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Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

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Nonfiction

読み物

しない。 群ようこ

第2回 携帯電話

更新日:2017/12/13

 携帯電話は昔から持っていない。どうしてみんなあんなものを持つのか不思議でならなかった。仕事上、外回りが多い人、ひんぱんに会社と連絡を取り合う必要がある人などは、携帯があるとスムーズに事が運ぶのだろうが、それほど必要でもないのに、みんなが持っているから自分も、流行に乗り遅れたくない、というだけで持つ人も多かった。そういう人たちを私は、
「ふん、世の中の戦略に乗せられて」
 と横目で眺めていたが、その携帯はどんどん普及していき、現在はスマホ全盛である。ガラケーを使っている人たちは、スマホ派に、
「まだそんなものを使っているのか」
 といわれたりもするらしい。そして最近は、学校の用事、連絡なども全部メールで送信されるので、親が持っていないと子供の学校生活にも支障が出るようになったというのだ。ガラケーすら持った経験がない私など、
「最新機器が使えない鈍(どん)くさいおばちゃん」
 なのだろう。
 別にどう思われようがどうでもいいのだが、どうしてみんな、そんなに他人とつながりたいのかわからない。携帯を持っているのは、いつも自分の居場所を知られているということと同じだ。肌身離さず持っていないと意味がないから、トイレに入っていて携帯が鳴れば電話に出ざるをえない。固定電話の場合は、席をはずしているときは電話に出られないし、出たくないときは出なくてよい。考えてみれば私は固定電話すら嫌いだった。私を行方不明にしてくれないものは嫌いなのである。電話というものはかけるほうの都合でかけてきて、受ける側の都合は無視される。それをきちんと認識している人は、
「今、電話していていいですか」
 といってくれるのだが、そうではない人は自分の都合をこちらに押しつけてくる。
 二十代のとき、もと同僚の女性と会社をやめた後も何年か付き合いがあった。彼女は既婚者でないと恋愛対象にならないというタイプで、もちろんそうなるとトラブルが起こりやすくなる。それで私が寝ている深夜に電話をかけてきて、延々と相手やその妻に関する悪口を、酔っ払って話し続ける。私は布団に仰向けになって目をつぶったまま、受話器を手に適当にふんふんと相槌を打っていた。すると酔っ払っていても、急に素面(しらふ)に戻ることがあるのか、
「私、とても迷惑なことをしてるわよね」
 というので、
「うん。とても迷惑」
 と答えた。結局、一時間半くらい酔っ払いの電話に付き合わされた。その他、いたずら電話もかかってくるし、それ以来、私は寝る前に室内の電話線のジャックを抜くのが習慣になった。

 たしかに電話よりもメールのほうが、都合がいいのは事実である。しかし最近はラインが主流になったらしい。私はパソコンは使っているので、メールのシステムはわかるが、ラインについてはまったくわからない。ただ聞いた話によると、グループ分けか何かができてしまうので、自分のことを知られたくない人にも、連絡先がわかってしまうから困るという。とにかく無料で便利だけど問題も多いらしいのである。
 知人には、
「ガラケーはもう必要ないから、スマホを買え」
 と勧められた。彼女もずっとガラケーを使っていて、それを使い続けるつもりだったのだが、短期間の入院をして自分の健康に自信が持てなくなったという。そこでどこでもタクシーが呼べるアプリがあると知って、スマホに買い替えたのだった。たしかに私もいつどうなるかわからないが、そのためにスマホを買うのもなあと思っている。彼女と会ったときにスマホを手渡してくれて、
「ちょっと触ってみたら」
 という。ところがあの小さい画面のなかで、指をこちょこちょ動かさなくてはならないのがものすごく面倒くさい。ちょっと触ったくらいでは動かないし、力を入れるとだだーっと画面が流れる。
「んもーっ」
 スマホを床にたたきつけたくなった。
 タブレットを持っている友だちにも、触らせてもらったことがあるが、まだタブレットのほうがある程度の大きさがあるので、スマホよりは操作はましだった。しかし持ち歩くにはスマホの大きさが限界で、小さいノートほどの大きさがあり、かつ重さもあるタブレットをずっと携帯するのは辛い。一長一短なのである。不慣れなスマホの操作も、今は指がうまく動かないけれども、使っているうちに慣れて、かえってよく動くようになるかもしれないが、私には携帯、スマホをわざわざ購入するほど、緊急の必要性を感じなかったのである。

 ところが先日の午後、近所に住んでいる友だちから電話があり、
「ねえ、ちょっと意見を聞かせてくれる?」
 とだけいって、電話が切れた。私はてっきり、部屋の模様替えか何かの相談だと思って、
「うん、いいよー」
 と気楽に返事をして彼女の家を訪ねたら、私たちの共通の友だちが玄関のところに横たわり、
「痛ーい、痛ーい」
 とうめいている。私はふざけているのだと思って、
「どうしたの、何してるのよ」
 といったら、彼女は、
「本当に痛いのよ」
 と辛そうにうめいた。友だちは冷静に、
「あのね、さっき取り寄せている水のタンクが届いてね。たまたま来ていたから、運ぶのを手伝ってくれたの。一つ目は何ともなかったんだけど、二つ目を運ぼうとしたときに……、やっちゃったんだね」
 びっくりした私はしばらく声が出なかったが、目の前で横たわって痛がる友だちがいるのは現実なので、何とかしてあげなくてはならない。彼女は以前にも何度かぎっくり腰をしていて、癖になりかけているふしがあったという。私はぎっくり腰になった経験はないが、一度なってしまうと癖になると聞いた。
 少しでも起き上がれるとか動けるのなら、二人で協力して何とかできるけれども、彼女はまったく動けなくなっていた。
「これは救急車しかないでしょう」
「そうだよね」
 私たちがそういうと、彼女は、
「救急車は絶対にいやだ」
 といって、体を起こそうとするが、
「痛たたたたた」
 とうめいて横たわる。
「このままでずっといるの? どうにもならないよ」
 説得しようとすると彼女は、
「ちょっと待って、あっ、痛たたた」
 と何度も起き上がろうとするものの、やはり起き上がれない。
「このままずっと寝ているわけにはいかないわよ。この状態じゃトイレにも行けないじゃないの」
 十分ほど三人でああだこうだと話し合い、救急車を呼ぶと意見が一致した。
「あの病院はいやだからね」
 彼女は以前にも何度か救急車で運ばれていて、対応が失礼な病院は二度と行きたくないと、スマホを手にした友だちに告げた。
「はい、わかりました」
 連絡を取ると、救急から折り返し確認の電話があったので、
「本人はまったく動けない状態で寝たままです」
 といい、彼女本人も電話に出て状況を説明した。昨今はたいしたことがないのに救急車を呼ぶ迷惑な輩(やから)が多いので、先方も確認をするようになったのだろう。
 救急車を待っている間、彼女は横たわりながら、
「あーあ、どうしてこんなことになっちゃったのかしら」
 と嘆いていた。その前からずっと忙しく、疲れているといっていたので、それが溜まっていたのに違いない。すぐに救急車が到着して、屈強な男性五人がやってきた。そして玄関のドアを開けたすぐの場所で、うめきながら横たわっている彼女を見て
「あー」
 と気の毒そうな声を上げた。後からグループの長なのだろうか、中年男性がやってきた。そして彼女の姿を見て、
「ああ、かわいそうに。私もね、癖になっちゃって今年のはじめにやったんですよ」
 と部屋の外でドアを開ける係をしていた私に話しかけてきた。
「痛いらしいですね」
「そうなんですよ。あっと思うとやっちゃうんですよね」
 そして担架に乗せようとしても、痛がる彼女に、
「ああ、痛いんだよね。かわいそうに」
 と悲しそうな顔になっていた。
 折り曲がる担架にやっと彼女を乗せて、救急車に乗れる段取りがついた。
「もう大丈夫、ありがとう」
 隣室の友だちは付き添い、私はそのまま部屋に戻った。たいしたことがなければいいがと、気にしながら仕事をし、夕方、「どうだった?」
 と様子を聞きに行くと、
「ああ、どうもありがとう。ご心配をおかけしてすみませんでした」
 と彼女が歩いてやってきた。
「歩けるようになったの。よかったね」
 何時間か前まで、痛い痛いと寝っ転がってうめいていたのが嘘のようだった。座薬を投与され、注射を打ってもらい、コルセットをつけたら、走るのは無理だけれども、歩けるようになったといっていた。あのまま放置していたら、自力では何もできず、にっちもさっちもいかなかったので、本当によかった。

 ひとまず、ほっとして部屋に戻ったのだが、実際に起こった状況を目の当たりにして、
「もしひとり暮らしの私に、同じ出来事が起こったらどうなるのだろうか」
 と考え込んでしまった。彼女の場合は、たまたま友だちがそばにいたけれど、もしも誰もおらずに、身動きができない状態になったら、どうしようもない。
 自分の今の状況を誰かに連絡したいのにできない。それが手元に携帯があれば、指一本動けば容易にできるわけである。外でアクシデントがあったときには、私の生活範囲はまあ、人通りがある場所ばかりなので、他人(ひと)様に甘えさせていただき、対処をお願いする。問題は独居の室内で起こったときで、いっそ意識がなければ、私の人生はこれまでと、その後はもうどうなってもいいのだが、困るのは彼女のように意識があるのに、起き上がれない場合である。誰かに連絡ができれば、重症に至らずに助かる可能性があると、私は携帯に急激に心が動いた。
 しかしふだんは私の生活には携帯は必要がない。緊急のときだけに使えるものはないかと、室内を見回して目についたのが、固定電話の子機である。ふだんはまったく使っていないが、たとえば室内で重い荷物を運ぶ作業をするとき、あまり気分が優れないときに、室内で持ち歩くのはどうかと考えた。私の場合は、荷物の移動も長時間の作業をするわけでもないし、ほとんど座業で仕事をしているので、傍らに置いておけばよい。そして体調が戻って大丈夫そうだとなったら、充電器に戻す。これで十分なのではないか。
 たしかにアクシデントはいつ起こるかわからないが、ちょっと危ないかもという意識は持てる。それで問題が起きたときに、手元に子機がなかったら、それは運が悪いとあきらめるしかない。友だちの姿を見て、一瞬、携帯に心が動いた私であったが、やはり必要はないと購入するのはやめたのだった。

次回は12月27日の更新予定です。

著者情報

群ようこ(むれ・ようこ)

1954年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業。
広告会社などを経て、「本の雑誌社」勤務の傍ら、1984年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。
同年に同社を退職し専業作家となる。
小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『ネコと昼寝 れんげ荘物語』『優しい言葉 パンとスープとネコ日和』『ついに、来た?』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『衣にちにち』『かるい生活』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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