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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第91回 [2019年10月某日 たとえそこから出ることは叶わなくても]

更新日:2019/11/27

 イギリスのEU離脱だとか、気候変動に対する抗議だとか、香港の民主化とか、さまざまなニュースが毎日メディアを賑わせている。
 これらのことが、すべて、真剣に考えるべき問題であることは言うまでもない。その一方で、これらの事象から見える世界の変動というパラメータ以前に、私たちの存在には、ずっと以前からもっと深刻で普遍的な問題が存在しているような気もする。
 そして、「大文字」で描かれる問題にばかり囚われていると、太古の頃から続いている世界の構造問題の方を忘れてしまうような気もする。そのことが、一連の油断や偏向へと結びつき、結果として人生を善く生きるという命題から離れていってしまうということにもなる気がするのである。
 人間の知性というものはゆっくりと発達していくもので、特に、自分の感じ方とか考え方を「外」から客観的に見る「メタ認知」はいちばん最後に充実していく。個人差もあるのだろうが、あれは幼稚園の頃だったか、ある日、突然、自分が経験していることは、自分にしか見えないことで、他の人にはわからないのだという当たり前だが残酷な事実に気づいたのだった。
 自分が幼稚園に行って、勉強やお遊戯や友だちとのあれこれやさまざまなことを経験して戻ってきても、それは親には全くあずかり知らないことなのだということに気づいたあの瞬間の、鋭く胸を刺すような痛みは今でも覚えている。
 意識というもののなりたち、私たち一人ひとりの主観というものが分裂してしまっていること、これはこの世界に関する最も顕著な事実である。しかし、大人たちがそれを特に騒ぎ立てないのは、あれこれと言ってもその原理的な断絶をどうすることもできないからかもしれない。
 私たち一人ひとりが見る「人生」という「映画」は、「私」だけに起こっているのであって、他の人はそれを見たり記憶したりすることはできない。友人や恋人や家族など、共に時間を過ごすことがある関係では、時折、経験する「映画」のシーンの一部が共通することはあるけれども、その時でさえ見える映像や視点は違う。ましてや感情はずれる。そして別れてしまえば、その後は全く異なる「映画」を見続けることになる。
 世界に数十億の人がいれば、その人たちが経験している人生という「映画」は一人ひとり違う。当たり前だが、その深刻さをあまり気にしないようになるのが大人になるということなのだと思う。
 トランプ大統領のような有名人になると、その政策や人柄、履歴についてメディアの中であれこれと報じられる。その結果、私たちは、ドナルド・トランプであるという経験を、少なくともその主要な部分はあたかも知っているかのような、そんな幻想を抱くことになる。
 しかし、当然のことながら、私たちは本当はドナルド・トランプであるということがどういうことなのか、知らない。彼が幼少期から、ペンシルバニア大学を卒業し、そして不動産王として活動しながらリアリティTVのスターになり、やがて大統領選に出て当選する、その人生という「映画」の殆どを私たちは知らない。
 人生という「映画」は分裂している。そんな認識は一つの感傷主義なのかもしれない。しかし、そのような原理的な断絶を意識しているか、少なくとも時々思い出しているかどうかで、さまざまな事象に対する発言や考え方の質は変わっていくものだと思う。
 少なくとも、何が重要で何がそれほどでもないのか、問題の所在とその重みが変化していくように思うのである。
 夏目漱石がそのエッセイ『硝子戸の中』で、ごく個人的な経験を綴っている時のバランス感覚や世界観は信用できるような気がする。
「その上私は去年の暮から風邪を引いて殆んど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中(うち)にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寐たりしてその日その日を送っているだけである。」と書く漱石は、一方で「去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争が何時(いつ)済むとも見当が付かない模様である。」とも書き、前年から始まった第一次世界大戦に触れている。
『硝子戸の中』が朝日新聞に連載されたのは、1915年の1月13日から2月23日にかけてのことだった。そして、冒頭で言及した以外には、第一次大戦という世界史上の大事件に二度とその筆を向けていない。
 漱石のように胃病を患っていたり、風邪を引いていたりすると、結果として精神のバランスを保つことができるのかもしれない。
 世界は現象学的に分裂している。私の人生という「映画」は私しか知らない。誰かが死んでしまえば、その人の見てきた人生という「映画」は痕跡もなく消える。
 このような存在の重大事と、世間でずっと騒いでいるような事象は、果たしてどちらがどうなのか。決して、イギリスのEU離脱、気候変動、香港の民主化が重要でないと言っているのではない。しかし、存在が現象学的、意識的に分裂しているという事態を引き受けている人、少なくとも時々思い出している人は、やはり事象に対しての「語り方」が微妙に違ってくるものと思う。
 他人のことをすっかり知っているかのように論評したり、ある事件や論点について決めつけたり、わかりやすい痛快な言葉で斬る。そのような今のメディアでもてはやされるような言説は、やはりどこか重大なところで存在の本質から離れてしまっている。
 何よりも、そのような言説を吐いて満足している人の心の状態は悲しい。
 どんなに子どもっぽいと思われても、そのことをどうすることもできなくても、経験の分裂というこの世界に関する明白な事実に寄り添っていれば、もっと他人に対して敬意を持って接し、絶望の中から生まれるかすかな希望を人生の灯火にすることができるものと思う。
 そのような繊細で微小な差異こそが、現代においては大切なことだと、自分自身の人生の「映画」という「硝子戸の中」で考える。そうしなければ「正気」を保てないのが、現代という世の中なのではないだろうか。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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