集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更

  • Facebook
  • Twitter
  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 渡辺淳一恋愛小説セレクション【全9巻】
  • 集英社国語辞典[第3版]
  • 集英社ビジネス書
  • e!集英社

Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

Nonfiction

読み物

しない。 群ようこ

第6回 結婚

更新日:2018/02/14

 五〇歳までに一度も結婚をしていない、日本の生涯未婚率が上昇しているらしい。二〇一五年の国勢調査のデータだと、女性は14・06パーセント、ちなみに男性は23・37パーセントとのことである。これを見ると私は堂々、この14パーセントの中に入っているわけだが、類は友を呼ぶというのか、私の仲のいい友だちには独身の女性が多いので、全体的にこんなに少数だと思わなかった。また結婚している友だちでも子供がいる夫婦はいないので、友人関係もちょっと特殊かもしれない。
 どうして私がこれまで結婚しなかったかというと、子供の頃から結婚に対する印象がとても悪かったからである。私の両親は懐が温かいときはとても仲がよかったが、寒くなるととたんに険悪になり、毎日喧嘩していた。残念ながら懐が温かくなるときがとても少なく、極寒の地に等しいような寒さだったので、一年のうち、三六〇日は喧嘩している有様だった。
 家計は個人でデザイン事務所を営んでいた父が握っていて、収入があるとまず自分の欲しい物を買い、その残りで私たちが生活するというシステムだったので、母としてもいちいち、
「お金をください」
 というのも面倒だっただろうし、自分の手に自由になるお金が欲しかったのだろう。しかし父は母が働くのを猛烈に反対した。子供の私は理由はわからなかったが、母が男の面子(メンツ)がどうのこうのといっていたので、
(ああ、その男の面子とやらで、反対されたのだな)
 と思っていた。
 覚えているのは、生活費が足りなくなったので、母がお金をくださいといったら、父が、「この間渡したのに、なくなるはずなんかない」
 といい張る。それでも母が引き下がらないので、今度は、
「家計簿を持って来い」
 といった。そして母が家計簿に使っていたノートを見せると、それを見てうーんとうなった後、突然、タンスの引き出しを開け始めた。
「そんなところを見たって、へそくりなんかしてませんよ」
 母は呆れた顔で座っていた。私は、お金を渡したくないものだから必死にへそくりを見つけようとする父と、呆れ果てている母の姿を見て、どうしてこんな二人が一緒に住んでいるのだろうかと、不思議でならなかった。そんな二人でも、父がどこかに勤めていて、何時間か家を空ければ、少しは母も気が紛れただろうが、父は家で仕事をしていたため、四六時中いる。おまけに父は私からも弟からも嫌われていた。理由は、趣味のカメラが欲しかったために、黙って私たち子供の貯金を下ろしたからだった。家族三人から冷たい視線を受けながら、どこを探しても母のへそくりが見つからなかった父は、不愉快そうに財布から千円札を取り出し、母に向かって放り投げた。すると母は、金さえもらえば用はないといった表情で、そのまま買い物に出かけてしまったのだった。
 こんな夫婦の姿をほとんど毎日見せられていたら、結婚に憧れるほうがおかしい。しかし今から思えば、こんな両親だったからこそ、私は本が好きになったのではないかと思っている。両親といるのが楽しかったら、一緒にいることで終わってしまい、本を読む時間はない。私はそのいやで面倒くさい現実から逃避するために本を読み、そのなかの空想の世界にひたっては、心を弾ませていたのだと思う。両親も私が本を読んでいると声をかけてこないので、いくらでも読んでいられた。その点では両親に感謝しなくてはならないかもしれない。

 小学校の四年生のとき、どういうわけだか父親にはたくさんの仕事が来て、庭の広いモダンなコンクリート造りの家に引っ越した。一瞬だけ両親は仲よくなったが、すぐに父の仕事はこなくなり、再び連日夫婦喧嘩の日々になった。私はこんな家からすぐにでも出たくて仕方がなくなり、中学を卒業したら働こうと思っていた。ちょうど林芙美子(はやしふみこ)の「放浪記」を読んだ直後だったので、働く女を知り、「夫からお金をもらって生活する主婦ではない立場」を知り、
「私の人生はこれだ!」
 と決めてしまった。いちばん仲のいい友だちに学校の帰りに、私の計画を話したら、
「私もねえ……」
 と小声で話しはじめた。ふんふんと聞いていたら、それが「自分は両親の実の子供ではないとわかった」という、子供にしたら衝撃度が相当高い話で、私の悩みを相談するどころではなくなった。それでも彼女は、「自分でもちょっとおかしいと思っていた」「ふーん、やっぱりという感じ」と淡々としていて、よく話を聞いたら彼女の実の母親は養母の妹、つまり叔母だった。まったく血縁のないところから養女に来たわけではなく、遠くには住んでいるが親戚なので今までに何度も実母には会っていたことになる。自分でも、
「お母さんとは体形も顔も似ていないのに、どうして叔母さんとはこんなに似ているのだろうか」
 と不思議に思っていたといっていた。彼女の養父母は子供ができず、子供が四人いた妹の家から彼女を養女にしたという話だった。別段、友だちが意気消沈しているわけでもないので、私も、
「ふーん」
 で終わってしまったが、どうして子供がいないといけないのだろうか。叔母さんのところにいる子供たちをかわいがればいいのに、わざわざ両親から離して、自分の子供として育てる理由があるのだろうかと、私は子供ながらに不思議だった。しかし彼女が養女にならなければ、私と彼女は知り合えなかったので、その点はまあよかったかなと思ったりもしたのだった。
 その後、中学に入学しても両親の不仲は相変わらずで、庭の広いモダンな家から木造一戸建ての狭い家に引っ越した。しかしこの頃から父が仕事場を別に借り、母もパートタイムで働くようになったので、顔を突き合わせてのバトルは回避されるようになった。勤め人と同じように父は、朝に家を出て夜になると帰ってくる。たまに仕事場に泊まるとなると、母親と私と弟は大喜びで、にこにこしていた。中学生になると好きな男の子もできるし、ザ・タイガースのジュリーかピーと結婚できればなあと思っていた。それは現実とは別個の話だった。きっとあんなにわがままで自分のことしか考えていない男はうちの父親だけで、あの人だけが特別に変なのだと思い、他の男の人は違うのだろうと、多少なりとも夢を持っていたのであった。
 しかし自分が大学生になり、社会人になると、あれっと首を傾げることが多くなった。つき合う前は優しくこちらを思いやってくれていたのに、つき合ったとたんに「俺の女」みたいに束縛がはじまる。また恋愛感情がまったくない、会社内にいる男性も、ふだんは大きな口を叩いているくせに、面倒くさいことは全部女子社員にやらせようとしたり、自分が取引先にあやまるのがいやだから、
「かわりにあやまっておいてよ」
 などという。
「どいつもこいつも、ふだんは大きな口を叩いているくせに、いざとなると女の後ろに隠れて逃げようとするなんて、うちの父親にそっくりじゃないか」
 といいたくなった。たしかに父親は極端だったとは思うが、父親に対して私がいやだと感じていた部分を、男性の多くが持っていたのであった。
 しかし一方では、世の中の男性には、父親にはなかった、尊敬できる部分もたくさんあった。会社で人を束ねている立場の人は、部下に対して思いやりもあり、心が広い人が多かった。女性はつい感情に流れがちなので、冷静に物事を判断し、部下のことも傷つけないように話をもっていくのは、やはり人格ができていないと難しいと感じた。とはいっても当時は女性でそれだけの立場になっている人はとても少なかったので、男性しかモデルがなかったともいえるのであるが。
 学校も卒業し、これから自活をしなくてはならないと考えはじめたとき、私には結婚という選択肢はまったくなかった。当時、四年制大学を卒業した女子学生は、よほど偏差値の高い大学に通っているか、親のコネがあるかでなければ、就職口はなかった。大企業や放送局、大手の出版社も指定校制度をとっていて、会社が指定した大学以外の学生は就職試験すら受けられなかった。一般企業も指定校はないものの、四年制大学を卒業した女子の枠はなかった。
 それがわかっているので、教職課程を取っている女子も多かったが、私は先生になる気もないので取らなかった。ただ就職の二文字のために、興味のない、それも子供を教えるという重要な仕事に就くなんてとても私にはできなかった。それは彼女たちも同じだったようで、教職の免許は持っているものの、教師になった人はいなかった。
 地方から上京している女子は、いいとこのお嬢さんが多かったので、親元に帰って見合い結婚をするか、親の会社を手伝うかしていた。親のコネで就職した女子も、それと並行してお見合いをして、ずっと勤める気など皆無で、結婚するまでの腰掛けとして勤めていたし、会社も、彼女たちは二、三年後には退社するつもりで、入社させていたのだった。
 そんな社会のしくみに対して、私は、
「それが許されていいのか」
 と怒っていた。親のコネを使う学生も気に入らないし、どうせ長く勤めないと思っている会社側の態度もいやだった。
「こういう奴らがいるから、一生、まじめに働こうとしている女子学生が潰されていくのだ」
 コネで誰それが大企業に入社したという話を耳にするたびに腹が立った。二、三年でやめるくせに、コネ入社の彼女たちのために、一人のまじめな学生の将来が奪われるのである。気概があるのなら、親にコネの話を打診されてもきっぱりと断り、就職戦線で戦えといいたくなった。

 一方、私はコピーライターを目指して、代官山にあった、懐が広い広告代理店に何とかひろってもらった。給料も男女差がなく、同じように働かされた。しかし体が持たずに半年で退社した。三十歳までに六つの会社を転職し、最後に勤めた小さな出版社には六年半いた。その会社の社長も編集長も、私の結婚については心配してくれて、私が相談したわけでもないのに、
「どうしたらいいんだろうねえ」
 と悩み、
「子供が生まれても働き続けてくれていいから」
 ともいってくださった。会社の男性は既婚者二人、他に出入りするのはお手伝いの学生ばかりという環境では、男性と知り合うきっかけもないだろうと、思ってくださったのかもしれない。二十四歳から三十歳になるまで、この会社に勤めていたが、しかし結婚を考えたことは一度もなかった。それよりも会社の了承を得て書く仕事をはじめたばかりで、そちらの仕事と会社の仕事を両立させるので精一杯で、恋愛に興味を持つような状態ではなかった。
 だいたい男性と知り合うには、自ら外に出ていかなくてはならない。しかし私の趣味は読書、編み物など、インドアのものばかりだったし、人混みが苦手なので、外出するのも好きではなかった。よく、
「ずっと家にいるとつまらない」
 と休日のたびに外出する女性もいるけれど、私はまったく逆のタイプだった。そのうえ酒もまったく飲めないので、そのような場所で結婚できる可能性のある男性と知り合うきっかけもなかった。そして三十歳になった年に私はその会社をやめて、物書き専業になった。
 私は三十歳までは自分が一生それで生活していける仕事を探す期間と決めていて、三十歳を過ぎたら落ち着いて、仕事をしようと考えていた。その選択肢のなかにフリーランスの仕事はなかった。収入が不安定なのは痛いほどわかっていたので、会社員として勤めるのがいちばんいいと思っていた。こういう状況だったので、男性と交際するとか、結婚するなんて二の次、三の次で、まず自分が経済的に自活できる仕事を得ることがいちばんだった。その後、まあ自活できる仕事が見つかり、心理的、経済的余裕もできたとき、ふと周囲を見たら男性が見事に姿を消していたというわけなのだった。
 私と同年輩の男性たちの考えはまだ古く、「女は結婚したら家に入るもの」「百歩譲って子供が生まれるまでは働いてもいいけれど、子供ができたら家庭に入るべき」という考えの人が多く、ちょっといいなと思っても、そういう話をされると、撤収するしかない。もし私が結婚したいタイプだったら、したいと思った相手に対して、一生懸命に自分の考えを説明し、理解してもらおうとしたかもしれない。しかし私がそれをしなかったのは、結婚に対して熱意がなかったからだろう。
 結婚を申し込まれなかったというわけではないが、二回とも顔は知っているがろくに話したこともない相手で、当然、交際もしておらず、結婚しようといわれても、
「はあ?」
 としかいえずに、その話はそれっきりになった。男性のほうでも、一度、
「はあ?」
 などといわれた女性に、もう一度、プロポーズをする気など起きないだろう。

 今でも働きながら子育てをするのは大変だが、以前はもっと大変だった。出産してフルタイムで働いている女性を手伝っていたのは実家の母親が多かった。しかしそういう助けてくれる人がいない場合は、仕事をやめて家庭に入るしかなかったのである。女性も社会に出て仕事を持つようになってきて、女性も経済的にも余裕がでてきた。するとシングルマザーが話題にのぼるようになった。子供を抱えて離婚する女性もいるけれど、夫はいらないけれど子供は欲しいという人も多くなってきた。
 女性がシングルマザーになるには、様々な理由があるだろうが、それは私には絶対できない人生だった。私が結婚に興味がない理由は、まず男女を問わず、同居人がいる生活は難しいこと。そして子供が欲しくないことがあった。男性よりも子供のほうが私には難敵だった。男性は大人だから、相手が聞く耳を持っていたら話し合えばまだなんとかなるが、子供は待ったなしだからである。私にとって子供は、私の望む人生の邪魔をするものとしか、考えられなかった。私が望んでいたのは、一人で生きていける仕事を持つことであり、夫や子供のいる家庭ではなかった。そういう生き方は捨てたのである。私が若い頃は、よほど理解のある会社でない限り、一度やめてしまったら、復職するのはまず不可能だった。世間も子供を持ってフルタイムで働く女性にはそこまで理解がなかった。
 自分の前に障壁が立ちふさがると、それをぐいぐいと壊しつつ進んでいくブルドーザーのようなタイプの女性は、強引に壁を壊していくのだろうが、私のようなママチャリに乗っているようなタイプは、とにかく道路の大石、小石をひょろひょろと避(よ)け、大きな壁があるところは通らないという人生を選んだ。障壁を避けるために、結婚もしないし子供もいらない。これが私にとってはベストだったのだ。
 結婚というのは相手と生活を共にしたい、家庭を築きたいという思いからはじまるものだろう。前にも書いたように、私の友だちには結婚をしていても、子供がいる夫婦がいないので、子供について聞いたことはないのだが、世の中の人がどうして子供を欲しいのか、私はよくわからないのである。ただ私が欲しいと思わなくても、世の中にはそれを欲しいという人もいるので、それについてはどうのこうのという気持ちはない。
 以前、テレビで、子供を産んだ高校生が、進学を希望していて育てられる環境にはなく、生まれた赤ん坊を、自分たちの子供が望めない夫婦に養子として出すドキュメンタリーを見た。養父母になる夫婦はまだ若く、赤ん坊が家にやってくると、人間ってこんなに喜ぶものなのだろうかというくらい、夫婦で大喜びしていた。それを見てこんなに喜んでもらえるこの赤ん坊も、この夫婦も幸せでよかったと素直に涙が出てきた。子供が大きくなって、事実を伝えるかどうかは、その家族の問題だろう。
 私は子供は欲しいとは思わないが、ごくふつうの大人の感覚として、子供が困っていたら助けてあげるし、常識的な対応はする。幼児を見てかわいいと感じたりもする。しかし抱っこしたいとか触れたいとは思わない。人間の子には興味がない。動物の子だったらいくらでも抱っこして触りたいと熱望するのにである。私がそんな話をすると、
「自分の子供だったら違うでしょう」
 といわれたが、自分の血がつながった子供のほうが、重大な責任があるのでもっと怖い。子供を持ったら考え方が変わるともいわれたが、もし変わらなかったら、生まれてきた子供がかわいそうだ。若い夫婦が、
「自分たちの子供に会いたい」
 といっているのを聞いて、とても微笑ましいと思うのだけれど、夫はいなくても子供が欲しいというタイプではなかった。
 私が結婚適齢期と呼ばれていた、今から四十年ほど前は、女性が家にいるのは当たり前の世の中だったが、世間の見方、男性の意識の違い、環境などによって、当時よりははるかにましになったが、結婚するのはともかく、子供が生まれると、支援してくれる組織や人が確保できないと、女性が仕事をセーブしなくてはならなくなるのは同じのようだ。
 知り合いにフリーランスで、先に子供ができて結婚した人がいる。相手は交際していた人というわけではなく、ほとんど初対面に近い男性だった。合コンで出会ったのか、ナンパされたのか、そのへんのいきさつは詳しく聞かなかったが、相手は彼女よりも気持ちが強かったのだろう。彼女は自分の置かれた状況に腹を立てていた。フリーランスでいちばん仕事がうまくいっているときだったし、夫になった男性にも、こんなはずではなかったという気持ちが根底にあるのか、辛く当たっているようだったが、子供が先にできた原因を作ったのは彼女の判断でもあるので、夫ばかりを責められない。
 話を聞いていると、夫になった男性は、とても優しくていい人だった。彼は彼女が仕事をすることに対しては、とても理解があったが、現実問題として仕事があったとしても、仕事の現場に赤ん坊を連れていけず、日々、家事と育児に追われていた。しかし子供が大きくなるにつれて、まじめな夫に対する思いやりも出てきて、家庭はうまくいっているようだった。しかし一度、仕事から離れると、以前は月のほとんどが仕事で埋まっていたのに、今は年に二、三回しかない。
 一度仕事を断ると、仕事相手は次の候補の人に仕事を頼む。そして二度目も断られると、もう次からは仕事は回ってこない。次から次と新しい人が出てくるので、そうなってしまうのだ。能力がある人なのにもったいないけれど、時間がとれないのだから仕方がない。そして長い間仕事から遠ざかってしまうと、感覚が戻らないのかどうしても仕事のクオリティが下がってしまうような気がした。彼女に現状について聞くと「復帰して仕事をしたい」といったり、「仕事の時間が不規則なので、もうどうでもよくなった」といったり、気持ちが揺れているようだった。自分の仕事について考えると、したい気持ちもあるのだろうが、自分が働かなくても生活できるという思いが、彼女が仕事へ復帰したいという気持ちを鈍らせているのかなと感じた。シングルマザーだったら、迷う余地などなく一も二もなく仕事をするしかないからだ。
 私の周辺でも働きながら出産した女性がいる。出産後の子育てを手伝ってくれる人がいるかどうかや、保育園の問題については大変なようだ。妊娠中の彼女たちと仕事をしていると、以前はミスなどしたことがないのに、妊娠中はミスが多くなる人がほとんどだった。それは彼女たちの意識が集中する優先順位が、仕事が一番目ではなくなっているので当たり前なのだ。重大なミスでもないので、私はそれに対して怒ったことはないが、
「ああ、女の人は妊娠するとこうなるのか」
 と生物学的な現象に納得していた。

 還暦を過ぎた私など、婚活がどうのこうのというよりも、終活のほうが問題になるような年齢になった。今さら結婚など、一切、友だちとの話題にのぼらないが、結婚しなかったり、子供を持たなかったりしたことを後悔したことは一度もない。私には子供を持たない理由があるのだが、世の中の多くの人の、子供が欲しい理由はいったい何なのだろうか。私が若い頃は、私の考えをいったり書いたりすると、「人間として信じられない」「女性なのにそんな考えの人がいるなんて」などといわれたが、女性が全員、恋愛や結婚に関心、憧れがあり、全員子供が欲しいと思っているわけではない。でも子供を持つのは大きな経験であるし、それによる喜びが持てるのは間違いない。しかしいない人にも子供がいないことによって何らかの経験ができているわけで、子供を育てるだけが一番ではない。私はたまたま子ネコを保護してずっと一緒に暮らしているが、人間を育てるのに比べたら、何百分の一の労力しかないはずなのに、世の中の親たちは、何て大変なのだろうと、親の大変さを知ったのだった。
 人として結婚するのが当たり前。結婚したら子供を産み育てるのが当たり前。その当たり前は誰が作ったのだろうか。欲しくても子供ができない夫婦もいるし、その当たり前がとても怪しい。生物としては繁殖は重要な問題ではあるが。これは私の想像だが、多くの夫婦は子供を持つことに関して、そんなに深く考えていないのではないか。結婚するのは、その先の家庭を想像してのことなので、家族が増えるのは歓迎する出来事ではあるが、子供が欲しくてたまらないのに、できない夫婦に比べて、それほど深く考えていないのではないだろうか。
「できた。それでは産みましょう」
 というシンプルな話なのではないか。質(たち)の悪い夫婦だと、児童手当を目当てに、どんどん子供を産み増やし、きちんと面倒をみない輩(やから)もいるし、子供がいるのが夫婦として真っ当という考えは違う。子供をこの世に産み出したのならば、責任を持って子供を第一に考えて育てて欲しいが、そうではない親も多くなってきた。結婚して子供がいないと肩身が狭いなどという人もいるけれど、子供がいなければ教育費もかからないし、夫婦で自由に人生を楽しめばいいのではないだろうか。
 みんな世間が作った、当たり前を気にしすぎる。外から見た家族の形態を維持するために、夫婦と子供はいるけれど、私が育った家のように、家の中が連日険悪な雰囲気だったら、解体したほうが家族全員の精神状態のためにはいい。そして結婚して子供を産んでかつ仕事をしたいと考えている女性たちが、安心して両立できるようにならないといけないし、子供が欲しい夫婦が過度の負担なく妊活できないと、税金を払っている意味がない。私はその枠からははずれているけれど、したい人がしたいように生きられる世の中になって欲しい。
 人は、する、しないを選べる。私の場合は昔からいわれていた「女の幸せ」、結婚して子供を産んで、老いたら子供や孫たちに面倒を見てもらって、彼らに見守られてあの世に旅立つというルートを完全に無視した。すべてしないでやってきた。結婚は繁殖の基だったが、今はそうではなくなっている。結婚をしない人、結婚をしても子供は作らないと決めている夫婦もいる。結婚して子供を持つ夫婦がいるように、そのような夫婦もいていいのだ。結婚もせず、子供もいないと話すと、
「歳を取ったときに寂しいでしょう」
 と気の毒そうにいう人もいる。しかし子供や孫がいる人は、みんな寂しくないのだろうか。子供を持って一人前というけれど、それでは親になっている人は、みな立派な人なのだろうか。最近問題になっている、クレーマーのおやじ、おばちゃん、老人たちのほとんどは子供や孫がいる人たちなのではないだろうか。子供がいなくても、それなりに様々な経験ができるのだから、子供がいないと云々というのは詭弁(きべん)である。
 自分の人生は自分でしか選べないのだから、他人から何といわれようと、法律に触れない限り、自分のやりたいようにしたほうがいい。イエスよりもノーのほうがいいにくいし、やりにくいのだけれど、百人の人がいたら、百の生き方があって当然なので、自信を持って世の中の基準に対して、ノーといえる人生もいいと思うのである。

次回は2月28日の更新予定です。

著者情報

群ようこ(むれ・ようこ)

1954年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業。
広告会社などを経て、「本の雑誌社」勤務の傍ら、1984年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。
同年に同社を退職し専業作家となる。
小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『ネコと昼寝 れんげ荘物語』『優しい言葉 パンとスープとネコ日和』『ついに、来た?』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『衣にちにち』『かるい生活』『婚約迷走中 パンとスープとネコ日和』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

群ようこの新刊情報

ほどほど快適生活百科

2018年2月26日発売

定価 1,400円+税

衣食住、健康、仕事、趣味、お金、人間関係、エイジング。
悩み多き暮らしのあれこれを、今より少し快適に、楽しくするためのルールとヒント。

通販は「寸法計測」で失敗知らず/シーズンごとの「お出かけセット/保存食は作らない/ネコと私の定番の香り/苦手な仕事との向き合い方/テレビよりラジオ派/家族であっても別人格/ため息のエンディング・ノート 他全100項目収録!

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.