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Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第5回 「モンゴル行(1)」

【後編】

更新日:2020/09/02

モンゴルで馬に乗る際の禁忌

 とはいえ、ヘラヘラ喜んでいられるのはここまでだ。モンゴルで馬に乗る際は、様々な注意事項がある。日本を出る前、旅行会社からも再三にわたって念押しされていた。
 モンゴル馬には、してはいけないことがてんこ盛りなのである。
 まず、馬にはけっして後ろから近づいてはいけない。驚いて蹴られる可能性が高いからだ。乗る際は必ず講師に押さえてもらい、自由を拘束してから乗る。馬体の左側から乗るのが鉄則だ。
 馬の体や顔には、極力触らないようにする。いくらかわいくても、むやみに撫で回してはいけない。触られることに慣れていないため、攻撃だと勘違いされて、噛まれたり蹴られたりする危険性がある。
 服装の注意事項も多い。モンゴルの草原に存在しない類の色――蛍光色やドギツい原色系統――の服は避ける。草原で暮らす馬にとって、自然界に存在しないものはすなわち、得体の知れない恐ろしい存在なのだ。
 これは意外な盲点だった。アウトドア用のウィンドブレーカーや防水ジャケットは、遭難した場合に遠目からでも探しやすいよう、派手な配色の製品が多い。外乗(がいじょう)用を想定して買った私の防水コートも真っ赤な代物で、日本で外乗する際に問題視されたことはないが、モンゴルでは一発アウトなのである。
 さらに、シャラシャラという音を立てがちな服も避けなければならない。馬上で衣服を脱ぎ着してもいけない。肉食動物に捕食される馬は、聴覚を研ぎ澄ませて危険を察知する。背後で耳慣れない音を耳にすると、馬が脅えてしまう。結局、黒の、音がしない素材でできたウィンドブレーカーに、撥水効果のあるベージュの山登り用パンツといういでたちとなった。
 同じく、自然界には存在しない奇妙な音を発するデジカメやスマホなど、荷物は一切持てない。ビニール袋のガサガサという音、ファスナーを開ける際のジッジッという音、それらすべてが彼らを脅えさせるので、ウェストバッグもリュックも厳禁。水筒や熱中症予防用のキャンディーなどは、小さな袋に入れてガイドに渡し、まとめて持ってもらう。
 途中でほどけて宙に舞うのを防ぐため、タオルや上着を体に巻きつけることも厳禁だ。
 ふだん通っているクラブで、風に舞って空中を漂うレジ袋に驚愕して、暴走した馬を見たことがある。馬には、浮遊する得体の知れない動物か、ゆるやかな速度で自分の顔面を襲いにきた、空飛ぶクラゲのように見えたのだろう。騎乗者はその後、もちろん落馬。不運な事故だった。
 私自身にもこんな体験がある。馬場のはるか向こうの駐車場に停められた自動車のサイドミラーに日光が反射し、スパイが暗号を送るように、角度によってピカッ、ピカッと点滅を始めた。その突然の発光に馬が驚愕し、突然進路を変えて暴走されかけたのだ。馬にとっては、捕食動物の攻撃の合図のように見えたのだろう。
 音に関しては、レッスンがちょうど近隣の小学校の下校時間にさしかかってしまい、馬場向こうの路地で大声をあげながら走る小学生軍団――姿は見えず、パタパタという足音と嬌声だけが聞こえてきた――に脅えた馬に、やはり暴走されかけた。
 こんなこともあった。3月の終わり、午前中に騎乗していた時、馬場を囲む竹林の向こうからドンドコドンドコという太鼓の音が聞こえてきた。あとで聞いたところによれば、近隣の老人ホームで春の歓送迎会が行われ、和太鼓グループがパフォーマンスをしていたのだった。この煽情的な音には私の騎乗した馬だけではなく、一緒にレッスンをしていた他の2頭も脅え、3頭が挙動不審になって蹄跡(ていせき ※1)から外れ、出口を求めて走り始めた。敵の軍団が林の向こうから追いかけてくるように感じられたに違いない。この時ばかりは、太鼓の音が終わるまで、レッスンを一時中断せざるを得なかった。
 ものにしろ音にしろ、馬にとって人間世界は、怖いもので溢れていることを実感したものだった。住宅地の一角というハンディを負い、人間世界に相当慣れているはずの乗馬クラブの馬でさえそうなのだから、自然の中で生きるモンゴルの馬が、あらゆるものを怖がることは想像に難くない。
 モンゴル馬に乗る際は、片手で手綱をまとめて握り、片手は空けておく、いわゆる片手手綱である。鞭は使わない。余った手綱──本物の綱でできている──を、握っていないほうの手で馬体に軽く打ちつけることが鞭の代わりとなる。ふだんクラブで、あまりに馬が動かない時、馬の脇腹をポポンとかかとで軽く蹴って扶助(指示)を出すことがあるが、慣れない人間がモンゴル馬にするのは厳禁だ。東京近郊の狭い馬場では、たとえ暴走したとしても行ける範囲はたかが知れているが、草原では本当に、どこまでも走っていく恐れがある。
 とにかく、遊牧民とガイドの指示に従うこと。安全に乗るためには、それが絶対条件だった。
 人間とは違う理由で馬はびっくりし、逃げようとする。馬を脅えさせる、あらゆる要素を排除すること。
 それをするためには、馬になったつもりで世界をとらえる必要があった。
 馬に乗れ、ではなく、馬になれ、なのだった。

脳内GPS

乗馬ツアーを先導した遊牧民の少年。民族衣装「デール」に着替えた途端、りりしい騎馬民族の顔つきに。©星野博美

 渡航前の旅行会社の説明では、乗馬経験の有無によって最初にクラス分けを行い、それぞれのレベルに合わせた乗馬をする、とのことだった。が、現地でクラス分けは行われず、私たち9名はなんとなく3グループに分けられ、手始めに草原を馬で散歩することになった。
 通訳を含む3名の遊牧民が馬にまたがり、私たちの馬の手綱を持ったまま、4頭ずつの馬が団子状態になっての、常歩(なみあし)による散歩である。
 そこに道は、ない。私などに見える形での道はない、という意味だ。
 しかし馬を先導する遊牧民の少年には、道が見えている。彼らは恐るべき視力を持っていて、遠くに見える山の稜線の形によって方角を確認し、コブの大きさや形状といった大地の起伏の変化がすべて頭に入っていて、自分たちがどの方向へ向かい、どれだけの距離を移動しているかを的確に認識している。しかもそれを眉間に皺を寄せるわけでもなく、鼻歌を歌いながら、時には友達とスマホで談笑しながら──ここに電波が届くだけでも驚きだったが──、難なく進んでいくのである。
 私たちの体内ではとうの昔に死滅してしまった、というより、ついぞ持ったことのないGPS機能を彼らは持っていて、頭上から出たアンテナが常に作動している感じだった。私には途方もなく広く、そして四方どこを見回しても同じように見えるこの草原も、彼らの頭の中では各種情報の詰まった、重厚な地図のように見えているに違いない。
 草原を読み解く能力というのは、ここで生まれ育ち、日々草原を行きかっていれば自然に誰でも身につく能力ではない気がした。
 ここで長い時間を過ごした人間なら、知識と経験からそれなりの地図はできるだろう。しかしそれは最低限の機能しかない、一番安いカーナビのような感じ。彼らの脳内カーナビには、草原で暮らした先祖代々の成功体験や手痛い失敗、不幸な出来事などが蓄積されており、世界にひとつしかない高機能カーナビを形成しているイメージが浮かんだ。

群れあう馬たち

つねにくっついて群れているモンゴル馬たち。どことなく不安そうだ。©星野博美

 私たちは馬に揺られ、草原をひたすら進んだ。ふだん同じ群れで暮らしているからか、馬たちはとにかく群れたがる。途中、草原の真ん中で休憩をする時も、馬同士がぴったりと体を近づけ、群れよう、群れようとする。
 歩く時もそうだ。手綱を束ねられていることもあってぴったりと馬同士がひっつきあい、ムギュムギュ押しあう。途中、雲が湧き上がって冷たい雨に見舞われたが、馬同士でおしくらまんじゅうをしながら歩いているため、寒さは感じない。
 自分のふくらはぎが馬と馬の間に挟まり、下半身の圧迫マッサージを行っているようだ。隣の馬とひっつきすぎると、加圧が上昇しすぎて暑苦しい。隣の馬の腹をぐっと押して体を引き離すのだが、押しても押しても、馬はくっつこうとする。その様子が愛らしくて、押したりわざと引いたりして、馬上で遊んでいた。
 突然、非常に奇妙な感覚に見舞われた。
 馬同士がこれほど接近して乗るなんて、ふつうはありえない。
 自分までもが、馬の群れの一部になったような錯覚を起こした。
 ふだん私は、「馬同士を近づけすぎないように」とインストラクターの先生から言われている。1頭につき1部屋をあてがわれた馬房から出す時。馬場へ連れていく時。騎乗する時と下馬する時。馬場で部班(ぶはん ※2)を行う時。馬同士にも相性があり、機嫌がいい時わるい時、気の強い馬、おとなしい馬、いろいろだ。サラブレッド同士が接触して巻きこまれたら、大事故につながりかねない。最低一馬身(※3)の距離を空け、何か突発的事象が起きても馬同士が接触しないよう、常に細心の注意を払っている。
 モンゴルの馬たちは、まったく違う。歩く時も休憩する時も、とにかく馬同士が離れたがらない。駐馬場につながれている時も、互いの背中に頭を乗せあったりして、ひっつきあう。その群れる様子があまりに愛らしくて、下馬後、あまり近づきすぎない距離からパチパチ写真を撮っていた。
 その時私が脳裏で描いたのは、「一緒に飼っている複数の猫が、路地の陽だまりの中でじゃれあい、リラックスしている図」だった。猫はそういう時、お腹をさらけだしてぐでんぐでんと横回転をし、毛づくろいをして休息を楽しむ。馬たちにも、そのイメージを期待していたのだ。
 ところが目の前でくっつきあい、離れようとしない馬たちは、リラックスした状態からは程遠く、不安そうな瞳をしていた。「馬にむやみに触れてはいけない」というお達しがあるからではなく、本当に触れられるような雰囲気ではなかった。
 きっと、怖くてたまらないのだろう。
 ここは草原だ。群れから離れることは、死に直結する。突発的な攻撃に見舞われた時、群れの中にいれば死の確率は格段に下がる。それを本能で知っているのだろう。
 愛くるしいけれど脅えた馬の瞳に、草原の過酷さを垣間見たのだった。

※1 馬術用語。馬場上に定められた馬の進路やコースのこと

※2 馬術の練習方法。号令者の号令に従い、複数の人馬が同時に同じ運動を行う。グループレッスン

※3 馬の体が伸びきった姿勢での鼻先から尻までの長さのこと。一馬身は一般に約2.4メートル

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)などがある。最新刊は『旅ごころはリュートに乗って─歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)。

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