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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第83回 [2019年6月某日 ウラジオストクの海岸で]

更新日:2019/07/24

 名前をつけることは大切なのだけれども、だからこそ私たちは世界を構造化できるのだけれども、しかしそれが思わぬ呪縛になるということはあるのかもしれないと思う。
 あるのかもしれないというよりも、日々そのような事象に向き合っているという気がする。
 例えば海を見て、ああ、これがエーゲ海の青さだと思うことがあったとして、しかし海は実体として世界全体でつながっているのであり、その一部分を「エーゲ海」という名付けて切り出しているに過ぎない。
「エーゲ海」と名付けることで整理されることや進むこともあるけれども、一方それで隠蔽されてしまうこの世の実体もある。
 子どもの頃、コップの水を海に流して、それが地球全体に拡散されて混ぜられて、その状態で再びコップ一杯の水をすくい取ったら、もとのコップの水の分子が17個ある計算になるというような文章を読んで衝撃を受けたことがある。
 もちろん、「17個」というのはコップの大きさにもよるし具体的な数字自体には意味がないのだが、そのような概念自体に戦慄を覚えたのだ。
 世界はいろいろなところで思わぬかたちでつながっている。その潜在する脈絡をこそ読め。幼い私が受けた印象はそのようなものだったのだろう。
 世界を個別化し過ぎて考えることは間違っている。だから、「エーゲ海の青さ」と口にしてもいいけれども、それが世界を固定すると思ってしまってはいけない。
 何よりも、エーゲ海の青さという時に、その「青さ」という属性が、「エーゲ海」という固有名と結びついて囲い込まれたものだと思ってしまうことが悲劇的に間違っている。 私たちは、名付けや固有名ということについては、常に「真理」という大地に足をつけていないのだと思う。名付けることが便利だからと言って、そうしてしまうわけだけれども、そのことによって世界の「真実」に近づくことが難しくなっていく。
 名付けの誤謬の最たるものは「私」である。
 この世界に、「私」という確固たる存在があると前提して、そこからいろいろなことを考えることは便利だけれども、世界に関する、何よりも後生大事なはずの「私」に関する真実から私たちを遠ざける。
 例えば「私」の「感情」は、ありありと「私」のものとして感じられるけれども、それは決して「私」だけのものではない。
「私」が身も世もないほどに悲しい思いでいる時、その「悲しさ」という感情は、確かに「私」に所属しているように見える。しかし、その「悲しさ」を生み出している神経機構の共通性を考えれば、その感情は潜在的にあるいは顕在的に、どんな人にも起こり得るものである。
 もちろん、その感情はとりあえずは「私」に帰属している。しかしそれと同じようなかたちで他の人たちにも帰属している。帰属し得る。だから、その感情は私が「専有」しているものではなく、むしろ世界に「遍在」するものである。
 すべての感情は、とりあえずは自分に帰属するものであると同時に、誰にでも帰属し得るものである。だから、誰もある感情の専有者ではない。そのことは「愛国心」という感情を考えた時にも明らかだろう。他国の誰かにもその感情は同じ権利をもって帰属し得るのだ。だからこそ、とらわれてはいけない。
 ユングの集合的無意識のような考え方は、最初から「私」のような固有名を取っ払って進められるわけだけれども、そして、近現代の科学的思考からすればどうしても「オカルト」のように見えてしまうものだけれども、「私」のような固有名にこだわることの悲劇的な間違いを考えれば、それほど害のない解毒剤とさえ言えるように思う。
 最も間違いが生じやすいのは、「私」の「意識」という帰属関係だと思う。とりわけ、「意識」の中でも自分が自分であるという「自己意識」は、「かけがえのない私」という形で特権化されやすい。世界にただ一つの「私」というかたちで、「独我論」的な文脈でさまざまな思想を生み出しやすい。
 極論すれば、この「私」が消えてしまえば、世界自体が消えてしまう。そんな思考を展開する論者もいる。
 しかし、ほんとうは、「私が私であること」という自己意識は、世界の至るところに遍在している。「私」という固有名にとらわれずに考えれば、そんなことは誰にも明らかなことのはずだ。
 私のよろこびは、他の多くの人のよろこびであり、私の悲しみは無数の人々のよろこびである。私の体験は、世界のたくさんの人たちの体験である。そして、その逆もまた真実である。
 このような主張はオカルトでもニューエイジでもなく、ただ単に、この世のありさまと、その中での「私」の成り立ちについて論理的かつ緻密に考えれば不可避的に導かれる結論であり、だからこそ、私たちは、「私」という固有名にこだわってはいけないのではないか。「私」にとらわれることで、この世界の「真実」から遠ざかるのではないか。
 そんなことを、このところ時々考えている。
 先日、ロシア沿岸州のウラジオストクの海を歩いていた時もまた、そんな思いが私の中にわき立ってきたのだった。それは確かに「私」が考えたことだったが、同時に、世界の誰も、歴史の中でいつでも「考える」可能性のあることだった。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

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