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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第65回 [2018年某月某日 物語が揺さぶられるとき]

更新日:2018/10/24

 人生は、結局「意識の流れ」の連続で、睡眠でつぎはぎになったその流れをリレーして、意識という一つの「物語」をつくっている。
 内田百閒の『阿房列車』の中で、百閒は学生時代から郷里の岡山と東京の間を何度も東海道線で通ったので、列車に乗っていて眠っていて、ぱっと目覚めた時に、それがどこでも自分が今いるところがわかるのだと、同行の平山くんに自慢する。
 目覚めても、いつでもぱっと自分がどこにいるのかわかる。これは、まさに私たちの人生ではないだろうか。
 そうでないと困る。毎朝起きて、自分が人生という旅においてどこにいるのかわからない、ということがもしあったとしたら、人生はどんなに難しいものになってしまうことだろう。
 朝目覚める。あるいは、昼寝のうとうとから意識が戻る。その時に、自分の周囲の風景がどこなのか、ぱっとわかるところに、私たちの存在の根底がある。
 教室で授業を受けていて、いつの間にかその内容ではなく別のことを考え始め、はっと気づくと、教授が何か話している。そんな時にでも、私たちは自分が今どこにいるのかを理解する。自分の置かれた文脈を合点する。
 そのような、目覚めてぱっとわかるという認知のあり方は人生の大きな安心につながっていると同時に、どこかものたりなく感じさせることもある。
 夕暮れ時など、街を歩いていると、自分を包んでいるさまざまな関係性や文脈がはがされて、つまりは自分という存在が裸になってくるように感じられることがある。そのような時、私たちは不安を感じる。どこでどのように生きているのか、わからなくなる。自分の息づかいが、痛々しくさえ感じられる。
 そのように、いわば存在論的不安にかられることで、初めて実感できる「生きること」も確かにある。
 自分の人生で、はっと覚醒したその瞬間に、自分が今どこにいるのかわかってしまう。そんなことばかりだと、人生はおそらくはつまらない。時折わからなくなるからこそ、人生は甲斐がある。
 しかし、年を重ねると、だんだん自分がどこにいるのかわからなくなることが少なくなるということが確かにある。経験や知識で、自分がどこにいるのか、簡単に「錨」が下ろせてしまう。
 普断、意識せずに生活している時には、そんなことは考えもしないけれども、時折、はっと気づいて、自分が今置かれている状況を振り返ってみる。
 そのときに、内田百閒が言うように、どこでも自分が今いるところがわかるということになると、安心だけれども、なんだか寂しい。
 やはり、人間というものは、時折、自分がどこにいるのかわからなくなる、そんな経験を本能的にしたいのだろうと思う。
 私は、子どものころからいろいろな希望を抱いてきたけれども、そのうちの最たるものの一つは、自分がどこにいるのかわからなくなることだった気がする。「意識の流れ」の中で、自分がどこに置かれているのか、その意味がわからなくなる。少なくとも揺らぐ。そんな思いがしてみたい。
 子どものころ読んだ、アルキメデスの逸話がずっと心に残っている。王冠がほんとうに金で出来ているか、破損しないで調べるためには、沈めてあふれる水の体積と、重さから比重を測ればよい。
 お風呂に入っていて、そのことを思いつき、よろこびのあまり、「ユリイカ!」(わかったぞ!)と叫びながら、裸で飛び出していったという、アルキメデスのそんな姿が心に焼き付けられている。
 私も、そんな経験がしてみたい。そのことに気づいた瞬間、自分のいる世界が全く違って見えるような、今まで見慣れていると思っていた光景が一変するような、そんな気づきを経験してみたい。
 いつ、そんな変化が訪れるのか。そんなわくわくした期待の中で、ずっと生きてきた気がするし、これからも日々を重ねていくように思う。
 内田百閒が、通い慣れた東海道線の車窓の景色ならば、どこで目を覚ましてもどこにいるかわかると言った、その円熟の境地に憧れる私がいる。
 その一方で、はっと目が覚めたときに、自分がいるのかどこかわからないような、そんな気持ちを味わってみたい。
 それは、新しい土地に行くということではきっとなくて、百閒にとっての東海道線のように、あるいは、もっと日々慣れ親しんでいる、例えば自分の部屋だとか、自分の家から駅まで行く道だとか、あるいはトイレの中とか、使い慣れたお茶碗だとか、箸だとか、とにかく、こんなものは何百回も見た、何千回も触った、みんなわかっている、もう新しく知ることなどない、そのように油断しているものに対してこそ、いや待てよ、この対象について、私は何も知らない、知っているつもりでいたが、実は何も知らない、私自身についても何もわかっていない、そもそも自分が何者なのかわからない。そんな気分を、味わってみたい。
 すべてがわからなくなる感覚を味わってから、ふと見上げる空が、子どもの頃夢中になって遊んで、家に帰るときに目の前に広がっていた夕暮のように赤い。そんな一日を、この地球上に生を受けたその短い時間の中で、ほんの一回でいいから、経験してみたいものだと思う。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
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