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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

しない。 群ようこ

第4回 ハイヒール

更新日:2018/01/10

 私は何十年もハイヒールを履いていないが、履いたことがあったかと聞かれたら、若い頃、会社に勤めているときはあった。学校を卒業して会社に勤めはじめた四十年以上前は、トラッド系のフラットシューズや、横浜の有名店のカッターシューズはあったけれど、バレエシューズのように、若い人がかわいらしくお洒落に履けるフラットシューズはほとんどなく、あるのはおばちゃん向きの、メッシュだったりギャザーが入った、もっこりした形のものしかなかった。いちおう代官山にある広告代理店の営業職で外回りだったので、それなりの格好もしなければならず、そういった服装にはヒールのある靴を履くしかなかったのだ。
 学生のときはTシャツにジーンズ、短足隠しのために当時はやっていた、厚底のウエッジソールの靴を履いていた。これもヒールの高さは七~八センチあったが、前も三センチほどの高さがあり、安定がいいので履いていてもそれほど苦ではなかった。しかしたまに道路の段差があるところで、足首がぐきっと曲がり、何度も転びそうになった。しかし厚底靴に比べて、同じ高さでもハイヒールの不安定さは半端ではなかった。もともと甲高幅広の足で、今のように靴のワイズが何種類もあるような時代でもないので、無理やり靴に足を合わせているような状態だった。ただハイヒールを履いて立っているだけで、足がじんじんしてきた。
 こんな状態できちんと歩けるわけがない。私の足は絆創膏(ばんそうこう)だらけで、足の小指は変形し、本当にひどいものだった。歩いている姿もとても不格好だっただろう。私が半年で会社をやめようと思ったのは、満員電車がいやだったからなのだが、快適な靴だったらもうちょっと我慢できたかもしれない。世の中の女性はどうしてハイヒールが履けるのだろうか。どこをどうやれば、あんなにさっさと歩けるのか。どうして足首がぐきっとならないのか、階段もさっさと降りられるのか不思議でならなかった。
 それを私と同じく、ハイヒールが苦手な友だち二人に話したら、
「ああいう靴は向き不向きがあるんだから、私たちには合うわけないわよ」
 と声を揃えていった。たしかに私はそれが必要な会社に勤めてしまったから、履かなくてはならなくなったが、二人ともそういう服装にしばりのあるような勤め先ではなかったので、ハイヒールの悩みはなかった。それはそうだと納得しつつ、次に毎日軽やかにハイヒールを履いて出社していた、広告代理店の同僚に、
「私はハイヒールが苦痛でならない」
 と相談してみた。
「慣れよ、慣れ。私は大学に通っているときから履いていたから」
 彼女はにっこり笑った。フランス文学専攻の彼女は、四年間ワンピースにハイヒール姿で通学していたという。四年間の習慣の差は大きい。
「はああ」
 私が感嘆の声を上げると、彼女は手にしている雑誌を開いて、
「そんなことよりも見て、見て、これ」
 という。雑誌を見ると、日本の有名な美人女優が写っていた。彼女はセンスがよく知性的でスタイルもいいその人のファンだったのだ。
「ほら、ストッキングの幅よりも、足の幅のほうが狭いのよ」
 よく見ると、彼女がいうとおり、彼女のハイヒールを履いた足の甲の部分のストッキングが余っている。こんな人がいるのかと、私はびっくり仰天した。ああいった伸縮性のあるものは、目一杯伸ばして穿(は)くものだと思っていたからである。
「このハイヒールも素敵ね。日本にはこんなデザインのものはないもの」
 彼女はうっとりとため息をついた。私は一緒に雑誌を見ながら、このような人のためにハイヒールというものがあるのであって、私のように履いてすぐ足がじんじんしたり、脱いだら横幅が拡(ひろ)がって、イカがつぶれたみたいな形になったり、つま先のとんがった部分に太い指がぎゅうぎゅう詰めにされ、足の小指がないことになってしまった人間には、もともと合わないものだと悟った。私は、
「そうねえ」
 と曖昧な返事をしてその場を離れた。会社をやめたのはそれから間もなくだった。
 ハイヒールは誰もが似合うものではない。似合う人、履きたい人が履くもので、女だからと履けばいいというものではないとわかり、それ以来、私はハイヒールを履くべきと思われている服を着るのはやめてしまった。ありがたいことに、ファッションもカジュアル傾向が強くなってきて、デザインが野暮ったくないローヒール、フラットシューズも増えてきた。
 またファッション的に考え方も変わってきて、ひらひらとしたワンピースに、定番だったハイヒールは野暮ったいという風潮にもなった。決まりすぎるのは野暮ったいと、そういったファッションにスニーカーやフラットシューズを合わせたりもするようになった。ファッションコーディネートも流動的で、これという決まったパターンではなく、みんながそれぞれ着たいように着られるようになった状況に救われたのである。
 ハイヒールを履く理由は何だろうかと考えると、バランスを取るためだろう。だいたい女性は傍目(はため)にはそうではなくても、服を格好よく着るためには、自分は顔が大きくて太っていると思い込んでいるから、そこに足の下に高さを出せば、その分、股下も伸びるし頭身的に顔の分量が小さくなる。私も最初にハイヒールを履いたときは、私よりも身長が高い人は、こんな風景をいつも見ているのかと感激したが、すぐにどうでもよくなった。
 それよりも足の痛さのほうが勝ってしまった。ファッションは我慢であり、安楽に過ごしていると、どんどん緩んでくるといわれるが、我慢できる我慢と、できない我慢がある。人それぞれ我慢できる部分は違うと思うけれど、足が痛いのはどうやっても無理だ。特に私は歩くのが好きなので、二駅くらいは平気で歩きたくなるのだが、ハイヒールは長時間歩くための靴ではない。車移動だったら楽だろうけれども、その靴で小一時間、歩き続けるのは無理なのだ。

 都心に出ると、私と同年輩や年上の女性で、ハイヒールを履いている人もいる。何十年も履き慣れているのだろう。私の周囲にも一人だけそういう女性がいたが、彼女は、
「ハイヒールがいちばん履きやすい。フラットシューズは歩きにくくて」
 という。履くと後ろに引っ張られるような感じがするのだそうだ。ハイヒールは重心が前に行く気がするので、ヒールがないから楽だといわれるフラットシューズが、彼女にとっては不安定になるのだろう。そう思うと単純に「慣れ」なのかもしれないが、私のように合う靴を見つけるのがとても難しい足の人と、ハイヒールにふさわしい足を持った人の、二種類の足の人がいるのだ。私はハイヒールに合う足ではないので、苦痛でしかなかったのだ。
 あわせて自分らしいか、らしくないかの問題も大きい。太っている女性でも、素敵にピンヒールを履いている人はいるし、痩せている女性でもハイヒールが似合わない女性もいる。自分がハイヒールが好きで履き続け、慣れているかいないかの問題だ。手入れがされたハイヒールをきれいに履いている人は、どんな体形の人でも素敵だと思う。
 きちんと作られたハイヒールは本当に美しい。それは認める。草履でも置いてあるだけでほれぼれする美しいものがあるが、それと同じように、置いてあるだけで、たたずまいの美しいハイヒールがある。私はクリスチャン・ルブタンのハイヒールの現物を見て、これはお洒落な女性たちが、ルブタンと騒ぐわけだと深く納得した。どれも作品としてとても美しい靴だった。ただ美しいと思うのと、自分が履きたい、履けると思うのは別問題である。絶対に私には似合わない靴で、私には私の体形にふさわしい靴があるのだ。
 自分がもしハイヒールが難なく履けるような足だったら、履いただろうかと考えてみるが、やっぱり履かなかったと思う。私は背が低いのでハイヒールはバランスが難しい。ハイヒールは平均身長以上の人ではないとバランスがおかしくなる。以前、海外の観光局の招きでその国に取材に行く仕事があって、他の媒体十社くらいからも、取材グループが来ていた。日中はそれぞれの取材場所に行き、彼らとは朝、晩の食事と移動するバスが一緒だった。男性も女性も年齢も関係なく、海辺の町に行くのであればそれにふさわしいカジュアル目の服装をし、改まった場所に行くときは、それなりの服装で出向く。

 しかしそのなかで、いつもどこでもずーっと同じ黒のハイヒールを履いている女性がいた。海辺でもハイヒールなのである。きっと荷物を少なくするために、いちばん礼儀を失しない靴にしたのだろうが、みんながスニーカーで砂浜を歩いているのに、よちよちと黒いハイヒールで歩いていて、現地の人も不思議そうに眺めていた。彼女がどうしてそんなに黒のハイヒールに固執していたのかはわからないが、私と似たような体形だったので、外国に行くことだし、少しでも背を高くみせたかったのかもしれない。黒いハイヒールを見ると、いまだにハイヒールに執着していた彼女のことを思い出す。
 私のような体形がハイヒールを履くと、明らかに上げ底でみっともないし、他人の目は関係なくそれで自分が快適ならばいいのだが、苦痛となったら履く理由がない。背が低くても脛(すね)が長ければ似合うかもしれない。ハイヒールは日本的なものをすべて排除しないと似合わないものだ。身長、短足、幅広の足。無理やり足指を中に詰めて、とりあえず格好がついたら見た目は素敵かもしれないが、私は自分が辛(つら)いのはいちばんいやなのだ。だいたい、身長が高くなったことで利点があるのは、その分足の部分が伸びたように見えて、多少スタイルがましにみえることだけだろう。それか、あのブランドのハイヒールを履いていると、同性から羨ましがられる快感か。不格好にはなりたくないが、私にとってはハイヒールは苦痛以外の何物でもないので、これからも縁はないのである。

次回は1月24日の更新予定です。

著者情報

群ようこ(むれ・ようこ)

1954年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業。
広告会社などを経て、「本の雑誌社」勤務の傍ら、1984年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。
同年に同社を退職し専業作家となる。
小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『ネコと昼寝 れんげ荘物語』『優しい言葉 パンとスープとネコ日和』『ついに、来た?』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『衣にちにち』『かるい生活』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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