知と創意のエンタテイメント 集英社 学芸編集部

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Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第10回 「モロッコ行(1)」

【前編】

更新日:2021/02/17

 くねくねと道なき道を進んでいく。メディナ(旧市街)のなかにあるリヤド(中庭のある家を宿に転用した邸宅)を出ると、とるものもとりあえずスーク(市場)へ向かった。向かったというより、一歩宿を出れば、そこはもう食料品スークである。まずはモロッコ国内で使えるSIMカードを手に入れなければならない。
 ここ、テトゥアンのメディナは、市街そのものがユネスコの世界遺産に登録されている。
 日曜日の午後とあって、ものすごい数の人がスークをいきかっている。とりあえず何も考えず、人にもみくちゃにされながら、この土地の流儀を体にたたきこんでいく。新しい街に入った時の儀式のようなものだ。

二つの大陸

 スペインの「レコンキスタ」を肌で感じるための旅はアンダルシアの対岸、アフリカへと移る。
 一つの旅行で国境を越えるのは久しぶりだった。まして大陸間移動となると、否が応でも緊張した。
 早朝にヘレス(へレス・デ・ラ・フロンテーラ)のホテルを出て路線バスに乗り、イベリア半島南端に近いアルヘシラスへ移動。そこの国際旅客船ターミナルで、モロッコへ渡る二時間後のチケットを買った。アルヘシラスから渡航できるアフリカ側の港には、セウタ、タンジェという選択肢があった。14世紀の大旅行者イブン・バットゥータの故郷であるタンジェに未練はあったが、多くの旅行者が向かうタンジェではなく、スペイン領のセウタを選んだ。最初の目的地であるテトゥアンへ向かうには、そのほうが交通の便がよいからだ。
 ヨーロッパとアフリカを結ぶ国際フェリーということで、ものすごい異国情緒を期待していたのだが、これがもう通勤旅客船という趣で、旅客の多くはスペイン国内で働いている風のモロッコ人や、犬を連れたままハンドバッグ一つで乗りこむような、軽装の人たち。しかも船内はガラガラ。バックパックを背負い、「おお、アフリカよ!」と興奮している客など、私くらいなもので、思いきり拍子抜けした。
 船が港を出て加速するとじきに、ジブラルタルの岩「ザ・ロック」が左手に見えた。
 イベリア半島の東南端に位置するジブラルタルは、そこだけイギリス領である。ここといい、マゼラン海峡のフォークランド諸島といい、イギリスというのは海峡の要衝を占領するのが本当に好きな国だよな、と愚痴りながら、岩山を眺めた。ジョン・レノンとオノ・ヨーコは1969年、ここで結婚式を挙げた。愛と平和を訴えたジョンとヨーコにしては、素晴らしい選択だったとは私にはとても思えないのだが。
 もっとも、モロッコの北端に位置するセウタやメリリャを占領したまま、いまだモロッコに返還しないスペインも、イギリスのことは言えない。それだけ、大西洋と地中海を結ぶこの海峡が戦略的に重要だということに他ならない。
 そうこうする間に早くも船は減速し始め、1時間ほどでセウタに到着してしまった。高速水中翼船ではなく、巨大フェリーで1時間というと、まったくたいした距離ではない。それもそのはず、アルヘシラスとセウタの間の距離はわずか40キロメートルほどなのだった。
 水中翼船で1時間かかる香港とマカオより、この2大陸のほうが近い。さらにいえば、この2大陸は、長崎港と五島の福江島よりもはるかに近い。
 アンダルシアとモロッコがこれほど近いと体感できたのは収穫だった。
 スペイン領セウタに上陸するとタクシーで国境へ向かい、徒歩でモロッコ本土に入った。国境検問所でパスポート・チェックを受けてフェンスから外に出た途端、さっきまでつながっていたスマートフォンが、きっちり電波を受信しなくなった。そこには店や両替所などは一切なく、乗り合いタクシーがひしめきあう、ただの郊外の道だ。ここからテトゥアンの宿まで、勘と気合いだけで行きつかなければならない。「テトゥアンまで行く?」と客引きの青年に英語で尋ねたところ、まったく無反応だったため、同じ内容をスペイン語にしてみたところ、「テトゥアンに行くよ!」とスペイン語で返答があった。
「両替所はある? ユーロしか持ってないんだけど」
「両替所なんかないよ。ユーロでOK。さあ、乗って」
 モロッコというとフランス語というイメージが強いけれど、北モロッコではスペイン語が通じるのか。レコンキスタ味があっておもしろい。しかしそれはレコンキスタというより、フェズ条約が原因だ。1912年のフェズ条約により、フランスはモロッコを保護国化し、国土の大半はフランス領モロッコ、そしてスペインがすでに領有していた西サハラに加えて北モロッコの一部がスペイン領モロッコとなった。そして翌1913年、テトゥアンはスペイン領モロッコの首都となった。モロッコの人にとって旧支配者の言語を東洋人が話すことはハッピーではないだろうが、最低限通じる言語があることを知って安堵した。

世界遺産と最新モバイルネットワーク

 混沌としたメディナには、そこらじゅうに野良猫がいて、商品の上に寝転んだり魚屋の魚を狙ったりと、自由気ままに過ごしている。宿にしたリヤドのエントランスにも、絨毯の上からまったく動かない猫がいた。これだけ混みあい、人と人がぶつからずに歩くのも困難なほどなのに、人々は器用に猫をよけて通る。猫が動かないので、人がよけるしかないのだ。イスラーム圏の人々は本当に猫を大切に扱う。アンダルシアではほとんど猫を見かけず、それがおおいに不満だったので、のびのび振る舞う猫を見るだけでもイスラーム圏に入った実感がした。

預言者ムハンマドが猫を愛し、清潔な動物というイメージがあることから、猫はイスラーム世界で広く敬愛されている。©星野博美

 お目当てのモロッコ国内用SIMカードは、いとも簡単に手に入った。
 モロッコ・テレコムのシンボルカラーであるオレンジ色の紙に包まれたSIMカードは、それこそ、そこらじゅうの路上タバコ屋で売られていた。しかし設定の煩雑さを考えると、誰かの助けが欲しい。そこでスマートフォンや充電池を売る小さな店に注目したところ、リヤドからわずかな場所にスキンヘッドの若者が開いている店を見つけた。
「ボンジュール」と言われて「オラ」とスペイン語で返すと、すぐさまスペイン語に切り替えてくれた。サッカーの元フランス代表ベンゼマに似た気さくなお兄さんだ。SIMカードはあるかと尋ねると、すぐに引き出しから出してくれた。案の定、取扱説明書にはアラビア語とフランス語しか書かれていない。「やってくれる?」とiPhoneを差し出すと、「バレ(いいよ)」と快く引き受け、またたく間に設定をしてくれた。
「これは1週間有効のプリペイドだから、1週間後にはまた新しいカードを買って設定してね」
「どうしよう? できるかな」
「また俺みたいな若者を探して頼んだらいいよ」
 この上もなく優しい。そして便利だ。世界遺産と最新モバイルネットワークのギャップにめまいがする。

アンダルシアとの連続性

 テトゥアンの歴史は古い。紀元前3世紀頃にはフェニキア人の交易の場として築かれ、1世紀のアウグストゥス帝時代にはローマ帝国の属州に入り、4世紀末にローマ帝国が東西に分裂したのちは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配に入った。
 モロッコの歴史を見ていると興味深いのは、イスラーム化したタイミングだ。アラビア半島でイスラームが誕生すると、またたく間に北アフリカへ進出し、ビザンツ帝国の版図を奪っていった。そしてウマイヤ朝の将軍ムーサーがモロッコを征服し、711年にはさらにジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島へ侵入した。つまりイスラーム・スペインの誕生とモロッコのイスラーム化は、ほぼ同時期だったわけである。どちらの人々にとっても、新しい価値観の到来だったのだ。
 テトゥアンがある場所にカスバ(城塞)とモスクが建てられ、現在の街の基礎が造られたのは13世紀末、ベルベル人王朝であるマリーン朝の第6代スルタン、アブー・ユースフ・ヤアクーブ(在位1259~1286年)の頃といわれ、街の規模を拡大したのはアブー・サービト(在位1307~1308年)だった。アブー・ユースフ・ヤアクーブといえば、アンダルシア南部までを支配したムワッヒド朝を滅ぼし、本連載第9回に登場したカスティーリャ王「賢王」アルフォンソ10世と、ジブラルタル海峡を挟んで熾烈な勢力争いを繰り広げたモロッコの王である。私がスペインとお別れしたアルヘシラスも、タリファ、ジブラルタルとともに1275年、この王に奪われた。アルフォンソ10世がレコンキスタしたばかりのヘレスも包囲されたが、こちらは最後まで落ちなかった。
 宿敵のように見える二人の王だが、奇妙な連帯関係もあった。アルフォンソは晩年、息子のサンチョに廃位を言い渡されて朝廷から追放されるが、なんと、かつての宿敵、アブー・ユースフ・ヤアクーブに助けを求めたのだ。敵の敵は味方、という論理である。応じたモロッコの王は海峡を渡ってまたたく間にコルドバを包囲し、マドリードまで攻め上がった。結局援軍が来ずにヤアクーブはサンチョと講和して退却し、アルフォンソはセビーリャで失意のうちに息を引き取った。
 この街の基礎がその時代に形作られたと思うと、賢王好きの私には感慨深いものがある。
 テトゥアンの人口が急増したのは、1492年、グラナダ王国が陥落してレコンキスタが完了したことがきっかけだった。カスティーリャ王国のイザベル1世とアラゴン王国のフェルナンド2世、いわゆる「カトリック両王」は、グラナダの陥落からわずか3か月後、ユダヤ人追放令を出した。モーロ(スペインのイスラーム教徒)追放令が出るのは、それから百年以上あとのことだったが、グラナダの陥落を機にモーロやユダヤ人が大挙して海峡を渡り、モロッコに逃れた。グラナダ王国最後の王、ボアブディルも最後はフェズに逃れ、そこで生涯を閉じた。

テトゥアンのメディナ(旧市街)の夕景。丘の上にカスバ(城塞)が見える。©星野博美

 何代にもわたってアンダルシアで暮らした人々にとって、モロッコは故郷ではなく、見知らぬ異郷である。もう戻れないアンダルシアを思い、どんな気持ちだっただろう? 
 光の差さないメディナから光のあるほうへ向かって門をくぐると、丘の斜面にびっしりと民家がひしめきあうように建っている。丘の最も高いところに、この街で一番早くできたカスバがあり、メディナはその裾野に、城壁に囲まれて建っている。城壁を出た所に広がる広場には、日曜日の夕暮れということもあってたくさんの家族連れが繰り出し、夕涼みをしていた。
 そこから丘を見上げると、「あ!」と思わず声が出た。
 アンダルシアの「白い村」とそっくりだ。
 アンダルシアがこちらに似ているのか? それとも、こちらがアンダルシアに似ているのか? 一瞬、前者のように思えるが、後者だ。イベリア半島を追われた人々にとって故郷はアンダルシアなのだから、向こうがオリジナルである。
 モロッコに来るまで、そのことに思い至らなかった。

(後編に続く)

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)などがある。最新刊は『旅ごころはリュートに乗って――歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)。

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