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ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第81回 [2019年5月某日 くぐるかくぐらざるか、その存在の圧迫]

更新日:2019/06/26

 最近、大学の入試が変わろうとしていて、英語の試験は民間のやつも使えるようになるらしい。
 それ以外にも、さまざまな教科の試験も変わるらしい。新テストの実施に向けて検証が行われていると報じられている。
 テストの形式にとどまらず、大学入試のあり方もまた変わろうとしているらしい。
 原理原則に立ち返れば、ペーパーテストの点数だけで合否が決まるというのでは、人間の多様な能力を見ることができないし、何よりも時代にそぐわない。
 正解が決まる問題というのは、つまりは「評価関数」がはっきりしているわけだから、今流行りの人工知能で置き換えられる。すぐには無理かもしれないけれども、原理的にはおそらくできる。
 人工知能にできることを、人間がやっても仕方がない。そのような能力は、いわゆる「コモディティ化」してしまう。これからの時代に求められるのは、前例のないこと、イノベーション論で言えば、「ブルーオーシャン」に挑む能力である。
 そのためには、正解が定義できるペーパーテストではなく、非定型な課題に取り組むのが良い。プログラムを組んだり、ロボットをつくったり、いろいろ調べて仮説を立てて探求し、自分なりの考えをまとめる。そのような「アクティヴ・ラーニング」で学びを進めていかなくては、これからの時代に対応できない。
 このような認識は多くの人に共有されているものと思うし、徐々に制度は変わっていくのだろうと思うけれども、その是非について考えるのが本稿の目的では実はない。
 現役の高校生、さらにはその下の年齢の子どもたちにとっては、大学入試の制度がいろいろと変わるのは、たまらないなあと時々思うのである。しかも、変わることに罪があるのではない。変わることで照射される本質に目眩(めまい)を覚えるのだ。
 人生にはいくつか「門」がある。その下をくぐって向こう側に行くと、それまでとは異なる視界が開ける(らしい)。
 しかし、その門を誰もがくぐれるわけではない。くぐろうとしても断られてしまうこともある。自分にはふさわしくないのかもしれないし、いくらやっても無駄なのかもしれない。
 その門をくぐるかどうかで、その後の自分の人生は変わってしまうのかもしれない。もちろん、その門だけでなく、世の中にはさまざまな門があるらしいから、ご縁があった門の中に入れば良いのかもしれない。それでも、もしあっちの門に行っていたら、という思いはいつまでも抑えられないかもしれない。
 門をくぐれるかどうか、くぐるべきかどうか。そのことで、自分の身体や、心や魂のありよう、つまりは自分という人間そのものが変わってしまう。だから切ない。思わずため息が出る。
 もちろん、世界にはいろいろなやり方がある。学び方も一つではない。独立独歩の人もいる。犀(さい)の角のようにひとり歩むことができたら、それが一番良い。
 そうは言っても人間には弱い側面がある。門前で佇む人もいる。門柱に触れてため息をついている人もいる。結局、実際的な意味において、やはり門は強迫的な作用をもたらすことも多い。心細い。
 だから、そのような渦中の真っ只中にある子どもたちが見る入試の制度のあれこれと、そんなものはとっくに通過してしまって、余裕を持って世界に向き合っている大人たちが見る制度のあれこれは感触そのもの、身体への圧迫感自体が違うのだろうと思う。
 先日カナダに行ったとき、名門のマギル大学への進学が決まったという高校生と話す機会があった。彼女は子どもの頃からハープをやっていて、カーネギーホールのコンクールで演奏したこともあるのだという。そういうことも含めて評価され、合格したのだと聞いた。
 その際も思ったのだが、入試の制度が変わって、ペーパーテストだけではなく総合的な評価になったとしても、結局は「門」の中に入れるか否かの圧迫は残る。私はマギルに受け入れられた、私は受け入れられなかったということで、その人の人生が形成されていくという強迫観念は本人にも親にも残る。
 どのような入試制度にするかという設計論は、結局、「門」というものの持っている圧迫自体は変えない。そのことを案外大人たちは忘れてしまっているのではないか。
「門」は学校だけでなく至るところにある。会社に入れるかどうか。自分の好きな人に受け入れられるかどうか。試合に勝てるか。賞をもらえるか。クラブに入れるか。
 小さなことから、大きなことまで、至るところに「門」はあり、人生は門をくぐるという通過儀礼なしには、どうやら済まないらしい。
 門の前で佇み、入れるかどうか揺れ動き、切なく頼りない気持ちになるその流れの中に、人生の本質の一端が表れている。その心細さは、どのような選抜の制度を採用するかという設計論とは全く独立である。
 門は人間の前に立ちはだかり、私たちの魂は裸になる。生まれ落ちる時、死ぬ時もまたそれは一つの門の通過である。人生に、門がずっと続いていく。どんなに不安で頼りなくても、私たちはまたもや門をくぐらざるを得ない。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
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謹んで「平成30年北海道胆振東部地震」災害のお見舞いを申し上げます。

平成30年北海道胆振東部地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復旧がなされ平穏な日々が戻りますよう、心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

謹んで「平成30年7月豪雨」災害のお見舞いを申し上げます。

豪雨により甚大な被害が発生しました。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された皆様におかれましては、すみやかな復興を衷心より祈念申し上げます。

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謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

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謹んで地震災害のお見舞いを
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東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

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