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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第87回 [2019年8月某日 青空のスクリーン]

更新日:2019/09/25

 インターネットが本格的に普及してから20年余り。「デジタルネイティヴ」と呼ばれる若い世代にとっては、それはもはや空気のようなものだが、その上の世代にとっても、もはや「インターネット以前」はなかなかうまく思い出せない。
 インターネットの特性と言えば、なんと言っても人と人とを結ぶ「ネットワーク」性である。それはそのまま「社会」であるとしても良い。もちろん、社会の属性は他にもある。しかし、個がつながって「網」をつくることが社会の本質の重要な部分であることは疑いない。だから、多くの人がインターネットこそが社会だと考えるに至っても、ある程度は仕方がない。
 問題は、そのようなものの見方が「隠蔽」するものは何かということだ。インターネットに隠れているものは、案外大きいのではないか。 
 以前、月の光で照らされたさまざまなものを撮影した作品で知られる写真家の石川賢治さんとお話しした時、すばらしいインスピレーションをいただいた。
 昼間の空は、太陽の光が散乱されて青く照り輝いている。それはいわば自然の壮大な「間接照明」のようなもので、おかげで私たちは明るいドームの下にいて、地上のさまざまなものを眺めることができる。
 一方で、青空は、その向こうのものを隠蔽してしまっている。夜になって、青空という濁った「スクリーン」が消えて初めて現れる星空がある。月の照り輝きだって、昼間の空の中に見えはするが、その「本性」は遮蔽されている。
 石川さんは、地上のものが月光で照らし出されることで、天上と地上が初めて直接結び付けられるのだとおっしゃった。夜になって青空という邪魔なものがなくなったからである。
 あまりにも強い存在感が、本来あるものを隠す。同じようなことが、インターネットと私たちの関係にもあるのではないかと思う。
 インターネットという巨大な「空」が誕生したことによって、その向こうに本来あったものが見えなくなっているのではないか。
 私たちは、もはや、インターネット以前の世界を想像しにくいと感じる。確かにそうかもしれない。だが、人とつながるという人間の心の働きは、インターネット登場以前にも当然あったし、そのことをよく覚えている人たちもいるはずだ。
 私が小学校の頃、テレビなどのマスメディアを経由してくるのではない「伝聞」のようなものが時々出現した。
「何月何日何時に地球が滅亡する」というような噂もそうである。ある日学校に行くと、みんながその話をしている。
 しかも、ふしぎなことに、「隣の学校のなんとかちゃんが言っていた」などとソースをつける子もいた。子どもというのは学校という単位で動きがちなものだけれども、そのような噂は学校という垣根を簡単に越えていた。きっと、塾とか、親戚とか、そのような接触ポイントがあったのだろう。
 地球が滅亡すると聞いたその日の朝は、何とはなしに緊張して登校した。世界がいつもとは違って見えた。滅亡すると予告されていた時刻が過ぎると、みんなほっとした顔をしていた。嘘だと思っても、それなりに気になってしまっていたのだろう。
 昭和史に刻まれる「口裂け女」の噂も、ある日そのようにやってきた。マスクをとって、「私きれい?」と聞く、その時にどのように答えるといいのか、失敗するとどうなるのか、そんなどこからともなく来た噂を私たち子どもは信じ、真剣に思いを巡らせた。世の中には、「口裂け女」という存在があって、なかなか油断がならない場所なのだということを心に響かせた。
 肝心なことは、「地球滅亡」や「口裂け女」といった噂は、テレビやラジオ、新聞などのマスメディアを通してきたのではないということだ。人から人への「口コミ」で伝わり、それが社会現象になってから、マスメディアが後追い報道をした。
 インターネット以前から、社会の中には、情報が伝わるネットワークがあった。これは、考えてみたら当たり前のことではないか。
 人は、生きる上で必要なことは、どんな手段を使ってもその情報を得ようとする。
 どこに水があるか、食べ物が得られる方法は何かということは、長い進化の過程を生きる上で必須の情報だったろう。戦国時代には、どの武将が強くて、何をやらかしそうかと全身を緊張させて噂し合っていたに違いない。幕末の「ええじゃないか」の広がりも同様。インターネットがない時代にも、人々は五感を駆使して周囲の世界の兆しを必死になって感受していた。
 今の時代に混迷があるとすれば、そのような事態は、周囲から感受する本能のようなものが、インターネットによって隠蔽されて、やせ衰えているということでもたらされている側面もあるのではないか。
 もちろん、インターネットの登場によって、情報の共有のスピードと密度が地球規模で充実したことも事実である。私たちは決して後戻りはできない。
 その一方で、インターネットを絶対視するのも違うと思う。ウェブが存在する以前の、世界からのわずかな兆候をも逃さないというような、研ぎ澄まされた感受性をいかに育み、維持するか。
 たとえば川べりに立って、柳の葉が揺れるのを見ている時にもそれは発揮される。
 そのような感受性の醸成こそが、「ネット断ち」の本当の意義ではないだろうか。
 私たちは、インターネットという「青空」の向こうにある月や星々とつながることができるのだろうか。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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