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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第66回 [2018年某月某日 牧草地を走りながら]

更新日:2018/11/14

 子どもの頃は、「ゆかりの地」ということについて、随分とナイーブな考え方をしていたようにも思う。
 例えば、松尾芭蕉がかつて訪れた地というと、そこに何か特別なものがあるのではないかと思ったり、何か名残があるんじゃないかと考える。
 実際、そのような感傷主義は世間に流布しているらしく、芭蕉の句碑が立っていたりする。
 俳句ならば、まだ、その土地の風土に触れて何か詠んだ、みたいな理屈が成立するかもしれないけれども、土地から離れた精神活動の場合だと、「ゆかりの」と言っても、そのありがたさがわからなくなる。
 先日、久しぶりにケンブリッジを訪れて、グランチェスター・メドーと呼ばれる牧草地を走っていたときに、「ゆかり」のことを考えた。
 ケンブリッジ郊外にあるこの牧草地は、キングス・カレッジの所有で、隣のグランチェスター村まで歩いていくことができる。
 この牧草地を通って、綺羅星のごとき知性たちが散歩していった。
 コンピュータの原理を考えた数学者のアラン・チューリング。
 哲学者のルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、バートランド・ラッセル、作家のヴァージニア・ウルフ。
 グランチェスター村まで歩いて、そこでお茶をしたり、パブでビールを飲むというのは、現代に至るまで、ケンブリッジ大学の人たちのたしなみの一つになっている。
 確かに、グランチェスター・メドーは美しい。ゆったりとした緑地が広がり、その中をケム川が流れている。
 ケンブリッジを訪れたら、ここだけに来れば満足というくらい、素敵な場所である。キングス・カレッジの所有なので、今後、現状が劇的に変更されてしまう恐れもまずない。
 そして、私は考える。
 この牧場が、ヴィトゲンシュタインやチューリングの「ゆかり」の地だということには、一体どれほどの意味があるのだろうか。
 ヴィトゲンシュタインはケンブリッジにいたが、一方でよく放浪していた。世の思想界を根本から変えた『論理哲学論考』は、北欧の山の中の小屋に引きこもって書いたものである。
 ヴィトゲンシュタインの取り組んだような世界や存在の問題は普遍性を持っている。ケンブリッジの、あるいはグランチェスター・メドーという風土の果実なのではない。
 チューリングのコンピュータのモデルにしても同じことである。それがこの土地で育まれたというのは、単なる偶然であるとも言えるだろう。
 私たちは、ひとりの人間の中にも複雑な宇宙があることをつい忘れてしまう。その中に、自律的で有機的な森があることをもっと重視しなければならない。
 ひとりの人間は、その宇宙を持ち運ぶことができる。ヴィトゲンシュタインはニューヨークに行っても、ロンドンに行ってもヴィトゲンシュタインだろう。チューリングはインドにいても中国にいてもチューリングだろう。
 もちろん、その生育や学習において環境や風土が与える影響はあるだろうが、いったん、ある問題意識を持って、自律的に活動する大人として完成してしまったら、その後は土地の呪縛からは自由に移動し、発展するのが人間だという気がする。
 だとしたら、ゆかりの土地などというセンチメンタリズムに、一体何の意味があるというのだろうか。
 ましてや、今は、インターネットが発達した時代である。どの場所でも、土地でも、クラウド上の情報に接続することができる。
 ある分野の探求者が、特定の場所にいないと必要な情報が得られないということは、以前は確かにあったのだろうと思う。しかし、今では、列車の中でもカフェでも自宅でもホテルでも路上でも、どこでも自分が欲しいものにアクセスできる。
 学校に行く必要もない。学問の中心に触れる緊急性もない。自分がいるところが世界の中心である。ケンブリッジじゃなくてもいい。インドネシアの街中のそよ風吹くカフェでいい。
 もちろん、ある場所に行かないと真髄に接することができないということは少々あるだろう。しかしそれも、ネットでレクチャーやテクストやツイートを検索していれば、かなりの程度補うことができる。
 そんなことを考えていると、目の前のグランチェスター・メドーが単なる田舎に見えて、しかしそれはとてつもなく素敵なことに感じられて、それでいいのだという確信が胸の底からこみ上げてきたのである。 
 現代は、どこに生まれたかに関係なく、環境と無縁に、誰でも、芭蕉や、ヴィトゲンシュタインや、チューリングに近づくことを志向できる時代だと思う。その通りだと、心の底から確信する。
 大切なのは、ゆかりの地に赴くという表層的なセンチメンタリズムではない。それが全く無意味だと言っているのではない。ただ、全く足りない。
 必要なのは、精神空間において、こちらに赴くべし、という方向の見定めと、見えない内部における旅程の確かさと、自分の心を形づくっていく勇気だ。
 東京の雑踏でも、ケンブリッジのグランチェスター・メドーでも、何も変わらない。
 私たちは学校というものの幻想を捨て、センチメンタリズムと決別しなければならない。そうすれば、現実は、美しい墓標として私たちの精神を包むだろう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
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