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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第82回 [2019年某月某日 大山らしきもの]

更新日:2019/07/10

 先日、西に向かう新幹線の中からなだらかな山稜が見えた。
「ああ、あれ大山なのかな?」となんとなく思った。
 新幹線は、その直後に箱根に至る丘の連なりに入ってしまって、「大山」だと思った山はもう見えなくなってしまった。
 世の中には曖昧なままになっていることがたくさんある。私にとっての「大山」もその一つで、正確にはどのあたりにあるのか、高さがどれくらいなのか知らない。
 神奈川のあのあたりにあって、高さは富士山のようにものすごく高いわけではないけれども、そんなに低いわけでもないのだろうと思っている。
 落語に『大山詣り』というのがあって、江戸から大山に参拝する道すがらいろいろなことが起こる。笑い一杯、ちょっぴりしんみりさせる名作であるが、この落語に子どもの頃から親しんできて、「大山」というのは、古来、信仰の対象になってきたのだと認識している。
 そんなさまざまなことを、新幹線から(どうやら)大山(らしい山影)が見えた数秒のうちに連想して、それきりになってしまっているのだけれども、その後も別に検索して調べることなく、約一週間後の今、この文章を書いている。
 もちろん、「大山」について検索すればあっという間にいろいろなことがわかるわけだけれども、なんとはなしにそうしなくてもいいかなと思いつつ、時の経過を楽しんでいる。
 情報過多の時代で、私たちは毎日多くの内容を脳にインプットしている。私もたくさんのテクストを読む。多くのことを知る。
 なんでも知ったり確認したりできる時代である。論文やレポート、記事を書くのならば徹底的に調べて裏をとるべきだと思う。その一方で、知らないままに曖昧にしておくことの心地よさ、温かさに最近どうも私は注目しているのである。
 もともと、私たちの日常は「曖昧」の中にある。
 例えば、お茶をしたりお酒を飲んだりしていて、さまざまな事象について話している時、出てくることをいちいち調べたりはしない。
 もちろん、最近は知らないことが出てくるとその場でスマホで調べる人も多い。そうすることで、曖昧なことが「にがり」を入れて固まるようにかたちになることもある。それはそれで便利で助かるが、一方であいまいなままで語り続けることの心地よさも確かにあるのだと思う。 
 人類は、いろいろなことをずっと曖昧にしてきたのではないか。そのことは私たちの精神態度として、知の考古学としても、日常の所作としてもしみついている。
 たとえば、「アトランティス」という大陸がかつてあった(あるいはなかった)ということについて、最新の学術情報に基づいて検証することはもちろんできるし、学者やジャーナリストはぜひそうすべきだけれども、生活者たちはそんな確証なしに、「アトランティス」についての語りをずっと楽しんできたのではなかったか。
 いつも「アトランティス」について話したり、そのことばかりを考えているというわけではなくて、ただ、生きている中で、何かの流れで、かつて存在したまぼろしの大陸について話したくなるタイミングのようなものが生まれてくる。
 そこで、「アトランティスがね」「アトランティスのことだけれども」などと話し合っていく中で、自然に心が浮き立っていく。ゆっくりとやわらかなかたちのようなものが作られていく。つまりは「調べて」「確証」することで固定するのでは得られない心の力学である。
「アトランティス」のような大文字の歴史だけではなくて、もっとささやかなこと、例えばかつて食べておいしかったカレーだとか、見て感動した映画のこと、その劇場へ行く道で見た一本の木、忘れられない発言、その前後の脈絡、自分史の中のもはや確証のしようのない瞬間たち、心が動いたひととき、出会いの衝撃、別れの哀愁、その他、私たちの人生で大切なさまざまなことを、私たちは曖昧なまま抱え込んで日々を生きているように思う。
 将来の芽生えに至る種子が、曖昧さという保護膜に囲まれていないと干上がってしまうということもある。その正体、由来を徹底的に追求することが、かならずしも生命原理に寄り添うことにならない。すべてを明確にしようという衝動は、極論すれば「タナトス」(死に向かう欲動)に近い。
 生命は曖昧さを欲する。曖昧さを抱擁してこそたどりつける心の場所がある。曖昧なままにいかに心を転がしていくのかが、一つの生命の智慧である。
 新幹線の中から、大山らしきものを見た。本当にそれが大山なのか、わからなかった。そもそも大山は海抜何メートルなのか知らない。どのあたりにあるのかもしれない。すべては曖昧である。
 しかし、その大山らしき山影を見たときに私の心に生まれた印象だけは、鮮やかである。そして、清流に棲む魚がコンクリートで固めた水路には棲めないように、曖昧さで包(くる)んだ心の領域にしか棲息できないふしぎな生きものたちがいるような気がする。
 今日もまた、曖昧な私は自分の中に動く可憐な生きものたちの姿を見て、心を驚かせる。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 集英社ビジネス書
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