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Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第6回 「モンゴル行(2)」

【後編】

更新日:2020/10/07

 スタジアムで行われた建国物語も圧巻だったが、ナーダムの目玉は、個人的にはなんといっても競馬である。これが見たくて、モンゴルまで来たといってもいい。

 前編でも書いたように、馬の負担を軽くするため、競馬の騎手は6歳から12歳の子どものみ。男女は問わない。馬の年齢によってレースがクラス分けされ、約15~30Kmのレースに臨む。
 2歳馬 (ダーガ) 15km
 3歳馬 (シュドレン) 20km
 4歳馬 (ヒャザーラン) 25km
 5歳馬 (ソヨーロン) 28km
 6歳以上の成馬 (イヘ・ナス) 30km

 スタジアムで開会式を堪能したあと、私たちは再び車に乗って、競馬の行われるフイ・ドローン・ホダグ草原へ向かった。ゴール地点に即席の観覧席が設けられ、そこで競馬を見る算段となっていた。私たちが見るのは、6歳以上の成馬、イへ・ナスによる約30kmのレースである。

 ゴール地点付近の駐車場に車を停め、歩いて向かう。弾力のある雲が浮かぶ真っ青な空に、どこまでも続く緑の草原。風景が地平線できっちりツートーンに分かれている。界隈の草原にはおびただしい数の人々――ほとんどモンゴルの人々と見受けられた――がすでに集まっていた。
 テントを広げてキャンプを楽しむ家族、シートを敷いて日光浴を楽しむ人、乗り物としての馬で来ている家族、パラソルを広げ、何頭もの馬を従えて待機する、オヤーチ(調教師)と思わしき人たち。草原の上に散らばる色とりどりのテントやパラソルが、地上に落ちた花びらのように見える。人々は思い思いに祝祭の日を楽しんでいた。
 私たちが到着した時、まだ観衆はまばらだった。ゴール地点にはパブリックビューイングのための巨大なスクリーンが設けられている。国民的イベントのナーダムは中継放送されるため、スクリーンにはレース直前のスタート地点の模様が流れていた。しばらくするとレースが始まったむねが放送され、客席に観衆が増え始めた。私たちはそれを見ながら、馬の出現をひたすら待つ。
 せいぜい数分でレースが終わる日本の競馬とは異なり、このレースは30kmという長丁場である。レースが始まったという告知から彼らが姿を現すまで、悠に一時間はかかる。なんとも宙ぶらりんな状態に観衆は置かれることになる。
 幼い騎手たちは、一度ゴール地点に集結してエントリーを済ませ、スタート地点まで一斉に馬で向かって、それからレースに臨む。つまり馬は2倍、このレースの場合、60kmもの距離を走るわけで、馬の疲労を計算した走り方をしなければ、とてもではないがもたない。幼い騎手たちにも高度な状況判断が求められるのだ。

ナーダムの競馬の騎手は6~12歳の子ども達。男の子も女の子も参加できる。©星野博美

 ナーダムの競馬は、モンゴルが世界帝国を築いた時代に整備した駅伝制度「ジャムチ」が起源だといわれる。
 都がおかれたカラコルムから帝国の隅々まで、広大な版図内での通商と情報伝達を円滑にするため、ジャムチは作られた。交易路の約30kmごとにジャムチが設置され、旅人や外交使節に宿舎や食糧、そして新しい馬が提供された。ひと駅を走り終えた馬はジャムチで休息を与えられ、旅人は次の馬に乗り換える。そして馬は十分に休養したあと、また別の旅人に乗られて次の目的地まで走る。マルコ・ポーロも、フランシスコ会修道士だったプラノ=カルピニのジョン(※1)もルブルクのウィリアム(※2)も、イブン・バットゥータも、このジャムチを利用して旅をした。
 現代の私たちがようやくその便利さに気づいたカー・シェアリングのような、極めて合理的なシステムを、モンゴル帝国はすでに構築していた。このジャムチを利用した高速情報伝達網が、モンゴル帝国の繁栄の基盤だったといえる。
 ナーダムの競馬の距離はおよそ15kmから30km。なるほど、ここで繰り広げられる競馬から、モンゴル帝国時代の駅伝の早馬を想像できるではないか。
 すごいぞ、ナーダム。どこを切り取っても、モンゴル帝国の栄華を思い起こさせる仕組みなのだった。

馬軍団がやってきた!

 私は双眼鏡で草原のはるか向こうを覗きこみ、子どもたちを乗せた馬が到着するのをいまかいまかと待っていた。向こうはなだらかな丘になっていて、微妙な下り坂を彼らは駆け降りてくることになる。さっきまでカンカン照りだった空は、一転して分厚い雲で蓋をされ、激しいスコールに見舞われた。
 ガイドさんが車の中で配ってくれた雨合羽を慌てて身に着ける。こんな晴天で雨合羽? とその時は不思議に思ったが、スコールまで見越していたとは……。予言者か。
「あ、見えました。もうすぐ来ますよ」
 はるか向こうを裸眼で見つめるガイドさんが傍らでつぶやいた。私にはまだ全然見えないのだが……モンゴル人の視力は、本当にとてつもない。
 まだ見えない。双眼鏡の視界に全神経を集中させる。するとレンズの向こうで草原から土埃が舞い上がり、視界が真っ白になって何も見えなくなった。いよいよ来るのか? 否が応でも緊張する。客席がざわつき、モンゴル人のお客さんたちが「ヒューヒュー」と声を上げ始めた。彼らにもすでに、何かが見えているようだ。
 え、何? 姿が見えた! と思ったら、馬の軍団は、もう、すぐそこまで迫っていた。誇張ではなく、本当にそうなのだ。
 これがヨーロッパを震撼させた、地獄〈タルタロス〉からやって来た、恐怖のモンゴル軍団か! 私は、モンゴル軍に奇襲された、ヴォルガかどこかの河畔の村人の気持ちになっていた。
 地平線の向こうから地響きのような音がかすかに聞こえてきて、農作業をする手を止め、腰を伸ばして遠くを見る。何も見えない。しかし不吉な地響きはどんどん大きくなる。土埃が舞い上がり、視界が真っ白になる。何? 本能的に凝視してしまう。あ、と思った瞬間、土埃からモンゴル軍の騎兵隊が姿を現し、こちらに向かって突進してくる。鋤(すき)を放り投げて家に逃げこもうとしたが、すでに時遅しだった……。そんな映像が頭に浮かんだ。
 いやいや、レースに集中しよう。 
 やっと馬にまたがれるくらい小さな体の子どもたちが、一つでも順位を上げようと、ラストスパートをするため立ち乗りになり、手綱を右へ左に振って馬に鞭打っている。あ、誰も乗せていない馬がやって来る。どこかで子どもを落としたらしい。首を前に伸ばし、必死で走り続けている。また無人の馬だ。けっこう落馬する子が多いらしい。
「馬は、一度スタートしたら、子どもを落としても走り続けるんですよ」とガイドさんが言う。
「声を出して応援してあげてください。自分も小さい頃、レースに出たことありますけど、最後にみなさんの声が聞こえると、すごい力が出ます。馬も、きっとそうです」
 疲労困憊して、常歩(なみあし)になっている馬が来た。いまにも倒れそうだ。思わず、悲鳴にも似た声を上げてしまう。

子どもと馬が草原を疾走する。子どもを乗せていない馬もいる。*画像は動画からキャプチャーしたものです。©星野博美

 見るまでは、競馬場のゴール前のように、興奮のるつぼになるだろうと想像していた。しかし現場で見たら、急にしんみりしてきて、なんだか涙も流れてきた。
 これは過酷だ。日本の競馬場で競走馬が走るのは、最短距離で約1km、最長でも約4km。それを考えたら、このレースがいかに苛酷であるかは容易に想像がつくだろう。
 実際ナーダムでは、途中で倒れて死んでしまう馬が何頭も出るという。長距離を短距離走の走り方で走るのだから、心臓がもたないのだ。
 死の危険は、馬だけでなく、騎手の子どもたちにもある。レース中は救護車がぴったり張りついて伴走し、不測の事態に備えてはいるが、落馬した子どもも、下手をすれば命を失うだろう。アルジャジーラ(カタールの国営衛星放送)で、ナーダムの競馬で命を落とした子の家族や、片足を失う大ケガをした子を追ったドキュメンタリー番組を見たことがあるが、それが決して稀なケースではないことが、現場にいたら実感できた。

 これはただのお祭りなどではない。馬も人間も、命をかけた真剣勝負だ。
 その闘いの激しさを少しでも実感させるため、天がスコールを降らせているみたいだった。
 せめていまは、濡れよう。この痛みを体に叩きこみ、決して忘れないように。

 そろそろ行きましょうか、とガイドさんが言う。まだレースを闘っている子どもと馬がいるのに、後ろ髪を引かれるが、帰り路の渋滞を避けるため、私たちは席を立った。
「すごい迫力だったね」
「ナーダム見に来て、本当によかった!」
 みな興奮冷めやらぬ面持ちで、口々に感想を語りあっていた。私ひとり、落ちこむというのとは少し違うけれど、頭をガツンと殴られたように打ちひしがれていた。
 年端もいかない子どもたちが、落馬してケガをしたり、愛馬を目の前で死なせたりして、レースを通して心も体も傷つきながら、成長していく。
 馬とともに生きるとは、そういうことだ。
 遊びではない。馬に乗ることが、人生そのものなのだ。
 自分は馬とどう付き合ったらいいのだろう?
 なんだか急に、自分のことが恥ずかしくなった。
 彼らが一頭一頭、家族同然に手塩をかけて育てた馬に、外国からいきなりやって来て「走れ」と頼むことは、とてつもなく不遜に思えた。
 私はこの時から、「走らせてくれ!」とは一切言わなくなった。

*1 中部イタリア・ペルージャ近くの町、プラノ・カルピニに生まれたジョン修道士は1245年、ローマ教皇インノケンチウス4世によりモンゴル帝国へ派遣された。その報告書はモンゴルの事情・風俗習慣を初めてヨーロッパに伝えたものとして知られる。(『中央アジア・蒙古旅行記』カルピニ/ルブルク 護 雅夫訳/講談社学術文庫 などより)

*2 フランス・ルブルク生まれの修道士ウィリアムは、フランス国王ルイ9世が派遣した使節団の一員として1254年、モンゴル帝国の首都・カラコルムに到着。モンゴル、中央アジアを広く見聞し、貴重な旅行記を残した。(同上)

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)などがある。最新刊は『旅ごころはリュートに乗って─歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)。

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