Nonfiction

読み物

馬の帝国 星野博美

第3回 「馬と車」

【前編】

更新日:2020/06/17

 朝日の当たる馬場に、馬が一頭、また一頭と引き連れられ、放たれる。一日じゅう馬房で過ごす馬たちにとっては、他の人間たちが動き出す前のこのひとときが、唯一自由になれる時間だ。
 全速力で彼らが走る姿を見たくて、この時間を狙って早起きした。
 馬場に放たれた彼らは、喜びいさんで駆け回るかと思いきや、だらだらと適度な速歩で進み、木でできた柵の前でめいめいがぴたりと脚を止めた。そして柵の下に長い首を伸ばし、馬場の外に広がる草をはみ始めた。
 走らないのかい! せっかく自由になったのに。
 馬場の反対側からじっと目を凝らしていたが、彼らの目下の関心事は、草をはむこと、以上、だった。
 あ、走った! と思えば、馬の間で草をめぐる小競り合いが起きていた。自我の強い馬が自己主張の弱い馬を威嚇し、弱いほうの馬がちょこっと走って別の場所へ逃げる。そして身の安全を確認すると、再び一心に草をはんだ。
 馬は、意外と走らない動物である。
 本当に必要な時に全速で走れるよう、力を節約しているのだろう。

馬のいる自動車学校

 いまからちょうど10年前の2010年5月、私は長崎県五島列島の福江島にいた。島にあるごとう自動車学校で自動車運転免許取得の教習、いわゆる合宿免許をするためだ(この時の教習体験については『島へ免許を取りに行く』<集英社文庫>で書いているので、関心ある方はそちらをお読みいただきたい)。
 その頃私は、生まれた時から世話をしてきた愛猫ゆきを亡くし、さらにほぼ時を同じくして人間関係のゴタゴタが重なった。やぶれかぶれな気持ちになり、どこかへ行ってしまいたい気分が高まっていた。縁もゆかりもない場所へ行き、従来の自分だったら諦めそうなことに挑戦し、頭も体もクタクタにしたかった。
「そうだ、免許を取ろう」
 そして、できるだけ東京から遠い、五島へ行こうと思ったのだ。
 五島行きの決め手になったもう一つの理由が、馬の存在だった。
 ごとう自動車学校には、ダジャレではなく(いや、もともとはダジャレだったのかもしれない)、5頭の馬がいた。
「自動車の運転は人命に関わるものです。馬とのふれあいによって、優しさを大切にする安全運転者になって頂きたいと願い、全国唯一の乗馬体験が出来る自動車学校が五島に誕生しました」(ごとう自動車学校の2010年当時のホームページより)
 自動車学校に馬がいる――
 意味がわからない。しかしその意味不明な響きに心が躍った。
 猫を亡くし、東京の人間関係に疲れた私には、動物と過ごせることは何ものにも代えがたい魅力に映った。

 自動車学校は、福江島の南側、大浜海岸に面して建っている。寮の部屋からは、ヤシの木がところどころに立つ教習コースと、その向こうに広がる海を眺めることができる。
 そして寮の裏側には、教習コースの二倍以上はありそうな広い馬場があり、その隅に厩舎があった。そこにファンタジスタ、コータロー、エフィーブラック、アキタコマチではなくアキコマチ、そしてポニーのミセスゴジョウという、計5頭の馬が暮らしていた。
 技能教習と学科をすべて終わらせて最短2週間で仮免許まで取る合宿生は、目も回るほどの忙しさだ。私の場合も、午前、午後とびっしり予定がつまり、夕食後もナイターで技能教習が入っている。その合間を縫ってようやく初めて馬に乗ったのは、入校して3日目のことだった。
 乗せてもらったのは、小柄なエフィーブラック。厩務員のKさんにブリティッシュの鞍(※1)を馬装してもらい、台に乗って騎乗する。そしてKさんが引き綱を掴んで先導する、いわゆる「引き馬」で、馬場を何周か歩いた。
 この時の感覚は忘れられない。
 小柄な馬でも、これほど視線が高くなるのか。馬が歩くたびに上体が揺れ、足を載せた鐙(あぶみ)と手綱という、固定されないものにしかすがれない不安。いまは引いてくれる人がいるから心配ないが、いきなり走り出したらどうしよう? 馬とどのようにコミュニケーションをとったらいいのだろう?
 しかしそんな不安よりも、喜びのほうがはるかに優った。馬体にまたがった両脚全体から馬の体温が伝わってきて、自分はほとんど運動していないにもかかわらず、体がじきにぽかぽか温まる。何十キロという重さの人間を乗せ、文句も言わず、黙々と歩き続ける馬の愛おしさと、それに対する申し訳なさ。この感情は、ずっと後まで尾を引くことになる。
 その日は、30分ほど馬場を歩いて乗馬体験が終わった。そのあとは馬を洗い場へ連れていき、汗を拭いて入念にブラッシング。仕上げに、蹄鉄の間にたまった土やゴミを取り除く「裏掘り」作業をして、馬房へ返した。

教習コースよりも広い、ごとう自動車学校の馬場と、厩舎。そこには5頭の馬がいた。©星野博美

車から馬への逃避

 四十を過ぎてから自動車の運転に挑戦した私は、その世界観を受け入れるのになかなか難儀した。
 車の運転は、私には脳内のOSをすべて入れ替えるような作業に映った。
 まずは風景の見方を根底から変えなければならない。視線を前方に集中させながら、同時に後方、左右にも目を配り、意識を分散させる難しさ。鋼鉄の着ぐるみをまとうように、大きな車体を自分の体の延長として操る感覚。
 さらに、危険の予測。歩く時、人はおおむね現在だけに集中していればよいが、車に乗って前進する速度が飛躍的に上がれば、危険もまたそれと同じ速さで迫ってくる。常に未来を予測して、最悪の事態に備えなければならない。それらすべてのことが、これまでの日常にはまったく存在しない感覚だった。
 そうした感覚の変容は、文章に書く限りは興味深いものだったが、運転の現場に言語化は御法度だ。脳で考えてから体に伝えるのでは遅すぎる。言語化を経ずに体が反応するよう、頭で考える習慣を作らないよう、感覚を体に叩きこむ、それが教習だ。それなりに長い時間を生きてきた人生経験がまったく生かせない分野だった。
 なかなか運転は上手にならなかった。午前の教習がうまくいかない。落ちこむ。厩舎へ行って馬を撫でる。午後の教習もうまくいかない。落ちこむ。厩舎で馬のボロ(糞)掃除を手伝う。若い合宿生がメキメキ上達して仮免に合格し、次々と島を去っていくのを、私は見送る立場だった。いつしか厩舎へ入りびたるようになり、馬にもひとりで乗せてもらえるようになった。私があまりに落ちこんでいたため、「好きなだけ馬に乗せてあげてほしい」という校長先生の配慮があったと知らされたのは、ずっとあとのことである。
 だだっ広い馬場で、ひとりエフィーブラックに乗り、軽速歩(けいはやあし ※2)で走っていると、遠く教習コースで合宿生たちが車の教習を受けているのが見えた。
 どう考えてもおかしいだろう。
 自動車学校で、車ではなく、馬に乗っているなんて。
 その頃私は、免許の取得は半ば諦め、「車のかわりに馬を覚えて帰ろう」と思い始めていた。だからそれなりに必死で馬に乗った。
「馬はかわいい。車は全然かわいくない」
 そんなことを先生に言うと、
「馬と比べたら、車なんて簡単じゃろ! アクセル踏んでハンドルば回せば、思い通りに走ってくれるけん」
 と叱られた。

馬はのりもの?

 馬と車、両方にほぼ同時に乗り始めたことは、私の中で不思議な余韻を残した。
 馬は、動物であると同時に、のりものである。
 馬と接していると、ただ楽しい、かわいい、だけではない、なんともいえない申し訳なさが湧き上がる。
 車に意思はない。ガソリンを入れてエンジンをかけ、正しい操作をすれば自在に動く。
 しかし馬は自我を持っている。走りたくもないのに、人間に乗られて鞭で打たれたら走らなければならず、逆に、走りたいのに、人間から制御されれば止まらなければならない。
 馬は本来、自由な存在だった。ところが幸か不幸か、歯の間にハミをかませて手綱で操れば騎乗できることが人間にバレてしまい、飼育されるようになった。大型動物であるから、事故を避けるためにも、関わる以上は人間がコントロールしなければならない。
 計算高い人間と関わる限り、馬は仕事を与えられる。のりものとして。運搬作業を行う動力として。食べられる馬もいる。地域によっては、いまだに戦争にもかりだされる。皮は皮革製品に、尻尾はヴァイオリンの弓に、皮脂は化粧品に使われる。
 猫を溺愛し、猫に仕える従者と化していた私には、動物をコントロールし、何かをさせる立場に立つことに、大きなとまどいを感じるのだった。
 もしその罪悪感を払拭できないのであれば、一切馬に関わるべきではない。溺愛だけして制御できない人間は、馬にとって害悪ですらある。走る馬の写真や映像を見ては喜び、馬のキャラクターグッズを買ったりして悦に入るくらいでとどめるべきだった。
 しかしその地点に戻るには、もう遅すぎた。馬が見せてくれる新しい世界に、すでに魅了されてしまった。
 馬に乗ると、これまでに味わったことのない感覚が芽生える。体の奥深くに潜んだ何かが呼び起こされるような感覚。
 それは、引き出しにしまって忘れ去っていた記憶なのか?
 それともまだ使ったことがない身体能力のようなものなのか?
 その時はまだわからなかった。
 結局私は、福江島で仮免に合格するまでの1か月間、馬三昧をさせてもらった。限りなく贅沢な時間であった。

(後編につづく)

※1 日本の乗馬のスタイルは、イギリス式の「ブリティッシュ」とアメリカ式の「ウェスタン」に大きく分けられる。両者では乗り方や道具、服装が違う。オリンピックの馬術競技は「ブリティッシュ」を基本にしている。(公益社団法人日本馬術連盟ウェブサイトなどより)

※2 馬の歩き方・走り方には4種類ある。速度が速くなる順に常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)、襲歩(しゅうほ)という。ゆったりと歩くのは常歩、小走りの状態が速歩、草原などを駆けるイメージは駈歩、競馬のように全速力で走るのが襲歩。軽速歩(けいはやあし)は速歩のとき、騎手が馬の動きに合わせて鐙に立つ、鞍に座る、を繰り返すことをいう。(JRA日本中央競馬会ウェブサイト 競馬用語辞典などより)

著者情報

星野博美(ほしの・ひろみ)

ノンフィクション作家、写真家。1966年、東京生まれ。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著者に『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)、 『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『みんな彗星を見ていた─私的キリシタン探訪記』『謝々! チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』(いずれも文春文庫)、『旅ごころはリュートに乗って――歌がみちびく中世巡礼』(平凡社)などがある。最新刊『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)で第49回大佛次郎賞受賞。

  • オーパ! 完全復刻版
  • 『約束の地』(上・下) バラク・オバマ
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