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Nonfiction

読み物

ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎

第63回 [2018年某月某日 バスの外を流れていく緑の景色]

更新日:2018/09/26

 私たちは、なぜ、ある人を知っていると感じるのだろう。
 どんなに親しい人でも、その人とずっといるわけではない。それなのに、何度も顔を合わせていると、その人のことはわかっている、と思い込んでしまう。
 でも、本当は、自分と会っていない時間の方がはるかに長いのだ。
 久しぶりに会う友達と、いろいろ話し始めた時に、ああ、この人は、最後に会ってからこれまでの時間、自分が見ていないものを見て、聴いていないものを聴いてきたのだなと感じる。そこの部分は絶対的にわからない。原理的に知りようがない。
 それなのに、なんとはなしに、最後にその人にあったその時点からの連続性で、「続き」だと思ってしまうのは、そうでないと私たちの認知そのものが成立しないからだろう。
 ましてや、歴史上の人物となると、その人を知っていると思い込んでいるのは、おそらくは私たちの勘違いである。
 芸術家などで、「恋多い人生だった」などという記述があり、この作品はさる女性との恋愛でインスパイアされたなどと書いてあると、ああそうなのかと思ってしまう。
 しかし、実際には、その人のことなど、本当にはわかるはずがない。ましてや恋愛の詳細など、当事者でない限り知りようがない。どんな人生で、どんな経験をしていたのか、記録装置がないのだから、伝わりようもない。
 著名人の伝記は、その人生の中で、たまたま外に漏れたり、本人が書き記したり、他人が見聞きしたりした部分だけに基づいて書かれている。多くの憶測や誤読が混ざっている。その意味では、氷山の一角であって、大部分はのぞき込みようもない海の下に隠れてしまっている。
 実際にはどんな人だったのかなどは知る余地もないのであって、その意味では、伝記というものは、その本性において、ほんの少しの手がかりを元にでっち上げられたフィクションだということになるのだろう。
 ナポレオンがどんな人だったかなんて、もはや知りようがない。ナポレオンが過ごした時空は、取り返しようもなく失われてしまった。それでも、ナポレオンはかろうじて想起する手がかりが与えられているから良いのであって、同時代を生きた沢山の人々の人生は、もう消えてしまった。知りようもない。それぞれの日々が、いきいきとして、感激に満ちたものであったとしても、再現しようがない。
「時」は、有名、無名に関係なく、すべての生の痕跡を洗い流していく。何らかの業績を残せば、それが永遠に記憶されるなどという「仕組み」に希望を抱く人もいるが、それは勘違いというものだ。
 残るとしても、ごく一部分だけなのであって、その人の人生全体から見たら、取るに足らない。人生経験の「本体」は、時が経てば、跡形もなく消えていく。
 アインシュタインの名声が永遠なものかどうか、人類自体の存続の危うさを考えれば怪しい。我々はアインシュタインのことを知っているかのような錯覚を抱いているが、その人生の時々刻々は、すでに失われているのだ。
 時の流れは、すべてを押し流し、消し去っていく。そのような現実認識は、確かに厳しいものである。しかし、厳しさは万人に平等に向けられているのであって、そこに差別はない。
 人生は、時が流れれば無に帰するという意味で、虚しいのかもしれないが、すべての人が同じ条件であるという意味においては、全くの平等である。
 頑張っても、サボっても、成功しても、失敗しても、有名でも、無名でも、所詮、最後は同じであり、残らず消えていくという認識は、確かに絶望的なもののように思える。しかし、それは、宇宙を満たす絶対温度3Kの背景輻射のようなもので、すべての者を平等に包んでいるのだ。何者も逃げようもない。
 結局、すべては消えていく。そのように考えると、実在の絶望の真空の底に、ほんのりと甘い感触を探り当てることができるようにも感じる。
 私たちには、「今、ここ」しかない。
 子どもの頃、遠足のバスから見た緑の景色も、その時は確かにあったのだけれども、その「今、ここ」が時によって押し流された今は、消えてしまった。
 存在の絶対的な潔さは、その徹底した平等を考えると、一つの福音であるとすら思われる。
 成功しても、失敗しても、有名でも、無名でも、勝ち誇っても、惨めに負けても、すべて平等に消えていくのだとすれば、むしろ人は思い切り挑戦できるのではないか。
 だからこそ、夢の切ない実現に、思いを馳せることができるのではないか。
 すべてを消し去っていく時の流れという絶望があるからこそ、最も力強い希望も生まれてくるのではないか。
 人生も半ばを過ぎた今日このごろ、バスの窓の外を流れていく緑の景色を眺めながらそんなことを考えるのである。
 いつか、子どもの頃、こんな景色を見ていた「今、ここ」があったのだろう。
 そしてやがて、今この景色を見ている記憶もかすかなものになり、やがてすべては消えていく。
 時の流れの、なんと魂を慰撫することよ。
 だからこそ、今日を頑張ろう。

著者情報

茂木 健一郎 (もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経てソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。「クオリア」(感覚の質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、評論、小説などにも取り組む。2005年『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。近著に『生命と偶有性』(新潮選書)、『東京藝大物語』(講談社)、『記憶の森を育てる 意識と人工知能』(集英社)ほか多数。

  • 開高健ノンフィクション賞
  • 情報・知識&オピニオン imidas
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