Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第15回  「トルコ行(2)」

【後編】

更新日:2021/07/21

 ほとんど誰も泊まっていないと思っていたのに、朝1階の食堂に下りると、意外にもテーブルはほとんど埋まっていた。冬休みにスキーをしに来たと思わしき一家族以外はみな一人客だった。出張なのかもしれない。
 朝食はシンプルなビュッフェ形式で、カルス名物のチーズと蜂蜜がふんだんに並べられていて頬がゆるむ。プレートにたんまりチーズを載せてテーブルに戻ると、食堂が静まりかえり、客たちがテレビに釘づけになっていることに気づいた。
 日本をたつ前日の2016年12月19日、アンカラでロシアのアンドレイ・カルロフ大使がトルコの非番の機動隊員に射殺された。カルロフ大使の遺体は翌20日、アンカラの空港で行われた追悼式典のあとモスクワへ空路で運ばれた。そして22日にはモスクワで追悼式典が行われ、プーチン大統領が出席した。トルコのエルドアン大統領は、現場で射殺された容疑者が、同年7月のクーデターを主謀した疑いがかけられているアメリカ在住のイスラーム指導者ギュレン師の組織に所属していたとの見解を示し、ギュレン派粛清の必要性を訴えた(2016年12月22日 AFP)。
 カルロフ大使の追悼式典や、銃口を向けて「アッラー・アクバル!」と叫ぶ容疑者の映像がモニターに流れ、誰もが不安そうな表情で見つめていた。
 様々な民族や集団が行きかったトルコの東の辺境までやって来て、現在の世界情勢を忘れかけていたところ、テロの嵐が吹き荒れるトルコの現実にいきなり引き戻された。しかもここは、かつて40年あまりロシアに占領されていた街だ。辺境が巡り巡って世界の中心になってしまったような、奇妙な感覚に陥った。

アニ遺跡

アブガミルの聖クリゴル教会。アニ遺跡で最も保存状態が良いとされる。©星野博美

世界遺産「アニの考古遺跡」の中心的な建築物、アニ大聖堂。©星野博美

大聖堂の中から見える、トルコとアルメニアの国境。古い橋が壊れたままだ。©星野博美

教会の壁には顔が削りとられたフレスコ画が残っていた。©星野博美

 ロビーで運転手さんを待った。昨日はタクシーを一日借りてアララト山を見に行ったが、今日は半日借りて、アルメニアとの国境に近いアニ遺跡を見に行く。カルスからアニまでは45km。大した距離ではないが、公共交通機関がないので、自力で行かなければならない。運転手さんが現れた。握手をしようとして、一瞬ひるむ。あまりに似ていたのだ、かつて世界じゅうの話題の中心にいた、あの人物に。しどろもどろになっていると、先方が先に口を開いた。
「似ているんでしょ、サダム・フセインに。よく聞かれますよ、先祖はアラブ人か? って。トルコ人なんですけどね」
 アニには小1時間ほどで着いた。堅牢な城壁にライオン・ゲートという門があり、そこから中に入る。運転手さんは、「近くの村でお茶をしてくるから、3時間後に迎えに来る」と言って立ち去ってしまった。近くの村? 周囲には何もないのだけれど。
 受付窓口には誰もいない。入場料を払わなくてはいけないのだが、席を外しているというより、本当に誰もいないようだ。あとで払うことにしようと思い、中に入る。現地でリーフレットをもらったりアニのガイドブックを買ったりしようという甘い考えは、早くも吹き飛んだ。チラシの一枚もない。とにかく自力で見学するしかない。
 ここは、今年(2016年)世界遺産になったはず。それにしては荒廃しているというか、放置されすぎである。
 アニの考古遺跡は、現在のトルコとアルメニアの国境の、渓谷と川に挟まれた三角地帯に位置し、川の向こうはアルメニアである。誰も立ち寄らないので雪が積もりに積もり、カルスの街中よりも雪深い状態となって、それが遺跡群をよりいっそう寂しく見せている。川には、爆破された古い石橋の跡がある。川に近づくと、石が積んであり、「軍事緩衝地帯 立入禁止」の警告が立っている。しかしその看板自体が錆びついて文字が読みづらくなっており、石も雪に埋もれているため、つい足を踏み入れてしまいそうだ。
 アルメニアは、301年にキリスト教を公認した、世界で最初のキリスト教国として知られる。アルメニア教会はビザンツ帝国の正教とは異なり、451年のカルケドン公会議(第四全地公会議)の決議を拒絶したことで分離した(というより、分離させられた)、いわゆる非カルケドン派(単性論)教会である。コプト正教会、シリア正教会、エチオピア正教会などと教義を同じくしている。ちなみに隣のグルジア(ジョージア)も4世紀にキリスト教を国教化して、アルメニアと同じくキリスト教の長い歴史を持つが、こちらはグルジア正教会である。
 アニは遠い昔、シルクロードの商業都市の一つだった。961年から1045年までの間、中世アルメニアで最も繁栄したバグラトゥニ朝アルメニアの首都だった。ちなみにその前に首都だったのがカルスだ。アニは「千と一の教会がある都」といわれ、最盛期には10万人の人口を有していたとされる。992年にはアルメニア教会の総主教座もここに移され、政治的のみならず宗教的にもアルメニアの中心だった。
 長旅をしてきた隊商が休息をとったキャラバンサライ。アルメニア教会の総主教座があった大聖堂は、廃墟ではあるものの、建築から千年以上たったとは思えない威容をいまだに保っている。が、窓はとうの昔に失われ、聖堂の中にまで雪が積もっている。
 そっと目を閉じ、当時の繁栄を想像してみる。とても想像がつかない。
 固定観念を逆転させなければならない。現在のトルコを中心とした地図を基準にすれば、ここは辺境中の辺境だ。しかし地図を離して視野を広げると、見え方が変わる。ここはシルクロードの東西交易路と、栄華を極めたバグダードからコーカサス山脈を抜けてロシア方面へとつながる南北交易路の、ちょうど十字路に当たる。黒海に出れば、黒海貿易で栄えたトラブゾンに近く、そこから船でコンスタンティノープルに出られる。ここを簡単に「辺境」と呼んだ自分の浅はかさを反省する。
 アニが繁栄を享受していた時、すぐそこまで危険が迫っていた。
 1045年、ビザンツ帝国に占領されてバグラトゥニ朝は滅亡。1064年、セルジューク軍の猛攻撃を受けてアニは陥落。その後、同じキリスト教のグルジア王国に支援を求め、その傘下に入った。
 そしてカルスと同じく、セルジュークのあとにはモンゴルがやって来た。1226年にはモンゴルの包囲を退けたものの、1236年には侵入を受けて略奪され、住民の多くが虐殺された。アニを守ろうとして守れなかった城は、今はアルメニアとトルコの軍事緩衝地帯の中にあり、容易に近づくことはできない。
 その後もティムール帝国、黒羊朝、白羊朝、サファヴィー朝、オスマン帝国、ロシア帝国……と、諸勢力が入り乱れ、最終的にこの地はトルコの領域になった。
 雪の積もった教会で上を見上げると、顔の部分が削りとられたフレスコ画が目に入った。のちにイスラーム勢力に侵入された場所ではよく見られることなので驚かないが、驚くのは柱に残された大量の落書きだ。これは明らかに最近のものと思われ、この地に対する敬意の欠如が感じられた。
 アニ遺跡がアルメニア領内にあったなら、かなりの敬意を以って手厚く保護されただろうに。最終的にトルコ領内となったことで打ち捨てられている様子を見るのは、悲しすぎた。

足跡をたどることです

軍事境界区域の警告。思わず見落としてしまいそうだ。©星野博美

トルコとアルメニアの軍事緩衝地帯内にあるアニの城跡。©星野博美

 アニを支配した勢力のめまぐるしさを見るだけでも、アルメニア人がたどった受難の一端が伝わってくる。祖国を大国に蹂躙され続けたアルメニア人はユダヤ人と同じく、ディアスポラを余儀なくされた。そしてオスマン帝国末期に帝国内のあちこちで起きた、アルメニア人大虐殺によって、離散にさらに拍車がかかった。
 アニとアルメニア人の受難について考えながら歩いていたら、突然足をとられ、腿のあたりまで雪にはまってしまった。まずい。周囲には誰もいない。第一、この遺跡には従業員の姿もない。
 かつて香港の海岸で泥にはまり、腰まで引きずりこまれたことを思い出して冷や汗が出る。ジタバタすると、余計深く引きずりこまれるので、慌ててはいけない。遠くに若いカップルの姿が見えたので、声をあげて手を振ると、駆けつけて引っぱり出してくれた。
「気をつけてください。人の足跡がないところは、絶対に歩いちゃダメです。足跡をたどることですよ」
 足跡をたどること──なんだかものすごく大切なことを教えてくれた。
 思えば、馬の気配を追った一連の旅先には本土、あるいは中心地から周縁に追放された人々の足跡や、そこで生まれた独自の文化があった。キリスト教徒のコミュニティーから排除されたロマの人々と、改宗を余儀なくされたモーロ(イスラーム教徒)がグラナダの洞窟で出会い、生まれたフラメンコ。スペインから追放されたモーロが、北モロッコに作ったアンダルシア風の町。
 しかしアニには、足跡だけが残り、人がいなかった。そのこと自体が、彼らの過酷な運命を物語っている。
 文明の十字路、多様性、異文化と異文化の出会い……そんな耳に心地よい言葉を、いかに自分が無責任に使ってきたかを痛感する。
 近いのに、心理的にとてつもなく隔たったトルコとアルメニア。目の前にある軍事境界線は越えられないが、いつか向こうのアルメニアへ行ってみたい。また一つ、宿題が増えた。

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)、『旅ごころはリュートに乗って――歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)などがある。最新刊『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。

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