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読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第70回 [2018年某月某日 諦める前のギルガメッシュ]

更新日:2019/01/09

 古代メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩では、王であるギルガメッシュは死を恐れ、不死を求めて旅に出る。しかし不死がついには得られないことを悟ったギルガメッシュは、自分が死すべき存在であることを受け入れ、やがてはこの限りある生を受け入れて楽しむように心境が変化していったとされる。
 現代の科学者、技術者と話していると、時折、「諦める前のギルガメッシュ」のような人に出会う。彼らは自分の意識を機械に移して永遠の生命を得ることができるのだと嬉々として語る。その度に、私は当惑する。
 彼らの願望が成就することはおそらくないだろう。どんなに強固な人工的システムに「自我」を移したとしても、不慮の事故、地球環境の変化、宇宙そのものの変貌を避けることはできない。
 仮に、宇宙に張りめぐらされたネットワークの中で、自分が「移動」していけたとしても、それで不死が保証されるわけではない。そのようなネットワークでさえ、破綻してしまう可能性がある。
 そもそも宇宙の年齢そのものが、有限である可能性が高い。宇宙が膨張し続けてやがて熱的死を迎えるにせよ、あるいは膨張が収縮に転じて「ビッグ・クランチ」で終わるにせよ、機械にアップロードされた自分の複製が存在し続ける「スペース」自体がなくなってしまうのである。
 おそらく、不死は原理的に不可能である(おそらくは)。だから、私たちは皆、諦めた後のギルガメッシュになるしかない(おそらくは)。
 それに、そもそも、こんなこともあるのだ。
 もし、私の完全なコピー人間が目の前に現れたとして、それはほんとうに「私」なのだろうか。
 今の技術では全く不可能だし、将来的にも可能になることはおそらくないと思うが、私の現時点での神経ネットワークの情報を完全に読み出して、何らかの方法で機械にコピーできたとしよう。その「コピーされた私」は、「私」と本当に同じなのだろうか。
 科学技術による不死の可能性について楽観的な人たちは、そのようにして作られた「コピーされた私」は、「私」と同じだとしばしば安易に仮定する。しかし、そのような思考は、「意識」、その中でも「自己意識」がどのように成り立っているのかということについての深い洞察に基づいているとは思えない。
 そもそも、「私」という存在は、その中にどんな「情報」があるのかということで規定されるべきものなのだろうか。そして、その「情報」と同じものが「コピーされた私」がもし出現したら、それは「私」と同じなのだろうか。
 今、思考実験として、私がいる部屋の隣の部屋に、実は私と全く同じ情報が脳に入った「コピーされた私」がいたとする。未知の科学技術によって、そのような複製が可能になったとする。
 しかし、この部屋にいる「私」は、隣の部屋にいる「コピーされた私」を知らない。そんな存在がいること自体を、想像すらしていない。
 そのような状況で、「私」に何らかの理由で「死」が迫ってきた時、果たして、私は、隣の部屋にいる「コピーされた私」ゆえに魂が助かるのだろうか。
 たとえ「私」が死んでしまっても、隣の部屋のいる「コピーされた私」が残れば大丈夫なのだろうか。直観的に言えば、いやそうではない、隣の部屋にいる「コピーされた私」がたとえ残っていたとしても、この部屋にいる「私」が死んでしまったら、それで「お終い」なのだと思える。
 さらに進んで、たとえ、「私」が隣の部屋にいる「コピーされた私」の存在を知っていたとしても、さらに言えばその「コピーされた私」がつくられる過程、すなわち、「私」の情報が読み出され、それが何らかのかたちで複製され、それが「コピーされた私」の身体の中に移されていく過程をすべて見聞きし、納得していたとしても、すなわち、確かにそこにはもうひとりの「コピーされた私」がいるのだということを認識していたとしても、そのことは、実は、「私」が唯一のかけがえのない「私」であることに対して何の影響も及ぼさないと確信される。
 むしろ、「私」が「私」であることは、そのような「情報論」的な同一性、類似性とは全く別のところに由来しているのではないかと考えられる。
 人間はいつも変化している。日々成長する中でさまざまなことを学習し、少しずつ違った人間になっていく。「私」という存在は、そのような変化を超越したものらしい。
 記憶や経験の内容だけでない。もし、プラスティックのように自由に顔を成形できる技術が開発されて、眠っている間に、「私」の顔が変えられてしまったとしても、「私」の脳回路の内容はとりあえずはそのままのはずであり、顔認識に関わる側頭葉の紡錘状回(ぼうすいじょうかい)の回路が以後、少しずつ変わるにせよ、「私」が「私」であることは本質において維持されるだろう。
 だとしたら、そもそも、「私」が不死を得るというのはどういう意味なのだろう。それは、結局、自我というものの成り立ちについての論理的に緻密な考察なしでは解決しえない難問である。
 不死のギルガメッシュもいつかは富士山を見るだろうか。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
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