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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第84回 [2019年某月某日 グリンデルワルトの集落に至るまで]

更新日:2019/08/07

 その人にどのように見えているかということに基づいてものを考えることはとても大切なことだと思う。
 歴史は事実だけではない。その時々に人々がどう生き、いかに感じていたかに寄り添ってこそ見えてくるものがある。
 今や皆既日食は日時や場所が正確に予言できるものになった。滅多に起こらない壮大な天体ショーだけに、世界中から観光客がかけつける。人々がカメラや専用の眼鏡を用意して「その時」を待つ。
 そのような予想が存在しなかった古代に、「たまたま」皆既日食に遭遇した人たちが何を感じたのか、考えたのか。それが起こると知らずに皆既日食に遭遇するということは、現代においてはほとんどあり得ない事態だが、それを想像しないと、この稀な天体現象が人類の精神に与えた衝撃と、その影響の深さと広がりは理解できない。
 なぜそのようなことが起こっているのか、経緯や理由がわかっている時の事象よりも、何もわからない時の経験の方が核のところで人類の精神を形成することがある。知は必ずしも深さには通じない。これは人工知能全盛に見える現代において、特に考えておかなくてはならないことだ。
 学会に参加するため、チューリッヒの空港からインターラーケンに向かった。車に乗ってしばらくして、遠くの方に雪を頂いた山々の峰が見えてきた。
 事前に何も調べないで来たのだけれども、どうやら、インターラーケンはユングフラウやアイガーなどへの観光、登山のベースになる都市らしく、街を歩いていると神々しい山の様子が遠望できる。
 そこから列車でグリンデルワルトに向かうと、アイガーやユングフラウなどの山々を間近で見ることができる。さらに登山列車でユングフラウヨッホに行けば、いきなり、標高3466メートルの氷雪の世界になる。
 しかし、私の心の中には、このような旅行ガイド的な記述を拒絶する何かがあって、それはなぜかと考えると、あそこからここに行くとこうなるというノウハウ的な説明で隠れてしまう体験の質があるからなのだと、今回、上のルートをたどりながら気づいた。
 ひょっとしたら、「ユングフラウ」とか、「アイガー」という名前でさえ、邪魔かもしれない。名付けて安心してしまうところが、人間にはあるからだ。
 もちろん、地球の歴史や地質学について科学的な立場から研究する時には、徹底的に文献を調べ、プロセスを理解する必要がある。かつては海の底だったところが造山運動によってアルプスになったから、貝の化石などもあるのではなかったか。そんな理屈や脈絡は、しかし、山という現象を体験する上ではかえって余計な気がする。
 ただ、そこには巨大な岩のかたまりがある。なぜそこにあるのかわからない。ただ、圧倒的な存在としてそこにある。
 そのような山の存在が、人類の精神の歴史に与えた影響は、よほどのことだと思う。受けたインスピレーション、連想、傷、創造性。知識以前の体験そのものに向かわなければ、山にいる甲斐がない気がする。
 もちろん、旅行ガイド的な知識は、そこに実際に行く上で欠かせないものではあるのだけれども。私もそうしたわけだし。
 メンリッヒェンにケーブルカーで上り、グリンデルワルトまで数時間かけてハイキングした。
 ユングフラウやアイガーと呼ばれる巨大な岩のかたまりがずっと視野に入っていた。
 牛の群れがあちらこちらに放牧されていた。「カウベル」の意味が、初めてわかった気がした。
 木立ちの向こうから、風の流れに乗って、絶えることなくカウベルが聞こえている。だけれども、牛の群れ自体は見えない。
 カウベルは、牧童が広大な牧場で群れがどこにいるのか視覚的と同時に聴覚的に把握するために不可欠なものだということを悟った。
 次第に山を降りて、やがてグリンデルワルトの集落に至るまでの長い経験を、旅行記的に、あるいはガイド的に記しても、きっと何かが届かないのだろう。
 ただ、不思議なことがあった。数時間、アイガーやユングフラウと呼ばれる岩塊を見つつ、あるいは視野の端にとらえつつ、見えなくても存在を感じながら降りてきた私は、グリンデルワルトの村に着く頃には、「酔って」しまったのである。
「山岳酔い」、mountain intoxicationとでも言うのだろうか(この言葉はその時思いついた、私の知識の及ぶ限り私の造語である)。山という存在が自分の中に入り、すっかり一部分となり、陶然とした感覚になっていったのである。
 スイスの山岳地帯は哲学者ニーチェにインスピレーションを与えた。ニーチェはスイスの湖を歩いている時に、有名な「永劫回帰」の思想にたどり着いた。
 山は、人の精神に何らかの作用を与える。そして、それは、山に関する客観的な事実、科学的なあるいは観光的な知識とは関係のない、現象学的次元に属するものである。
 帰国して、相変わらず東京やその他の場所を走り回っていると、アルプスの山の記憶も薄ぼんやりとしたものになり、地上の雰囲気に再び染まってきた日常の中で改めて思う。
 経験そのものへ!
 この現象学哲学のテーゼは、人工知能界隈がだいぶやかましく、支配的になってきた今こそ見直すべきなのではないか。私たちは果たして経験そのものと響き合っているか。
 山岳酔いでまだふらふらするような気がする、いや少しは魂がふらふらしていて欲しいと思うその余韻の中で、私は、知識にも事実にも回収されない人間の精神の力動に接続することを、まだ少し夢見ている気がする。
 それは生命そのものへの回帰なのだろう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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