・ストーリー
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.