Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第8回 「アンダルシア行(2)」

【後編】

更新日:2020/12/16

 アンダルシアで馬に乗りたい。
 大それた乗馬でなくてかまわない。とりあえずこの地で馬にひとまたぎできれば、それでいい。
 そう考え始めたら居ても立ってもいられず、インターネットで探した。そしてヨーロッパ各地の様々なアクティビティの予約を行う代行サイトで、ようやく外乗(がいじょう)ができるところが見つかった。場所は次の目的地であるセビーリャの近郊。セビーリャでは少し長めに宿を確保しているので、都合がよかった。
 代行サイトから仕事を請け負った、英語の話せるフリーのコーディネーターが、自家用車を運転してホテルまで迎えに来てくれた。ふだんはビデオ撮影のスタッフとして働き、副業として「送迎だけでなく、どんな仕事でも」しているという。車内にはイギリスから来た夫妻、ジェニファーとオリバー、そして女友達のサラがすでに乗っていた。彼らが今日の旅の供だ。3人とも旅先で馬に乗ったことはあるが、本格的な乗馬経験はないという。
 ひとしきり雑談をしたあと、サラがコーディネーターの青年に尋ねた。
「カタルーニャの独立について、どう思う?」
 車内に緊張が走った。
 折しも二日前、カタルーニャ自治州の独立を問う住民投票がカタルーニャで行われ、圧倒的多数で独立が支持された。私もホテルのテレビでニュースを見たが、ニュース映像の多くが喜びに沸くバルセロナ市民の様子を映したものだったため、スペイン全土がそんな空気に包まれているかのような錯覚を起こしていた。
 それが、現実のほんの一断面に過ぎないことを知らされたのは、翌朝だった。
 ホテルから外に出ると、セビーリャの街では、カタルーニャ独立を支持しない姿勢を示すスペイン国旗が、住宅の窓々からはためいていたのだ。アンダルシアではこれほど冷めているのかと、虚を突かれた思いがした。
 その日の晩、コルドバで知り合ったセビーリャ住民のエレナという女性と食事をした。私もサラと同じように、軽い気持ちでカタルーニャ独立について尋ねた。すると彼女は顔面蒼白になり、「こういう話題を口にするのは、とても勇気が要る」といって、やんわりと回答を拒否した。
 スペインでは、フランコによる独裁政権があまりに長く続いた影響で、ある一定以上の年齢の人は政治の話を嫌う、と聞いたことがある。あまりに軽々しく尋ねたことを反省したものだが、同じような緊張が、再び車内に走ったのだった。
「カタルーニャはスペインで一番豊かな州だから、独立してもやっていける自信があるんでしょうね。それほど独立したいなら、すればいいと思いますよ。でも我々アンダルシアの人間は、スペインなしでは生きていけません」
 青年はそう言い、それから車内は静けさに包まれた。

アンダルシアンに乗る

 ホテルを出発してから30分ほどで、目的地の馬術センター「エル・アセブッチェ」に到着した。周囲に広がるオリーブ畑。赤いレンガでできた門柱に水色のペンキで塗られた木のゲート。地面は砂のようにサラサラしている。馬房は赤茶色と深緑のペンキで塗り分けられ、細部の美意識が美しい。その色彩感覚が、私の記憶にある広東及び福建省の沿岸地域と似ていた。
 旅をしていると、その土地の人々の色彩に対する感覚を興味深く思う。いま目の前にある色づかいが、たとえば東京近郊の馬場で繰り広げられていたら、あまり似合わないだろうが、ここの太陽の角度だと実に映える。色彩の好みは、その土地を照らす太陽の強さ角度、そして風の強弱に影響を受ける、というのが私の持論だ。
 中国の華南地方とアンダルシアは、どことなく似ているというのも、あながち的外れではない。アンダルシアではアーモンドが採れるが、福建省の人々は落花生を手放さない。そして華南ではオリーブによく似た橄欖(カンラン)が採れる。橄欖とカラシ菜の佃煮「橄欖菜(カンランサイ)」は私の大好物で、お茶漬けにのせたり、調味料としてパスタに入れたりと、洋の東西をまたいだ食べ方をしている。
「エル・アセブッチェ」は観光客を馬に乗せることがメインの観光牧場ではなく、屋外馬場に屋内馬場、そして馬用のウォーキングマシーンまで備えた、本格的な馬術センターだった。屋外馬場では、相当キャリアの長そうなライダーが2人、自主練習を行っていた。依頼が入った時に、観光客用の外乗も行う、という形式のようだ。
 私たちを引率してくれるインストラクターは、休日に畑仕事にいそしむクラーク・ゲーブル、といった体(てい)の渋い男、ダニエルだ。彼が私に選んでくれたのは、クスコという名の芦毛の牡馬。他の3人は黒鹿毛の馬だった。

アンダルシアンのクスコ。サラブレッドと比べ、均整のとれた体格の馬だ。©星野博美

「この子はアンダルシアンですか?」という私の問いに、ダニエルは「アンダルシアンの雑種だよ」と答えた。
 アンダルシアンとは、アンダルシア地方の馬の総称であって、正式な品種名ではない。スペインでは1912年より、スペイン産純血種をP.R.E.(Pura Raza Española)と呼び、雑種のアンダルシアンとは区別するよう定めた。が、一般的には両方を「アンダルシアン」と呼ぶことが慣習となっている。つまり、スペインにおいては、「アンダルシアン」といえば雑種を意味し、純血種の場合はP.R.E.と付け加えることになる。
 私は、馬の血統には興味がない。アンダルシアの地で生まれ育った馬に乗れれば、それでいい。芦毛のクスコが、早くも愛おしく思えた。
 クスコはサラサラの白いたてがみの持ち主で、光が当たると金色に近く見える。体高は私の肩くらいなので、それほど高くない。頸がたくましくて胸は厚い。胴はどっしり、脚もしっかりして安定感がある。こうして見ると、ひたすら速く走らせるために品種改良された脚長のサラブレッドが、いかに不自然なバランスの体をしているかがわかる。
 私たちはまず、屋内馬場で軽いレッスンを受けた。
 緊張するひとときである。なんとなく歩かせているだけのように見えるが、実情はまったく違う。馬体の大きさ、馬の気質は個体によりもちろん異なり、さらにその土地によって扶助(指示)の出し方なども異なる。これから歩く地面は草なのか、土や砂なのか。その乾燥具合は? 囲いで覆われた馬場から出たあと、どのような風景の中を歩くのだろう。広さは? 地面のアップダウンは? いろんな場面を想定し、心の準備をする時間だ。
 常歩(なみあし)をしながら、人間と馬の間でコミュニケーションをとり、駆け引きというかすりあわせというか、互いのことを知っていく。クスコは非常に感度がよく、軽い扶助でもただちに反応する子だった。安全な馬場にいる間に、発進、停止の扶助を繰り返し練習する。
 私が通う乗馬クラブの初級者で、「この馬はなかなか走らないから、よく走る馬に替えてほしい」と不平を述べる人がいる。が、それは不当ないいがかりで、馬が走らないのは、人間が出す扶助が正しく伝わっていないことがほとんどだ。
 インストラクターの先生は口を酸っぱくして言う。馬をコントロールするにあたって大事なのは、走らせることより、止めること。馬が何かの拍子に走り始めた時、止められなければ、落馬という惨事を迎えることになる。
 クスコはよく走れそうな子なので、よりいっそう、停止を復習した。

野生のオリーブ

芦毛のクスコに乗って、静けさ漂うオリーブの道をゆく。©星野博美

 室内馬場でしばし馬体に慣れたあと、馬にまたがったまま馬場を出、近郊トレッキングに繰り出した。
 若い木が多いオリーブ畑の道を、常歩で進んでゆく。
 乾きすぎて砂のようになった地面を、馬の蹄がキュッ、キュッというかすかな音を立てて踏みしめる。その音が聞こえてくるほど、周囲は静まりかえっている。私たちは会話を禁止されたわけでもないのに、その静寂に気おされたかのように、無言で歩を進めた。
 馬場からついてきた2匹の犬が、ダニエルの馬とクスコの間を歩き、右に寄ったり左に寄ったりして、残された匂いをチェックしている。オリーブの木の葉の間から、太陽のしずくがキラキラと降り注いでくる。
 静かだった。ひたすら、静かだった。
 何かに乗りながら、これほど静けさを感じたことはない。動力のない自転車に乗っていたって、車輪の回る音がする。
 ふだんクラブで乗る時も、たくさんの音に囲まれている。馬場の周りを走る車、子どもの声、先生から飛んでくる指示など、様々な生活音が混じっていた。
 モンゴルでは、自然の中で馬に乗ったものの、「なぜもっと走らせてくれないのか」という雑念に支配され、音にまで集中していなかった。
 馬に乗るとは、本来、こんな静かな世界なのだ。
 穏やかな馬と、さほど緊張の要らない常歩。その条件が合ってはじめて、風景や光や風を楽しむことができる。
 走りたいと思っている時は、欲望が勝ちすぎて、風景も音も、実は何も楽しんでいないのだった。
 ダニエルが馬上からオリーブの木に手を伸ばし、実を二つもぎとってくれた。黄緑色をした、まだ固い実だ。
「うちのセンターの名前、Acebuche(アセブッチェ)は、『野生のオリーブ』という意味なんだ。この地方を象徴する木だよ」
 そんな素敵な意味がこめられていたとは。
 オリーブ並木の道を抜けると、広い野原が目の前に広がった。目の前に、空に向かって両手を大きく伸ばしたような巨木が立っている。
「あれはイベリコ豚が大好きな木だよ」
 どんぐりの木だ!
「ここでは飼っていないけど、あの実をたくさん食べて大きく育つんだ」
 オリーブにイベリコ豚。スペインを代表する食文化が生まれる場所に、馬に乗ったからこそ触れられた。馬は、その土地の別の層を見せてくれる。

大きなどんぐりの木。その実はイベリコ豚の大好物!
©星野博美

 突然、後ろから悲鳴が上がった。目の前に原っぱが出現した途端、サラの乗った黒鹿毛の馬が、あっという間に私たちを追い抜いて爆走した。狭い道から野原に出た喜びで、走り出してしまったらしい。2匹の犬も大喜びで追いかけていく。
 馬に乗り始めてまだ日も浅い頃、長野でモンゴル馬に爆走された時の恐怖がよみがえる。クスコがつられて走らないよう、手綱を強く握った。
 ダニエルがすぐさま馬で追いかけて黒鹿毛の馬の手綱を握り、ストップさせた。
 よかった。サラは落馬せず、なんとかもちこたえた。そして恐怖で硬直するサラを降ろしてダニエルが乗り換え、しばし調教を始めた。
「大丈夫?」とサラに声をかける。
「怖かったわ。何もしてないのに、突然走り始めたの。まだ心臓がドキドキしてるわ」
 ダニエルは馬を襲歩(しゅうほ)で思いきり走らせたあと、馬の興奮を抑えるようにぐるぐる円を描き、徐々にスピードを落としていった。そして最後は常歩になり、「もう大丈夫。言うことを聞くだろう」と言って馬から降りた。
「乗って帰る? それとも歩いて帰るかい?」
「乗るわ」
 サラは気丈にもそう言い、もう一度馬にまたがった。
「大事なのは、走らせることより、止めること」
 いつも先生に言われていることが、身に染みた。
 私たちはもと来た道を、再び常歩で戻った。帰り道は、馬が早く帰りたくてまた走り始めることがあるので、往路よりもさらに注意が必要だ。しかしクスコは、何のあぶなげもなく、安全に私を乗せて帰ってくれた。

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)、『旅ごころはリュートに乗って――歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)などがある。最新刊『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。

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