集英社 知と創意のエンタテイメント 学芸・ノンフィクション

文字サイズを変更

  • Facebook
  • Twitter

文字サイズを変更

Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第78回 [2019年4月某日 直視できないほどの豊穣に]

更新日:2019/05/08

 時間の流れは、私たちの存在のもっとも根本的な性質である。しかし、それを直接つかむことはできない。
 だから、なにか間接的な方法で私たちは時間を把握しようとする。時間が流れるとはすなわち生きることであるが、その生きることもまた、「具体」でつかむしかない。
 アートは「美」や「感動」という本来抽象的なものを扱っているわけであるが、それを表現するのは「具体」でなければならないということに似ている。人生もまた、一つのアート作品なのだ。
 滝は、時間の流れを視覚化する上ではとてもすぐれた媒体である。熊野にある那智の滝に行くと、少し離れた宿場からも遠くその姿が見える。
 東京にある美術館に国宝『那智瀧図(なちのたきず)』を見に行った時のこと。三人のおばさまが、『那智瀧図』の前で、これから夕飯はどこに何を食べにいこう、そう言えば、あの人は今どうしているのだろうか、ああそうそうこんなことがあってね、と世間話をしていた。
 正直、少し迷惑な気持ちだった。
 そのおばさまたちが、数分もそうやって喋っていただろうか、ようやく帰られようとしたときに、突然、『那智瀧図』の前で両手を合わせてお祈りしたことには驚いた。
 その口ぶりから、『那智瀧図』の前で世間話をしていたのは、別に軽く見ていたからではなく、あまりにも『那智瀧図』が魅力的で、惹きつけられるので、立ち去り難いと感じていたのだということが伝わってきた。
 私は自分の不明を恥じた。「聖」と「俗」は案外近くにいる。それが生命というものである。古来ずっとそうではなかったか。
 自分はそれから黙ってさらにしばらく『那智瀧図』を見ていた。そのうち、滝の中に、何かが見えてくるような気がした。
 伝承では、観音様とかが見えるのではなかったか。いずれにせよ、修行している方の心の中には、さまざまなことが映えてくるに違いない。少し時間をかけて向き合っていないと、見えてこないことがある。具象にしばらく向き合っていて、初めて抽象が立ち上がるのだ。
 時間がやっかいなのは、普段のとっちらかった環境の中では、その本質がつかみにくいということである。情報が雑多過ぎるのだ。
 達磨さんのように、壁に向かってじっと座っていたら、時間の本質が見えるのかもしれないが、それもなかなか難しい。あまりにもさまざまなものが「捨象」され過ぎてしまっている。
 だから、滝のようなものが良い。流れていて、しかも止まっている。眺めていると、その中になにかが見えるような気がしてくる。観音様や、いろいろなものが見えてくる。
 だから、熊野に出かけ、那智の滝に行くのは良い。
 春が来る度に、桜の花は那智の滝のようなものだなあと感じる。
 今年の桜は、東京ではずいぶんと長く楽しめた。開花してから、比較的低温の日が続いたためか、花がもって、まだこんなにたくさんと驚くほど楽しむことができた。
 私は開花早々に仲間たちと恒例の花見を楽しんだが、その後も、ランニングをしていたり歩いていたりする時に、桜の花を愛でることができた。
 花見の時にいつも思うことだが、みんな、桜の花をそんなに長くは見ていない。ちらりと眺めて、ああキレイだなと思い、写真を撮ったりして、その後は桜の方を見もせずにお酒を飲んだり喋っていたりする。
 かと言って、桜がなくてもいいのかと言えばそうではなくて、やはり桜がないと寂しい。桜の花に圧倒されて、それから桜があたかもないかのような時間を過ごすのが良い。頭の上に、ずっと桜の花の過剰を感じているのが良い。
 なぜああなのだろうと思って心の中を探ってみると、どうやら平静さを失っているかのようである。桜の花は美しい。しかし、それを直視するのはいたたまれない。
 ちょうど、『那智瀧図』の前のおばさまたちが世間話をしていたのと同じように、聖なるくらいに美しいもの、過剰なものを前にしてつい雑談でそれを覆い隠したくなる。
 桜の花の豊穣が、生命そのものだとすれば、そしていつかは散ってしまうその存在の儚さが時間そのものの本質を思い起こさせるとするならば、私たちはぜひともその近くに身を置きたいのではあるが、一方で、その実体に直接の目を向けることを、ためらってしまいもするのである。
 桜の花は美しい。だからこそ、直視できない。
 私たち一人ひとりは、自分が抱えている「生命」というものをもちろん後生大事に思っているのだけれども、そのかけがえのなさを毎日お念仏のように唱えるのもなんだか違うと感じていて、むしろ、普段は自分の人生が一度しかなくてどんどん過ぎ去ってしまい、やがては死んでしまうというどうしようもない真実から、あたかも目を逸らしたような気楽な日常を重ねることこそが、むしろ生きることなのではないかと本音のところでは感じている。
 それでも、『那智瀧図』や満開の桜や生命の本質から離れてしまうわけにはいかなくて、その近くにはいたい。その近くにはいて、くだらない些事についての話に夢中になって時を忘れることも生きる中でしてみたい。
 満開の桜の花の下で桜を眺めもせずにお酒を飲み、雑談することが案外人生の本質であるのは、以上のような事情からではないか。俗の中に浸っていても、私たちは常に聖を気配として感じている。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
  • 集英社創業90周年記念企画 ART GALLERY テーマで見る世界の名画(全10巻)
  • 集英社ビジネス書
  • e!集英社

Shueishagakugei

謹んで「熊本地震」災害のお見舞いを申し上げます。

熊本地震により甚大な被害が発生いたしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平穏な日々が戻りますよう、そして復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・熊本地震災害被災者支援募金のお知らせ

謹んで地震災害のお見舞いを
申し上げます。

東日本大震災により被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
また、被災地等におきまして、救援や復興支援など様々な活動に全力を尽くしていらっしゃる方々に、深く敬意と感謝の意を表しますとともに、一日も早く復旧がなされますよう心よりお祈り申し上げます。

(株)集英社

  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金のお知らせ
  • 集英社・東日本大震災被災者支援募金募金状況とご報告

本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)SHUEISHA Inc. All rights reserved.